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2022年12月 6日 (火)

プレイバック北条時宗・(49)永遠の旅 [終]

大元・大都で粛々と政務を行うクビライ・カアンのところに、日本に差し向けた遠征軍が台風で全滅したとの知らせが入ります。「海はわしを受け入れぬのか」とクビライは愕然とします。間髪入れず、次の遠征軍を送る用意を命じますが、息子チンキムはこれ以上の犠牲に反対を唱えます。出ていけと、クビライはチンキムを追放します。

弘安の役が終わると、北条時宗は無学祖元を開山として円覚寺を建立します。日本軍と蒙古軍で失われた多くの命を供養するためです。祖元は民が時宗に感謝しているだろうと笑顔ですが、時宗は自分の生きているうちに償いができてホッとしているところです。横に座る北条時広に、自分の死が近いことを打ち明け、政から退く決意を固めます。

時宗は、座禅を組んで最期を迎えた父の北条時頼に倣い、執権館の離れでゆっくりと過ごしています。このような時がこんなに早くやってこようとは考えもしなかったわけですが、祝子は覚悟を定めた時宗のそばで寄り添おうと考えています。今はただやり残したことが多すぎて、一つでも多く成し遂げたいとつぶやく時宗の力になることだけが祝子の生きがいです。

博多では、ここで激しい戦があったとは信じられないとつぶやく桐子ですが、今や博多に築いた石垣だけが戦があった証拠です。何のための戦だったのか桐子には疑問ですが、日本が変わるきっかけになったと北条時輔は考えています。時輔は、弘安の役で命を落とした北条宗政の遺骨を持って鎌倉へ向かい、ひとりの民として生きることを時宗に伝えるつもりです。

謝 国明の屋敷には、弘安の役に参戦した服部正左衛門が来ていました。久しぶりの再会となった時輔に、鎌倉までお供しますと涙目ですが、ひとりの民として一人で旅をしたいと時輔に断られ、落胆します。心根の優しい時輔は、正左衛門には博多で待ってもらい、必ず戻って来ると約束します。そして博多の地を出発していきます。

 

座禅を組む時宗のところに、祝子に言われて安達泰盛と平 頼綱がやって来ました。時宗は、自分が政から身を引いたので、泰盛に出したかつての引退勧告はなかったことにします。ただ、鎌倉を守りたい泰盛と鎌倉を変えたい頼綱が衝突する可能性を考えて、時宗は自らの遺言として諍いを起こさず日本を支えてほしいと伝えます。

泰盛は、病気のことをなぜ話してくれなかったかと無念ですが、逆にもし話していたらどうしていたか問われて言葉に詰まります。恐らく蒙古との戦から退けと言ったはずで、幼いころからクビライを意識して育った時宗は、たとえ命を縮めてもその戦いの先頭に立ちたかったと打ち明けます。そんな時宗を立派な鎌倉武士と認めた泰盛は、時宗が求めるまま頼綱と太刀の交換をして諍いを起こさない証とします。

クビライは3度目の日本遠征を決めていましたが、身内の反乱は予想以上に大きく、遠征軍をその鎮圧に向かわせたことで日本を攻める余裕がなくなってしまいます。その報を北条顕時が伝えると、ようやく蒙古との戦は終わったと、時宗や泰盛たちは涙を流して喜びます。そしてクビライはその後、二度と日本を攻めることが出来ませんでした。

祝子は涼泉尼の元を訪れ、約束を破って戦をした時宗を許してほしいと頭を下げます。やり残したことがあると言っていた時宗は、きっと涼泉尼の許しを得たいはずと主張する祝子に、涼泉尼は時輔と会うことではないかと反論します。時輔を成敗したことを悔いながら、生きていると分かったことでその驚きを喜びとできれば、時宗は心安らかに旅立てるというのです。

祝子は謝 太郎に時輔の居場所を尋ねますが、具体的にどこにいるとは太郎でも知りません。宗政の遺骨を届けに鎌倉に向かっているらしいとは聞いていますが、自分の足での旅なので1ヶ月ほどかかると予想します。時間がないと焦る祝子は、兄を慕う弟の気持ちを叶えてやりたいと訴え、太郎はその気持ちを汲み取ります。

 

そのころ時輔は、ようやく京にたどり着いていました。一息ついていると、そこに現れたのは六波羅探題南殿で世話になった如月でした。如月は、人は争いがなければ永久(とこしえ)に生きたいと願うものと諭します。時宗と無事に会えますようにと願う如月に、時輔は懐かしそうな表情を浮かべながら感謝しています。

涼泉尼は、最明寺亭で座禅を組み続ける時宗に対面します。思ったより元気そうですが時宗を許さないという意地は張り続けます。それは戦をしたことだけではなく、時輔を成敗し宗政を戦死させ、間もなく姿を消そうとする時宗が母を悲しませるからです。死んではならぬと必死に訴える涼泉尼は、時宗をしっかりと抱きしめます。「母上に教えていただきました。人の命の重さと親の情けの深さを」

松下禅尼は北条貞時と北条時利を連れてきて、言葉をかけてやってほしいと願い出ます。時宗はその願いに応じて、言葉をかみ砕いて伝えます。死を目前とした今だからこそ無念と悔いと恐怖を感じていますが、目前になってようやく気付いたことでもあります。人はいずれ死ぬから殺すのはむごいこと。「人を殺すな。誰も殺すな」 その遺言に、同席していた涼泉尼も満足げに頷きます。

伊豆の北条庄に達した時輔を、太郎が出迎えます。時宗の死が近いことを伝え、ふたりで馬上の人となり鎌倉へ急ぎます。
時宗は生きる意味を知った途端に死ななければならない運命に皮肉さを感じますが、いま時輔が向かっていることを伝えると、兄とは心の中でいつでも会えると穏やかな表情です。祝子が時宗を横に寝かすと、時宗が苦しそうな表情を浮かべ、祝子の呼びかけにも応じません。

 

時宗の脳裏には幼いころの兄との思い出が走馬灯のように駆け巡っています。時輔が果たし合いをしたいと言い出した時のこと、正室の子である時宗と側室の子である時輔の育てられ方の違い、大地震の時に身を挺して時宗を守ってくれた時輔の姿……。時宗を呼ぶ兄の声がしますが、うっすら目を開けると時輔が目の前に座していました。時輔は18で執権に就任し息つく間もなかった時宗を労わります。

時宗はついに蒙古を打ち破り、時輔と時宗、宗政と集まることが出来たわけですが、時宗は天に触れてしまったのかもしれません。時輔は、松浦党を継いだ桐子の話を伝えると、もう会えないのかと無念で涙が溢れます。やりたいことがあり、会いたい人がいて、生きたいところがある……。死にたくないと涙ながらに訴える時宗は、大陸に連れて行ってほしいとつぶやきます。

「この大地を馬で走ってみたかった……弓も競い合うことが……できるでしょうか」 ああ、きっとできる。

その言葉を聞いた時宗ですが、時輔を掴んでいた手が力なく床に落ちます。時輔は居室の外で待機している祝子を呼び、祝子は慌てて時宗の元に駆け付けます。時宗は今にも閉じそうな目で祝子を見ると、許せ……とつぶやいて息を引き取ります。時輔も祝子も、じっと耐えて時宗の旅立ちを見送ります。弘安7(1284)年4月4日。蒙古から日本を守ることに命の炎を燃やし続けた、短くも激しい34年の生涯でした。

 

時宗の死に声を上げて悲しむ頼綱、そして貞時も泣きじゃくり、泰盛はただ黙って貞時の肩を抱いて悲しみを噛みしめます。涼泉尼は無表情のまま、立ったまま子に先立たれた現実を受け入れています。館を歩く時輔がふと視線を感じて振り返ると、時利が立っていました。時利に近づいた時輔は深々と一礼し、何も言わずに館を後にします。

天にはどこまでも鮮やかな青空が広がっています。庭から天を仰いだ松下禅尼は、時宗の旅立ちにはよい日よりだとつぶやきます。「鎌倉は御家人が作りし都、なれど人の世は移ろうもの。国も変わらねばならぬ」 泰盛は時宗の遺志を継いで、頼綱たちと力を合わせる道を見つけねばと約束します。孫に先立たれた松下禅尼は、そんな甥の決意に何度も頷きます。

自分にとって光の存在だった時宗が亡くなり、頼綱の落胆ぶりは目に余るほどですが、禎子は時宗のために頑張ればいいと頼綱を励まします。「時宗さんのために……そして時宗さんの代わりに」 呆けた表情で禎子を見つめる頼綱ですが、しっかりしなさいと禎子に平手打ちされてしまいます。

泰盛は時宗の死からわずか1年7ヶ月後、弘安8(1285)年11月17日に頼綱の手によって命を絶たれてしまいます。「霜月騒動」という悲しい戦でした。そして頼綱は、霜月騒動から7年5ヶ月後の正応6(1293)年4月22日、執権として成長した貞時によって討たれました。

誇りとはもっとも大切なことで、もっとも保つのが難しいことだと時輔に教わり、桐子は誇りと思えば佐志 房がやってきたことも分かる気がすると自らの運命を受け入れます。松浦に戻った桐子は、水軍・佐志の家で初めての女当主となります。

 

「天に遣わされたような方であった」と謝 国明はその死を悼みます。再び船に乗せてほしいと頼む時輔に、目的が時宗を連れて行くことだと察知した謝 国明は、ベネチアのマルコポーロに書状を届ける役目を時輔に任せます。「東と西の果ての商人が手を組めば、この世で一番の大商いができよう」 壮大な野望に時輔も太郎も笑います。謝 国明と太郎はこの後も大陸との貿易を続け、博多の発展に寄与します。

そして時宗の死を知ったクビライは、会ってみたい男だったと残念がります。ジパング──あの国こそ海上帝国の夢をかなえる国である。今までにない大帝国を築いたクビライは、その海への夢を果たせないまま10年後に亡くなります。クビライの死後、大元は滅亡への道をゆっくりと歩み始めるのです。

海を渡る時輔、そしてその横には正左衛門がお供として乗船しています。この世の果てまでお供仕(つかまつ)る! と笑顔の正左衛門に「この世の果ては……遠いぞ」とほほ笑んで返す時輔です。大陸へ渡った時輔は、この後どこに向かったのか、そして日本へ戻ってきたのか、知る者はひとりもいません。

祝子は出家して覚山尼となり、鎌倉東慶寺へ移ります。覚山尼の目の前には絵巻物『蒙古襲来絵詞』が広げられていました。九州の御家人・竹崎季長が戦の記録を残していたのです。時宗はその絵巻物には記されていませんが、時宗の物語も絵巻物と同じように永久に語り継がれていくでしょう。

ふと、呼ばれた気がして覚山尼は後ろを振り返ります。しかし誰もいません。きょろきょろ辺りを見回しているうち、再び時宗の声が聞こえてきました。そこには時宗の凛々しい姿がありました。「時宗さま……もう、泣いてもよろしゅうございますか」 静かに何度も頷く時宗の姿に、覚山尼の目から一粒の涙がこぼれ落ちます。

──完──


脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
浅野 温子 (涼泉尼(涼子))
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
木村 佳乃 (桐子)
西田 ひかる (祝子)
寺島 しのぶ (禎子)
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筒井 康隆 (無学祖元)
清川 虹子 (如月)
室田 日出男 (服部正左衛門)
バーサンジャブ (クビライ・カアン)
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奥田 瑛二 (日蓮)
石橋 蓮司 (北条時広)
富司 純子 (松下禅尼)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:吉村 芳之

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