プレイバック徳川家康・(02)離別
寅の年、寅の刻に生まれた吾子(わこ)は、祖父清康の幼名でもあり、松平家にとって由緒ある「竹千代」と名付けられた。峰の薬師から、普賢菩薩・真達羅大将の仏像が、竹千代誕生の夜に忽然と消え失せたという噂は、すでに里から村へ、村から城下へと広まって、これぞ瑞祥と岡崎衆一党は沸きに沸き立っていた。
天文12(1543)年、正月。竹千代誕生の祝いの席で金田与三左衛門は、まだ生まれてもいない自分の子どもを竹千代の小姓にしたいと松平広忠に申し入れます。男か女かも分からないのに早いと広忠は困惑しますが、与三左衛門は一歩も引きません。広忠は仕方なく、お互いの子どもが歩けるようになってからと譲歩し、丸く収めます。
三河の重臣たちは硬骨な気概を家風としていて、その代表例が大久保党です。大久保新八郎は於大の居室にまで竹千代の様子を見に押しかけてきました。百合は、もう見えるころだろうと若君が待っていたと恭しく手をつきます。キョトンとする新八郎ですが、百合はニッコリほほ笑みます。「普賢菩薩の化身にましますゆえ」
しかし岡崎城内にはもう一人、広忠の側室・お久を母に持つ、寅の年寅の刻に生まれた子どもがいました。勘六が生まれた時とは違い、広忠も様子を見に来ない寂しいものですが、お久の父の松平乗正は子どもの名を伝えに来ます。「恵新」 ふたり競って傷つくことがあってはならないと、仏門に入れることを勧めます。勘六と恵新とふたりで竹千代を支えなければ亡き者にされると諭され、お久は嘆き悲しみます。
天文13(1544)年、於大の父・水野忠政が亡くなり、後を継いだ水野信元は織田に随従することを家中に宣言。平手中務は信元に、織田信秀の密命として広忠を織田に味方させるよう命じます。水野家中でさえ苦慮したのに松平家はなおのことと難色を示す信元に、中務は、広忠は今川への義理から於大を離縁し水野へ送り返すだろうから、それを見計らって松平の重臣たちを斬り捨ててはどうかとけしかけます。
そのころ、病身の広忠見舞いの口実で今川から朝比奈備中守が来ていました。朝比奈は於大の顔色が悪いと言い出して休息を勧めます。信元が織田に味方した今、於大の扱いを広忠がどうするか今川義元が試しているのです。言われるままに下がってきた於大は竹千代を抱きしめ、我が子と離されるのだけはいやだと涙を流します。
しかし於大は離縁と決まり、信元は竹之内波太郎に、水野領内まで送り届けた重臣たちを……と言ったところで「お断りいたす」と断られてしまいます。信元はその返事で領内に住めるのかと迫りますが、竹之内家は水野家よりも古くからここに住みつき、織田家でさえ年貢免除の厚遇なのです。波太郎が帰っていくと、権六に波太郎を無事に返すなと命じますが、それでは織田の怒りを買うだけとなだめられます。
波太郎から話を聞いた随風は、もし水野領内まで於大を送り届けた松平家臣たちが信元に襲われて於大を人質に抗ったら、信元はどうするのか疑問に感じます。波太郎は、信元は於大を見殺しにするだろうと答えるのですが、随風は「むごい」と険しい顔です。何の咎もない女をそう扱う者は嫌いと、波太郎は意地でも於大を斬らせないように作戦を考えます。
義元に裏切りの心なしとみせるため、広忠は於大を酒井雅楽助屋敷の離れに監禁されています。その様子を見に来た華陽院は、広忠は於大を不憫に思い、広忠はそう遠くない日に忍んで訪問すると伝えます。せめてその時は泣いてはならぬと諭します。「岡崎との夫婦の縁は絶たれても、母子の縁は絶たれぬものじゃ。竹千代はこのばばがじっと見守っているほどにの」
於大が岡崎を去る前の晩、広忠は監禁の竹の囲いを破って離れに入ってきました。今川の無理難題に屈した我が身を詫びる広忠に、於大はせいいっぱいの笑顔で返します。竹千代は於大に似て強い子になったと笑い、できることなら於大と竹千代を伴って人里離れた場所で暮らしたいと涙を流します。夫婦は固く抱きしめ合い、離別の運命にせめて抵抗します。
刈谷からは迎えの者なく、酒井雅楽助と石川安芸たちが水野まで送り届けることになりました。城門で於大の前に駆け寄った百合の、涙ながらに指さす方には、お久に抱かれる竹千代の姿がありました。「竹千代……これがそなたとこの世で会う最後の日。なれどそなたにはこの母を見覚えていることは叶うまい」 百合の泣き叫ぶ声に我に返った於大は深々と一礼すると、輿に乗り込みます。
輿の中で大泣きする於大の脳裏に浮かぶのは、お久に抱かれた竹千代の姿でした。矢作川を渡ると於大は輿を止めさせ、松平の者とはここで別れたいと言い出します。家臣たちは於大を無事に届けたいと食い下がりますが、信元の気性を知っている妹だけに、信元との間に諍いが起きたら申し訳ないというのです。信元の襲撃を阻止するため一行の最後尾についた波太郎も、複雑な表情です。
天文14(1545)年正月、重臣たちは竹千代の居室に集まってきていました。於大と離別した後、広忠は酒に明け暮れるようになり、湯殿で背中を流しに来たお春を、於大と見間違えて抱きつく哀れさです。そのお春は、前の戦で目をやられた岩松八弥の従兄妹で、許嫁(いいなずけ)なのです。雅楽助は八弥から、お春と言い交わした仲であることが広忠に知れる前に破談にしたと聞き、広忠の居室に赴きます。
雅楽助が戒めに来たと思った広忠は、お久も於大も重臣たちに押し付けられた室で、今また戸田弾正の娘を押し付けようとしています。そんな中、お春は広忠が初めて自分で拾った女だと主張しますが、拾った者がいれば落とし主もいると、お春をお手付きの女中のままにせず、部屋を与えるように進言します。意外な言葉に広忠は喜び、警護で部屋の外に座る八弥は無言のままです。
無事に水野に戻った於大は、毎日竹千代を思って空に手を合わせる日日を送っていますが、信元に再嫁を迫られていました。しばらく時間が欲しいと頭を下げる於大に、信元は広忠が今川方の戸田宣光の妹と縁組することになったと知らせます。松平にとっては百害あって一利もない縁組で、広忠はうつけ者だと信元は勝ち誇った表情です。於大は衝撃を受けます。
広瀬城の佐久間か阿古居(あぐい)城の久松弥九郎か、戦国に生きる以上はそのどちらかを選ばねばなりません。於大は迷う心を父の墓前で決めようと思い立ち、お忍びで刈谷城を出ます。そんな時、ある武士に声をかけられます。「岡崎から戻られた於大姫のことはご存じあるまいか」 於大が顔を上げると見覚えのある顔です。於大はとっさに、その男を追うように命じます。
その男とは、不慮の死を遂げていたとされる水野信近でした。兄を追うと、波太郎の熊屋敷にたどり着きます。波太郎の誘われるがままに屋敷に入る於大は、屋敷内で平手中務と吉法師、久松弥九郎と対面します。吉法師は自分の好きなものをすらすらと言い、於大を驚き笑わせます。鷹狩りの時にまた会おう! との言葉に、大きく頷く於大です。
吉法師は竹千代の立派な競争相手だという波太郎の言葉に、その真意を測りかねている於大ですが、いつの日か岡崎が敗れた時に、その跡継ぎたる竹千代の身を預かれる環境を作っておくのも母としての役割と説くのです。弥九郎は中務とは昵懇の仲で、再嫁するには弥九郎がいいと勧める波太郎に、於大も考え込みます。
広忠は前に増して酒に飲まれるようになっていました。怒りの原因は弥九郎に再嫁する於大なのですが、怒りに任せて刀を振り上げた広忠は座り込んで、急に笑い出すのです。戸惑うお春の横で、広忠は今度は泣きそうな表情を浮かべます。「余はもう人は信じぬ」 広忠の荒れぶりに、お春も涙を流します。今川の勧めで後添えとして迎えた真喜姫(田原御前)ですが、初夜はついに広忠は姿を見せませんでした。
岡崎にはもう一つ別れがありました。広忠に真喜姫が正室として迎えられたこともあり、お久も岡崎城を出る決意を固めます。城の中でふたりの母がいては、真喜姫も母親の気持ちにはなれないとお久が身を引いたのです。その気持ちが痛いほどわかる華陽院は、お別れに頭を下げるお久の手に、数珠を授けます。お久は眠る竹千代に別れを告げ、屋敷を後にします。このとき、竹千代は四歳であった。
天文13(1544)年、於大が松平広忠に離縁され、水野家へ戻る。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと58年──。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
近藤 正臣 (松平広忠)
大竹 しのぶ (於大)
高橋 惠子 (お久)
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八千草 薫 (華陽院)
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竜 雷太 (随風)
宮口 精二 (鳥居忠吉)
石坂 浩二 (竹之内波太郎)
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制作:澁谷 康生
演出:加藤 郁雄
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第3回「人質略奪」
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