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2023年1月 8日 (日)

大河ドラマどうする家康・[新] (01)どうする桶狭間

今日、この平和な世があるのも、すべては大御所、東照大権現様のおかげ。まさに天が私たちに授けてくださった“神の君”でございます。我らが神の君は、いついかなる時も勇敢であらせられました。あの「桶狭間合戦」の折もまたしかり。

桶狭間付近の大高城──。戦が近いとあって、土砂降りの中を兵や馬たちが激しく行きかいます。石川数正は、一棟の蔵の中に静に足を踏み入れますが、そこには金の鎧があるだけで人はおらず、逃げおった! と数正は叫びます。城にかかる橋から堀に飛び降りた男は、辺りを注意深く振り返りながら歩きますが、井戸の横にどくろがあるのにビックリするほど恐怖心があるようです。「いやじゃ……もういやじゃ!」

 

作:古沢 良太

音楽:稲本 響

語り:寺島 しのぶ

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:尾高 忠明
人物デザイン監修:柘植 伊佐夫
タイトルバック映像:菱川 勢一
題字:GOO CHOKI PAR
グラフィック:髙橋 まりな

時代考証:小和田 哲男
    :平山 優
    :柴 裕之
風俗考証:佐多 芳彦
建築考証:三浦 正幸
古文書考証:大石 泰史
資料提供:原 史彦
    :市橋 章男
    :小和田 泰経
    :名古屋城調査研究センター
    :広島県立歴史博物館

芸能指導:友吉 鶴心
所作指導:花柳 寿楽
アクション:諸鍛冶 裕太
武術指導:松本 真治
書道指導:金敷 駸房
華道指導:井関 脩智
三河ことば指導:柴田 浩味
馬術指導:田中 光法
木彫り指導:関 侊雲

撮影協力:愛知県
    :愛知県 岡崎市
    :    田原市
    :山梨県 大月市
    :神奈川県 相模原市
    :金鳳山平林寺
    :臨済寺

 

松本 潤 (松平元康)

 

有村 架純 (瀬名)

 

岡田 准一 (織田信長)

 

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))

山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))

音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))

甲本 雅裕 (夏目広次)

イッセー 尾形 (鳥居忠吉)

小出 伸也 (大久保忠世)
岡部 大 (平岩親吉(七之助))

波岡 一喜 (本多忠真)
猫背 椿 (登与)

 

溝端 淳平 (今川氏真)

野間口 徹 (鵜殿長照)
関口 渚 (お田鶴)

豊嶋 花 (たね)
天野 ひろゆき (山田新右衛門)
川口 和空 (竹千代)

秋田 卓郎
ガラ かつとし
竹中 心悟
菅沼 翔也
綾瀬 拓也
宗像 仁志
大塚 惇平
稲葉 明徳

劇団ひまわり
サンミュージック
葉山プロダクション
宝映テレビプロダクション
古賀プロダクション
アメージングプロモーション
Bright

リバティー
NEWSエンターテインメント
劇団東俳
クロキプロ
テアトルアカデミー
JAE
全映

 

渡部 篤郎 (関口氏純)

真矢 ミキ (巴)

松重 豊 (石川数正)

 

野村 萬斎 (今川義元)

 

阿部 寛 (武田信玄)

 

制作統括:磯 智明
    :村山 峻平

プロデューサー:堀内 裕介
       :川口 俊介
美術:山田 崇臣
技術:久野 裕大
音響効果:島津 楽貴

撮影:山口 卓夫
照明:牛尾 裕一
音声:大宅 健司
音楽録音:高橋 清孝
映像技術:金丸 岳生
カラーグレーディング:関口 寛子

VFXディレクター:松永 孝治
VFXコーディネーター:石原 渉
VFXスーパーバイザー:髙松 幸広
VPプロデューサー:結城 崇史
VP制作:石川 智太郎

編集:大庭 弘之
記録:武田 朝子
映像デザイン:荒川 靖彦
美術進行:高橋 秀樹

装置:楠永 怜
装飾:大久保 貴士
衣裳:斉藤 隆
メイク:渡辺 昌晴
かつら:関根 佑典
特殊メイク:江川 悦子

演出:加藤 拓

 

東に駿河と遠江、西に尾張、北には甲斐に囲まれた小国三河の松平元信は、弘治2(1556)年、隣国駿河の今川義元に服属し、辛く苦しい人質生活を送っていました。おままごとのように遊ぶ元信ですが、今川義元の嫡男・氏真と手合わせをする約束で数正と平岩七之助が呼びに来たのです。分かっておる! と言いながら、厠(かわや)へ行こうとして数正に無理やり連れて行かれます。

相手が氏真とあって、見学する女たちが沸き立ちます。その女たちの中に、じっと見守る瀬名の姿もありました。手合わせは氏真の圧勝で、元信が何度踏み込んでも簡単に仕留められます。通りかかった義元は、氏真にそのへんにしておいてやれと言葉をかけ、元信はとても喜びます。しかし義元がいなくなった途端いてててと足をさする元信の姿に、瀬名はおもしろそうに笑います。

竹やぶの中に秘密基地を作り、木彫りしたうさぎと妄想の追いかけっこをする元信ですが、戻ってきてみると、そこには瀬名の姿がありました。口止めをお願いする元信ですが、元信が彫ったうさぎの木彫りをくれて、かつ一緒に遊んでくれれば他言しないと瀬名に言われます。よその姫とは遊ばない! と一度は断りつつ、仕方なくその条件を受け入れざるを得なくなった元信は、瀬名と仲良くかくれんぼをします。

屋敷に戻って夕餉をとる元信に、数正は父親の七回忌のために岡崎へ戻ることを提案します。元信の小姓である鳥居元忠も七之助も、岡崎が懐かしいと満面の笑みですが、元信は自分が人質であるがゆえに義元が許してくれるかどうかと難色を示します。しかしそのあたりは数正も抜かりなく、すでに義元の許可は得ているわけです。

生まれ故郷の三河岡崎に戻ってきた元信は、岡崎城が駿府とは規模も違うことに愕然とします。城下町では民衆が元信の帰還を喜び、みんなで出迎えてくれます。酒井忠次も元信の元に駆けてきますが、海老すくいの振り付けをしてみせても、幼いころに岡崎から駿府に移り住んだ元信の中にはかすかな記憶しか残っていません。

元信はさっそく、岡崎の城代として駿府から派遣された山田新右衛門に目通りし、頭を下げます。遠慮のう城を使われよ、と優しい言葉をかけてくれる新右衛門に、元信は思わず言葉を額面通りに受け取りそうになりますが、慌てた数正は「挨拶に赴いただけ」と新右衛門の心遣いを固辞します。ひとりキョロキョロしている元信です。

場所を移して、帰還の宴です。駆け付けた鳥居忠吉は城を守っていたと胸を張りますが、歯が抜けて何と言っているか分からず、元忠が同時通訳で元康に伝えます。忠次の妻・登与は元信の成長した凛々しい姿に身体をもぞもぞさせます。他にも髷も結えないほど髪が薄くなってしまった大久保忠世、酔っぱらって前後不覚に陥った本多忠真、実直そうな夏目広次と次々に登場しますが、元信は全く覚えていません。

彼らの群舞は岡崎衆にはえらく盛り上がりますが、何が面白いのか元信はさっぱり理解できません。数正は、農作物もほとんどが年貢として今川に献上させられている岡崎衆にとって、あれが精一杯のもてなしと諭します。「殿、お忘れあるな。あの者たちこそが殿の家臣であり、今川の城代が居座るあの城こそが、殿の城なのです」

 

岡崎から戻ってきてから、元信はため息をつくことが多くなりました。今回の帰還で重い荷を担がされたような思いなのです。秘密基地で一緒に過ごす瀬名は、それは大名の子として生を受けたからといって背負わなければならないものなのかと尋ねます。弱虫泣き虫、力も弱いし心も弱い、お腹も弱い元信に、そんな大役が務まるわけがないと思っているのです。

瀬名は、そんな元信が好きなわけですが、その思いを伝えようとしたとき、巴に見つかってしまいます。瀬名の正面に元信が座っているのを見た巴は「なんとはしたない!」と、瀬名の手を掴んで連れて行きます。思わず追いかける元信ですが、振り返ると家来たちによって秘密基地は無残にも倒されてしまいました。一緒に連れ戻しに来た瀬名の友人・お田鶴も「ただでは済みませぬよ!」と怒り顔です。

それは、氏真が側室として瀬名をもらいたいと義元に願い出ていたからでした。義元は氏真と元信を戦わせ、勝った方に瀬名を与えるという場を設けます。元信にとっては何度も戦い負けた相手ですが、瀬名を賭けてとなると話は別です。元信は嘘のように身を翻して果敢に氏真に食らいつき、勝利を収めます。氏真の面目を慮(おもんばか)り、元信はわざと負けていたと見抜いた義元は、瀬名を元信の妻に認めます。

こうして元信は瀬名と婚儀を迎えることになりました。今川重臣の娘を嫁にと、岡崎衆は大喜びです。ともに殿を支えていくという瀬名に、岡崎衆は恐縮して平伏します。「なんとお優しい」「天女さまのようじゃ!」「三河にはおらぬのう……こんなお美しいお方は!」と盛り上がる家臣たちに、元信は頭を抱えて恥ずかしい思いです。

瀬名を妻に迎えた元信は、初陣を果たして立派な侍大将になり、名を「松平蔵人佐元康」と改めます。そして待望の嫡男・竹千代を授かります。瀬名に勧められて竹千代を抱こうとした元康ですが、城の修繕をしていて手が真っ黒で、汚い! と瀬名に叱られてしまいます。竹千代はとても厳しく育てられますが、元康は竹千代をかわいがっています。

 

永禄3(1560)年、尾張の織田信長は今川の最前線である大高城の周囲にいくつもの砦を築き、執拗な攻撃を開始します。これにより孤立した大高城は陥落寸前でした。今川にとって大高城は領地を守るかなめであり、義元は自ら総大将として采配を振るい、織田勢を追い払うと意気込みます。

元康は大高城に兵糧を運ぶ役目を命じられます。瀬名は元康が織田勢と戦をすることになると考え、どうしようかと心配していましたが、拍子抜けするほどの役目に安堵します。瀬名のお腹の中には2人目の子どもが大きくなりつつありました。元康は瀬名のお腹をさすり、瀬名は元康の手を握っておまじないをかけます。「上手に、上手にできますように」

沓掛城の今川本陣では義元自ら「万歳千秋(ばんぜいせんしゅう)~」と朗詠し、家臣たちも後に続きます。岡崎陣営では、忠次と忠吉がどう大高城入りするか話し合っています。兵糧を運び入れるだけと聞いていた元康は驚きますが、兵糧を入れるということは織田が築いた砦を落とさなければならないわけで、その事実に愕然とします。

どう考えても丸根砦を破るしか方法はありません。砦を落とすような危ない役目を岡崎衆に押し付けられた形となり、要は命を捨てて戦う捨て駒にされたわけです。忠真や忠吉は義元に対して不満を爆発させますが、そこに義元が陣中見舞いに訪れます。義元は忠吉に、決して捨て駒とは思うておらぬと言われ、あわわと慌てふためきます。

武をもって治めるは覇道、徳をもって治めるのが王道。戦を好む信長は悪しき覇道を進む者だと考える義元は、戦乱の世は終わらせなければならないと決意して、王道を突き進むためにみんなの力を結集したいと協力を仰ぎます。義元は元康に我が子と言葉をかけ、感涙にむせぶ元康に、鉛も通さぬ金の鎧「金陀美具足(きんだみぐそく)」を授けます。

5月19日、丸根砦付近。物音立てずに近づく元康軍ですが、鎧の金色が目立ってしまい、この分では敵から狙い撃ちされてしまうかもしれません。着ずに飾っておくもの? という疑問も出て来ますが、着てしまった以上は仕方ありません。数正の声に促されて、全軍に下知します。「一気呵成(かせい)に砦を抜く! 足を止めるでないぞ」

砦の柵を突破し、一気になだれ込みます。みながそれぞれ善戦し、突き進んでいきます。砦からも矢が降り注ぎ、騎馬隊が倒されていく中、元康はそれでも身を守ることなく突進していきます。火がついた矢が兵糧の俵に引火し、敵の攻撃を防ぎながら消火活動もしなければなりません。家臣たちは敵兵を防いでいる間、元康に大高城へ急ぐように促します。

大高城の鵜殿長照は、兵糧も尽きて力なく座っていましたが、味方が来たとの知らせに様子を見に出ます。城に向かって突進する三河勢がはっきり見えた長照は、急いで門を開けさせます。長照だけでなく、大高城を守る鵜殿勢にとって、元康は希望の光そのものでした。元康が大高城に達し、討って出よと義元は今川全軍に下知します。

 

大高城では、ひさびさの握り飯に歓喜であふれかえります。岡崎衆が到着し元康が出迎えますが、みなくたくたに疲れ果てています。そうしているうちに、雨が降ってきました。長照を労わり養生を勧めた元康は、大高城から今川の行軍を見ようとしますが、未だに姿が見えません。七之助は、合戦のさなかに鉄砲の筒音が聞こえたようなとつぶやきます。

今川軍の到着が遅いと数正が物見を走らせていました。その物見が帰ってくると、織田方の不意打ちを受けて今川軍は総崩れと報告を受けます。しかも総大将の義元は討ち死にと……。元康は織田方が流した嘘に決まっていると信じようとしませんが、忠吉はゆっくりと、義元が織田信長に首を取られたと説明します。

今川軍は散り散りになって駿府に逃げ帰っているようで、このままでは岡崎勢は織田の敵中に取り残されることになります。駿河へ帰るにしても桶狭間を通らねばならず、そこに残る織田方の情報はまったくありません。また勝手に城を捨ててしまえば逆心とみなされないかという心配もあります。籠城がいいのかもと意見を言い合いますが、その間に元康は姿を消してしまいます。

元康は蔵の中で恐ろしさに震えていました。元康を探しに来た数正が見たものは、先ほどまで着用していた金色の兜でした。元康は逃げ出したのです。そのころ元康は「もういやじゃ!」と叫び、城から縄で折り脱出します。

どうにか荒れ狂う海にたどり着き、浜辺をひとりとぼとぼと当てもなく歩いています。馬のひづめの音が近づき、振り返ると騎馬武者にいきなり槍を投げつけられます。防御ひとすじの元康に、武者はかまわず迫ってきます。主君と知っての狼藉か! と叫ぶ元康ですが、武者は「主君などと……俺は認めぬ」と言われ、元康は我に返ります。

大高城に戻った元康を忠次はかばいますが、そうしているうちに、織田軍2,000が城に迫ってきました。織田信長が来る……。元康の脳裏に、幼いころ信長に鍛えられた地獄の日々がよみがえります。元康は体中震え、家臣たちは「どうする!?」と元康を見据えます。

駿府では急に騒がしくなり、何があったのかとさすがの瀬名も心配します。雨の中駆けつけた巴は、瀬名を見て絶句します。

甲斐の武田信玄の元にも、義元が信長に討たれたという知らせが届いていました。甲斐にとっては吉兆とつぶやきます。

信長はまともな男ではなく、ケダモノのようで飢えた狼のようだと、元康は震えながら家臣たちに訴えます。その信長は、全軍を率いて大高城に向かっています。「待ってろよ竹千代……俺の白うさぎ」


この大河ドラマでも、『徳川家康』同様、『その時歴史が動いた』風に、ある出来事からさかのぼってカウントダウンしていきたいと思います。今回は、徳川家康が征夷大将軍となる慶長8(1603)年2月12日に「その時」を設定します。

永禄3(1560)年5月19日、尾張の桶狭間で織田信長が今川義元の本陣を奇襲し義元を討ち取る。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと42年8ヶ月──。

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第2回「兎と狼」

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