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2023年2月24日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(05)墨俣(すのまた)築城

山に入って薪に使うための小枝を切っている小一郎のところに、忍びのみつが駆けつけます。ねねの憔悴する様子を見ていられず、みつの一存で小一郎を小牧へ呼んだのです。突然の救援に、兄・木下秀吉はどうしたのかと疑問に感じる小一郎ですが、じっと見据えるみつを見て全てを察し急いで山を下りていきます。

秀吉の忍びの者・おみつがもたらした知らせは、小一郎を小牧へと走らせた。信長が基康を斬ると言い出したのである。基康を斬ればもちろん人質の秀吉の命はない。

小一郎が秀吉の家に駆けつけますが、隣家のまつによれば、ねねは秀吉の無事を祈って参籠中で不在です。殺せとわめいている信長を、話にならないと蜂須賀小六はあきれ果てます。小一郎との初めての挨拶もそこそこに、これまで命の限り尽くしてきた秀吉を見殺しにすれば、信長と刺し違えると言い放ち、小一郎はあっけにとられます。

小一郎が中腹にある祠に向かうと、ねねはお百度参りをして秀吉の無事を一身に祈り続けていました。裸足で左足から流血しているのを見て、小一郎は手当てしようと引き止めますが、ねねはケガに構わず祈り続けます。「女子とは情けないものじゃ。秀吉どののお命が危ないというのにどうすることもできぬ。ただ神仏にすがるだけ」

鵜沼城主・大沢基康はこれまで美濃の手勢としてさんざん尾張に盾突いた男で、信長としては今さら味方に引き入れることには納得できないのです。柴田勝家は、基康に引見し穏便に事を進めなければ、これまで秀吉が説得してきた川並衆らを離反させてしまうだけと反発します。基康の命と信長の信用のどちらか大事かという勝家の言を聞き、信長は基康を連れてくるように命じます。

案内されて信長の前に連れ出された基康は、居並ぶ織田家家臣たちの目に躊躇しながら対面所の中央に進み出ます。ジッと睨みつけていた信長は、「以後織田家のために忠誠を励んでくれい!」と声を上げて憎々しげに出ていきます。緊張の面持ちだった基康も、対面の行方を見守っていた勝家も前田利家も、ホッと息を吐きます。

夜になってもねねのお百度踏みは続いていました。小一郎は石に腰かけてねねのお祈りを見守っていました。そこに利家が駆けつけて、基康が鵜沼城へ無事に戻ったと知らせに来ました。これで秀吉も無事に戻ってこれるはずです。願いが神に通じてよかったのう! と笑う利家の前で、ねねは安心から膝から崩れ落ちて涙を流します。

 

秀吉の帰宅を出迎えた小一郎は、少しは姉さまのことを考えろ! と秀吉を怒ります。しかし秀吉は精いっぱい務めてきただけだと悪びれる様子もありません。秀吉の呼びかけに応じなかったねねは、振り向いて秀吉を睨みつけると、手元にあった野菜で秀吉を殴りつけます。どれだけ心配したことか……!「それで気が済むんならいくらでも殴られようぞ」 秀吉は泣きじゃくるねねをしっかり抱きしめます。

秀吉が無事に帰ってきた祝いとして、秀吉、小一郎、利家、小六の4人で酒盛りです。基康を取り込んだことで、これからいよいよ美濃攻めが始まります。身を乗り出して聞く小一郎を秀吉は誘いますが、小一郎が秀吉の代わりに中村の田畑を守ってくれているわけで、小一郎までも侍に取られてしまったらなかに顔向けできないと、秀吉の酒を取り上げてしまいます。

翌朝早くから薪割りをする小一郎です。ねねは秀吉も無事に帰宅したし田畑のこともあるので、早く中村に戻るように勧めますが、小一郎は秀吉に請われてしばらく小牧で過ごすことにしました。秀吉の言うことに従っていたらどうなることかと心配するねねですが、味方になる身内もいない秀吉は、強がってみせていても実は寂しがっているのを、弟としては感じ取っているのです。

 

永禄9年、夏も終わりに近いある日、信長はその機が熟したと見て、美濃の斎藤龍興の居城・稲葉山を真っ向から攻撃する決意を固め、主だった家臣を集めて作戦会議を開いた。

稲葉山城攻略には、まず西美濃の長良川の墨俣に堅固な砦が必要である──。信長の意見に理解を示す勝家ですが、敵を防御しながら砦を建設するのは至難の業と難色を示します。これは他の家臣たちも同じで、やりたいと申し出る者はいません。下座で様子を窺っていた秀吉は、拙者めがやらせていただきましょう、と名乗り出ます。「ただしやり損じたらそのままでは捨て置かぬぞ」 信長はニヤリとします。

秀吉が帰宅すると、ねねは神妙に手をついて出迎えます。秀吉は墨俣築城を命じられたと誇らしく報告すると、奥からややが出て来て「秀吉どのの功名心で、勝ち目のない戦に連れて行かれる者はいい迷惑じゃ!」と吐き捨てます。申し訳ありません、と代わりに謝るねねですが、尻込みしていた墨俣築城を秀吉が買って出たことにねね自身も呆れているようです。

本当に大丈夫かと小一郎は秀吉を心配しますが、いくら秀吉でも勝算があるからこそ名乗り出たわけで、できないことをやるようなことはしません。背後は川なので前からしか攻められず、材木を川を利用して運び込めるのは墨俣だけなのです。秀吉は、3,000の兵を率いる大将であっても心を許せるものはおらず、小一郎がついていてくれたらとつぶやきます。

また無茶をして! とねねに叱られると秀吉は覚悟していますが、ねねの反応は違いました。勝算があるから引き受けたわけで、この美濃攻めに備えての長い間の苦労が報われる時が来たと、力を存分に発揮するように叱咤します。秀吉に連れ添ってもう5年、いくら言っても秀吉は自分が思った通りに事を運ぶわけで、ねねは諦めることも覚えたようです。

「ただ、小一郎どのをお連れすることだけは反対でございます」 そう言いつつ、小一郎を連れて行くのだろうと諦めたねねは、なかには詫びを入れておくとため息をつきます。秀吉にはその時その時を精一杯生きてほしいのです。ねねにひざまくらしてもらおうと横になる秀吉ですが、ねねはスッと身を引いて秀吉は頭を床に打ち付けます。「私も強うなります。強うならねばとても秀吉どののおかかは務まりませぬ」

 

墨俣築城の準備が始められた。信長は、まず大軍を率いて美濃とは正反対の伊勢の大名・北畠具教(とものり)を攻める用意を整えると触れさせ、2,000間の塀をこしらえるための板、柵にするための木材5万本などを刈り集めさせた。この噂が稲葉山に伝わると、斎藤龍興は「信長は美濃を諦めて伊勢の北畠を攻めるらしい」と安堵した。秀吉の思うつぼである。そしていよいよ織田全軍を挙げての墨俣築城の日が近づいた。尾張の国中の兵力を3つに分け、その3分の1の軍勢で敵の奇襲に備え、残り3分の2の人数で砦の工事に当たる計画であった。

ややは戦の前に浅野弥兵衛と祝言を挙げることにします。急がなくても戦が終わってからでもと笑うねねですが、無謀すぎる今度の戦を生きて帰れる保証はどこにもなく、生きているうちに祝言を挙げて1日でも花嫁でいたいとややは考えています。こうなったのもすべて秀吉のせいだと主張しつつも、養父母を説得するようねねの力を借りたいと、ややはねねに手を合わせて頼み込みます。

出陣間際の慌ただしい中で、弥兵衛とややの祝言が浅野家でささやかに執り行われます。弥兵衛は秀吉の代わりに浅野家へ婿に入った形になります。秀吉は弥兵衛を配下に加えたいと信長に報告するつもりですが、ねねは秀吉の手を握って首を振ります。ややは、秀吉の下で危ないお勤めをすることはないと遮り、たとえ卑怯と言われても生きてほしい、手柄を立てようと思わないように言い含めます。

出発の日、馬上の人になる利家と秀吉です。ニッコリほほ笑む秀吉が後ろを振り返ると、そこには小一郎の姿もありました。ねねとまつが見送る中、一行はゆっくり出発していきます。まつはお腹のややのためにも無事の帰還を願い、ねねは秀吉に思う存分働いてきてほしいと笑顔で見送ります。秀吉と小一郎を送り出したねねは、中村へ急ぎます。

事情を聴いたなかは、あのたわけものめが! と吐き捨てます。秀吉は小一郎を頼りに思い、小一郎も秀吉思いで止めるわけにはいかなかったとねねは弁明しますが、後の祭りです。嘉助は、もし墨俣ができれば秀吉はまた出世し、しかし自分は何も変わらないとつまらなそうな表情です。「小一郎も二度とここには戻って来まい」 ねねの小牧への誘いにも、田畑がなくては生きられぬとここを動かないと宣言します。

墨俣では砦構築作戦が進められていました。集められていた板や材木は日没とともに木曽川上流から川下に流させて運び込みます。大軍を率いて小牧から墨俣に到着した信長は、休む間もなく砦の工事を急がせます。夜が明けると、稲葉山の眼下に織田の大軍が群がり砦を築いていました。龍興は悔しがり慌てて墨俣を攻撃するもすでに遅く、秀吉の巧みな抗戦にぶっ通しの工事で2~3日で砦が完成してしまいます。

ややは、じっと安否を待っている苦痛に耐えかねて泣き出してしまいます。ややから見てねねに不安な様子はなく、いつからこんなに冷たい人になったのかと驚きでしかありませんが、実はねねも内心では心配で心配で仕方ないのです。これまでもどれだけ心配してきたか分かりませんが、それに慣れなければ侍の妻は務まらないと諭します。

そこにみつが現れ、無事に墨俣築城が成り、みな無事と知らせます。安堵するややですが、しばらくは墨俣に残る秀吉に従って、小一郎も弥兵衛もしばらく戻ってこれそうにありません。ねねはみつを労わりますが、すぐに来た道を戻っていきます。ねねは引き上げてくる人たちのためにややとともに急いで支度にかかります。

小牧山では、戦の傷で苦しむ兵たちに駆け寄り手当てをするねねの姿がありました。築城では秀吉が目覚ましい活躍を果たし、ここではねねが率先して走り回るその姿に目を細める利家です。しかしすぐ横で、息を引き取ったばかりの夫に駆け寄る美代の悲しみに直面し、ねねもややも言葉を失います。

 

墨俣築城は、長年にわたって土豪たちの懐柔に当たった秀吉の苦労があったればこそでした。砦を預かった秀吉は、この辺りの地理にくわしい土豪や野武士たちを集め、攻撃してくる龍興の軍勢に抗戦しながら敵陣を奇襲しつつ、稲葉山城を陥れる時を狙っていました。いずれは敵に緩みが出て、信長の強さに恐れをなして裏切るものが出始めるまでは待つ。秀吉の先鋒に小六は不満そうな表情を浮かべます。

留守を預かるねねは、出兵する秀吉配下の家族の面倒から、足軽たちの女房や娘たちを集めて籠城に必要なものを作ります。その作業の中に混じる美代の姿を見かけたねねは、子も身寄りのない美代を木下家に来てほしいと誘います。美代は、ねねに気遣ってもらえたことが嬉しく、涙を流して喜びます。

そこにきいが泣きながら飛び込んできました。嘉助が侍になると墨俣へ向かったというのです。秀吉に、嘉助に中村へ戻るように伝えてほしいと涙ながらに訴えるきいに、責任を感じたねねは墨俣行きを決意します。

女の身で墨俣へ行けるかどうか。果たして砦へ入れるのか。ねねには分からなかった。でも行かねばならぬとねねは心を決めていた。ねねは秀吉の出世とともに、生涯身内の苦労を背負うことになるが、これがその始まりであった。墨俣の砦ができてからはや3月、永禄9年も師走を迎えようとしていた。


永禄9(1566)年、織田信長による美濃侵攻で、木下藤吉郎が短期間でこの地に城を築く。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと37年──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (小一郎)
浅芽 陽子 (やや)
音無 美紀子 (まつ)
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藤岡 弘 (織田信長)
前田 吟 (蜂須賀小六)
尾藤 イサオ (浅野弥兵衛)
せんだ みつお (嘉助)
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滝田 栄 (前田利家)
赤木 春恵 (なか)
泉 ピン子 (きい)
西田 敏行 (木下秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:宮沢 俊樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第6回「一夜城主」

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