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2022年11月 6日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(42)夢のゆくえ ~唐船建造夢見る実朝 反発する義時~

うなされて目を開けた源 実朝の前に、後鳥羽上皇が立っていました。上皇は「北条に惑わされるな?」と実朝に迫ります。そこで飛び起きる実朝は、朝 北条泰時を呼び、源 頼朝が作った鎌倉を、上皇を手本に北条から取り戻したいと意向を伝えます。泰時も北条の一員ですが、北条義時に意見できるただ一人の人間です。「鎌倉殿のために、この身を捧げます」

義時や大江広元ら文官の者たちは、実朝の姿を認めると恭しく頭を下げますが、実朝はそれに構わずすれ違います。義時はその後姿をギロリと見て、後をついていきます。

──和田一族は義時によって滅ぼされる。しかし、そのことが実朝を覚醒させた。強大な義時に対抗するため、実朝が頼ったのは後鳥羽上皇──

日照りにより将軍家領からの年貢を3分の1にしたいとの実朝の提案に、義時らから異議が出ます。泰時は減額する領地を年ごとに変えていけばいいと説明しますが、義時よりも上座に座る息子を義時は牽制します。頼んでいてもらっていると実朝から説明があり、泰時は実朝のいとこということで座っていると主張します。「父上が義理の弟というだけのことで、頼朝さまのお側に仕えていたのと同じです。なにか?」

のえはいっそ執権を名乗ることを義時に勧めますが、そこにのえの祖父・二階堂行政も加わります。義時から見て執権とは北条時政のことであり、政をほしいままにして鎌倉を追われた男の肩書なのです。考えすぎです! とのえは言い、「執権北条義時……いいではないですか」と背中を押します。義時はあまりいい顔はしていませんが、そう名乗ったほうが都合がいいと執権になることにします。

実朝が政を御家人たちに任せず、自らの手で行っていきたいという意向に、北条政子は源 頼家のようにならないか心配します。誰かがついていたほうがいいとつぶやく政子に、私がいますからと実衣は笑いますが、「私が側にいようかしら」と口を滑らせてしまい、まただわ! と実衣の反感を買います。サッと立ち去る実衣に あなたに任せると慌てて言いますが、実衣は蔑むような表情を向けて出ていきます。

伊豆の御家人から、将軍家領の年貢が減額されて不公平だと訴えが上がってきました。実朝は泰時に不作状況を調査するように命じますが、義時はすでに北条時房を伊豆に派遣して調べさせ、打つ手が早いと三浦義村も絶賛です。実衣はまず試してみて、不具合が出れば別の手を考えればいいと実朝を励ましますが、「周りの者にもっとしっかりせよと申しておる!」と義時に叱られて、泰時は萎縮します。

評定の後、泰時は自分の考えが甘かったと実朝に詫びを入れますが、実朝はまったく気にする様子はありません。上皇から贈られた掛け軸を掲げ、貴い生まれに満足せず功徳を積んだ聖徳太子のように、まず自らが慈悲深い名君にならねばと気合を入れます。そこに三善康信が駆けつけます。京から源 仲章が戻ってきたのです。

 

仲章は宋の匠・陳 和卿(ちん わけい)を連れてきていました。実朝と会うなり、前世で実朝とは子弟であったと涙を流す和卿に困惑する康信ですが、驚くのはかつて実朝が見た夢にも和卿が出てきたのです。和卿は実朝に大きな船を作り宋と交易をしましょうと提案します。聖徳太子も遣隋使を送ったと仲章の助言もあり、実朝はすぐに取り掛かるように和卿に命じます。

伊豆から戻った時房ですが、時政がひざを悪くして歩くこともままならないといううわさを耳にしました。見舞いの品とともに再度伊豆に訪問したいという意向を義時に伝えますが、ギロリと睨まれて「……やめておきます」と話を引っ込めます。酒をぐいっと飲んだ義時は、泰時に行かせよと時房に命じます。

京から珍客が鎌倉御所に来ました。後白河法皇の愛妾だった丹後局です。暇を持て余し諸国修行の旅に出ているそうです。権力者のそばにいた者同士として、政子は心が折れそうになると吐露します。頼朝と結ばれて40年と知り、丹後局は「いい加減覚悟を決めるのです!」と政子を叱咤します。何のために生まれ、辛い思いをするのか、いずれ分かる時が来るとの丹後局の助言に、政子は救われた気持ちになります。

実朝が船を建造しようとしていると知り、義時は御家人の負担が増えると反対の立場です。夢日記によって和卿は実朝の信頼を得たわけですが、源 仲章が前もって夢日記を見、それを和卿に伝えて組み立てた話ではないかと泰時は疑っています。義時は、つまり西の御方(上皇)が糸を引いていると考え、何としても阻止せねばならないと動くことにします。

しかし泰時は、実朝の夢を叶えてやりたいと、八田知家に船作りを手伝ってやってほしいと頭を下げます。世話役かとあまり乗り気ではありませんが、和卿が引いた船の設計図に目を通します。

そして実朝が船の建造に着手したと上皇は耳にします。完成すれば実朝の名声は上がり北条の権力は地に落ちる。上皇の思惑通りに事が運びます。上皇はなぜ北条を目の敵にするのかと言えば、つまりは“将軍に指図する北条は身の程を知れ”ということです。慈円は、人が最も恐れるのは最も己に似た者とつぶやき、上皇に刀を突きつけられます。

 

由比ヶ浜で船作りは急ピッチで進められ、全体像が見えてきました。帆を筵(むしろ)で作るのではなく竹で編むと知った知家は、竹の重さで帆柱が倒れてしまうと和卿に指摘しますが、固い方が風を逃がさないし、帆柱を頑丈に作ればいいだけのことと聞き入れません。大笑いする和卿につられてニッコリほほ笑む知家です。

実朝が行っている上皇の言いなりの政は、朝廷とは一線を画した政治を目指した頼朝の遺志に反すると言う義時は、将軍を退いてもらうと政子に伝えます。これ以上上皇を第一とすれば、坂東の御家人すべてが敵に回る危険性があるのです。義時の言う通りにしなければ、実朝も頼家のようになると捉えた政子に、どう捉えようがかまわないと言い放った義時は「お許しいただけますね、尼御台」と見据えます。

実朝の夢は壮大で、船に乗って宋に渡りたいと考えていますが、その旅には泰時も連れて行くつもりです。泰時がいれば心強いという言葉に恐縮する泰時です。そして千世も連れて行きたいと伝え、実朝の意外な言葉に千世は大喜びしています。

しかし御家人たちの不満が続出し、時房は船の建造の中止を実朝に進言します。頼朝とは違い苦労なく将軍に就いた実朝は、人心を掴むために功徳を積みたいのですが、上皇にそそのかされて作る船は必要ないと義時は反対します。半ば投げやりに中止を命じる実朝ですが、木材を調達した者、建造に加わった者の名を船に記すことで、実朝との絆としてはと泰時が提案します。

政子は、実朝には好きなようにさせたいし、それで命が縮むのなら止めさせたいと苦悩します。広元は、実朝が後ろ盾として上皇を選んだことで頼朝とは考えが異なりますが、世の中が変わったと理解を示します。一方で義時の言い分にも一理あると、あとは政子の決断次第です。自分が決断することに躊躇する政子に、広元は「逃げてはなりません」と迫ります。

建造の様子を見学に実朝と泰時、康信が現れました。実際に船を見て目を輝かせる実朝です。あっちへ行ってみましょう! と泰時が実朝を案内しいなくなった時、知家はこの仕事を最後に隠居しようと思っていると康信に伝えます。まだ若いと言う康信に「若く見えるが、実はあなたとそう変わらない」と言われ、康信はちょっとショックです。ただ知家は、夢のある仕事に出会えたことに感謝しています。

 

建保5(1217)年4月17日、完成した船をいよいよ海に浮かべる日。支えを外し船の下に敷いたコロに乗せ干潮の間に海に引いていく予定が、船の重さで浜にめりこんでしまいました。微動だにしない船を前に、知家は和卿になんとかならないかと迫りますが、計算した値が違っていて船が重すぎると和卿は頭を抱えます。

和卿の指示に従い、人々は午の刻(午後0時)から申の刻(午後4時)まで力の限り船を引きますが、ついに海に浮かべることが出来ませんでした。がっくりと力を落とす実朝、その姿を見ている泰時は言葉もありません。その後、船は浜辺で朽ち果てた姿をさらし続けます。「やるならとことんやりなさい」とくじけている実朝を叱咤する政子は、実朝が鎌倉の揺るぎない主となる手を考えつきます。

実朝はこれを機に、朝廷に連なる高貴な血筋の人物に家督を譲り、自らは大御所になる決断をします。鎌倉殿は代々源氏の嫡流から出すことになっていると言う義時は、頼家の子・公暁がいると主張しますが、あれは仏門に入りおいそれと還俗はできないとあっさり断られます。鎌倉殿とは武士の頂に立つ者のことですが、その鎌倉殿を実朝が大御所として支えていくと言うのです。

鎌倉殿は源氏と北条の血を引く者が務めてきて、これからもそうあるべきと改めて説明する義時に、“北条あっての鎌倉ではない”、“鎌倉あっての北条”と、政子はかつて義時が言った言葉を引用します。泰時も「鎌倉は……父上一人のものではない!」と言葉を荒げます。都のやんごとなき貴族から養子をとれば、これ以上の喜びはない。政子はニッコリします。

廊下を歩く義時の前に仲章が現れ、跡継ぎの件をさっそく上皇に相談ししかるべき人物を見つけたいと言われます。愕然とする義時の顔を覗き込む仲章は、ニンマリして「失礼」と去っていきますが、このままでは済まさぬと義時の瞳は炎に包まれています。そして6年ぶりに公暁が京から戻って来て、鎌倉が再び揺れ始めます。

 

伊豆の北条館では、時政が縁側でうつらうつらしていました。突然の泰時の訪問に時政はとても驚きます。りくは伊豆での暮らしが合わず京へ戻ってしまい、政から離れて幸せに暮らしています。しかもさつきという女が時政の世話をして、昔から女子には苦労しないと笑う時政です。北条時政はこの後、78年の生涯を閉じます。鎌倉を追われて10年後のことでした


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
小池 栄子 (政子)
坂口 健太郎 (北条泰時)
瀬戸 康史 (北条時房)
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尾上 松也 (後鳥羽上皇)
市原 隼人 (八田知家)
山寺 宏一 (慈円)
宮澤 エマ (実衣)
小林 隆 (三善康信)

生田 斗真 (源 仲章)
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坂東 彌十郎 (北条時政)
菊地 凛子 (のえ)
栗原 英雄 (大江広元)

鈴木 京香 (丹後局)
山本 耕史 (三浦義村)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:橋本 万葉・おおず さわこ
演出:末永 創

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