プレイバックおんな太閤記・(09)秀吉生還
元亀元(1570)年4月29日、越前の朝倉攻めに浅井長政が離反し、信長が越前から敗退したという知らせは、信長を信じてきた人々にとってまさに青天の霹靂であった。秀吉の生死も分からぬまま、ねねには地獄のような何日かが過ぎていった。うわさは中村にも届いた。
きいは居ても立ってもいられず、岐阜に行けば秀吉たちの消息も分かるだろうと旅支度をします。侍になったらいつかはこういう日が来ることぐらい分かっていたと、なかは「わしに逆らうた罰じゃ」と怒ってばっかりですが、お気に入りのねねのことになると優しい表情を覗かせます。女のひとり旅だからと、くれぐれも気をつけるように言い置いてきいを見送ります。
暗い夜道を急ぎ、夜中に秀吉の邸宅にたどりついたきいですが、秀吉や嘉助の生死が未だに分からないことについ声を荒げてしまい、ともの子・孫七郎がぐずってしまいます。うわさを聞いてすでに20日なのに知らせがないとは、嘉助も弥助も死んだとしか考えられません。ねねも心を痛めながら励まします。「私たちがここで思い煩うていてもどうなるものでもない、覚悟と備えだけはしっかりと」
そんなとき、信長を先頭に織田軍が続々と引き上げてきたとの知らせが入ります。秀吉や小一郎、弥助を邸宅に連れて行くねねたちですが、そこに嘉助の姿がありません。秀吉は家に戻るとバタンキューで床に突っ伏すとそのまま眠ってしまいます。ねねは秀吉の身体を揺らしてみますが全く反応がなく、少しふくれますが、小一郎は背後から、そのまま寝かせてやってくださいとつぶやきます。
男たちは大いびきで眠っています。それは浅野家でも同じで、弥兵衛が疲れ果てて眠ってしまっているのをややが無理やり起こして蜂須賀小六と嘉助の行方や戦の状況について聞き出そうとしますが、ムニャムニャ言っていて全く分かりません。そっとしておいておあげなさい、と母のこいはややをたしなめますが、2年も京に出向いてやっと帰宅したのに! と悔しくてたまりません。
秀吉たちの寝顔を見ていたきいは、たまらず庭に出て号泣しますが、きいを呼ぶ嘉助の声が聞こえたような気がしました。ハッと暗がりに目を凝らすと、嘉助が申し訳なさそうに木の影から出て来ます。嘉助は秀吉たちが戦死したと思っていて、なかなか家に帰れなかったようですが、みんな無事に帰り着いたことを知って飛び跳ねて喜んでいます。
嘉助は秀吉軍からはぐれて命からがら岐阜に戻ってきたそうですが、まだ信長や秀吉たちが帰っていないと知りしばらく山に籠って身を隠していたのです。もう懲りたじゃろ? ときいは中村に帰って百姓を続けようと提案しますが、浅井に裏切られて悔しい思いをした嘉助は、己のために戦を続けるといって大ゲンカになります。「こんな思いはもうイヤじゃ!」ときいは嘉助の胸に飛び込みます。
帰ってきて3日、まだ横になっている秀吉にねねも呆れます。秀吉自ら望んだ殿(しんがり)という役目ですが、その命を懸けた戦いにほとほと嫌気が差したのです。ねねは、秀吉までも信長を見限るのかと迫ります。早く信長の天下となり戦のない世の中になってほしいと訴えるねねですが、秀吉は駄々っ子のように「戦はもういやじゃ」と中村に帰って百姓になると言い出します。
ねねから秀吉への愚痴を聞かされて小一郎は大笑いします。臆病風に吹かれるのは仕方ないと小一郎は理解を示しつつ、誰にでも話せることではなくねねだから甘えているのだと諭されます。ねねも悪い気はせず、怒りの顔の中に少しばかり照れの表情が見え隠れします。そこに入ってきた秀吉は、ねねの顔色を窺いながら小一郎に城に上がる支度にとりかからせます。小一郎はニヤリとして支度に入ります。
二人きりになり、お互いに詫びて仲直りする夫婦です。これからはお市を敵に回しての戦となり、秀吉はねねに一層の覚悟を求めます。朝倉との義理を重んじ、もし信長を討てたら天下が転がり込んでくる可能性もあって、浅井長政は信長を討つ機会を狙っているわけですが、ねねはお市が信長のもとに帰らず、長政の側に留まっているのか理解できないと秀吉に尋ねます。秀吉はそれには答えず部屋を出ていきます。
岐阜へ戻った信長は、陣容を立て直すのに全精力を傾け、1ヶ月後の6月19日には徳川家康の援兵をも加えた大軍を率いて岐阜を発った。そして21日には早くも浅井の城・小谷に迫り、城下はもとより湖北一帯に火を放ち、小谷より7kmほど南にある横山城を包囲した。信長は浅井と朝倉を分断するため、まず横山城を落として浅井軍を小谷城から引きずり出す作戦に出ます。
いよいよ出陣だと、長政はお市の居室に現れます。浅井朝倉の後ろには将軍足利義昭がいて、窮地に陥ったら甲斐武田や越後上杉、比叡山も助勢するはずだから、どうみても信長に勝ち目はないわけです。長政は、お市が肩身の狭い思いをしているだろうと慮りますが、信長の妹であるということは忘れてほしいと訴えます。「どうかご存分のお働きを」
長政軍が小谷城から出て越前からの朝倉軍と合流し、横山城救援のために大依山に陣取ります。一方信長は本陣を龍ヶ鼻に移し、姉川を挟んで浅井朝倉軍と対峙します。6月28日、「姉川の合戦」の火蓋が切って落とされます。
浅井・朝倉連合軍が姉川の合戦で織田・徳川連合軍に敗れ、長政は小谷城へ逃げ帰ります。そして信長は小谷城を包囲して落城は時間の問題となっています。義昭の元には、その戦の報告の書状が届けられていました。怒りに震える義昭は、信長をのさばらせていては天下の災いの元と、各地の諸大名に書状を遣わして信長討伐の兵を挙げさせます。
元亀2(1571)年・冬、姉川の合戦を終えて横山城に詰めていた秀吉と弥助が久々に戻ってきます。家で秀吉と酒を酌み交わす弥助ですが、戦の激しさを目の当たりにし、畑仕事に戻りたいとつぶやきます。話は一番手柄を立てた徳川家康の話になりますが、金ヶ崎の退き陣の際も武具兵糧を残さず持って悠々と撤退したり、敵には回したくないと秀吉に言わしめるほどの人物です。
ともは2人目の子どもを身ごもっていました。弥助はともの足をマッサージして労わり、良い子を産めよと優しく言います。しかし秀吉に嫁いで10年となるねねに未だに子どもが授からないことを、ともと弥助は心配しています。もしかしたら孫七郎か生まれてくる子どもが、秀吉の跡継ぎとなるかもしれないと、ともは大事に育てなければと笑います。
義昭が送った信長追討の命令で各地で反乱が蜂起し、信長は鎮圧に出たものの、この戦に義がないと判断して義昭の仲裁を呑みます。信長を窮地に陥れて火消しに回り、信長に恩を売って優位に立とうという義昭の策だと秀吉は吐き捨てます。今は小谷攻めは中断していますが、それは義昭と事を構えるのは織田にとって不利なのです。時が来ればいずれは浅井朝倉は滅亡させるつもりです。
9月、信長は比叡山延暦寺の根本中堂をはじめとする山王二十一社をことごとく焼き払い、僧侶と女・子どもに至るまで千数百人を殺戮(さつりく)します。度重なる僧侶の反乱に報いて跋扈(ばっこ=思いのままにのさばること)を懲らしめるためです。殺生禁断の命令に対する信長の暴挙は、各地にある末寺の僧侶たちを震え上がらせることになります。
比叡山焼き討ちの件を聞いたねねは浅野家へ駆けつけ、声を震わせて養父の浅野又右衛門に真偽を確かめます。又右衛門は遠慮がちに頷くのですが、秀吉もその焼き討ちに手を貸したいうあまりに衝撃的な事件に、ねねは秀吉と離別して浅野に帰りたいと涙を流します。信長に反抗した比叡山側も悪いとややは反発し、姉妹は口げんかを始めかけますが、こいが間に入ってねねを落ち着かせます。
焼き討ちの後に横山城に戻った秀吉の代わりに、小一郎がねねの様子を気遣って戻って来ました。ねねは焼き討ちの件を問い詰めますが、小一郎も秀吉も今回の信長の焼き討ちには目を覆うばかりで、せめて女・子どもは一人でも多く逃がしてやっていたそうです。それを聞いたねねは「やはり私が思うたとおりのお人じゃった」と晴れ晴れした表情を浮かべます。
叡山の焼き討ちで秀吉が女・子どもを密かに逃したという話は有名であるが、叡山の焼き討ちは信長を窮地に陥れることになった。石山本願寺が上杉謙信・武田信玄らにげきを飛ばし、信長包囲作戦に乗り出したからである。信長は八方を敵に囲まれ、天下統一の夢はおろか、織田家存亡の危機に直面することになったのである。
元亀2(1571)年9月30日、近江国滋賀郡の比叡山延暦寺を織田信長の軍が攻め、焼き討ちにする。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと31年4ヶ月──。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (小一郎)
浅芽 陽子 (やや)
音無 美紀子 (まつ)
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藤岡 弘 (織田信長)
夏目 雅子 (お市)
長山 藍子 (とも)
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滝田 栄 (前田利家)
尾藤 イサオ (浅野弥兵衛)
赤木 春恵 (なか)
西田 敏行 (木下秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第10回「小谷落城」
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