プレイバック徳川家康・(09)岡崎入城
無数の騎馬隊が今川義元の本陣めがけて突進し、歩兵も敵を斬り倒しながら駆けていきます。永禄3年5月19日、今川義元、桶狭間で信長に討たれる。信じられないこの出来事は、同時に先陣を務めた松平元康を敵の真っただ中に取り残したのである。松平元康は、林の中を一目散に抜けていきます。
阿古居では平松弥九郎の家臣たちが兵糧を運び、ドタバタしています。そんな中、於大は竹之内久六を呼び、逆らわないように元康を説得すると清洲の織田信長のところへ向かわせます。元康を無事に岡崎の城へ帰すには、それで時間稼ぎをするしかなさそうです。さらに於大は、竹之内波太郎に自分の願いを聞き入れてくれるように平野久蔵を走らせます。
馬で駆け続けた元康ですが、夜になれば峠にさしかかり、物見が戻って来るまでしばし足止めです。元康は於大と対面できてよかったと考えています。岡崎城は駿府の城代がいるし、駿府までは引き返せなさそうです。元康を受け入れる場所がなく、このような窮地に笑いすら出てきています。人質から解放されたと喜ぶ者もいますが、元康の妻・瀬名と子どもは人質として駿府にあり、無謀な行動は命取りなのです。
物見の者が全身黒ずくめの怪しい男(金蔵=波太郎の配下の忍び)を捕らえてきました。本多忠勝は金蔵を斬ろうとしますが、聞けば男は於大から波太郎に嘆願があって、岡崎までの道案内を買って出てくれたのです。元康は金蔵に道案内を頼むことにします。どこに連れていかれようとも奪われるものは命しかなく、母が依頼したこの男にすべてを委ねる決心をつけたのです。
駿府にも、その日のうちに義元の死がもたらされます。味方の軍の敗報ばかりが連続し、集められた武将の妻たちが声を上げて嘆き悲しむ中、いら立つ今川氏真は出て行ってしまいます。氏真は、人質として妻たちを預からなければ今川に対して反乱が起きると、瀬名にその見張りを命じます。夫をこの戦で亡くした吉良御前(亀姫)は、抱き続けた元康への愛を死んで詫びたいと言い出しますが、瀬名は一蹴します。
今後どうすればいいのだと、氏真は居室で頭を抱えていました。義元は大事な武将たちを引き連れて死んでいき、自分たちに残されたものは何もなく、できることと言えば父を恨むことぐらいです。気持ちを察してそっと寄り添う瀬名に、氏真は非情な宣告をします。「元康も討たれた。家名は立ててやるゆえ、案じるな」
そのころ元康は岡崎の大樹寺に入り、大高城を脱出した松平勢も敵中突破して寺に結集しつつありますが、元康は大樹寺で岡崎城を仰ぎ見ながら、入城することすら叶いません。掲げられた「厭離穢土欣求浄土」ののぼり旗を見上げながら、自分の前途に浄土があるとは思えないと吐き捨てるように言います。登誉上人は、戦は穢土(えど)に苦しむ民のために行われ、現世に浄土を築けと諭します。
岡崎城の城代が戦の構えです。義元の弔いとしても尾張へ攻め寄せることは考えにくく、元康はその相手が自分であると察します。兵を調え戦う準備を急がせる中、駆け付けた本多作左衛門は、城代が兵糧蔵を空にするほどの荷駄とともに駿府へ引き上げ始めたと言うのです。岡崎城は空き家か! と元康も家臣たちもはち切れんばかりの笑みを浮かべます。「止むを得ぬ。捨てた城ならば拾わねばなるまいの」
元康は悠々と岡崎城にたどり着き、万感の思いで城を見上げます。苦節10年、祖父・松平清康が築いた岡崎城が帰ってきて、岡崎衆には夢見心地の瞬間です。よほど慌てたのか、城門は中途半端に開きっぱなし、城内の床には瓶子や皿が散らばっています。上座に座った元康を、岡崎衆の面々は涙ながらに見つめています。元康は、人質となっている家臣たちの妻子を引き取るまでは、と気を引き締めます。
元康の岡崎入城を知り、信長は元康に使者を遣わせたいわけですが、派手な直垂姿の木下藤吉郎は、滝川一益に岡崎の情勢を探れと指示を出すと助言します。元康に見どころがあれば和睦し、なければ降伏せよと脅す、その案に信長は笑い転げます。信長の一の姫を元康の息子の竹千代にやらねばならぬことになりそうだと、信長は愉快そうです。濃姫は、美濃攻めが近いことを感じ取ります。
居城に戻れたとはいえ、城の修復で休む間もないほど元康は多忙です。そんな中、一度駿府へお戻りをと瀬名からの文が届き、作左衛門は氏真の攻撃だと立腹します。廊下で聞き耳を立てていた侍女を捕らえ、一益に仕える男の娘と白状させたわけですが、元康は織田からも近々何か言ってくると考えます。織田の使者を城内に入れれば氏真の疑いも深まり、瀬名と竹千代の駿府からの救出がますます難しくなります。
妻子を救うべく、元康は何度も義元の弔い合戦に挑みます。織田方の各地の城を落とし、於大の兄・水野信元とも戦っています。しかし氏真は、元康の駿府帰国を促すのみです。元康の必死の工作にも関わらず、人質救出が実現しないうちに、ついに一益が織田の使者として岡崎城を訪問します。永禄4(1561)年2月のことです。
信長は西に向かい、元康は東に向かう。そして信長と元康は和睦をしようという提案です。元康は、東の今川に対しては情の義理があって弓引けず、信長とも事を構えたくないと和睦に応じます。今川の指図を仰がずに義に背くことにはならないかと一益は心配しますが、今川の家臣ではないと元康は表情を変えません。元康はこう主張することによって、織田の家臣にはならないという姿勢を明らかにしたのです。
織田・松平の和睦により疑念を抱いた氏真は、元康に帰参した者の妻子をすべて殺せと命じます。磔(はりつけ)にかけられた女たちは吉田城内で見せしめのために次々と串刺しにされてしまいます。これに折れて駿府に出向けば、気性荒い信長は和睦を破ったと進撃してくるに違いありません。いよいよ清州に行くときかもしれない……。元康は決意を固めます。
年明け早々、元康は清洲城へ赴きます。苛立つ顔で待つ信長ですが、11年ぶりに再会した元康に思わず顔をほころばせます。「会いたかった!」と元康に頭を下げた信長の姿に、織田の家臣たちに動揺が走ります。父の位牌にすら頭を下げない信長が、元康に頭を下げたのです。元康が駿府に重荷を残していることを察した信長は、東の備えに活用せよと於大の夫である弥九郎を紹介します。
尾張から戻った元康は、数正に西郡の城を攻めることを打ち明けます。鵜殿長照を攻撃して人質を捕らえ、駿府で取られている人質と交換するのです。人質交換は織田信広と竹千代のころに行った方法と同じものです。ただ長照は手ごわく、その間も瀬名や竹千代の身に大事があってはいけないと考えています。元康の考えを理解した数正は、もしもの時は竹千代のお供をすると覚悟を決めます。
義元の死で無気力となった氏真に、関口親永は言いにくそうに西郡の城が落ちたと報告します。攻め手は元康と聞き、「そちの婿が攻めたのじゃな?」と氏真は念押しします。長照が討ち死にしたと知って怒りに震える氏真は、瀬名と竹千代と亀姫(元康の娘)を串刺しかのこぎり引きするよう命じます。偶然廊下で立ち聞きしていた瀬名は衝撃で膝から崩れ落ちますが、気丈に竹千代の元に向かいます。
竹千代と亀姫はお万と遊んでいました。駆け寄った瀬名は、母も一緒に死ぬと2人を抱き寄せます。「むごい母と思うてくれるな、こなたたちの父上の罪ぞ。よう覚えておくがよい」と刀を振り上げ、お万ともみあいになります。2人の間に割って入った数正は、瀬名たちを救う談判の条件とするために元康が長照を討ったと説き、ご安堵なされませとの優しい言葉に瀬名はコクリと頷きます。
氏真の前で手をつく数正は、長照を攻めたのは元康と同時期に今川に人質となっていた松平左近であり、元康は長照の妻子を渡せば攻撃はしないと条件を持ち掛け、救い出すのに成功したと説明します。長照の妻子を今川で保護したいという氏真は、長照の妻子と元康の妻子の交換を認めます。その上で氏真は元康に今川を攻撃しないとの誓紙の提出を求め、数正は長照の妻子を駿府まで無事に送り届けると約束します。
数正は親永と瀬名の元へ駆けつけます。「奥方さま、ご無事で……みんな……おめでとうござりまする!」 頭を下げる数正のその言葉に、瀬名もお万も顔を見合わせて喜び、ホッと安心します。親永は数正の手を取り、娘や孫たちの命を救ってくれてようやったと功績を褒めたたえます。翌日、数正が瀬名と竹千代らと駿府を発ちます。
岡崎城では家臣総出で数正に抱かれた竹千代らを出迎えます。そして輿に乗った瀬名も、初めての岡崎に無事に入ります。目の前には、瀬名の到着を待ち望んでいた元康の姿がありました。「よう無事でいてくれた。ここがわしの城じゃ」 はい、と瀬名は微笑みます。ついに元康は、今川の支配を完全に脱した。岡崎城の主として新しい門出を迎えようとしていた。それがどれほど苦難多き道であろうとも。
永禄4(1561)年4月11日、松平元康が三河国内の今川家の拠点・牛久保城を攻撃、今川家からの自立の意思を明確にする。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと42年10ヶ月──。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (松平元康(徳川家康))
池上 季実子 (瀬名)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
林 与一 (今川氏真)
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大竹 しのぶ (於大)
江原 真二郎 (石川数正)
高岡 健二 (本多忠勝)
宮口 精二 (鳥居忠吉)
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竹下 景子 (吉良御前)
長門 裕之 (本多作左衛門)
武田 鉄矢 (木下藤吉郎)
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制作:澁谷 康生
演出:松本 守正
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第10回「三河一向一揆」
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