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2023年3月 7日 (火)

プレイバック徳川家康・(12)人生の岐路

強大を誇った今川家は滅亡し、家康は武田信玄の圧力をまともに受けることになったが、その信玄は、後ろの北条氏に対決を迫られてすぐには家康を圧迫することはできなかった。そうした折、織田信長から家康の浜松城へ使者が来た。使者は、藤吉郎改め木下秀吉である。

秀吉は花見に京へと家康を誘いますが、その目的が越前攻めだと察知されて恐縮しています。信長と家康が他にバレないように京で落ち合い越前へ向かうためには、相撲興業と称して近畿一帯から伊勢にかけて浪人武者を集め、旗本衆には見物を許すとして京に軍勢を集結させるのです。秀吉はこちら側の手の内をすべて明かしたと、家康を見据えます。「相成った。花見と相撲興業のお招き、喜んで勧進仕ろう」

元亀元(1570)年4月、将軍義昭に不安を残しながら織田・徳川連合軍は京を出発し、越前攻めのために破竹の勢いで進撃します。信長の妹・お市が嫁いだ小谷城には連合軍の進撃が伝えられていました。天下統一のために反抗する者たちを滅ぼしたい信長と、信長を嫌って織田との盟約の破棄を迫る朝倉義景や浅井久政との板挟みにあって、浅井長政は苦しんだ末に久政に従おうとしていました。

律義な長政は、信長に誓書を返却してきました。浅井の裏切りに信長は、一乗谷に朝倉を攻め、引き返す手で浅井を滅ぼすと激昂します。軍議に同席していた家康は、長政の律義さを生かし、使者が小谷に戻り生真面目に軍勢を調えている今こそ撤兵すべきと進言します。敵は朝倉だけではなく、京も岐阜も心もとないわけです。家康と秀吉がしんがりを務めるということで決着し、信長軍は陣払いして撤兵します。

将軍足利義昭の招きを受けて京二条邸の茶会に出た濃姫ですが、信長に対抗するために武田信玄に上洛を促す密書を送ったと打ち明ける義昭の声を聞いてしまいます。現に浅井氏は信長に反旗を翻し朝倉と挟み撃ちをしているとあって、もしかした信長はすでに亡き者かもしれない……。濃姫は真っ青になって二条邸から下がってきます。

しんがりとしてその準備に忙しい家康ですが、秀吉に先に引き上げを求められて戸惑っています。足軽の子である自分の命は亡くしても大したことないと寂しそうに笑う秀吉は、家康は名門でこれからどれだけ伸びていくか分からないからこそ、今は命を捨てるべきではないと諭します。家康は秀吉の手を握ってその武運を祈りつつ、秀吉の言に従って先に引き上げることにします。

岐阜城に戻った濃姫は、留守を預かる福富平左衛門にすぐに浅井攻めできる用意を求めます。浅井が織田を裏切ったと言っているのに、それが本当かいぶかっている平左衛門に、越前へ向かう浅井の背後を襲う支度にかからせたのです。この配慮によって小谷城を攻めるとの情報が方々に放たれ、信長は急速に岐阜へ兵を帰すことが出来ました。

家康の見通し通り浅井軍は信長軍の退路を断つに至らず、家康も無事に浜松へ帰還します。出迎えたのはお愛です。そして岡崎を素通りされた瀬名は、家康への怒りと寂しさから、いつも金を届ける勘定方の大賀弥四郎と不倫してしまいます。瀬名が家康の愛情を欲していると感じた弥四郎は、その責任を取って切腹しようとしますが、瀬名がそれを阻止します。

 

1ヶ月後、第二次浅井・朝倉攻めで出発した家康は、息子の徳川信康と対面するために岡崎城に立ち寄ります。信長のための戦だと陰口をたたかれつつある中で、信長が天下布武を示した時に徳川がどうあるべきか、相手にすがれば必ず風下に転落するものだと信康を諭します。そして瀬名ですが、病気を理由に家康に顔を見せることはありませんでした。

家康は姉川付近で再び信長と合流します。激戦地への攻撃を希望する家康に、信長はそんなところにはやれないと笑います。織田のみで戦うなら浜松へ引き上げると言い退ける家康。織田と徳川が仲違いをしたと見られるか、織田は徳川の助力も必要ないほどに自信ありと見られるか。大笑いした信長は、いったん自身が陣決めしたものを覆し、徳川軍に先陣を任せることにします。

「この戦、三河勢の真価を天下に示す戦ぞ! ひるむな!」と家康は号令し、姉川を渡って向こう岸の敵と激しく衝突します。「姉川の合戦」と呼ばれたこの戦は、家康は自身の力を信長に示すために腕を振るい、信長は家康に意識を置いて戦います。浅井・朝倉との戦いだけではなく、家康と信長との戦いでもあったわけです。そして戦は織田・徳川連合軍の勝利に終わります。

 

翌 元亀2(1571)年10月。竹之内波太郎の元に金蔵が報告に戻ります。小田原の北条氏康が死に、自身の娘を北条氏政に嫁がせていた信玄は、これまで北条に割いていた軍勢をも浜松へ集約することが出来るようになったわけです。波太郎は銀蔵に、この事実を織田と徳川へ知らさせます。問題は信玄がいつ浜松に向かってくるのか? いずれにしてもしばらく武田に注目する必要がありそうです。

元亀3(1572)年夏の終わり、万全の布石を敷いた信玄は勝頼に、機は熟したと家康領内に触れさせます。敵の強大さを知ると、臆するか慎重になるか。織田・徳川の同盟の結びつきが強いからこそ、そこに揺さぶりをかけるのです。二度とない上洛戦を齟齬なく遂行するため、信玄は越後上杉への備えを強めることにします。

勝頼は信玄とは違う徳川へのくさびを打とうとしています。弥四郎の推挙で瀬名に近づいた減敬が、あやめを信康の侍女として岡崎へ送り込むのです。信康と徳姫が仲睦まじく、それを瀬名がひがんでいるのを利用したい勝頼は、信玄とは違い上杉よりも徳川に注力すべきと考えていました。瀬名の不倫は勝頼にとって格好の標的となったのです。

家康は毎日のように浜松城を出て巻狩りに向かっていました。ただし巻狩りとは名目のことで、その実は信玄が攻めてきたときにどう対処しようかいろいろ考えていたわけです。自分が死んではすべてが終わるからと慎重にならざるを得ない家康ですが、本多忠勝はそんな家康をからかいます。城を出て戦うにも、その覚悟がなかなか決まりません。

甲府を出て10日後には浜松を大軍が取り囲まれるであろう中で、本多作左衛門は家康には頬被り(しらんぷり)をしていてほしいと願っています。本流をわざと避け、叩けるほどに緩やかな流れになった時を狙うのです。まだ見ぬ不気味な敵にどう立ち向かうのか、家康のみならず家臣たちも心を痛めていました。

人の動きにつれて動く運命と、運命に連れて動く人生があり、運命を絶対と見れば諦めに通じる──。未亡人だったお愛が家康に見初められて仕えることになったのも、その考えがあってのことです。世間にどう映ろうと家康を信じ動く。その考えに納得した家康は、欲するままに道を進む……枕元を黙って通って行かれるのは我慢ならないことで、甲州兵はひとりも通さないという結論に達します。

武田に備えて家康が信長に援軍を要請したとしても、四方八方に敵を作って忙しい信長は浜松に援軍を送ることは難しいと思われます。そして波太郎も今回ばかりは家康の加勢はできなさそうです。随風は、信玄があとどれぐらい生きられるかと見ていますが、やれることといえば家康の武運を祈ることしかありません。

52歳、円熟の極みに達した武田信玄は、まさに戦国の巨獣である。その巨獣がついに大軍を率いて甲府を発した。元亀3年10月3日のことである。そして家康も運命の岐路にあって、巨獣に立ち向かおうとしていた。


元亀元(1570)年6月28日、近江国姉川河原で織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が戦う。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと32年7ヶ月──。

 

原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
池上 季実子 (瀬名)
役所 広司 (織田信長)
藤 真利子 (濃姫)
宅麻 伸 (徳川信康)
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武田 鉄矢 (木下秀吉)
佐藤 慶 (武田信玄)
江原 真二郎 (石川数正)
田中 好子 (あやめ)
高岡 健二 (本多忠勝)
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長門 裕之 (本多作左衛門)
竜 雷太 (随風)
竹下 景子 (お愛)
石坂 浩二 (竹之内波太郎)
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制作:澁谷 康生
演出:加藤 郁雄

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『徳川家康』
第13回「三方ヶ原合戦」

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