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2023年5月19日 (金)

プレイバック徳川家康・(21)信康追放

信長からの難題で、我が子を処罰しなければならない家康は、200人の手勢を率いてものものしく岡崎城に乗り込んだ。屋敷を取り囲まれる徳川信康はその数に驚きますが、腰刀を預かると言われて初めて、事の重大さに顔色を変えます。「決して大殿にお逆らいこれなきよう」と平岩親吉に諭され、信康は抵抗なく家康の前に現れます。

家康は信康に、この日限りで岡崎城を追放し大浜で謹慎せよと命じます。大浜で鷹狩りでもしろというのかと信康は笑いますが、家康はこれをたしなめます。鷹狩りに際し罪のない僧侶を斬り、小侍従を手討ちにし、武田勝頼に内応して瀬名とともに家康を討とうとした。これだけでも大罪であるわけです。信康は暴れて抵抗しますが、親吉らに掴まれて抑え込まれます。

徳姫さまはむごいお方じゃと、誰もがこの悲劇を徳姫の告げ口を思い込んでいました。信康に付き従うのは小姓の初千代のみで、榊原康政と野中重政の護送隊に守られて岡崎城を出発していきました。家康は、築山御殿を包囲して外部との出入りを禁じ、徳姫の身辺を固めます。徳姫を守り抜く代わりに瀬名を斬るつもりでいるのです。

築山御殿の周囲には竹矢来(たけやらい)が組まれ、徳姫にも警護兵がつけられます。さらに家康は、どんなことがあっても信康と音信を交わさない誓書を家臣たちから取っていました。天下のためという大義名分をかざした信長の圧力に対し、家康もまた天下のために行動しなければならず、それはすなわち、我が子に対する切腹命令を下すことでした。

誓書をくしゃくしゃにして、家康は信康の運命を嘆き悲しみますが、その後姿を 雨の中を大浜から抜け出した信康が見つめていました。親吉に諭されて家康の苦悩を思い知った信康が、ただひとつ武田に内応したことだけは潔白を主張するために戻ってきたのです。家康はそれが未練なのだと突き放し、大浜で沙汰を待つよう命じます。信康は失意のまま大浜へ戻っていきます。

信長が信康に疑いの目を向けていることを知った徳姫は、信康の潔白を証明するため自ら安土に赴こうとします。信康は徳姫に疎まれていないと家康は初めて知りますが、結局は自ら下した命だからと徳姫の安土行きを認めませんでした。誰かが信康をどこかへ連れ去ってくれるかもしれない……。家康の心の中にも迷いが生じ始めます。

家康の決意が家中に伝わったことで信康の命乞いをする者はいなくなり、それがまた家康にはもどかしく感じていました。その間、信長からの書状が家康にもたらされます。「婿 信康、左様に父や家臣にまで見限られる上は是非も及ばず。向後の示し合わせのため、浜松どのの存分次第になさるべきこと」 岡崎城の大事に石川数正が駆けつけ、家康は明日信康の身柄を遠江堀江城に移すことを打ち明けます。

家康の焦りを感じ取った数正は、信康を救い出すために大浜へ。それを見送る家康ですが、傍らに信康が許しを請うていました。子を殺したいと思う親がどこにいると信康を諭す家康でしたが、そこに馬上の信長が迫って来て、アアッと声を上げた家康は信康をかばいます。床から飛び起きる家康は、それが夢だと分かると同時に現実を突きつけられたような厳しい表情を浮かべています。

浜松に近い堀江城に移された信康には家康の真意は伝わらず、親吉は逃げるように勧めます。身柄を移した処置から家康の迷いが見える親吉は、湖から小舟に乗って逃亡すれば切腹の話も宙に浮くと言い出すのです。岡崎に戻って家康の真意を確かめ、責任は自分がすべて取るという親吉でしたが、一切の申し出を拒絶する信康は、湖が見える障子をパタンと閉めてしまいます。

拒絶した信康も、あるいはと動揺し始めますが、未練だ と家康に言われたことを思い出します。振り返るとそこには随風が立っていました。随風は家康を知っていると打ち明け、瀬名が信康を身ごもった際も「この乱世になぜ子は産まれるのか」と家康が問いかけたことを話します。子と母のために一番苦しんでいるのが家康だと諭すのです。

家康は祈る気持ちで信康逃亡の知らせを待ちますが、その日も奇跡は起こりませんでした。築山御殿に瀬名を訪ねた家康は、信康は自ら助かろうとしないし、家臣たちは助け出したい自分の気持ちを汲んでくれないと愚痴をこぼします。瀬名はバカにしたように笑って、生き残って“子殺し”の名とともに苦しめと瀬名は家康を突き放します。

戦いのために単身で浜松に行ったのも、岡崎に瀬名と信康を残したのも誤りで、その結果敵方に内応されたのは負けだったと家康は認めます。信康が助かろうとしないのもその誤りの報いかもしれません。信康の命が助かるなら自分の首を織田にとまで懇願する瀬名に、今川義元の姪が織田に憐れみを請うのはどうかと問いかけます。「自害は許さぬ。自害は織田に屈することぞ」

家康は大久保忠隣(ただちか)を呼び、二俣城にいる父の忠世に堀江城の信康を引き取るように伝えます。家康の気持ちを汲んで信康を助けたい作左衛門ですが、家康の命令に背いて助け出すわけにもいかず、ここは信康自ら逃亡するしかないと言い出しますが、数正は信康が切腹するしかないと諦め顔です。今回はそれほどがっちりとはめられた織田の罠だったのです。

信長の嫡男・信忠よりも、信康の方が優れているからつぶそうとしていると作左衛門は声を荒げますが、徳姫に聞こえると数正はたしなめます。徳姫による信康の命乞いも本物らしいと分かった今、最も危険なのは瀬名と酒井忠次の身であり、数正は作左衛門にしっかりと岡崎を固めるように説得します。わしはますます鬼になろうぞ……作左衛門の言葉に、大きく頷く数正です。

岡崎から浜松に戻った家康のところに、織田からの使者が訪れます。信康を追放した後の処置についての確認なのですが、信康は二俣城に移し、瀬名は岡崎の御殿の居間に竹矢来を組んで捕えていると伝えて安土へ帰します。使者の訪問は信康の処置をこれ以上引き延ばせないことを意味すると数正は言うのですが、家康は瀬名に天寿を全うさせたいのです。その直後、家康はふらつき倒れてしまいます。

風邪を引いてと言って床に入った家康は、全身の節々が抜けるようなだるさで熱にうなされています。お愛は家康の手を握って看病していますが、家康はムクッと起き上がると、瀬名と信康を手元に置かなかったことを悔いています。「おじじどの……おばばどの……お許しくだされ……家康の油断でござりました……信康を頼みまするぞッ」


天正7(1579)年8月4日、家康の命により松平信康が岡崎城を出て大浜城に移される。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと24年6ヶ月──。

 

原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
池上 季実子 (瀬名)
役所 広司 (織田信長)
宅麻 伸 (徳川信康)
田中 美佐子 (徳姫)
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江原 真二郎 (石川数正)
高岡 健二 (本多忠勝)
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長門 裕之 (本多作左衛門)
竜 雷太 (随風)
竹下 景子 (お愛)
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制作:澁谷 康生
演出:加藤 郁雄

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『徳川家康』
第22回「落花有情」

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