« 大河ドラマどうする家康・(18)真・三方ヶ原合戦 ~徳川の命運は? 激戦の真相~ | トップページ | vol.297・大うそつきからの転生 »

2023年5月16日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(19)三木城攻略

信長から殺せと命じられた人質、黒田官兵衛の子・松寿丸を、信長の命に背きねねが密かに尾張中村在の寺へ匿ってからひと月が過ぎていた。天正6(1578)年・秋。松寿丸は早朝から寺の拭き掃除に励んでいます。松寿丸の無事を一心に祈り続けるねねのところへ、中村から進之介が戻って来ました。匿っていることは周囲に気づかれていないようで、まずは上首尾です。

荒木村重を説得に有岡城に乗り込んだ黒田官兵衛が戻らないとあっては、信長が疑うのも無理はありませんが、ねねはそれでも官兵衛が信長を裏切ったとは考えにくいわけです。こんな時に進之介がいてくれて、どれだけ心強いかとねねは進之介に頭を下げますが、明日は秀吉の名代として坂本城に行かなければならず、とても気の重い役目です。

翌日、細川忠興に輿入れをする明智光秀の娘・おたまの祝いに坂本城を訪れます。かつて信長が美濃立政寺へ足利義昭を迎えた時に接待役としてねねが上がり、義昭の家臣だった光秀と対面したことがあったのです。光秀は、その時からねねは変わらないと笑いますが、人の運命は分からないものだとため息交じりです。「明日は誰を味方にし敵とするか……乱世とはうとましいものよ」

天正6年・秋、明智光秀は信長の命により播磨と北を接している丹波を攻めていた。が、丹波の豪族・波多野氏の八上城をなかなか落とすことが出来ず、城を包囲したまま翌天正7(1579)年5月を迎えていた。業を煮やした信長は、秀吉の弟・秀長を援軍として送った。焦った光秀は、自分の母を人質として八上城に送り、八上城に立てこもる波多野氏の三人の兄弟を誘い出し、安土に送って信長に和睦を申し入れさせた。

信長は申し出を一蹴し、磔の刑を下します。波多野はもちろん、母を送り込んだ光秀のやり方も信長は許せないわけです。磔と聞いた光秀は驚愕し、秀長は敵に知られる前に母親救出を勧めますが、時すでに遅く。城内から送られた首桶には、光秀の母の首が入れられていました。光秀は首桶を抱きかかえ、悲しみに肩を震わせます。「おのれ信長め……母を人質にまでしておるのを承知で……!! 人間ではないわッ」

 

八上城から秀長が戻り、光秀が功を急いだのだと秀吉はつぶやきます。三木城を包囲してもう半年が経ちますが、秀吉は力で攻めるだけが戦ではないと、敵の兵糧が尽きるまでじっくりと時間をかけるつもりです。それでは女や子どもまで苦しめることになると秀長は訴えますが、しのが城内にいるからだと悟った秀吉は、女たちを苦しめる前に別所長治は降参してくると笑います。

そこに現れたのは毛利方の武将・宇喜多直家です。春ごろから信長に味方し、秀吉に助勢しています。備前美作の城を落とすなどその働きは目覚ましく、秀吉は信長に報告して直家への朱印状をいただいてくると笑います。とはいえ信長の手前、直家の次男・秀家を人質として預かるつもりです。

手習いをしている於次丸と孫七郎ですが、飽きっぽい性格の孫七郎は、松寿丸がいれば於次丸と比べられることもなかったのにと不満がたまる一方です。松寿丸のことは忘れるように厳しく言うねねに、「どこぞで生きておられるような気がいたします」と於次丸がつぶやきます。於次丸に遊んでくれとせがむ豪は、孫七郎の弟・小吉にいじめられて泣き出してしまい、ねねとともは二人を諭しています。

直家を連れて秀吉が長浜に戻りますが、ねねは人質を預かるのはもう嫌だと訴えます。秀吉が勝手に宇喜多の所領を安堵したのが信長は気に入らず、安土に赴いても門前払いです。だからこそ、ねねに秀家を守ってほしいわけです。手柄のためには母も妻も子も犠牲にせねばならぬとつぶやくと、秀吉も同じことをするのかとねねは目をむきます。「背に腹は代えられぬのう」

摂津で謀反を起こした荒木村重が城を追われ、有岡城は落ちました。そしてその城内には、黒田官兵衛が息も絶え絶えの状態で石牢に閉じ込められているのが発見されます。そして松寿丸が中村の寺から戻り、ねねは松寿丸を抱きしめて辛い思いをさせたことを詫びますが、杉原家次によると、松寿丸を安土城に連れてくるようにとの秀吉の伝言です。

秀吉が信長の元に上がると、脇には官兵衛が座っていて、その姿に秀吉は驚きます。よく耐えたと信長は目を細め、褒美をとらせようと言います。「一目松寿丸と会うことお許しを……他には何も望みませぬ」 信長の顔色がサッと変わり、それはできないと言いにくそうに答えますが、秀吉はねねが松寿丸を連れて来ていることを伝えます。信長が目通りを許し、官兵衛と松寿丸の再会が果たせました。

黒田官兵衛は終世を秀吉の参謀としてその手腕を発揮した。息子の松寿丸は後の黒田長政で、関ケ原の合戦の時にはねねの意を汲んで徳川方につき、東軍の先陣を務めた功により筑前53万石を領する大名となる。信長は松寿丸を連れて国元に戻ることを許し、信長の命により松寿丸人質の件は終わりとなりました。

安土の宿所でふたり酒を酌み交わすねねと秀吉ですが、知るはずもない秀吉から、松寿丸を安土へ連れてくるようにとの伝言にはさすがのねねも驚きでした。そもそもねねが松寿丸を殺せるはずがないと考えた秀吉は、ねねがどこかへ匿っているはずだと信じていたわけです。秀吉の参謀である竹中半兵衛はすでに亡く、松寿丸を殺していたら官兵衛もどうしていたか分からないと、秀吉はねねに頭を下げます。

秀吉は長浜に寄ることなく官兵衛とともに三木城攻めに戻りますが、ねねは兵糧攻めは人を斬るよりもっとむごいことだと訴えます。秀吉もむごいとは分かっていながら、別所長治がなかなか降伏しないわけです。城内にはしのがいて、秀長の胸中も考えてあげてほしいとねねは食い下がりますが、秀吉はねねを怒鳴ります。「これは戦ぞ! 私情で動くことではないわッ! 口出しは無用じゃッ」

 

天正8(1580)年正月、三木城内の飢餓状態が極みに達し、秀吉は機が熟したとみて三木城への総攻撃を命じます。夜、ほどなくして城内から降伏の使者が出て来ました。長治と弟と叔父の三人が切腹し、城内の者は助けてほしいとの申し出に、秀吉は二つ返事でこれを受け入れます。そして城内に酒を差し入れ、別れを惜しむようにと浅野長政に届けに向かわせます。

複雑そうな表情の秀長を呼び止めた秀吉は、しののことで自分を恨んでいるだろうと言葉をかけます。しかしこれしか方法がなく、これが最も犠牲を少なくできる方法だと秀長を諭しますが、秀長はそれには答えず、黙って出て行ってしまいます。秀吉が空を見上げると、綺麗な満月が浮かんでいました。天正8年正月17日、別所長治が自害して、一年余りを費やした三木城攻めがついに終わります。

城内を見て回る秀長は、横たわる人につまずいて転ぶしのを見つけます。触るな! と泣き叫ぶしのですが、秀長が名乗ると、手を差し出して秀長を探そうとします。しのは、この飢餓攻めで視力を失っていました。しのは、秀長というお方は知らぬと、秀長の元から離れていきます。蜂須賀小六は乱暴は打ち首だと秀長をとがめますが、妻をと心に決めた人でようやく巡り合ったと小六に訴えます。

足元おぼつかないしのを秀長は追ってきました。兵糧攻めをしたばかりに多くの者が飢餓に苦しみ、しのも目が見えなくなったと詫びを入れますが、しのは秀吉に背いた別所家に奉公していただけに、秀長の妻になれるような女ではないと拒絶するのです。「もう戦は終わった! わしが目となり杖となろう」と秀長はしのに言葉を尽くして求婚します。しのは心を開き、秀長はしのを抱きしめます。

小六からの報告で、秀長が本気でしのを妻にしようとしていると知った秀吉は、但馬出石城主だから立場を考えろと秀長を叱責します。何かが切れた秀長は、しのと一緒になれないのであれば城は要らぬし、いざとなれば中村に引き上げると宣言。秀長は、しのには指一本触れさせないと言い置いて秀吉の元を去っていきます。

長浜では、しのと秀長の結婚に秀吉が反対していることがねねからなかに伝わり、あのたわけが! となかは苛立ちます。羽柴軍はまもなく長浜に戻ってくるわけで、ねねは「これはどうあっても秀吉どのと一戦交えねばなりませぬのう」とニヤリとします。味方となってくれるなかは、秀吉は手ごわいと忠告しますが、戦はここでするものです とねねは指をこめかみに当て、なかと大笑いします。

結婚して19年、ただ夢中で秀吉についてきたねねも、このころになると秀吉のおかかとしての貫禄もついてきた。秀吉にも手ごわいしたたかなおかかに育っていた。


天正8(1580)年1月17日、別所長治一族が切腹し、1年10ヶ月に及ぶ三木篭城戦が終了する。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと23年──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
──────────
[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
浅芽 陽子 (やや)
尾藤 イサオ (浅野長政)
泉 ピン子 (あさひ)
──────────
藤岡 弘 (織田信長)
田中 好子 (しの)
岡 まゆみ (おたま)
長山 藍子 (とも)
──────────
赤木 春恵 (なか)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
──────────
制作:伊神 幹
演出:富沢 正幸

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第20回「秀長の祝言」

|

« 大河ドラマどうする家康・(18)真・三方ヶ原合戦 ~徳川の命運は? 激戦の真相~ | トップページ | vol.297・大うそつきからの転生 »

NHK大河1981・おんな太閤記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大河ドラマどうする家康・(18)真・三方ヶ原合戦 ~徳川の命運は? 激戦の真相~ | トップページ | vol.297・大うそつきからの転生 »