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2022年12月 2日 (金)

プレイバック北条時宗・(48)運命の嵐

夜、休んでいた北条時宗は飛び起きます。胸を押さえて息も荒いです。

遅れていた江南軍が東路軍に合流し14万の大船団となって、弘安4(1281)年7月、九州の鷹島に姿を現します。平戸から伊万里にかけて大船団であふれかえっているという情報で、少弐景資や北条宗政たちは落ち着いてはいられません。九州西部の平戸や伊万里方面には、強固な石垣は建設されていないのです。博多軍の3分の2を西に向けると主張する宗政に、残りの兵で博多を守れるのかと御家人たちは異議を唱えます。

その様子を見かねた服部正左衛門が自分に任せろと出て来ます。戦うのは御家人の役目と景資は難色を示しますが、時宗がその役目の垣根を取っ払って蒙古軍を撃退せよと命じたため、宗政は正左衛門たちを博多に呼んだのです。景資は全軍の4分の3を西方面へ割き、宗政と大友頼泰軍、島津久経軍で西へ向かうように求めます。そして菊池武房や竹崎季長、そして服部正左衛門で博多を守ることにします。

宗政は謝 国明と対面し、手薄になる博多から避難するように依頼します。今や石垣が博多の大きな味方ですが、謝 国明は戦をしたくて石垣を作ったわけではありません。宋の使節を斬首した時宗も戦をしたいわけではないと宗政は時宗をかばいますが、謝 国明は時宗のことを理解したとは言えないながら、恨んでいるわけではないと辛い心中を打ち明けます。そこに北条時輔が博多に戻って来ました。

時宗は息子の貞時と時利を呼び、自分が死んだ後のことを伝えます。身体の心配をする2人ですが、「万が一の話じゃ」とあえて笑顔で振る舞います。時宗が死んだら幕府は乱れるという、幼い2人には信じられないようなことが起きると言及し、目を見開いて国を作り直すように諭します。生まれや身分で隔たりをつける世を変えねばならないと言われ、2人は顔を見合わせます。

 

「嵐が来る……とてつもない大嵐に」 船長(ふなおさ)からの情報を伝え、時輔は兵を引いて蒙古兵を上陸させるように宗政に求めます。これ以上の戦は日本を滅ぼすだけであり、日本と日本の民が生きる道を探れと言うのです。時輔はいつも時宗の邪魔をすると宗政は逆上し、戦場へ出ていきます。戦を止めに帰ってきた時輔を無謀な人だと呆れかえる謝 国明ですが、時輔は蒙古船に渡るための船を出すよう頼みます。

安達泰盛は、足利家時に時宗を執権から下ろす覚悟を求められます。時宗が主張する御家人と非御家人のない世になれば、武士が作った幕府は滅んでしまうと泰盛も言っていました。もう北条の勝手にさせない! と御家人たちが騒ぎますが、時宗は私欲で仕組みを変えようとしているのではないと泰盛は説明します。それだけに難題ですが、必ず幕府の在り方を思い出してもらうと言い残して鎌倉に戻ります。

泰盛が時宗の前に現れます。時宗は幼いころからずっといてくれた泰盛の功績に感謝しつつ、自分と泰盛の間に政がある限り泰盛を担ごうとする輩が出てくると、泰盛に評定衆と御恩奉行からの引退を勧告します。いずれ周りを巻き込んで衝突することだけは避けたいのです。泰盛は時宗に刀を握らせ「わしを斬れ」と迫りますが、盃を持ってきた祝子にその刀を取り上げられ、泰盛は出て行ってしまいます。

宗政らを追って伊万里の浜に来た謝 国明は、大嵐に備えて蒙古兵を避難させてほしいと頭を下げますが、宗政は蒙古軍が降伏しない限り上陸はあり得ないと主張を変えません。敵に情けをかける鎌倉武士の誇りと謝 国明が言い出せば、その誇りが通じない相手と戦っていると宗政が返し、陣中は大騒ぎになります。

蒙古船には時輔が乗船し、武器を治めて船を港につけるように求めます。忻都は日本が降伏するなら考えると主張し、それは上陸してからの話と言う時輔の話には乗れないと厳しい表情です。それでも、兵は疲れているし、大嵐を天の恵みだと思ってと食い下がる時輔を、忻都は船の帆柱にくくりつけてしまいます。

 

屋敷に戻った泰盛は、源 頼朝伝来の「髭切」を持ち出し立ち上がります。時宗と泰盛の間に何かあったと察知した松下禅尼は全力で泰盛を引き止めます。泰盛は今の今までかわいい婿だったと悔しい思いながら、時宗泰盛が時宗に討たれるか、泰盛の手で時宗を討つかのどちらかしかないと、松下禅尼を気絶させて館を飛び出して行きます。

夜道を執権館へ向かう泰盛ですが、多くの武士に取り囲まれてしまいます。その中心には平 頼綱がいました。「泰盛どのはわしをずっと八郎と思っておった。よって最後はこの八郎の姿でお見送りいたそう」 武士たちは泰盛ひとりに斬りかかり、泰盛は髭切の太刀で応戦します。斬って斬って倒し続けた泰盛は、頼綱の前までたどり着きます。

祝子は時宗と泰盛の仲を取り持とうと時宗を必死に説得しています。しかし話し合えば話し合うだけ溝は深まると、時宗は祝子の言には耳を傾けません。時宗も泰盛も勝手に争いばかりと愚痴をこぼす祝子は、安達と北条を結ぶ役割として嫁いできたこの期間何だったのかと時宗を問い詰めます。そこに、泰盛と頼綱が表で争っていると知らせが入ります。

泰盛と頼綱が一騎打ちとなります。泰盛の太刀を受けて床に転んだ頼綱が、振り向きざまに砂を撒いて泰盛の目をくらませ、その隙に立ち上がります。今度は泰盛が斬り倒された武士に足をとられて形勢が逆転し、頼綱が力づくで刀を振り下ろそうと力を込めます。そこに駆け付けた時宗が「やめよ!」と叫びますが、2人の耳には届きません。時宗は持参した弓で2人の間に矢を放ちます。

「太刀を収めよ!」 時宗の声で我に返った泰盛と頼綱です。いま宗政たちは九州で蒙古と戦っているというこの時に、争いを起こしてはならないと命じる時宗ですが、ヒッという息をのむ短い音がしたかと思うと、真顔のままその場に倒れてしまいます。

 

嵐が近づいてきました。伊万里の浜では宗政が全軍に撤退を命じ、蒙古船では時輔の言う通り天を甘く見た罰だと捕縛の縄を切って解放します。しかし大荒れの海で蒙古船を操縦する術を失い、波にのまれて船が傾いたり船同士が衝突したりして乗組員が海に投げ出されるなど、被害は拡大しつつあります。

浜に打ち上げられた蒙古兵を謝 国明と民たちは救助しはじめます。敵を助けることはないと御家人たちは謝 国明たちを引き離そうとしますが、謝 国明はその手を振りほどき構わず救助を続けます。その様子をじっと見つめていた宗政はその救助の輪に加わり、御家人たちや兵たちも、宗政の行動に倣って蒙古兵を一人、またひとりと救助していきます。

夜が明け──。時宗危篤の報を受け涼泉尼が駆けつけ、松下禅尼も加わってみんなで時宗の回復を祈っていました。夜明けとともに時宗は意識を取り戻します。時宗は祝子や涼泉尼、松下禅尼の顔を見てホッとしています。「嵐は……過ぎ去ったようじゃな」

伊万里の浜では、夜が明けても蒙古兵の救助は続けられていました。閏7月1日、日本を襲った大嵐は博多や平戸を埋め尽くした蒙古船団をことごとく海に沈めて数えきれないほどの犠牲をもたらします。宗政は海に浮かぶ時輔の姿を発見し、謝 国明とともに陸に運びます。時輔とともに鎌倉に戻って、兄弟3人で酒を呑む! と宗政は時輔を励まします。

そこに、伏していた蒙古兵のひとりが刀を手に宗政に斬りかかります。謝 国明が気づいて蒙古兵ともみ合いになります。宗政は時輔を板の上に寝かせますが、時輔は宗政の腰のあたりから出血していることに気が付きます。振り向いた宗政は笑顔で陣に戻ろうとしますが、間もなく力尽きて倒れてしまいます。宗政の突然の死を悲しむ時輔の横で、愕然とした謝 国明は膝から崩れ落ちます。

戦の思いがけない結末が鎌倉に知らされたのは、10日後のことでした。後に「弘安の役」とも呼ばれるこの戦の勝利と引き換えるように、時宗の命は残りわずかで燃え尽きようとしていました。


脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
浅野 温子 (涼泉尼(涼子))
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
西田 ひかる (祝子)
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江原 真二郎 (高 師氏)
川野 太郎 (少弐景資)
うじき つよし (竹崎季長)
小西 博之 (菊池武房)
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石橋 蓮司 (北条時広)
室田 日出男 (服部正左衛門)
富司 純子 (松下禅尼)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:吉村 芳之

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