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2022年11月15日 (火)

プレイバック北条時宗・(43)幕府分裂

建治2(1276)年、北条時宗は博多湾に5里(約20km)にわたる巨大な石の砦「防塁」を命じます。博多では肥後の御家人・菊池武房が割り当てられた担当エリアに立ち、作業を指揮しています。防塁建設は、蒙古の再度の攻撃を凌ぐためだけでなく、散り散りになり始めた人々の心を一つにまとめるための布石でもありました。

時宗は六波羅探題北殿に赴任していた北条義宗を鎌倉へ戻し、義宗を評定衆に加えます。その歓迎の宴で時宗は、再度の蒙古攻撃に備え、九州に所領を持つ東国の御家人には任地に赴かせ、地元の御家人たちの指揮を執らせることにします。安達泰盛は、恩賞が不十分だとくすぶる西国御家人たちの不満を増幅させることにつながると難色を示しますが、北条得宗家に従わせたい平 頼綱と衝突します。

鎌倉幕府は大きく変わろうとしていました。蒙古と対するため、得宗家を率いる時宗が力を独占するようになっていったのです。それは、得宗の家臣に過ぎなかった頼綱ら身内の家臣の力を強め、幕府内の力の釣り合いを崩そうとさえしていました。合点のいかない泰盛が宴の席を飛び出して心を落ち着かせていたころ、身重の祝子が駆け込んできました。

幸寿丸がいなくなった──。弓の稽古の時に幸寿丸と明寿丸が先を争い、幸寿丸が明寿丸を突き飛ばしてしまったため、祝子が幸寿丸に手を上げたのです。幸寿丸は幼いながら誇りが高いところがあり、自ら姿を見せずに隠れているだけと頼綱は分析。時宗は見つけ次第連れて来いと命じます。祝子はフラフラになりながら探し回り、お腹にいるもう一人の子どものことも考えろと泰盛に叱られます。

夜になっても幸寿丸は見つからず、焦る頼綱が声を出して探しています。ふと米俵が気になって覗き込むと、その陰に隠れて幸寿丸が座っていました。「それがしは……負けとうないのじゃ明寿丸に……」 そうつぶやく幸寿丸の手を寒くないようにとさすり、幸寿丸の気持ちを受け止めてしっかりと抱きしめます。

戻ってきた幸寿丸をいたわる祝子ですが、時宗は母に詫びよと諭します。それでも唇を尖らせて無言の幸寿丸に、時宗は声を荒げます。頼綱の謝罪も受け入れず、時宗は幸寿丸に謝罪させようとしますが、頑として謝りません。いたたまれなくなった祝子は幸寿丸を抱きしめますが、幸寿丸は母の様子がおかしいことに気づきます。意識を失って倒れた祝子は、お腹の子どもを流してしまいました。

 

衝撃を受けた幸寿丸は祝子の枕元で泣いています。そなたのせいではない、という祝子の労わりの言葉も、今の幸寿丸には届きません。時宗はやれやれといった感じで頼綱に幸寿丸を連れて行かせ、詫びる祝子をなぐさめます。その様子を黙ってみていた泰盛は、時宗に幸寿丸の元服を勧めます。

「そなたも、懸念しておったか」と松下禅尼は泰盛を見据えます。泰盛が時宗に幸寿丸の元服を勧めたのは、時宗の後継を明らかにしておくことの他に、幸寿丸と頼綱を引き離す目的があったのです。松下禅尼は手ぬるいやり方では済まぬと、泰盛に「もう一人の親」である烏帽子親になることを提案します。執権の烏帽子親は代々将軍が担ってきましたが、泰盛が務めることで力があると見せつけるのです。

お馬さんごっこで幸寿丸と遊んでいる頼綱は、幸寿丸に元服の話が持ち上がっていることを知り、祝子の流産の厄払いだと考えています。しかし祝子が男子を出産したら、乳母父として育ててきた幸寿丸が後継にならなくなるかもしれないと、禎子はむしろ祝子が子どもを産まなくてよかったという立場です。「元服の差配はそなたの役目。いかようにもできましょう?」

 

高麗沖には1隻の船が浮かんでいました。対馬を出発して2日、間もなく高麗に着く予定です。その船には北条時輔が乗船しています。

博多に戻った桐子も蒙古へ渡りたいと言い出します。謝 国明は大反対です。佐志 房は息子たちの仇を取るため、時輔は戦を止めるために渡ったと主張しますが、男には一生に一度、命を投げ出しても成し遂げたい志があるものだと桐子を諭します。桐子は負けじと、女子にも一生に一度の時があると謝 国明の腕を掴んで、行かせてくれと懇願しています。

房は大都に入り、クビライまであと一歩のところまで近づいていました。謝 国明の紹介状を携え、交易船の代表として大明殿に入ることを許されます。贈り物は中書省へと促され、案内に従って進んでいく房は、声がして振り返るとクビライが外国使節を案内しながら話している姿が目に入ります。大八車から槍を出そうとする房は、案内役の視線を感じて思いとどまります。

 

義宗を呼び酒を酌み交わす泰盛は、幸寿丸元服の儀では義宗に烏帽子持参の役をお願いしたいと切り出します。泰盛がなぜ自分を取り立てるのか疑問に感じる義宗ですが、「御家人の世のため……平 頼綱を抑えるためと言えばわかるか?」と打ち明けられるのです。これ以上頼綱が力をつけてしまえば、幸寿丸は飲み込まれ、幕府が滅んでしまいます。義宗は衝撃を受けます。

一方頼綱は、幸寿丸元服の烏帽子親を将軍に引き受けてもらうため、北条義政に取り次ぎをお願いしたいと頭を下げます。よく働くのうと義政は笑いますが、どれだけ働いても認めてくれない人がいると愚痴を言います。義政は、泰盛は御家人として発言しているし、頼綱の働きは時宗も自分も認めていると励まします。頼綱は、何としても元服の儀の差配を任せてほしいと義政に訴えます。

祝子は、幸寿丸の元服はまだ早すぎるし、政争の具となるのが心配だと時宗に言いますが、得宗家嫡男とはそういうものだと諭します。この世に生を受けた時から、人々の思惑と政のうずに投げ込まれるわけです。名乗り、乳母や傅役、元服と初出仕、婚礼……。「わしもそうして参った。傷だらけになったがな」 時宗の妻として支えてきた祝子は、時宗もそうだっただけに理解を示します。

北条長時の命日、長時の嫡男にあたる義宗と、長時の弟妹にあたる義政と梨子が供養のために集まりました。義宗と久しぶりに再会した梨子は、泰盛と松下禅尼のそばにいるから感じることとして、謀に関わってはならぬと諭します。直後に到着した義政は、将軍に烏帽子親をお願いするために御所へ同行してほしいと義宗に言います。単独行動は邪推を招くし、京から凱旋した義宗に目をつけたのです。

泰盛と義政の板挟みになった義宗は酒を浴びるほど飲み、泥酔のまま時宗の前に現れます。長らく京で暮らしてきた義宗にとっては、武士の都である鎌倉は住み心地がいいようです。義宗は一瞬真顔に戻ったかと思うと、酔いが回ったようだとそのまま退散してしまいます。時宗は呆気に取られて義宗を見送ります。

時宗の前では明るく振る舞っていた義宗ですが、廊下をとぼとぼ歩きながら不安げな顔に戻っています。そこに背後から声をかけたのは頼綱です。頼綱は義宗が泰盛とつながっていると知っているようで、烏帽子親を御家人が務めるのは得宗家に唾を吐く所業と、泰盛に味方するなら覚悟してもらいたいと強く脅します。「明日、御所にてお待ちしておりますぞ」

膝から崩れ落ちた義宗は、泰盛の、義政の、そして梨子の言葉が頭の中を駆け巡っています。義宗は苦しみ、どうすればいいんだと頭を抱えています。ちょうどそのころ、寝ていた時宗は目を覚まします。表へ出てみると、粉雪が舞いうっすらと雪が積もり始めていました。

 

鎌倉御所で7代将軍惟康王と対面した義政と頼綱。そこには義宗の姿はありません。惟康王は、頼綱が身内人から侍所所司にまで上り詰めたその才覚を褒められます。改めて烏帽子親をお願いする義政と頼綱が頭を下げると、惟康王はチラリと足利家時の方を見て、「よきよう、取りはかりなされ」と言葉をかけます。

同じころ、泰盛は時宗と会い烏帽子親を任せてほしいと願い出ています。幕府の結束を固めるため、高まる御家人の不満を抑えるためには、幕府と御家人の結びつきが急務であり、これは何より足利も義宗も他の北条の者たちも同意していると泰盛は主張します。「まことに?」と見据える時宗に、黙ってうなずく泰盛です。

しかし、そこに義宗が自害したとの知らせが舞い込みます。降り続く粉雪が身体を覆った状態で発見されたのです。北条義宗、25歳。誰を裏切ることもできず、思い悩んだ末の自害でした。屋敷に戻った泰盛は、涙を浮かべて悲しむ梨子を見て声をかけますが、立ち上がった梨子は泰盛を避けるように部屋から出ていきます。

義宗の性格も考えずに巻き込んでしまったことを愚かだったと義政は唇をかみます。北条時広は自分を責めるなと慰めますが、鎌倉の恐ろしさを思い知った義政は、連署の職を返上し、一門を代表して経緯を時宗に打ち明け、一切の政から退いて鎌倉から出奔すると宣言します。義政が去っても鎌倉は何も変わらないと時広は引き止めますが、今後のことを時広に任せ義政は表舞台から姿を消しました。

 

建治3(1277)年12月、幸寿丸の元服の儀が執り行われます。結局は頼綱の動きが一歩先んじていたため、泰盛は烏帽子親になることは叶わず、烏帽子親惟康王に烏帽子を渡す役目に落ち着きます。その役目を割り当てたのは、元服の儀を取り仕切った頼綱でした。

通常であれば烏帽子親たる惟康王から名前の一文字をいただく習わしですが、時宗は幸寿丸の元服名として「貞時」を提示します。貞の字には「物事を正す」という意味があり、誰の言葉にも惑わされず、物事を正しく見ることが出来る男に育ってほしいという時宗の願いが含まれているのです。これには惟康王のみならず、頼綱も泰盛も驚き、戸惑っています。

元服の儀が終わり、時宗と泰盛だけが残った場で泰盛は自分への気遣いに礼を言います。元服に際していろいろなものを失った戒めとした時宗でしたが、泰盛はじっと床を睨みつけたままです。時宗と泰盛の間に吹く風は、次第に冷たいものとなり始めていました。そして時輔は無事に高麗へたどり着きました。蒙古からのもっと大きな嵐がすぐそこまで迫って来ていたのです。


脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
木村 佳乃 (桐子)
西田 ひかる (祝子)
牧瀬 里穂 (梨子)
寺島 しのぶ (禎子)
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渡辺 徹 (北条義政)
江原 真二郎 (高 師氏)
小西 博之 (菊池武房)
バーサンジャブ (クビライ・カアン)
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藤 竜也 (佐志 房)
石橋 蓮司 (北条時広)
富司 純子 (松下禅尼)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:松浦 善之助

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