プレイバック徳川家康・(04)忍従無限
人質として今川へ送られるところ、波太郎によって拉致された竹千代は、織田信秀の前に差し出された。天文16(1547)年・秋、織田信秀に小童(こわっぱ)呼ばわりされたことが気に入らない竹千代は、「松平竹千代じゃ! よう覚えておくがよい!」と威勢よく言い放ち、信秀は大笑いです。信秀は平手中務に、水野信元を岡崎へ送れと命じます。「小童の命が惜しければ直ちに織田へ随身せよ、とな」
信元は岡崎城を訪れ、竹千代を生かすも殺すも広忠の決断次第と迫ります。情勢を見ていれば、今川か織田のどちらに味方すればいいかは分かるはずなのです。我が子の情に敷かれて随身すると見くびられた広忠は腹を立てます。織田に味方をせねば竹千代は斬られさらし首になると言う信元ですが、その指図は受けないと広忠は出て行きます。「武門の倣いじゃ。せっかく拾うた人質、勝手になさるがよかろう」
信元はその後も数回にわたり説得に当たるも、広忠が自説を曲げ織田に寝返る気配が全くなく、竹千代の身がいよいよ危なくなってきました。波太郎は於大に、信長(吉法師)へ竹千代助命の願い出をするよう勧める書状を送ります。ただ信長は人に指図されることが大嫌いな気性であるので、信長にすがってあとは信長に一任するしか方法はないと助言しています。
竹千代は斬首といよいよ決まり、於大を妻に持つ平松弥九郎は、平手を通じて竹千代助命に尽力しますが、効き目はありませんでした。弥九郎は於大の手を握り謝ります。於大は、弥九郎の子を身ごもったお礼参りに那古野の天王社へ詣でることを弥九郎に願い出ます。そのついでに熱田へ回りたいという於大の気持ちを察した弥九郎は、於大を不憫に思い翌朝送り出します。
那古野へ向かう途中、於大はひとりの男に輿を止められます。於大が輿の中から男の顔を見ると、吉法師の成長した姿でした。行く手を阻むのが当主の織田信長であることを随行する竹之内久六に伝え、御簾を上げさせます。信長の前で手をつく於大をじっと見つめた信長は、於大のことを覚えていました。思わずホッとする於大です。「よし、通れ」
信長は於大が平松弥九郎の妻であり、かつての松平広忠の正室であったと知り、那古野城訪問の意図を探ります。於大は母の心を「お受け取りを」と微笑を浮かべますが、その微笑のすき間から涙をポロポロこぼします。於大の母の心に触れ、於大の那古野訪問の意図をくみ取った信長は、於大を那古野から南へ6km離れた熱田へ連れて行くことにします。
熱田神宮神官の加藤図書助の屋敷では竹千代の身柄を預かっていて、信長は於大をそこに案内します。小刀で竹を削る竹千代は一生懸命で、於大の姿に気づきません。信長は、竹千代が斬られないで済むように取り計らうと約束しそのまま出て行きます。その場に居残った於大の視線を感じて、顔を上げた竹千代は母の顔を見つめます。於大はつい竹千代に駆け寄りそうになりますが、信長が於大の肩を掴んで止めます。
信長は竹千代を「三河の弟」と呼ぶほど非常に気が合い、その二人を取り持ったのが於大であると知った広忠は、岩松八弥に於大を斬りに向かわせます。信長に命乞いをし弥九郎さえも動かす於大を、広忠は許すわけにはいかないのです。その褒美に広忠はお春を下されますが、田原御前との確執から、広忠の側を遠ざけられていたお春は、身ごもった子も流産し狂気の女となっていました。
八弥を広忠と思い込むお春は、「お気に召さないなら斬ってくだされ」と八弥に迫ります。それがお春の幸せかもしれないと八弥はお春を刺します。「八弥さま」という声に、お春が狂気のふりをしていただけで正常だったと八弥は気づきますが、お春は命を落とします。夫婦の約束を破ったお春は、その詫びに八弥の手にかかって果てたいと考えていたのです。八弥は遺骸を抱きしめて泣き叫びます。
八弥はお春の着物と遺髪を広忠に差し出し、経を唱えてやってほしいと願い出ます。血迷ったかと広忠は八弥を睨みつけますが、八弥は於大が心を砕いて命乞いに奔走しているというのに、その於大を斬れと命じた広忠の方こそ血迷っていると主張します。このままでは松平家は潰れてしまうと、八弥は主殺しをして広忠を刺し、息絶え絶えの広忠は自ら刀を腹に刺して自害します。八弥も直後に斬られ、絶命します。
岡崎衆にとって、あまりに突然の広忠の死でした。暗愚な主君を刺し殺したので織田に寝返る代わりに嫡男を返してほしいと言えるはずもなく、ここは今川の力にすがるより道はありません。亡き本多平八郎の嫡男・本多忠高は、織田と和睦をし、岡崎城を今川に渡さない条件で家中を織田派にすると約束し、竹千代の返還を訴え出るつもりです。しかしすでに今川軍は岡崎へ兵を発し、岡崎は窮地を迎えていました。
今川方の朝比奈備中守が岡崎城に入城したのは翌日の昼過ぎ。朝比奈は岡崎城の明け渡しを求めます。何よりも竹千代の身を心配する松平重臣たちですが、人質となった重臣たちが先鋒として織田に迫り安祥城を奪い取れれば、その当主織田信広と竹千代の人質交換が成立するというわけです。ただ、竹千代の身は岡崎に戻れるのではなく、そのまま今川に人質として預けてもらうと朝比奈は言い放ちます。
広忠の喪は発せられ、葬儀は竹千代が戻ってからということになりました。鳥居忠吉は、竹千代の命と帰還を得るためひたすら耐え忍ぶことを家臣たちに求めます。どんな無理難題にも我慢せよというのです。大久保新八郎は涙を流し、犬になると唇を噛みしめます。翌日、大軍を率いて雪斎禅師が岡崎へ入城します。今川と織田の戦は避け難く、その勝敗に竹千代の命運がかかっていたのです。
信長は剣術の稽古をする竹千代に、「父もない、城もない、宿なしじゃ」と笑います。ともかくこれから織田と今川が戦となりますが、その時に美濃から攻められればたまらないと、信長は美濃斎藤道三の娘・濃姫を娶ることになりました。婚礼の品を求められた竹千代は物干しざおを指さし、その返礼には馬を一頭所望します。物干しざおは三間槍の着想のきっかけとなります。「これは使える……もらったぞ竹千代!」
信長が那古野城に戻ると、濃姫が到着していました。ツンとしたまま返事をしない濃姫ですが、目の前の人物が夫となる信長であると知ると、濃姫は「ええっ!?」という表情を浮かべます。濃姫は美濃で、信長がうつけと聞いて嫁いできたのです。濃姫はうつけ者の信長がとても面白く、信長は濃姫といずれも似た者同士だと知り、大笑いして濃姫を受け入れます。
岡崎の城下はすでに松平のものではなく、今川の雑兵たちは農家に押し入り略奪強盗を繰り返します。領民の年貢米はことごとく今川の所領に宛てられ、民衆の生活はたちまち困窮してしまいます。織田との戦もすでに十数回、先陣は松平遺臣たちであり、遺臣たちや民衆の困窮を雪斎は知っていながら、岡崎への軍律はとても厳しいものでした。
織田との戦で戦死した本多平八郎忠高の妻・小夜は忠高の子を身ごもり、困窮する生活では腹の子も養いかねると、華陽院は雪斎に駿河居住を求めます。雪斎はそれを認めつつ、代わりに岡崎衆にはむごく当たると伝えます。雪斎の望みは、自分の思いを受け継ぐ武将がほしいのです。「わしは竹千代どのが欲しいのじゃよ。わしの心を無垢な竹千代に注ぎたい」
城内の後家たちを駿府へ送り出した華陽院は、小夜だけを供に西に向かいます。雪斎が勧めるままに、織田の於大が暮らす平松屋敷へ足を伸ばすのです。先を急ぐ二人ですが、岡崎の方角からほら貝の音が聞こえてきました。満を持した今回の戦は特に激しいものになるだろうと、華陽院はうつむきます。安祥城攻防戦は竹千代奪還の悲願を込め、岡崎党のすさまじさはこれまでと比べ物にならないほどです。
於大は平松家の菩提寺に呼ばれます。待っていたのは華陽院です。於大は華陽院の手を頬に当て再会を喜びます。安祥城攻防戦は昨夜決着がつき、捕らわれた城主織田信広と竹千代の人質交換が成れば、竹千代は熱田を出発することになります。「この尼がなぜ御方に別れに来たのかお気づきになられぬか」 華陽院は、今は岡崎を支配する雪斎が竹千代を思ってくれると、竹千代の運の強さに感心します。
「敦盛」を舞う信長は竹千代と小姓たちを那古野城に招きます。捕らえられた兄信広は父に見殺しにされ、それにより竹千代も斬られるという理由からですが、信秀に信広を見殺しにはできないと考えています。信長は、人質交換が成り駿府へ向かわされる「岡崎の弟」竹千代との、今生の別れの宴を開きたかったのかもしれません。人質・竹千代の命は、再び他人の手に委ねられていた。
天文18(1549)年11月9日、雪斎が出陣して安祥城を攻め落とし、織田信広が生捕りにされる。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと53年3ヶ月──。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
近藤 正臣 (松平広忠)
大竹 しのぶ (於大)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
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八千草 薫 (華陽院)
伊藤 孝雄 (織田信秀)
宮口 精二 (鳥居忠吉)
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小林 桂樹 (雪斎禅師)
石坂 浩二 (竹之内波太郎)
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制作:澁谷 康生
演出:大原 誠
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第5回「人質交換」
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