プレイバック徳川家康・[新] (01)竹千代誕生
『厭離穢土欣求浄土』という旗印を掲げ、「行けーッ!」と徳川家康が全軍に下知します。ドドドドと音を立てて、家康率いる騎馬隊数百が突進していきます。
人の一生は重き荷物を負うて遠き道を行くが如し──。徳川家康の遺訓である。これは後年の作文という説がある。だが、同世代人である織田信長、豊臣秀吉に比べるとき、その遺訓は家康の生涯と人間像を的確に象徴している。三者ともにその目的は、応仁の乱以来100年間にも及んだ戦乱の日本を統一して平和を招来することである。それゆえにこそ、この三人物は非常にまれな友情を尽くし合ってきている。信長の没年は49歳、秀吉63歳、家康75歳。先に逝った二人の両雄から天下平定の偉業を遺された家康の生涯は、無法無残な戦国に終止符を打ち、新しい秩序を打ち立てることである。事実、家康の開いた幕府は、明治維新にその幕を閉じるまで侵略を許さず侵略をせず、300年間の長きにわたって、世界に唯一の戦争のない国とその基礎を作ったのである。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
演奏:新室内楽協会
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:秋山 和慶
コーラス:慶應義塾ワグネル・ソサイエティー
考証:鈴木 敬三
風俗考証:磯目 篤郎
殺陣:林 邦史朗
能楽指導:梅若 紀彰
古式銃指導:森重 民造
語り:館野 直光 アナウンサー
[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
近藤 正臣 (松平広忠)
大竹 しのぶ (於大)
高橋 惠子 (お久)
伊藤 孝雄 (織田信秀)
戸浦 六宏 (平手中務)
村井 国夫 (水野信元)
倉田 保昭 (金蔵)
小笠原 良知 (酒井雅楽助)
山本 紀彦 (金田与三左衛門)
早川 純一 (石川安芸)
河原 さぶ (大久保新八郎)
山口 嘉三 (本多平八郎)
村田 雄浩 (岩松八弥)
田代 隆秀 (水野信近)
亀石 征一郎 (朝比奈備中守)
伊藤 洋一 (吉法師)
あき 竹城 (台所の女)
立枝 歩 (百合)
棚橋 久美 (小笹)
八千草 薫 (華陽院)
成田 三樹夫 (今川義元)
竜 雷太 (随風)
小川 より子 (須賀)
真弓田 一夫 (土方縫殿助)
佐乃 貢司 (銀蔵)
田村 元治 (百姓)
保科 三良 (権六)
中島 元 (小者)
吉田 幸紘 (大久保新十郎)
山田 美也子 (森江)
島 みずほ (お節)
鶴田 孝子 (佐和)
池田 武志 (近侍)
山下 望 (小者)
白井 美紀子 (琴路)
福田 美恵子 (台所の女)
坂 俊一 (近侍)
藤井 京子 (水野家の侍女)
岡安 美佳 (水野家の侍女)
太田 順子 (水野家の侍女)
中野 小治代 (水野家の侍女)
若 駒
鳳プロ
早川プロ
国際プロ
ひまわり
いろは
─────
蹴鞠保存会
小林 桂樹 (雪斎禅師)
北村 和夫 (水野忠政)
宮口 精二 (鳥居忠吉)
石坂 浩二 (竹之内波太郎)
制作:澁谷 康生
美術:内藤 政市
技術:斎藤 政雄
効果:柏原 宣一
照明:佐野 鉄男
カメラ:吉野 照久
音声:岩崎 延雄
記録・編集:市川 筆子
演出:大原 誠
天文11(1542)年──。この年、武田信玄は22歳、上杉謙信13歳、織田信長は9歳、後の豊臣秀吉は垢にまみれた7歳の小童でした。中国大陸は明の時代、ヨーロッパではイギリスがフランスに侵入した年で、西も東も同じ戦国の風雲に包まれた441年前(※放送当時)のことです。12月26日、ひとりの男の子が産まれます。控える家臣たちは「お世継ぎだーッ」と歓喜しています。
話は1年前にさかのぼります。大国今川と新興織田に挟まれた岡崎城では、後に家康の父となる城主の松平広忠が弓の稽古をしている最中ですが、刈谷城の水野忠政から使者が再三来て、娘を娶れと矢の催促です。敵ではないと大久保新八郎は反論しますが、安祥城で戦った織田方の先鋒を務めたのが水野氏でした。父松平清康に再嫁した華陽院は水野忠政の元妻であり、忠政の娘は広忠の義理の妹にあたります。
反発する広忠に、水野を敵に回さないようにするための縁談だと新八郎は説得します。東の今川、西の織田に挟まれた岡崎の周辺で、小国同士が小競り合いを続けて疲れ果ててしまっては、いずれ大国のえじきになってしまう……。家臣たちの心配はそこにあり、反発する広忠に「一に忍従、二に忍従」と説得を続けます。お家の大事となれば、主君に対しても歯に衣着せぬ物言う独特の気風が松平家にありました。
華陽院が広忠の居室を訪ねていました。水野家からの使者と聞き、この縁談は亡き清忠の願いでもあったと華陽院は諭しますが、遺言だったと言われれば広忠は答えようもありません。子が成せないときには離別するし、水野家と戦になったときには部門の倣いに従って妻を斬ると華陽院に条件を出し見据えます。「どうぞ。あなたのよろしいように」
華陽院が5人の子を残してきた水野の刈谷城は、岡崎から西へ10kmの距離です。縁談のことを於大に伝え、母に会えると喜ぶ於大ですが、忠政はこの縁談に不満を抱く家臣たちがいることを念頭に、松平と水野は決して争ってはならないと考えを述べます。華陽院を人質として送り込んでいる以上、松平から攻め込まれることはないと、忠政は逆に松平に対して攻撃を仕掛けてきたのですが、失敗に終わっていたのです。
そこにやってきた水野信元(於大の異母兄)は、この縁談に反対だと主張します。いま松平を攻める絶好の機会と信元は言うのですが、忠政は「許さぬ」と信元の主張を一蹴します。織田には於大に広忠の寝首を掻かせに行かせると適当に言い訳をしておいて、もしそれでも織田が疑うようであれば疑わせることが信元の役割だというのです。信元は、忠政の言に従うしかありませんでした。
信元は竹之内波太郎の熊屋敷を訪れます。竹之内家は代々誰からの支配も拒んで神仕えに専念している土豪で、野武士や乱波、海賊など海と陸に大きな勢力を持っている人物です。信元は波太郎に、婚礼の日に於大を奪ってほしいと依頼します。奪った後は妻にしていいぞと笑う信元ですが、波太郎が仕事を引き受けるのは、何の咎もない女子を政略の具にする乱脈への波太郎の抗議活動でもあるのです。
そしてもう一人、広忠の側室・お久もこの婚礼に心を痛めていました。広忠に嫁ぐ際はいずれ正室にという条件で、すでに勘六という男子がいますが、お久は広忠と於大の婚儀を立場上祝わざるを得ません。恨みや嫉妬心は表に出さず、じっと耐えるお久の手を握り、広忠は於大を生かすも殺すも自分次第と、於大に毒を盛ると広忠は目をギラリと鋭くさせます。
そして駿府城主・今川義元も、この縁談を冷ややかな目で眺めていました。臨済宗の高僧で義元の軍師である太原雪斎は、この縁談はいいことだと考えています。岡崎と刈谷が手を結んで力を温存するのが目に見えていますが、織田が安祥城を攻め込んだ勢いで岡崎へ侵攻する時のために、愚直の広忠に代わって家臣たちには、今川への恩顧を忘れた時の恐ろしさをすでに刷り込んでいるのです。
昨年、広忠から安祥城を奪った織田信秀も、鋭い視線でこの縁組の行方を注視していました。華陽院という女房を取られた上に娘も送り込むとは、忠政もなかなかやるとつぶやく信秀は、義元と広忠の度肝を抜いてやろうと、花嫁をさらってやるかとニヤリとします。美濃を攻めたい信秀としても、その足掛かりとして岡崎の地は欲しい場所であったのです。
翌年、於大が松平と水野の橋渡しとして、そして2人目の人質として刈谷から岡崎へ嫁ぐ日になりました。於大は忠政に娘としての最後の言葉をかけ、忠政は涙ぐみます。忠政は堺から取り寄せた南蛮の綿の種を与え、於大の手で育てた綿で広忠の着物を紡ぎ、領内に広めよと優しい言葉をかけます。於大には百合と小笹(こささ)のふたりを侍女としてつけます。「大、幸せにな」
輿に揺られながら於大が思い描いていたのは、まだ見ぬ母・華陽院の面影でした。華陽院が松平へ嫁いだころ、於大は乳飲み子で母の顔は覚えていないのです。周りでヤーッという複数の声が聞こえてきました。近くで魚釣りをしていた波太郎から、第二の輿を狙うよう指示を受け、於大を略奪しに来たのです。付き従う者たちは応戦しますがあっという間に倒され、花嫁はさらわれてしまいます。
涼しい顔で魚釣りを続ける波太郎は、遠方からもう一つの輿が近づいてくるのを見つけます。忠政は息子信元さえも欺いたかと、第三の輿を狙えと命じます。ところがその輿を狙ったのは、信秀の命を受けた織田の者たちでした。こちらもあっという間に花嫁を奪われてしまいますが、付き従っていた老臣は「たわけめ」と吐き捨てます。ただ、前の輿からも奪われたと知って愕然とします。
於大が乗っていたのは第一の輿でした。その輿に近づいたのは松平家の家臣たちで、於大をさらわれないようにするために新八郎たちが仕組んだ芝居だったのです。「於大の方さま、岡崎の城が見えて参りましたぞ!」と新八郎が声をかけ、於大は「ご苦労でした」と新八郎たちを労わります。結局、信元の陰謀も信秀の計画も失敗に終わってしまいます。
松平の家臣たちが頭を下げる中、於大が顔を上げると華陽院が柔和な表情で立っていました。華陽院は、ここまで無事にこれたのは家臣のおかげだと、おろそかに考えないように諭します。於大は改めて護衛してくれた家臣たちに頭を下げ、家臣たちも恐縮してひれ伏します。ともかく、夢にまで見た母の姿がそこにありました。
安祥城には、於大の身代わりとなった6人が並んでいました。怒った信秀は命乞いは受け入れないと宣告します。しかし、信秀が父の名を尋ねると「父の名は水野忠政、私は於大と申します」と勝気な女が答え、信秀は愉快そうに笑い出します。いったん身柄を預かった波太郎は若い女の仕置きは好まぬと、神に仕える巫女に仕立てて踊り手歌い手とし諸国を巡らせると提案します。女の間諜とはと、信秀も感心します。
岡崎城内では、広忠と於大の祝言が執り行われていました。家臣たちは祝い事に酒をあおっています。大仕事を成し遂げた新八郎は、これで松平は盤石だと喜び、その新八郎を褒めたたえる平八郎、ほか家臣たちも陽気になってバカ騒ぎです。その声を遠くで聞きながら、於大は寝室で広忠の入室をひとりじっと待っています。お久の存在もあり、百合と小笹は於大が哀れと涙を流します。
広忠はお久の居室にいました。旧来の家臣たちが口を開けば「亡き殿ありせば」と言われる中で、清康の子として広忠も戦っていけるはずなのに、水野から嫁をとってようやく“松平は盤石だ”というのは自分を愚弄していると、広忠は非常に悔しい思いをしているのです。奪われた安祥城もいずれ取り返してみせると、自分の思いだけはお久に打ち明けておきます。
翌朝、於大の髪を梳(と)きながら気の毒だと感じる小笹ですが、華陽院はじめ岡崎城の人々はみんな優しいし、安らかに眠れてウグイスの歌に目覚める幸せをかみしめて、於大は不満をおくびにも出しません。そのいじらしさに百合までも涙を流します。梅の花はウグイスを呼ばず、ひっそりと咲いているだけと、於大は自分の姿を梅の花に例えます。「のう百合。笑うていてもよいであろ?」
廊下の向こうに広忠が立っていました。一瞬明るい表情を見せる於大ですが、こざかしい! と吐き捨てた広忠はスッと中に戻っていきます。がっかりする於大のところに華陽院がやって来ました。人の心の奥には仏と鬼が棲んでいて、相手の鬼と交わればこちらも鬼にならねば済まぬもの。母の教えに素直に従う娘です。華陽院は綿の種のことを思い出し、まずは城内で育て、来年民に分けることを提案します。
波太郎を訪ねて現れた信元は、生意気な少年と出会います。信元は少年に立腹しますが、少年が信秀の嫡男・吉法師(後の織田信長)であると分かるまでに時間はかかりませんでした。波太郎は鉄砲が種子島に伝来する前に入手していて、その披露をしていたのです。おもしろがる吉法師は鉄砲を手に取り、波太郎に教わりながら弾を放ってみます。後年信長は、鉄砲を駆使して戦の方法を変えることになります。
吉法師の相手をしている波太郎を夜まで待たされた信元は、屋敷に一泊する吉法師と対面したためすぐ退散せよと命じられます。生意気な吉法師を許せない信元は、人質に取って松平がやったことにすると企てますが、後から入ってきた随風という法師に呆れられます。波太郎は、水野と松平が和議を結び両家とも織田に味方しようとしないのか、吉法師の勘気を和らげるのは信元の心がけ次第と突き放します。
織田に奪われた安祥城奪還を目指す広忠は、これまでずっと今川に助勢を求めてきましたが、今ようやく、援軍を送るとの義元の返答をもらうことができました。義元の書状を持って岡崎城にやってきた朝比奈備中守は、さっそく安祥城奪還に向けて準備を始めるがよいと、広忠の背中を押します。広忠も初めて笑顔を見せ、やる気になっています。
百合たちと貝合わせをして楽しんでいた於大ですが、急の広忠の訪問を受けます。広忠は酒を用意させるのですが、毒見を言い出す小笹を於大はやんわりたしなめ、今後は広忠の毒見は自分がやると奥向きを改めると決め、広忠に詫びます。表情をこわばらせたまま舞を舞う広忠ですが、その舞を一生懸命に見つめる於大の視線を受け、広忠は舞を止めます。「今宵は御身の元で過ごす」
床を共にしながら、奥のしきたりを改めて水野風に変えていくのは華陽院の差し金かと広忠はつぶやきます。愕然とする於大に、寝首を掻きに来たのかと疑われた於大は必死に弁解しますが、広忠の耳には届きません。寝室の横では百合と小笹が自分の命を狙っていて、そんな環境では心安らかに休めないと、広忠は怒って出て行ってしまいます。於大は嫁入りして初めて涙を流します。
怒りに任せて一度はお久の寝室に向かう広忠ですが、好んで敵を作るところだったと思い直し、再び於大の元を訪れます。泣きじゃくる於大に「泣くな。許せ於大」と優しく声をかけると、於大は広忠の胸に飛び込みます。広忠は、於大の賢さを妬ましく感じ、己の不甲斐なさが於大を憎んでしまったのです。
城下では、於大が華陽院とともに屋敷内に綿の種を蒔き育てているという噂でもちきりです。うまく育てて種を多く収穫し、それを翌年百姓に分けるつもりらしいと、於大の評判は上々です。それだけでなく牛の乳から搾り取った滋養のある「蘇」(チーズ)を広忠にふるまい、顔色が悪かった広忠も最近は元気になってきているそうです。賢いお屋敷さまじゃと方々から声が上がります。
綿はすくすくと育っていく綿を見て、物の命の不思議さを感じ取る於大です。華陽院は頷き、自分たちが死んだ後もきっと大きくなっていくと微笑みます。お久が2人目の子を身ごもったとかで、華陽院はそれとなく於大の心情を思いやりますが、於大は綿の種をお久にも分けるなど、広忠を支える女同士、親しみを持って接しているのです。華陽院はホッとして、土産の飴を勘六へ渡してほしいと於大に預けます。
飴を差し出す於大ですが、毒入りを疑ったお久は勘六を掴んで於大から引き離します。ビックリする於大は1粒食べてみせますが、それでもお久は意地でも食べさせません。仕方なく飴を侍女に預けると、お久が止めるのも聞かずに勘六はパクッと食べてしまいます。お久も勧められるがまま飴を口にしますが、母の存在をありがたく感じる於大は、引きつったまま「くれぐれもお体を大切に」と部屋を出ていきます。
帰りしな、最近広忠のお渡りが少なくなって恨みをぶつけているのだと言いたい放題の小笹をそっとたしなめる於大ですが、急に気分が悪くなり吐き気を催します。於大は苦しみながら、先ほどの飴は甘すぎるからと勘六を見舞うように百合を向かわせます。代わりに背中をさする須賀は、於大の異変に気が付きます。「まことにおめでとうございます。お方さまには、ご懐妊あそばされましたぞ」
須賀から懐妊の知らせを聞いた広忠は、喜びをかみしめます。それだけにとどまらず、新八郎はじめ広忠の家臣たちも於大の居室に押しかけ、懐妊祝いの言葉をかけ「お世継ぎさまを!」「男子を!」と大騒ぎです。静かにと注意する侍女をそっちのけに、横になる於大に直接言葉をかける家臣たちです。於大も、幸せそうな表情を浮かべます。
戦雲は再び尾張・三河・駿河を重く包み、岡崎でも広忠に出陣準備の命が下ります。そのころ平手中務(なかつかさ)が信元を波太郎の屋敷に呼びつけていました。主の忠政は病に臥せっているからと織田方か今川方かあいまいな態度の信元に、刈谷は織田の味方になれと迫ったのです。波太郎も、松平を説得して織田に従わせると約束したはずと涼しい顔で言います。
今川が出陣しようとしている今、織田は水野に今川攻めの先鋒を命じてくると見た忠政は、水野も松平も結束しなければならないと、織田には従わず今川に従えとクギを刺していました。そんな訓示がありながら織田と密談していた信元を、弟の水野信近は批判します。龍虎争えば一方は勝ち、一方は傷つき、その争いにむざむざ巻き込まれる必要はないと訴えるのです。
信近を斬れと信元に命じられた権六は、命令通り信近を斬り捨てます。偶然通りかかった随風は、息も絶え絶えの信近を波太郎の屋敷に連れ帰ります。説得の代わりに弟に手をかける信元も器が小さいと波太郎は呆れます。日本を統一できる強大な武将として、波太郎は吉法師の成長が待ち遠しいのですが、この調子では次の世代になるかもしれません。この信近もそのために役立ってもらおうとこの館でかくまいます。
信近が命を落としたとの知らせは岡崎にもたらされました。於大にとっては実兄、華陽院にとっては腹を痛めた我が子です。ふたりは手を合わせて信近の冥福を祈ります。
駿府・遠江・三河の太守である義元が、安祥城攻めのためいよいよ駿府を出発しようとしていました。しかしそこに、刈谷の水野に裏切りの兆しありとの報告が上がり、水野を味方に引き入れる役割の広忠に「はがゆし広忠! あまりの無力さ」と義元は怒りを募らせますが、雪斎は水野がどちらにつこうとさほど影響は与えないと、安祥城の織田勢に目にものを見せてやりましょうと義元に勧めます。
義元が駿府を発進するころ、信秀も那古野を出陣していました。野武士のような織田軍勢の身軽さに引き換え、今川軍は陣中のつれづれを慰めるべく酒や肴のほか、猿楽や田楽師まで引き連れての行軍です。しかし、岡崎に入って指揮するはずの義元の予定が変わり、岡崎までは入らず一歩引いたところで止まったのです。
安祥城までかなり近く、水野の裏切りも危なすぎるという判断ですが、義元の不安は、広忠には於大を斬り捨てよと言っているように聞こえて反発します。今川と織田のいずれかが敗走しても巻き込まれないようにしなければなりませんが、新八郎は今川と織田の戦場を小豆坂まで誘い込み、大久保党が山中に隠れて後に蹴散らして、松平軍は岡崎で籠城し兵を失わないようにと策を立てます。
義元には父清康に劣ると言われ、家臣たちも清康なら勇んで織田に攻め入ったのにとまで言われて、広忠は我が身を情けなく感じています。於大は、家臣たちは広忠を労わっているのだろうと言い、忠政も羨んでいたと励まします。広忠は於大の手を掴み、自分のような弱い子を産むなと心から願っています。
主力を岡崎城に残したまま、大久保党の面々が出撃していきます。小豆坂で織田軍を食い止められるかどうかに、岡崎の運命がかかっています。もし広忠が討ち死にした時は自分も自害すると言う於大に、華陽院はそれでは負けだと教えます。女は夫が死ぬような戦を好んでいるわけではなく、愛しい夫や子たちを失うことのない安らかな世を生み出すのが女のつとめだと諭すのです。
於大はわき目もふらずに冷水を浴び、一心不乱に祈りを捧げます。広忠の愛情の強さにもはや不安を持たなかった於大ですが、どうすれば広忠が願うようなたくましく強い子を産めるのか、それだけを考えていました。於大は百合に、この身が産屋に入ったら峰の薬師に参籠し、そして男子を生んだら御堂の仏像を一体盗んできてほしいと依頼します。「真達羅大将。虎の矛を持って立つ普賢菩薩を盗んでたもれ」
8月10日、織田・今川の両軍は小豆坂で激突。緒戦は織田軍が苦戦するも、織田方七本槍の奮闘もあって今川方が崩れ出したのです。勢いに乗る織田軍の側面に、潜んでいた大久保党が突っ込みます。広忠の近習である岩松八弥も目に矢を受けながら一歩も引かぬ奮闘で、義元は岡崎へ引き上げる機会を得ます。上辺では織田方の勝ちに見えましたが、大久保党のかく乱で安祥城に逃げ帰る有り様でした。
月夜を眺めながら、波太郎と随風は酒を呑んで戦を振り返っています。岡崎の軍勢の奮戦で敗軍の将を免れた義元にとっては無駄な遠征、織田にとっても多くの者を失った犠牲の多いものでした。織田と今川のこの戦では勝敗は決しませんでしたが、ただひとつ残ったものは怨恨だけと、波太郎は厳しい表情です。
12月26日早暁、寅の刻。於大が無事に男子を出生します。「我がお世継ぎさまは! 寅の年虎の刻にお生まれじゃ! 強いぞこの若は!」と新八郎が騒ぎ、渦中の面々も大盛り上がりです。そのころ、峰の薬師から仏像がひとつ忽然と消えたという噂が、すでに寺から村へ、村から里へ瞬く間に流れていた。この嬰児(みどりご)こそ、後の徳川家康となる吾子(わこ)である。
この大河ドラマシリーズでは『その時歴史が動いた』風に、ある出来事からさかのぼってカウントダウンしていたのですが、しばらくやっていませんでした。なので、久々に復活してやってみたいと思います。今回は、徳川家康が征夷大将軍となる慶長8(1603)年2月12日に「その時」を設定します。
天文11(1542)年12月26日、松平広忠・於大の子として徳川家康が誕生する。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと60年1ヶ月──。
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第2回「離別」
| 固定リンク
「NHK大河1983・徳川家康」カテゴリの記事
- プレイバック徳川家康・(50)泰平への祈り [終](2023.12.15)
- プレイバック徳川家康・(49)落城(2023.12.08)
- プレイバック徳川家康・(48)大坂夏の陣(2023.12.05)
- プレイバック徳川家康・(47)大坂冬の陣(2023.12.01)
- プレイバック徳川家康・(46)老いの決断(2023.11.28)
コメント