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2022年11月13日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(43)資格と死角 ~頼家の子・公暁帰還 次の鎌倉殿は~

源 頼家の残した子・公暁が戻ってきています。乳母父・三浦義村は公暁に、源 実朝と北条政子への挨拶の段取りを打ち合わせます。実朝が鎌倉殿を辞すにあたり、その後継の件について公暁が尋ねますが、頼朝─頼家と続く直系の子であるため、鎌倉殿の後を継ぐのは公暁を置いて他にはいないと太鼓判を押します。「必ず鎌倉殿になってみせる。私はそのために戻ってきた」

──嫡男なき実朝。後継者を巡って思惑が入り乱れる。もっとも鎌倉殿にふさわしい者は一体誰なのか──

御所に参上した公暁を出迎えたのは北条義時です。6年ぶりの帰還に、立派になったと義時は目を細めます。尼御台に会いたいという公暁を部屋の奥に案内した義時は、物おじしない姿に亡き頼家を彷彿とさせますが、頼家よりも賢く、女子の件で間違いを起こす心配もありません。義村は、世継ぎがおらず側室を持とうとしない実朝の跡継ぎは公暁で決まりではと義時に伝えますが、たちまち義時の表情が曇ります。

今の政子は、息子と孫の成長を見守るのをよすがとしています。政子の計らいで仏門に入った公暁は、これまで心身を鍛えてきました。亡き祖父(頼朝)、亡き父の願いに沿うような、立派な鎌倉殿になりたいと表明し、政子は驚きます。公暁は還俗して鎌倉殿を継ぐつもりで鎌倉に戻ってきたのです。

「ちょっと待ってくれ、どういうことだ」と義村は声を荒げます。義時はいたって冷静に、次の鎌倉殿は京から招き入れる予定であると伝えます。頼家は鎌倉の安寧を脅(おびや)かしたこともあり、その実子の公暁には後を継がせるべきではないというのが実朝の考えなのです。義時もそれでいいとは考えていませんが、だからといって後継について軽々に公暁に話すことでもないと思っています。

困ったことに、実朝は京から養子を呼び跡を継がせ、自らは大御所として、公暁には鶴岡八幡宮別当として新しい鎌倉殿の良き相談相手になってもらいたいと話をしてしまいます。養子の件はまだ決まったわけではありませんが、その方向に進ませるために周囲にあらかじめ話しているようです。公暁は目に涙を浮かべながら、実朝の求めに渋々頭を下げます。

話が違う! と公暁の怒りは当然ながら義村に向けられます。実朝がただ単に言っているだけと公暁をなだめますが、公暁は京に帰ろうとします。義村はそれを止め、まずは打ち合わせ通り、鶴岡八幡宮へ千日間の参籠に入ってもらい、その間に実朝を説き伏せるつもりです。千日参籠とは、外界との交流を断ち堂内に籠って神仏に祈るもので、出入りできるのは世話役の稚児のみです。

 

新しい鎌倉殿が決まりそうだとの後鳥羽上皇からの書状が鎌倉に届けられ、実朝はそれを公表すべく全員を招集します。その間、義時はこの件をどう阻止するか頭を悩ませます。京から呼び寄せるなら天皇の皇子ぐらいでないと目も当てられないとため息交じりの実衣は、次の鎌倉殿には公暁か息子の阿野時元を推挙しますが、義時に公暁のほうが血筋では時元よりも上と指摘され、ムッとしています。

政子はこれでよかったのかと大江広元に相談し、広元はこれまで通り政子の思う通りにと勧めます。頼朝に京より呼ばれた広元は、その後も頼家、実朝と主を変えましたが、ずっとお仕えしてきたのは政子だと打ち明けます。しかし政子は、広元の気持ちに感づいたのか「重すぎます」と広元と距離を取っています。ともかく実朝が養子をとれば御家人同士の諍いはなくなると政子は考えます。

唐船を引っ張って腰を悪くした三善康信もやってきて、実朝が声掛けした者たちが御所に揃いました。千日参籠の途中だった公暁ですが、百日目で抜け出して話に加わることにします。義時は実朝の話を遮り、跡継ぎについては宿老たちで時間をかけて話し合うべきと提案するのですが、康信は宿老が話し合ってまとまったためしがないとニッコリほほ笑みます。

上皇が鎌倉殿として遣わそうとしているのは、上皇の皇子・頼仁親王で、実朝御台所の千世の姉の子(甥)に当たります。それを知り、義時はめでたいことと言うしかなく、義村も同調します。上皇に対面するために実朝は上洛を考えますが、仰々しくなるということで、代理として政子が上洛することになりました。お供を申し出た仲章を断り、「この母にお任せあれ」とニヤリとします。

宿老会議が終わり、このままでは公暁は一生鎌倉殿にはなれないと、義村は焦りを募らせます。上皇の皇子となればいくら公暁であっても互角とは考えられず、弟の三浦胤義は、あきらめるしかなさそうだとため息をつきますが、義村は三浦が這い上がる最後の好機、諦めるわけにはいかないと俄然やる気になっています。

 

尼御台が上洛したとなれば、朝廷側からは上皇の乳母・藤原兼子が出てくるであろうと広元は予想します。兼子は頼仁親王を育ててきた人物で、頼仁親王が鎌倉殿になるのは兼子にとっても願ってもない話であるわけです。そこをうまくくすぐって、談判をうまく運び話の主導権を握るコツだと、広元は助言します。その情報を持って、政子は北条時房を伴って京の院御所に入ります。

政子は「お口汚しにございますが」と、手土産に持参した干しだこを差し出します。坂東では口が汚れるものを差し出すのかと兼子は嫌味たっぷりに言いますが、たまには汚れたものを口にするのもよいものですよ、と政子は動揺せず返答します。女同士の緊張するバトルが、いよいよ始まります。

兼子は上皇の皇子が不穏な、しかも地の果ての鎌倉へ入るのは気が進まないようです。政子は、兼子が手塩にかけて育てた頼仁親王の兄・順徳天皇の后が身ごもっていて、天皇になる可能性も少ないことから、せめて鎌倉殿として迎え入れ、兼子ともども鎌倉挙げて最高の礼を尽くしたいと伝えます。兼子の顔に一瞬、動揺が走ります。

政子の供についてきた時房が坂東一の蹴鞠(しゅうきく)の名手であると慈円から聞かされた上皇は、その腕前を確かめるべく時房の前に鞠を放り投げてみます。しばらく上皇と時房で蹴鞠を楽しみますが、上皇は時房の足さばきを見事だと褒めます。相手が上皇であることを知り、時房は慌てて頭を下げます。「いずれまた勝負しようぞ、トキューサ」 上皇はこの話を早く決めてやれと慈円に命じます。

談判を続ける兼子ですが、いつの間にか政子に気分良くさせられています。京の者は見たこともない政子について「稀代の悪女」などとあれこれ言っているそうですが、政子には政子の考えがあるに違いないと言ったと、兼子は政子の肩を持つまでになっています。政子をたいそう気になった兼子は、酒の席に政子を案内します。

 

こうして実朝の将軍後継に頼仁親王が決定します。それに合わせて実朝には左大将に任ぜられることになり、右大将であった頼朝の立場を超えたと仲章は感慨深げです。おまけに政子は従三位に叙され、これにはさすがに北条泰時も驚きます。実朝は泰時にもしかるべき官位をと、仲章を仲介して上皇に頼み込んでみるつもりです。

頼仁親王が鎌倉殿を継いだら自分は関白として支え政を進めるという、まるで決まっているかのような仲章の口ぶりに、義時は不快に感じます。朝廷と鎌倉を結ぶ役割に自分より適任の者がいれば教えてほしいなどと、仲章は義時を挑発します。伊豆に帰って余生を勧める仲章に、かねてより望んでいたことだと受けます。「そうなったら私が執権になろうかなぁ。ハッハッハッ」

仲章に提示された讃岐守という国司推挙の話に泰時は気乗りしません。義時は泰時の屋敷を訪問し、讃岐守の件を断るように伝えます。義時のことを嫌っている泰時ですが、実は義時は泰時を認めていて、泰時はいずれ執権として義時がなれなかったものになれると思っています。しかしその時に、必ず仲章が立ちはだかると考えているのです。

仲章の好きにさせてはならないと、借りを作るなと泰時に忠告します。しばらく黙っていた泰時は、ご安心ください、とつぶやきます。泰時も讃岐守の件は辞退しようと思っていたところなのです。親王を受け入れることにしたという義時は、親王は鎌倉にとっては人質だと考えています。それを聞いた泰時は、立ち上がって義時の背中に言葉をかけます。「父上が、目指してなれなかったものとは何ですか」

 

政子の不在の間、永福寺(ようふくじ)の桜を見に行ったりと、のびのびしている実衣にうんざりしているのえは、雅な仲章を見かけて目を奪われます。もともと京の生まれの仲章は、坂東の水が会わなくて難儀していると吐露しますが、遠江生まれののえもそれは同じです。前世はきっと帝にお仕えしていたとほほ笑むのえは、仲章と京の話をもっとしたいと意気投合します。

途中まで続けた千日参籠を一日目からやり直していた公暁は、“誰とも会ってはいけない”という掟を破って義村を呼びます。鎌倉殿後継には頼仁親王と話がまとまったことで、公暁が鎌倉殿になる芽は摘まれてしまいました。「いったい私は、何のために戻ってきたのだ」 そうこぼすと、公暁が鎌倉殿になれば必ず災いが降りかかると義村はつぶやきます。

父・頼家の死について、志半ばで病に倒れたとしか母・つつじから聞いていなかった公暁は、義村を問い詰めます。うそをついた母親の気持ちを無下にすることはできないし、友である義時を売ることはできないと、口を割らない義村ですが、公暁に迫られてついに白状してしまいます。「あなたの父上は殺されたのです。北条の手によって」

公暁の脳裏に、幼いころに見知らぬ老婆が現れた時のことを思い出していました。北条を許すな、北条を許すな──。北条は頼家とその家族を皆殺しにし、本来跡を継ぐべきであった公暁の兄も、わずか6歳で義時に命を奪われてしまった。「北条を許してはなりませぬ。そして北条に祀り上げられた源 実朝もまた、真の鎌倉殿にあらず」

 

4月29日、政子が鎌倉へ戻って来ました。「従三位!」と政子はおどけてみせますが、実朝が思い描いた道を後押ししてくれた政子に、実朝と千世はその労をねぎらいます。政子もその手助けができて心の底から喜んでいます。居室に戻った政子は役目を果たせたと、尼の格好のまま床にゴロンと寝転がります。

実朝は、一日も早く鎌倉殿の座を親王に譲り、頼家でさえ見ることが出来なかった景色を見たいと、来たる日を楽しみにしています。左大将の拝賀式、直衣始(のうしはじめ)の儀式と、その前にやるべきことが山積しています。鶴岡八幡宮で盛大に行われるのですが、その段取りについて実朝は泰時から説明を受けます。

7月8日、直衣始の儀式が執り行われます。左大将となった実朝が初めて直衣を身にまとい参賀する行事です。半年後、同じ場所で繰り広げられる惨劇を、彼らはまだ知りません。


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
小池 栄子 (政子)
坂口 健太郎 (北条泰時)
瀬戸 康史 (北条時房)
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尾上 松也 (後鳥羽上皇)
山寺 宏一 (慈円)
宮澤 エマ (実衣)
小林 隆 (三善康信)

生田 斗真 (源 仲章)
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草笛 光子 (比企尼(回想))
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菊地 凛子 (のえ)
栗原 英雄 (大江広元)
山本 耕史 (三浦義村)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・橋本 万葉
演出:吉田 照幸・松本 仁志

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