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2023年3月19日 (日)

大河ドラマどうする家康・(11)信玄との密約 ~駿河侵攻~

三河平定を成し遂げた我らが神の君は、正式に三河国の主に任官されることに。君は由緒正しき源氏の末裔(まつえい)でございますれば、その資格は充分。何の問題もなく。といいつつ、家康自身は松平家が源氏の流れをくんだ家柄とは信じていません。酒井忠次は、朝廷と室町幕府のお墨付きをもらえる絶好の機会だと、家康に叙任してもらうよう説得を重ねます。

松平家の家系図をひもとく登譽上人(とうよしょうにん)によると、さかのぼって祖父清康が世良田姓を名乗り、さらにずっとさかのぼると、義季が得川姓を名乗っています。世良田も得川も源氏の流れをくんでいるので、家康が源氏の末裔と名乗っても問題なさそうです。忠次は、いっそ徳川に変えては? と提案しますが、登譽は「ただし、これがかかる」と、毎年300貫を朝廷に納めなければならないと説明します。

足元を見おって! それは払えん! などと、家臣たちは口々に朝廷への不満をぶちまけますが、官位を手にした人物は金の使い方が変わってくると、登譽は家康を見据えます。「己の損得で金を使うか、お上の損得に金を使うか」 家康の脳裏に、今川義元による“王道と覇道”の教えがよみがえってきます。こうして『従五位下 徳川三河守藤原家康朝臣』となります。

そのお祝いに振る舞われたおだんごを、瀬名のためにとってくる家康です。300貫に加えて馬も献上したと家康はふくれっ面ですが、今まで逆らっていた近隣の領民たちが官位を得たことで家康を認め、臣下になってくれれば戦をせずに済むと、瀬名はいたって前向きです。瀬名の幼なじみであるお田鶴も、そうやって従ってほしいものだと夫婦で願っています。

話は10年前の冬にさかのぼります。雪が舞う中、幼い瀬名とお田鶴は通りに積もった雪を投げつけたり、空に放り投げて雪をかぶったりして楽しげに遊んでいます。花道の稽古でも、冬の寒い時期に咲く椿はかわいそうな花だと言ってお田鶴を驚かせていました。しかしお田鶴はそんな椿が好きだと言って、愛おしそうに眺めています。「あっ! 短く切りすぎた!」

そんな幼なじみのお田鶴に瀬名は書状をしたためています。瀬名は幼いころのやりとりから、椿の木を家康と築山御殿の庭に一緒に植えます。
──お田鶴さま。飯尾さまのことお悔やみ申し上げます。また引間城のおんな主としてのお務め、さぞご心労多きことと存じます。一度、岡崎に遊びにおいでになりませぬか。この築山は草花に囲まれた美しいところです。きっとお心の慰めになりましょう。夫ともどもお待ちしております。椿の花も植えておきます──

瀬名からの文に目を通しているお田鶴は、文を読み終えると無言のまま立ち上がり、火鉢に文を落とします。文はパチパチと音を立てながら灰と化していきます。家臣たちの前に現れたお田鶴は、来たる戦に備えるように下知します。松平(徳川)と手を結ぼうとしていた連龍を今川氏真に密告したのはお田鶴自身であり、お田鶴率いる引間城は今川方として結束して徳川と敵対する方針を固めたのです。

 

信長から鷹狩りに誘われた家康は、前回の経験から金の具足を身に着けて参上しますが、今回は本当の鷹狩りだったようで、周囲の失笑を買います。そこで信長は上洛の意思を家康に伝えます。前の将軍足利義輝の弟にあたる義昭の求めに応じる形なのですが、側に仕える木下藤吉郎は上洛に際して徳川の兵を借りたいと言ってきます。これからは気ままに鷹狩りはままならぬと立ち去っていく信長です。

ああ、と振り返った信長は、武田信玄が今川氏真を見限ったと家康に伝えます。信玄が今川領に侵攻し、武田領にするつもりなのです。家康としてはそれでは困るわけですが、信長はそんな家康の思いを分かったかのように、信玄と談判せよと背後からささやきます。難色を示す家康に「もう三河守だろ? 今川領はお主が切り取るのじゃ。信玄に渡すなよ」と信長は有無を言わせません。

甲斐武田─駿河今川─相模北条では三国同盟が成っているはずですが、信玄の駿河侵攻は同盟を信玄が破ることになります。家康はそれを盾に信玄に訴えるつもりですが、談判がうまくいかなければ武田は駿河に侵攻し、引間城も武田の手に渡ってしまいます。瀬名はお田鶴に再度文をしたため、徳川の下につくように再度勧誘するつもりです。

信玄は駿河の絵図を前にしていました。武田の調略で今川領の各城は次々と寝返っており、氏真は家臣のほとんどを失いつつあります。知らぬは本人ばかりなりと穴山信君(のぶただ)は鼻で笑っています。いろいろ騒いでいるらしい家康は信長の家来と見てよく、放っておけばいいと信君は視野に入れません。そんな中、信長から信玄に宛てて書状が届けられます。

上洛の自慢話かと信君は吐き捨てますが、家康と会ってやってほしいという内容でした。山県昌景から見て家康は取るに足らない人物であり、会ったところで何の得にもならないわけですが、巫女の千代から家康の人となりを聞いていた信玄は、前々からおもしろい男だと映っていたのです。そのことも加わって、信長の顔を立ててやるかと信玄は立ち上がります。

 

信濃と三河の国境あたりある寺に対面の場が設けられました。落ち着かない様子の家康に叱咤する石川数正ですが、血気に逸る本多忠勝は約定を破り今川領に攻め込むつもりの信玄には、言語道断! と怒鳴りつけてやればいいと家康を見据えます。さすがの剣幕に、斬り合いに発展するのを防ぐためにも「こいつは引っ込めておこう」と家康はつぶやきます。

しかし、対面の場には信玄は現れず、代理として信君と昌景が向かっているらしいです。信玄が来ないなら格を合わせてお前たちだ、と家康は数正と忠次を指名しますが、格を合わせたからこそ信君と昌景なのだと数正は冷静に分析します。格の高さで言えば、家康は信玄の半分程度にしか満たず、信君と昌景は家康よりも少し上といった見立てなのです。衝撃の事実に家康は言葉を失います。

後のことは数正たちに任せ、忠勝と榊原康政と寺を飛び出した家康ですが、対面の場に現れなかった信玄は、意外に肝の小さい男だと笑っています。そこに現れた海坊主のような大男は家康たちに温かい茶を振る舞い、家康の横にどっかと腰かけます。大男は茶を飲み干すと、堅苦しい場は好きではないと非礼を詫びます。ここでようやく3人は、この大男が武田信玄であると確信します。

刀を抜こうとする家康ですが、忠勝がその手を止めます。見上げると林の上から仮面をかぶった武士がこちらをジッと見据えています。みるみる青ざめていく家康に、信玄は2個の串だんごを差し出します。今川領の駿河と遠江を例えているのです。「今川領……駿河と遠江。駿河からは我らが、遠江からはそなたが互いに切り取り次第で。ようござるな?」

 

兵たちが揃い、崖の上に立った信玄は、集まった無数の兵たちに駿河へ出陣を下知します。永禄11(1568)年12月6日、武田軍による駿河侵攻の開始です。それに合わせて家康も、遠江引間城に向けて出陣します。徳川軍も遠江侵攻の開始です。複雑そうな表情を浮かべる瀬名ですが、徳川がやらなければ引間城は武田に取られてしまうわけで、お田鶴を降伏させ生かしたまま救出するつもりです。

そのころお田鶴も、直垂姿に身を包み城下の市に現れ、民衆たちは歓喜の声を上げます。串だんごを所望したお田鶴は、民衆たちを振り返り「案ずることはないぞ。そなたたちの暮らしは、この田鶴が守るでな」と笑顔を見せます。みなお田鶴をありがたがって手を合わせたり頭を下げたりしています。お田鶴は差し出された串だんごを見つめています。

──お田鶴さま。どうかお返事をくださいませ。私と我が夫はお田鶴さまの味方でございます。どうぞ徳川方におつきください。それがお田鶴さまと飯尾家の生き延びる道なのです。今川の世は、終わったのです──
瀬名はお田鶴に説得の文を送り続けていました。文机(ふづくえ)に向かう瀬名の目の前には、お田鶴を思って植えた椿の木がすくすくと育ち、つぼみを見せていました。しかしそんな瀬名の祈りもむなしく、お田鶴からは何の返答もありません。

10日には徳川軍は引間城を包囲します。城門前から鳥居元忠が降伏を促しますが、引間城から鉄砲を撃って威嚇してきます。忠次は応戦しようと鉄砲隊を前に配置させますが、家康はまだ時間があるし撃ちかかるだけが戦ではないと、兵を一時引かせることにします。しぶしぶ承諾した忠次は陣を下げる合図を送ります。

駿府が火の海となり、兵たちが必死に戦う真横を民衆たちが逃げ惑います。13日、武田軍はついに駿府を制圧しました。甲斐を出発してわずかに7日、しかもほぼ無傷での制圧に、武田軍は化け物かと家康の家臣たちは衝撃を受けます。数正は時間がないと、夜明けまでに降伏しなければ総攻撃をかけると引間城に知らせることにします。家康は無言の抵抗をしますが、そうするしかありません。

 

雪がちらついていました。お田鶴は文机に向かい、筆をとります。
──お瀬名さま。お文かたじけなし。お返事が遅くなり相すみませぬ。お申し出、たいそううれしゅう存じます。是非にもお瀬名さまに会いに築山へ参りたい。徳川どのが過ちをお改めになってくだされば、すぐにでも。あなたの夫も、私の夫も、過ちを犯しました。今川さまのご恩を忘れ、私欲に走り、この世を悪い方へ悪い方へと導いておられる。大きな間違いでございます。思い出してごらんなされ、あの雅で美しい駿府の街を。思い出してごらんなされ、ともに通ったあのにぎやかな通りを。いつも道草を食ったおだんごのおいしい、あの茶店を──

10年前のあの日、雪が降り積もった市でともに串だんごを手に恋話を語り合ったことをお田鶴は思い出しています。お田鶴は背が高くて凛々しい方が好きと打ち明けますが、瀬名は好きなタイプをなかなか言い出しません。瀬名をからかうお田鶴ですが、どちらにしてもお互い他家に嫁いだ後も、こうして仲良しでいたいと強く願っていました。

──覚えていよう、いつもいつも笑ってばかりいたことを。覚えていよう、誰もが笑顔であったことを──

粉雪を掴む競争をして、氏真と元信(家康)、瀬名とお田鶴、そこに今川義元や関口氏純・巴夫婦も加わって、歓声を上げながら楽しんでいた日が思い出されます。その情景に笑顔を浮かべていたお田鶴は、そんな楽しげな日常を家康や連龍に崩されてしまった悔しさをにじませていたのかもしれません。瀬名への文をしたため、懐に差し入れたお田鶴でしたが、朝日が差し込んできたのに気づくと、文を取り出してジッと見つめています。

夜明けが来て、家康は厳しい表情のままコクリと頷くと、家臣たちは一斉に総攻撃の準備に取り掛かります。そのころ外を見つめていた瀬名は、植えた木の椿の花が美しく咲いたのを発見し、駆け寄ります。そして同じころ、お田鶴は鎧に身を包み、家臣たちに城に火をかけるよう命じます。そして炎の中を、お田鶴を先頭に兵たちがしずしずと進んでいきます。

総攻撃の用意は整っています。そんな時、城内から火の手が上がったことを確認し、家康がまさに采配を振るうその時、城門が開くと平岩親吉が知らせに来ました。家康は城門前へ飛び出して行きます。

城門が開き、馬上の人となったお田鶴と兵たちが今にも攻撃をしてきそうです。元忠は構えの下知を伝えますが、家康が大声でやめさせます。そして目の前のお田鶴にも攻撃を止めるように大声で説得しますが、「かかれ!」とのお田鶴の凛とした声が響き渡り、兵たちが徳川軍めがけて突進してきます。徳川軍は引間城の兵たちに鉄砲を向けます。

──もう一度、あのころのような世にせねばならぬ。もう一度、今川さまのもとにみなが集い、あの幸せな日日を取り戻さねばならぬ。きっとそうなる。そうなったら、田鶴はすぐにでもあなたに会いに飛んでいこう。そしてあのころのように、たくさんたくさん笑い合おう──

お田鶴が椿を好きなのは、雪の寒さの中であろうと一人ぼっちであろうと、凛と咲く姿に憧れるからです。世に流されず己を貫いているようで……。「田鶴は、椿のような女子になりたい」 そんなお田鶴を、一発の弾丸がその身を貫きます。家康が見ている前で、お田鶴はバサッと音を立てて落馬します。

美しく咲いている椿にかぶった雪を丁寧に払いのける瀬名、まるでお田鶴をなでているかのようです。お田鶴は瀬名の背後からそんな姿を眺めていて、フッと笑みを浮かべています。瀬名は背後にお田鶴がいるような気がしてふと振り返りますが、そこには誰もいません。
──ああ……早くあなたに会いたい。田鶴のいちばんの友、お瀬名に──

引間城は激しく燃え上がります。そして瀬名に宛てたお田鶴の書状も、その炎に包まれて燃えていきます。瀬名への手紙は、届きませんでした。


永禄11(1568)年12月、曳馬城が落城しお田鶴の方が討死にする。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと35年1ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名)

岡田 准一 (織田信長)

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))
音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))
波岡 一喜 (本多忠真)
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溝端 淳平 (今川氏真)
田辺 誠一 (穴山信君)
橋本 さとし (山県昌景)
柴田 理恵 (老婆)
関水 渚 (田鶴)
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ムロ ツヨシ (木下藤吉郎)
渡部 篤郎 (関口氏純)
真矢 ミキ (巴)
松重 豊 (石川数正)

里見 浩太朗 (登譽上人)

野村 萬斎 (今川義元)

阿部 寛 (武田信玄)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・国友 茜
演出:村橋 直樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第12回「氏真」

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