プレイバック徳川家康・(08)桶狭間
広い戦場の中を、突進していく岡崎衆。敵を斬り、倒し、前進していきます。松平元康も「ゆけゆけ~ッ! 進め~ッ」と声を上げ、味方を鼓舞します。岡崎衆の期待の中に、松平元康は初陣の時を迎える。これまでは義元の先鋒として働いていた岡崎衆も、元康の初陣となればその勇猛ぶりはさらにめざましかった。
織田信長は阿古居の平松屋敷に赴き、於大を訪ねます。慌てて出迎える於大に、やりおったぞ竹千代めが! と知らせに来たのです。華々しく初陣を飾れことを嬉しく感じる於大ですが、戦う形だけ見せればいい初陣で、織田軍を演習代わりに使ったと冗談を言って笑います。ただ信長にとって眼目は義元の上洛戦であり、元康はその先鋒にされるでしょう。信長は元康を敵とする意思がないことを、於大に岡崎へ知らさせます。
元康が駿府に戻ると、瀬名が男子を産んでいました。しかし元康の表情は沈んだままです。元康に降りかかるこの先の運命を考えると、この赤子が這って立つまで自分が生き残れないような気がしていたのです。元康は瀬名に労わりの言葉をかけますが、瀬名は元康の気持ちに気づいているのかいないのか、笑顔で返します。
長男竹千代の喜びに浸る間もなく、義元から大高城への出陣の命が下ります。織田領に食い込む拠点の大高城は、今川方が奪い取った後も信長軍は包囲し続け、城に籠る鵜殿長照が援軍を求めてきたのです。上洛戦まで大高城は失いたくないと、義元は元康に大高城へ兵糧の搬入を命じます。馬回りが鳥居元忠、石川数正、平岩親義と若手が中心に、そして元康自ら采配を取ると聞いて、義元はしぶしぶ承諾します。
外で出迎えたのは本多鍋之助でした。初陣として元康の役に立てと母の小夜に送り出された鍋之助は、元康軍に加わりたいと言い出します。戦いは死ぬこともあるのだから、軽く考えすぎていると元康は鍋之助をたしなめますが、それでも食い下がり無理を言って軍に加えてもらうことにします。
そして小夜も於大の伝言を元康に伝えに訪ねてきました。信長は義元上洛の折に“改めて”まみえようと言ったものの、於大は上洛戦の際に対面したい旨と言うのです。母の伝言に迷う元康ですが、軍に加わる鍋之助に本多平八郎忠勝の名を与え、小夜は大喜びです。翌日、母の伝言を胸に秘めたまま、元康は兵糧搬入の戦に向かいます。
松平家を離縁されて16年、於大が案じるのは我が子元康の無事のみです。竹之内波太郎に呼ばれて洞雲院に向かった於大は、大高城の戦が終わったと教えられます。元康の活躍に信じられない面持ちの於大ですが、義元も信長も元康の力量を認めたところがおもしろいと、波太郎は愉快そうに笑います。しかし、元康の入城で水野勢がその帰り道を狙うことも考え、波太郎は次の手を繰り出すことにします。
すでに引き上げにかかっていた元康は、水野信元の旗本たちに行く手を遮られてしまいます。元康に通られては信長に顔向けできないという事情を察した元康は、次の戦に備えるために塞がれた進路を迂回して逃げることにします。実は旗本と名乗って遮ったのは武装した波太郎たちであり、信元の手勢も波太郎に騙されて移動してしまったようで、ひとまず無事に大高城を脱出できそうです。
義元からの任務を無事に果たして元康は駿府に戻ります。これを機に酒井雅楽助たちは義元に岡崎帰還を願い出ますが、義元は頑として聞き入れませんでした。雅楽助はいつまで駿府に留め置くのかとため息交じりです。話を聞いていた瀬名は、元康は実力ある人物のため上洛の大望を達するまでは手元に置きたいのだと、義元の気持ちを代弁します。
永禄2(1559)年は、織田勢と今川勢は同じ線にくぎ付けにされたまま暮れていった。そして永禄3(1560)年、川中島で対峙した上杉景虎と武田晴信の勝負も膠着状態に入り、両者とも動きが取れなかった。これは、待ちに待った上洛を目指す今川義元にとって絶好の機会であり、今川勢は直ちに上洛戦の兵備に取り掛かった。そして5月──。
義元は元康を呼び、軍備が整ったかと念押しします。松平にとって千載一遇の好機だとする義元は、元康を第一陣として加わらせ先鋒を命じます。義元は元康に軍勢のつづりを見せ、総勢25.000となる大軍に元康は仰天します。義元は行く手を阻む織田の軍勢を一人残らず討ち取れと命じますが、元康の側近となった石川数正は、捨て置けない野武士の存在をちらつかせて上洛の際に油断ないようにと進言します。
義元の元を辞したふたりですが、もし織田勢に一気にかかれと下知されたら、野武士に襲われて身動きが取れないと言い訳し、そのうちに後続部隊が来るまで待てばいいと数正は笑います。元康はすでに覚悟は決まったと、館を振り返ります。「長い間世話になった。駿府は私にとってよい道場であった」
義元の命に、こんなに危ない戦の先陣を言いつけるなんてと瀬名は悲しみます。先陣と言っても25,000の大軍だし、今や義元の義理の甥にあたる元康にそんなひどい命令はしないと元康は諭します。微笑みを見せる元康ですが、瀬名はケガにも健康にも注意してほしいと案じます。今度出陣したら二度と駿府へは戻らない決心を固める元康は、瀬名を新しい土地に迎え入れることが出来るのかと気がかりです。
清洲城下には、木下藤吉郎が長屋に帰ってきました。この新しい奉行は、毒味と称して信長と同じ食事を摂っていました。馬屋の掃除番から信長の草履取りになり、馬の轡(くつわ)を握り台所奉行へと、石段を駆けあがるような出世ぶりです。飯をかきこみお替わりしている時に信長から直の呼び出しを受け、口をモゴモゴさせたまま返答しています。
信長は台所奉行の藤吉郎に、味噌が辛いと注文を付けます。味噌は命の源ながら、蔵の味噌が減りすぎているのです。今川の上洛軍が駿府を出発し、何日で岡崎へ着くかを問われた藤吉郎は、それが何日であっても織田には関わりないと唇を尖らせます。信長は今川軍が近づいたら教えよと、それまで寝て待つことにします。「水野下野の領内に入ったら細かく様子を知らせよ。それと味噌じゃ、味噌が減りすぎておるわ」
藤吉郎はハッと気が付きます。つまりはそういうことかと、足りない味噌をかき集めるため信長の家来たちに味噌買いを5名ずつ借り受けたいと頭を下げて回ります。集まった小者たちに藤吉郎は、籠城となったために味噌が必要だと尾張領内に触れて回るように伝えます。那古野から古渡、熱田と広げ、西三河に入っていけばいいわけです。織田軍は籠城するという噂を今川方に信じ込ませる戦法です。
5月12日に駿府を発した義元は、16日に岡崎城に入ります。信長は清洲城で、今川軍がゆっくり近づいてくるのをのんびりと待ち構えています。岡崎城では19日の織田への総攻撃に備えて大高城まで進めるつもりでした。元康は織田方の丸根砦を攻めるために出陣していきます。しかし清州の信長はまだ動こうとしませんでした。
19日、元康が指揮する岡崎勢は丸根砦に猛攻撃をかけます。そのころ信長の元には、味噌買いからの知らせが続々と入ってきていました。その日の朝、義元は大高城を目指して出発していきます。朝から蒸し熱く、義元は輿の中で暑さに耐えかねてぐったりしています。丸根砦で元康が佐久間大学に苦戦していると知るや、一歩も引くなと命じます。
「義元めが……黙っては通さぬッ!」 沓掛を出た義元本隊が大高城に向かっていると藤吉郎の報告を受けた信長は、具足を身に着け出陣の支度に入ります。その様子をじっと眺めている藤吉郎は、踏みにじられて頭を下げるよりぶつかって死んだ方がいい、一矢を報いなければ気が済まない信長の心意気に胸をいっぱいにします。盃を飲み干すと、信長は気合を入れて出陣していきます。
桶狭間で小休止中の義元は、丸根砦を攻撃して大学を討ち取った元康の戦功に気分を良くし、大高城に入って兵を休めよと伝えさせます。一日も早く大高城入りしたい義元でしたが、波太郎扮する領民たちが戦勝祝いに駆け付け、この分では信長も明日には降(くだ)るだろうともてなしを受けることにします。しかし照るような暑さで保存もできまいと、義元は進物を兵士たちに分け与えるように命じます。
大高城に入った元康は、側近たちと密かに城を抜け出していました。そして信長は桶狭間を目の前にした善照寺付近にまで迫っていました。自軍の勢力は2,000、信長は軍勢の士気を高めます。「みなの命、俺にくれい! くれる者だけ俺に続けいッ!」 そこに藤吉郎が、義元は桶狭間で休息中で、本隊はくぼみで昼食の最中だと報告を受けます。
元康は阿古居の於大の元を訪れます。来訪を受け、写経していた筆を放り、小走りで対面所に向かう於大ですが、元康は母の手を取り中に誘(いざな)います。3歳で生き別れたわが子のあまりの成長ぶりに、於大は涙を流して感無量です。於大は元康をあえて「竹千代」と呼び、功を焦ってはならないと諭します。
低い山の頂から、今川軍の配置が手に取るように分かります。今川の二ッ引き両ののぼり旗がはためく中、兵たちは酒を呑み飯を食らっています。信長は自軍に振り返り、このまままっすぐ義元軍に切り込めと下知。義元以外の首級は挙げるなと命じます。「行けーッ!!」
突然の信長軍の襲来に驚き、逃げ惑う今川軍。織田軍は兵たちには見向きもせず、義元本陣に突進していきます。たくさん掲げられた幕を切り裂き突進する信長軍に、義元は「無礼者!」と声を荒げますが……。
於大のところですっかり長居してしまった元康は、引き上げるべく別れの挨拶をしていたところ、久松弥九郎の命を受けて於大の元に伝令が来ました。義元が信長に討たれたと聞いて、於大のみならず元康も驚愕します。信長は義元の首級を掲げて引き上げ、桶狭間は血の海と化したとのことで、元康は急いで戻ることにします。
しかし元康は、戦勝に沸く織田勢の中に取り残されてしまいました。大高城に籠って討ち死にするか、兵を合わせて清洲を攻撃するか。いろいろな選択肢がある中で、元康は岡崎に戻って一同ともに死ぬ道を選びます。大高城に残る松平勢はすぐに城を打ち捨てて岡崎に集結するように伝令を走らせます。
果たして、岡崎まで無事に着けるのか。その岡崎に一体何が待ち受けているのか。敵中を突破する元康自身の運命も分からなかった。
永禄3(1560)年5月19日、尾張の桶狭間で織田信長が今川義元の本陣を奇襲し義元を討ち取る。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと42年8ヶ月──。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (松平元康(徳川家康))
大竹 しのぶ (於大)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
高岡 健二 (本多忠勝(鍋之助))
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武田 鉄矢 (木下藤吉郎)
池上 季実子 (瀬名)
江原 真二郎 (石川数正)
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成田 三樹夫 (今川義元)
林 与一 (今川氏真)
石坂 浩二 (竹之内波太郎)
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制作:澁谷 康生
演出:加藤 郁雄
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第9回「岡崎入城」
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