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2023年2月21日 (火)

プレイバック徳川家康・(11)滅亡の城

永禄9(1566)年、「厭離穢土欣求浄土」の幟旗(のぼりばた)を掲げて徳川軍が突進していきます。

一向一揆を平定した家康は、東三河に残る今川氏の拠点、吉田・田原の城を落として、念願の三河をほぼ統一した。そして永禄9年、松平の姓を一門に残し、自らは勅許を得て「徳川三河守 源 家康」となった。織田信長もまた、美濃の斎藤龍興を追放すると稲葉城に移り、岐阜と名を改め上洛の機会を狙っている。織田・徳川の絆を固めるため、永禄10年5月、長女徳姫は岡崎城に輿入れすることになった。

濃姫は嫁いでいく徳姫に、この結婚の意味を優しく教えます。夫となる信康の名は、信長の信と家康の康から取った。これは信長と家康が仲良く天下を治めようという約束の証──と。この約束を違える動きには小侍従経由で実家に知らせるように諭します。徳姫は、信長の子ゆえに泣かないと誓いますが、あまり強くなりすぎて信康と諍(いさか)いを起こさないようにと濃姫は守り刀を授けます。

徳姫が徳川に嫁いだ際の挨拶を稽古している時、家康を脅かす化け物を見つけた! と信長が愉快そうな顔で入ってきます。その正体は鯉3匹で、家康の忠誠を図る“目付役”です。これを贈れば家康はイヤでも大事に育てなければならず、鯉への愛情は織田への気遣いにもなるし、信長も鯉にかこつけて角を立てずに徳姫の達者ぶりを尋ねることもできます。

徳姫の花嫁行列は無事に岡崎城に入ります。徳姫は9歳、目付役の鯉も一緒です。家康はさっそく対面の準備に向かおうとしますが、そこに瀬名(築山殿)が押しかけてきます。息子の婚儀というのに打ち合わせのための家康のお渡りもなく、時も迫っているので自ら出向いたのです。「教えてくだされや。今川義元の姪が織田の姫への挨拶、何と申したら殿の顔が立ちましょうや」

対面の席で家康と瀬名に挨拶をする徳姫は、家臣たちにも「大義であった」と言い、その堂々さに驚きの声が上がります。そして滝川一益から鯉についての信長の伝言が伝えられると、家臣たちは自分たちの主君が鯉に例えられたことにムッとしますが、家康は笑って鯉を拝見し、その世話を榊原康政に命じます。家臣たちの怨恨の眼差しに気づいているかどうか、一益は素知らぬふりです。

その日の夜に婚礼の儀が無事終わり、家康と鳥居忠吉・大久保新八郎が酒を交わしています。信長が上洛の機会を狙っていて、家康も岡崎に留まらず東に向かっていくことになりますが、信康が岡崎城本丸に入る時こそが遠江統一の日と見定めています。忠吉と新八郎は、信康の傅役(もりやく)として平岩親吉を推挙し、家康もこれを認めます。

平穏な徳川家に事件が発生します。鯉を、石川数正の命で康政らが食べてしまったのです。信長の戯れにこちらからも戯れ返ししたわけですが、織田徳川の同盟にヒビが入ると家康は激怒します。家康は数正を打ち首にしようと刀を振り上げますが、逆らえない相手からの鯉一匹と家臣との値打ちの計算もできなくなると数正は涙ながらに諭します。家康は考え直し、今後は迂闊(うかつ)な命令を出さないと約束します。

 

信康・徳姫の婚姻により、一層同盟を固めた信長と家康は、戦国の世に大きく羽ばたいた。信長は長子・奇妙丸信忠と武田信玄の姫を結ばせると、永禄11(1568)年9月、足利義昭を擁して待望の上洛を成し遂げた。一方家康も、武田と今川の遺領分割を話し合って戦陣にあり、初恋の人・亀姫、いまは飯尾豊前の後家が守る曳間野(ひくまの)攻めである。だが家康は、この小城をなかなか攻めようとはしなかった。

たかが後家が籠る城だからわざわざ仕掛けるに値しないとつぶやく家康に、本多作左衛門は家康が後家(吉良御前=亀姫)を好きらしいという噂は本当だと笑い、家康は赤面して黙ってしまいます。新八郎が曳馬野の兵に取り囲まれて孤軍奮戦していると聞いた康政が、助けに行かせてほしいと家康に訴えますが、軍律は守れと康政を殴りつけます。作左衛門が諭すのも聞かず、康政は陣営を飛び出して行きます。

すると陣営前に、飯尾豊前の忘れ形見の少年が立っていました。対面した家康は、吉良御前からの書状に目を通します。

──謹んで一筆示し参らせ候。思いのほかに浮世の有りさま長々と眺め越し候て、滅びる者も興る者の無事に去り、身にしみじみと味わい申し候。仰せのごとく万千代は枯葉の露に払うべきものにはこれなくと存じ候ままに、三河どののお栄えに井伊谷の春を祈りて、差し遣わし申し候。なにとぞ末永くお目にかけ賜りたく、いずれ黄泉(よみ)にてのお目もじも嬉しく会い待ち申し候。
春霞(はるがすみ) 立つ日も待たで 姫小松 曳馬の野辺に 霙(みぞれ)するかな
亀──

どこにも「降伏」の文字はありません。家康が城を攻めないのは、この曳間野を本拠として生かしたいという思いが家康の中にあり、自分が生き残らないのが城のためであると、頑なに降伏を拒否しているのです。万千代は、足軽として徳川軍に加わり、手勢で自ら攻めるのが吉良御前のためであると家康に訴えますが、家康は返答を避けます。

曳間野の城内で、ちらつく雪が舞い込む中、ひとり座して待つ吉良御前です。侍女が家の子の脱出を報告すると、吉良御前はその侍女も早く城を落ちるように勧めます。ニッコリ笑う吉良御前に促されて去っていったのを見届けて、吉良御前は懐刀を取り出し、自らの胸に突き刺します。「竹千代さま……」

 

永禄12(1569)年正月、家康は曳間野城を浜松城と改名すると、信康を岡崎城主として徳姫ともども本丸に入り、瀬名はそのまま築山御殿に残ります。信康は子作りの前に初陣がしたいと、親吉から家康に働きかけてほしいと伝えます。それよりも信康の馬術の腕が心配だと、しばらく鍛錬を勧める親吉です。信康は親吉と小侍従を下がらせ、徳姫をギュッと抱きしめます。

そこに瀬名が入ってくるのですが、信康は夫婦だから抱き合うのも何の不思議もないとあっけらかんとしています。瀬名は祝いの膳を用意させますが、ともに膳を取ることをいちいち徳姫に許可を得る信康が、瀬名としては癪に障ります。城主は自分でも奥向きは徳姫が大将という考えの信康をたしなめ、徳姫に控えるように言い放ちます。「姫は、滅びかけた今川の出と侮ってわらわに盾突くおつもりか」

不穏な空気を、大きな咳払いで親吉が入ってきました。瀬名は遠慮しようと立ち上がりますが、家康も家臣たちも織田の家来になったような振る舞いに、よかったのうと徳姫に聞こえるように皮肉たっぷりに言い残します。親吉は瀬名を追って出て行き、ふたたび二人きりになった信康は、しょげる徳姫に詫びます。悔しい思いをした徳姫は信康に抱きつきます。「俺は姫を愛おしく思う」「姫も信康さまを……」

家康は浜松城を徳川の本城にするべく改築に全力を注いでいました。その休憩として作左衛門は白湯を手配しますが、持ってきたのがお愛という吉良御前に瓜二つの女性でした。たちまち心を奪われてしまう家康に、作左衛門はニヤリとします。お愛は西郷義勝の後家で血筋といい気性といい育ちといい申し分なく、家康は「謀ったな」と憎々しげに睨みつけます。

家康を別の屋敷に誘った作左衛門は、そこでもお万を再会させます。家康は、出過ぎた作左衛門を叱りますが、これから城を取っていけば城主として置く子どもがたくさん必要になるし、侵攻に忙しい中、色恋に費やす時間が無駄でもったいないと言うのです。開き直る作左衛門に舌打ちする家康は、晩にお愛が待つ部屋へ訪問し夕餉をとります。飯をほおばる家康に見とれるお愛です。

武田信玄はいま、上杉に備えながら相模の北条と今川の遺産を争っている。人間の生のもろさを思うと、作左衛門の言う通り己の志を受け継ぐ子孫がひとりでも多くほしいと家康は思っていた。家康が浜松城を本城としたことで、築山御前と家康は事実上別居となった。最愛の信康もすでに我がものではなく、瀬名はもはや誰ひとり頼る者もなかった。


永禄10(1567)年5月27日、織田信長の長女・徳姫が、三河の徳川家康の嫡男・松平信康に嫁ぐ。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと35年8ヶ月──。

 

原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
池上 季実子 (瀬名)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
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江原 真二郎 (石川数正)
高岡 健二 (本多忠勝)
東 てる美 (お万)
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長門 裕之 (本多作左衛門)
宮口 精二 (鳥居忠吉)
竹下 景子 (吉良御前)(お愛)
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制作:澁谷 康生
演出:兼歳 正英

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『徳川家康』
第12回「人生の岐路」

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