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2022年12月11日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(47)ある朝敵、ある演説 ~義時追討の院宣下る 政子涙の演説~

実衣は尼となり、北条政子とともに政に携わることになりました。実衣は義時に近づき、自分を殺そうとしたでしょとニヤリとします。北条義時は即座に否定をして北条時房に助けを求め、居心地が悪いのかスッと立って出て行ってしまいます。時房は義時がいなくなって「言ってました」としゃあしゃあと言ってのけます。ともかく、過ぎたことは過ぎたことと、政子としては心機一転を計るつもりです。

政子の名で再び炊き出しをしてほしいと願い出た御家人に、義時はそんなことまで頼るなと叱責します。三浦義村は、昔の義時はいろいろな人の要望を聞いていて、立場は人を変えると笑います。そういえば岡崎義実が源 義朝ゆかりの亀谷(かめがやつ)に御所を建てるよう相談した時も、義時は安請け合いして大変なことになりました。「そんなこともあったな」と懐かしむ義時に、人生最大の試練が近づいていました。

源 頼茂(よりもち)が内裏に立てこもっています。鎌倉将軍の後継に三寅が決まり、その反発もあったのです。そもそも源氏の跡目争いに、どうして朝廷が巻き込まれるのかと藤原兼子は不満げですが、ともかく一日も早く頼茂を討ち取らなければなりません。始めこそ「しらん」と放っておいた後鳥羽上皇も、藤原秀康に討伐を命じます。これが後に、鎌倉と朝廷の命運を決める承久の乱を引き起こすことになります。

──収まったかに見えた義時と後鳥羽上皇の対立が、再び燃え上がる。その火は、どちらかを焼くまで消えぬほどの勢いとなる。決戦が近い──

頼茂の謀反は鎮圧されますが、内裏は焼け落ちました。上皇は、再建費用を御家人から出させることにします。上皇の命となれば御家人たちは喜んで従うでしょうが、義時は恐らく認めないでしょう。そうなると義時ひとり孤立することになります。慈円は、鎌倉なしで日本は治まらないと言ってしまい、上皇はさすがに腹を立てます。「私には日の本は治められぬと申すか? 私は鎌倉を決して許さぬ」

 

再建費用を要求する命が下り、義時は放っておけと穏やかですが、朝廷は御家人たちにとって朝廷との縁は大切と北条泰時が意見します。鎌倉と朝廷が争えばどういうことになるか、神仏をも恐れぬ所業と御家人たちは怯えているのです。政子は、最近は火事が多く痛手を受けた御家人たちも多いため、都の援助は鎌倉を立て直してからにしようと決断します。

屋敷に戻った義時を、のえと二階堂行政が出迎えます。義時は疲れが出て先に休んでしまいますが、義時と泰時が折り合いが悪いと知った行政は、北条政村が跡継ぎだと楽観視しています。しかしのえから見れば、義時と泰時は衝突すればするほど心を開き合っているように見えます。「薄気味悪い親子なんですよ。もう悠長にはしていられません!」

泰時に授けた小観音像を、父上が持っているべきだと泰時に無理やり返却されます。頼朝を裏切った形になり、自分が持っているのは好ましくないと泰時に授けていたものですが、神仏を信じない義時にこそ必要だと考えたのでしょう。義時はいったん預かることにしたのです。義時はじっと、小観音像を見つめています。

時房と酒を呑みながら、父は最近厳しすぎると泰時はこぼします。頼朝と違って義時には愛嬌がないため、厳しさが目立ってしまうのかもしれません。愛嬌が大事だと諭されて泰時は黙ってしまいますが、初に「この人にもないんです、愛嬌が」と言われ、ムッとします。ともかく大事なのは、義時を支えていくことです。初が行ってしまったのを確認し、時房は泰時の器に酒を注ぎます。

内裏再建の件で御家人たちが騒いでいます。あまり朝廷とはことを構えたくないのです。泰時はそれぞれ自分の判断で動いてもらうと提案しますが、御家人たちは納得しません。それどころか、義時が頑固なら息子である泰時が何とかすべきだろ!と迫る始末で、泰時も手に負えなくなってきました。

たまらず泰時は義時に相談します。上皇にすがりたいと言い出した御家人たちは、上皇にお願いして再建費用の取り立てを免除してもらおうというのです。もし上皇が免除するなら始めから費用負担を命じたりはしないと義時は呆れかえりますが、泰時は、上皇の狙いは義時と御家人たちの分断に狙いがあったのではないかと考えています。

源 実朝が亡くなってから北条がのさばりすぎだと長沼宗政は義村に愚痴を言います。結局は執権と上皇の板挟みになってしまっているのです。義村の弟・三浦胤義は大番役として現在京にいますが、北条が朝廷を大事にしないのであれば朝廷は大事にしてくれる御家人を探すまでと、義村は胤義を利用して何か考えがひらめいたようです。

胤義は、鎌倉では北条に見切りをつけ上皇にすがろうという者まで出始めていると上皇に報告します。上皇は、自分を頼ってくれれば取り立ては免除にすると約束します。さらに上皇は慈円に義時呪詛の命を出しますが、せめて三寅が元服するまでと止めます。しかし三寅かわいさに鎌倉びいきの慈円はいらないと、追い出してしまいます。秀康は来たる日に備えてに西面・北面の武士を鍛えておくことにします。

のえは跡継ぎの件を持ち出し、泰時は立派な人物と認めつつ、生まれが……と難色を示します。義時が泰時に継がせたいなら従ってみては? と政子は諭しますが、のえは納得しません。実衣は「大きすぎる望みは命取りになりますよ、この鎌倉では」と、さすがは経験者です。そこに三寅が入ってきて、菓子を分けてもらいます。頼家や実朝に母らしいことが出来なかった政子の罪滅ぼしなのかもしれません。

着袴(ちゃっこ)の儀が執り行われます。義時が三寅に袴を着け、最高指導者であることを御家人たちに知らしめます。そして京では、その義時を調伏するための祈祷が連日連夜行われています。機は熟したと兼子はニヤリとし、上皇は秀康に、胤義に京都守護の伊賀光季を討ち取らせるように伝えさせます。「これをもって北条義時追討の狼煙(のろし)とする!」

 

承久3(1221)年5月15日、京都守護が官軍に襲撃され伊賀光季が討ち取られます。そして上皇から援軍を求める書状が義村の元に届きます。戦の口実がほしい義村は、これには義時追討の密命が入っていて、焦ってはならないと自分にも宗政にも言い聞かせます。一つ手を間違えると命取りなのです。そこに上皇から派遣された押松が、義村への贈り物を携えて屋敷に到着します。

どこかで見た顔だと義村は感じます。押松はかつて後白河法皇に仕え、頼家に蹴鞠の指導をしていた平 知康でした。指導者を下ろされ京に戻ったところ、上皇に拾われていた知康は、鎌倉に詳しい人物と見込まれて18年ぶりに鎌倉に戻ってきたのです。押松は恭しく書状を高く掲げて義村に差し出します。上皇による義時追討の院宣です。

上皇が挙兵!? 書状に目を通した義時のみならず、時房までも顔色を失います。挙兵が4日前と知り、京都守護はすでに落ちたと大江広元は見ています。このままこの鎌倉に攻めてくる……。

「上皇さまの院宣、三浦義村を名指しだ」と宗政にもったいつけて見せる義村でしたが、宗政の懐から同じような書状が出されます。中身もほぼ同じもの、押松は名のある御家人を回っているようです。なぜ俺よりもお前が先なんだと義村は不満げですが、ともかく義時から緊急招集の命が出て、義村は御所に急ぎます。

京都守護が襲撃されたということは鎌倉を攻めると宣言したも同じことと、泰時は政子に説明します。広元も、法皇が平家追討の時にしたように、上皇は御家人たちに院宣を出しているはずと考えます。義村は院宣を提出し、北条に忠誠を尽くすと先に表明して政子の信頼を得ます。院宣をもらった人物がいないか確認すると言って会議を辞した義村と宗政は、三浦館で飯を食っていた押松を連れ出します。

のえと行政は屋敷に戻った義時に、京都御所が襲撃されたこと、兄伊賀光季が討たれた一件の真偽を確かめますが、義時は今は構っていられません。兄は見殺しにされたと、のえの義時憎しの気持ちは大きく膨らんでいきます。目の前に並べられた8人の御家人への院宣を前に義時の決意は固まり、時房と泰時を呼びます。院宣の中には、時房に宛てたものもあったのです。

「もらっていいですか、記念に」という時房に、義時は首を横に振ります。一戦交えるしかないと主張する泰時に、いつも自分とは真逆のことを考えると、義時はフッと笑います。この院宣は鎌倉を攻めるものではなく、義時追討の院宣なのです。「お前になら安心して北条を、鎌倉を任せることが出来る。私ひとりのために、鎌倉を灰にはできぬ」 部屋の外で聞いていたのえは、声を押し殺して涙を流します。

自分が京に行けば済む話、という義時に、政子は「なりませぬ」と頷きません。執権として最後の役目であり、鎌倉を守るためには他に手段がないわけです。頼朝から受け継ぎここまでやってきました。御家人たちにも憎まれ、今が頃合いと考えています。元は田舎豪族の次男である自分に兵を差し向けられるとは、平 清盛や源 義経、頼朝と並んだとすがすがしい表情を浮かべます。「面白き人生でございました」

「鎌倉の一番上にいるのはこの私です。あなたは下がりなさい」 御家人たちが一堂に会す中、発言しようとする義時を政子が止めます。動揺する義時ですが、政子に従わざるを得ず着座します。ざわつく御家人たちですが、時房が静まらせます。政子は、広元に用意してもらった文面を読み上げます。

「私がみなにこうして話をするのはこれが最初で最後です。源 頼朝さまが朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く海よりも……」 そう言ったところで、政子は文面を読むのを止め、顔を上げます。御家人たちの目が尼将軍政子に注がれています。政子は文面を実衣に預け、続けます。

──本当のことを申します。上皇様が狙っているのは鎌倉ではない。ここにいる執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を収めると院宣には書かれています。そして義時は己の首を差し出そうとしました──

もういいと義時は政子を止めますが、返す刀でよくない! と言われてしまいます。「私はいま尼将軍としてしゃべっているのです。口をはさむな」

──鎌倉が守られるのならば命を捨てようとこの人は言った。あなたたちのために犠牲になろうと決めた。もちろん私は反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここでみなさんに聞きたいの。あなた方は本当にそれでよいのですか。確かに執権を憎む者が多いことは私も知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目なのです。全てこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません。鎌倉始まって以来の危機を前にして選ぶ道は2つ。ここで上皇様に従って未来永劫、西の言いなりになるか。戦って坂東武者の世を作るか。ならば答えは決まっています。速やかに上皇様を惑わす奸賊(かんぞく)どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。頼朝さまの恩に今こそ応えるのです。向こうはあなたたちが戦を避けるために執権の首を差し出すと思っている。ばかにするな! そんな卑怯者はこの坂東には一人もいない! そのことを上皇様に教えてやりましょう! ただし敵は官軍。厳しい戦いになります。上皇様につきたいという者があれば止めることはしません──

泰時は、そのような者がここにいるはずがないと答え、「今こそ一致団結し、尼将軍をお守りし執権殿のもと敵を打ち払う」と結束することを御家人たちに求めます。振り返った泰時は、義時に頭を下げます。これが上皇様への我らの答えです──。さすがの義時も目に涙をいっぱい貯め、受け入れることにします。


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
小池 栄子 (政子)
坂口 健太郎 (北条泰時)
瀬戸 康史 (北条時房)
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尾上 松也 (後鳥羽上皇)
山寺 宏一 (慈円)
宮澤 エマ (実衣)
小林 隆 (三善康信)
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たかお 鷹 (岡崎義実(回想))
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菊地 凛子 (のえ)
栗原 英雄 (大江広元)
山本 耕史 (三浦義村)
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制作統括:清水 拓哉・長谷 知記
プロデューサー:大越 大士・川口 俊介
演出:吉田 照幸・谷口 尊洋

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