プレイバック徳川家康・(14)父と子
武田信玄の生死は判然としないが、明らかに武田軍に異変が起こった。上洛を注視した武田軍は反転して吉田城を攻撃。家康はこれに応戦してすぐに大井川を渡って駿河を攻め、駿府城外に迫った。だが武田勢が家康の攻撃に備え守勢を調えた時にはさっさと吉田城に戻り、その直後に長篠へその姿を現す。すべては信玄の死を確かめ、それによって対策を立てようとする家康の探りである。その結果、信玄は死んでいないまでも、自ら陣頭に立って采配は振り得ないことを確信した。
浜松城の台所では、女たちが籠城用の焼味噌づくりにかかっています。お愛はその味見をしながら、その出来栄えに笑顔を見せます。籠城すると言いながらあちこち飛び回る家康を、女たちは敵の大将が死んだことで運が強い人だと評価しているのを聞いて、表情を曇らせるお愛ですが、そこに家康ら軍勢が帰ってきました。
信玄が死んだのは確からしいという情報が舞い込んできました。なんでも、信玄の薬用に鶏を持参した百姓が、さる鉄砲の音の直後にぐったりしている信玄を侍たちが担ぎ上げている様子を目撃していて、今までうわさでしかなかった情報の中でも、これはかなり精度の高いものです。家康と本多作左衛門は顔を見合わせます。
お愛は家康を出迎えます。お愛は家康に信玄の噂の真偽を尋ねます。家康はお愛をギロリと一瞥するとそれには答えず、明日は家臣たちに休息を取らせて、堅固な構えにするために明後日は岡崎へ向かうことをお愛に伝えます。岡崎城では徳姫が身ごもり、家康にとっても織田信長にとっても孫にあたり、その喜びはひとしおです。
信長に言われるまま岡崎城へ嫁いできた徳姫は、徳川信康の渡りがないことを不安がっています。家康が訪問するとあって、今は重臣たちといろいろ話し合っていると小侍従は励ましますが、信康のこころは自分ではなくあやめに移っていると悲しむのです。1つの果実しか手にしなかった若者が、次の果実を与えられて新しさを愛でた時、始めの果実は遠ざけられる運命にあるというのは、今も同じかもしれません。
信康の側室・あやめが武田の間者で、家臣のひとりにそそのかれた瀬名が、あやめの父・減敬を介して武田と通じる恐れありと信長に伝えられていました。信康が側室!? と笑う信長ですが、流言をそのまま信じたと思われるのが癪だと、濃姫にそのうわさを間接的に家康へ知らさせようとします。濃姫は、そのことが徳姫が安らかに岡崎で暮らせるようになるとは思えないと難色を示します。
何も知らない家康は岡崎城に滞在して、城の修繕に取り掛かっていました。信康がその陣頭に立つことで逆に手違いが起こると家康はたしなめます。さらに蔵にある兵糧の数も答えられずに家康に叱責されてしまいますが、叱られたことが不本意な信康は不満そうな表情を浮かべ、所用があると腹を立てて出て行ってしまいます。
信康はあやめの部屋を訪問しますが、そこには小侍従がいて信康の姿を見るや慌てて下がっていきます。あやめから、小侍従が信康に徳姫のところへのお渡りを願い出、さらには信玄の話をして自分の様子を窺っていたと知り、信康は小侍従への怒りに震えます。あやめは徳姫のお渡りを勧め、平岩親吉は城の普請時なのにと注意された信康は、人の指図は受けぬとわがまま言い放題です。
そこに現れた家康は、父親というものは愛情の百に一つしか口にしないと信康を諭し、あやめの方を向き直した家康はわがままな信康を労わってほしいと頼みます。あやめには徳姫を呼びにやり、信康に白湯を所望して控える親吉と2人きりになった家康は、遠慮せずもっと信康を叱ってやってくれよと戒めます。親吉は恐れ多く頭を下げたままです。
白湯を持参したあやめでしたが、家康に白湯を差し出したまま動こうとしません。家康は徳姫がいるのだから下がっていなさいと上下の順序をたしなめます。そして揃った信康と徳姫には家臣は宝と例え、宝を粗末に扱わないよう、労わってやるように諭します。信康によって乱れていた岡崎城の奥向きを瞬く間に正した家康を、小侍従はずっと見つめていました。
武田勝頼からの親書が岡崎の減敬の元に届けられましたが、今は家康が滞在中であり、城内での親書のやり取りは避けたほうがいいと大賀弥四郎と申し合わせます。減敬は小侍従が自分たちの動きを探っている様子が見えると、小侍従には気をつけるように喚起します。「小癪な女め」と弥四郎は吐き捨てます。
敵が攻めてきたときは討って出ると信康は即答しますが、金堀り人足に井戸を掘らせて城内の井戸水を止め籠城できなくさせた信玄の野田城攻めを例に挙げ、城の備えが重要であると説きます。さらには武田に奪い取られた二俣・長篠の城を攻めるために、岡崎の城としてどう守るかの軍議の席に加わった信康は、これまでの家康の教えがすべてつながったわけで、初陣したい気持ちが大きく膨らんでいました。
夜、家康の元に小侍従が駆けつけ、岡崎城を狙う内なる者にご注意をと教えて去っていきます。信康は小侍従を気にしながら、初陣として吉田城へ派遣してほしいと家康に願い出ます。もし信康が討たれれば岡崎は裸城になってしまいますが、ひいき目にも信康を凡才とは思っていない家康は、戦法自慢の甲州勢と戦わせてみることにします。「わしの命令があるまでは内に心せよ。よいな」
小侍従に一抹の不安を感じつつ、家康は城の構えを見るために軍勢を率いて吉田城に向かいます。見送った信康は親吉に、家康が言った“内に心せよ”の意味を尋ねます。内から敵に応じる者があれば城は落ちる……親吉に説明されて、信康はその言葉の意味を噛みしめます。ここ岡崎城に不穏な動きがあると家康は教えてくれたのです。
信康が徳姫の居室に向かうと、あやめと小侍従と3人で岐阜から贈られた香を楽しんでいました。昨晩家康に告げ口し、あやめにもお渡りについて指図をしたと、信康は小侍従を睨みつけます。徳姫は小侍従の行動を知らなかったようで驚きの表情です。信康は刀を振り上げ、その拍子に刃先が小侍従の額に当たってしまいます。
傷の処置が終わりぐったりする小侍従に、あやめは自分が減敬の子ではないと打ち明けます。減敬は勝頼から瀬名の元へ使いに出された医師で、瀬名からの文を減敬が勝頼に届けたこともあります。あやめは自分が武田の回し者であるという疑念を払拭し、信康の味方になりたいと訴えるのですが、そのことは全て信康に聞かれてしまっていました。それを知ったあやめは衝撃で膝から崩れ落ちます。
家康が不在となり、減敬は勝頼の親書を瀬名に手渡します。あやめの告白で瀬名の居室に現れた信康は、瀬名と減敬が篭絡して岡崎を乗っ取ろうとしていると糾弾します。瀬名はしらを切り、減敬がいなくても岡崎は甲斐から狙われる存在だと開き直ります。ただそれは家康を裏切る行為であり、信康は追及し続けますが、家康が討たれても岡崎だけは残すという備えをしていると、瀬名はニッコリとほほ笑みます。
瀬名を信じようにも不安が残ります。すでに瀬名の行動は小侍従に漏れ、それがいつか信長の耳に入る可能性が高いです。それよりも家康にバレた時の方が恐ろしく感じます。信康は秘密を知る減敬と小侍従を斬らなければならないと決意を固めます。信康は野中重政に減敬を斬るように命じます。
小侍従を斬ろうとその部屋に向かいますが、フラフラしながら詫びを入れる小侍従を目にすると、その決意がたちまち揺らぎます。どうしてもあやめを処分できなかった信康は、小侍従を成敗する口実もなくなっていたのです。瀬名、徳姫、あやめとは異なる、烈女に触れたような気がしたのです。
弥四郎の邸宅には減敬が訪問していました。減敬は雲行きがあやしくなったと岡崎を退散するつもりです。弥四郎は、家康が山家三方衆攻めに長対陣するのを見計らい、道案内をして勝頼を岡崎へ招き入れる考えです。そうすれば勝頼は一兵も失うことなく岡崎城へ入ることが出来るわけです。しかし逃亡するつもりで弥四郎宅を辞した減敬は、その道中で重政に上意討ちされます。
家康本陣では、家康は重臣たちに信康を出陣させる意向を明らかにします。信康が出陣させて家康がその後詰として岡崎へ向かうと見せかけて、家康はその裏をかいて縦横無尽に動き敵の目を欺くつもりなのです。家康は作左衛門に岡崎に出向かせ、その命を信康に伝えさせることにします。
三方ヶ原の敗戦より半年余り。主導権を取り戻していた家康が信康に初陣を命じたのは、山家三方衆を圧倒しようとする一連の作戦のためである。だがその裏では、家康を足元から脅かそうとする陰謀の芽が確実に膨らみ始めてもいたのである。
元亀4(1573)年4月12日、三河街道上・信濃国駒場で、軍を甲斐に引き返す途上の武田信玄が死去。享年53。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと29年10ヶ月──。
原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
池上 季実子 (瀬名)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
宅麻 伸 (徳川信康)
田中 美佐子 (徳姫)
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江原 真二郎 (石川数正)
田中 好子 (あやめ)
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長門 裕之 (本多作左衛門)
竹下 景子 (お愛)
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制作:澁谷 康生
演出:松本 守正
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『徳川家康』
第15回「陰謀」
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