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2023年5月12日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(18)人質松寿丸(しょうじゅまる)

播磨・但馬の平定が一段落した秀吉は、信長への報告にねねを連れて安土へ行き、天正6(1578)年の正月を久しぶりに夫婦水入らずで過ごすと、意気揚々と長浜へ帰ってきた。まさしく秀吉にとっては我が世の春である。

信長に乙御前の茶釜を拝領し、茶の湯が許されたと秀吉は笑うと、ともは秀吉がそれだけ偉くなったのかと目を細めます。上機嫌の秀吉は、跡継ぎとして信長四男・於次丸をいただいたことを伝えますが、それがねねの申し出であると知って、ともは複雑な表情を浮かべます。その後、於次丸と羽柴一門との対面が行われ、立派に挨拶をする於次丸ですが、一様に頭を下げる一門の中にあって、ともだけは無表情です。

ねねは於次丸を自分の手許で育てると言い出します。ねねは於次丸を槍の稽古に送り出しますが、支度も自分でするようにたしなめます。ねねの子育てににっこり微笑む秀吉は、小姓の進之介を呼び出してねねに仕えさせます。実は新之介は浅井家臣の娘で、実家の再興を願って正体を偽り仕官したわけです。身を固くする進之介を「何とけなげな、男も及ばぬ器量の持ち主」と秀吉は不問に付します。

そこに別所長治が毛利方へ寝返ったと、黒田官兵衛からの知らせが舞い込みます。ねねはしののことが頭をよぎります。しのは別所家に侍女として奉公しているのです。敵味方に分かれてしまったことで、ねねはそれとなく秀長を案じますが、長治謀反で秀長としのの結婚を認めなくてよかったと、秀吉は長治への怒りでそれどころではありません。

その日のうちに播磨へ取って返した秀吉は、ただちに別所長治の居城・三木城を囲んだが、毛利軍はすでに播磨の各所に入り、尼子勝久・山中鹿之介らが死守する上月城を包囲してしまった。播磨の危機を感じた秀吉はその年の6月、自ら安土へ走り、信長に援軍を請うた。

「援軍などもっての他! 三木城攻略が先じゃ」と信長は秀吉の要請を突っぱねます。このままでは上月城は敵の手に渡るわけで、尼子や山中らを見殺しのするのかと秀吉は食い下がりますが、大虫を生かすために小虫を殺さねばならぬと信長は聞き入れません。自分の苦しい心のうちを信長には理解してもらえない……。秀吉の顔は青ざめます。

長浜城に戻った秀吉は、そのまま居室に閉じこもってしまいます。いつもと様子がおかしい秀吉の姿に、さすがのねねも狼狽(うろた)えます。みつなら知っているかもとねねは事のあらましを尋ねると、みつは 播磨で戦うには兵が足りないと秀吉が信長に援軍を要請したのではと推測します。そんな秀吉が長浜に戻って来るとはとみつも意外な行動に驚いていますが、ねねは秀吉の考えが理解できたようです。

ねねは秀吉の大好きな雑炊を持って居室に向かいます。勧められるままに雑炊を食べる秀吉は、侍を辞めたくなったとこぼしますが、ねねも雑炊をかきこみながら、上に立つ者がそれでは家臣が浮かばれないと突き放します。あまりの言い方に立腹した秀吉は、毛利の息の根を止めて見せると息巻きます。ねねは神妙に「胸中お察しいたします。ご無事で」と送り出します。またもねねに乗せられてしまったのです。

上月城を見捨てられない秀吉でしたが、毛利軍に敗れてやむなく撤兵します。秀吉来援も望めず兵糧も尽きた上月城は、6月21日に毛利の軍門に下り、勝久は自害し鹿之介も敵に討たれます。ふたりを助け出すことが出来ず、むざむざ敵の手にかかって失ったことで、秀吉は涙ながらに詫びています。蜂須賀小六は弔い合戦として長治を討とうと秀吉を励まします。

秀吉は三木城攻めに全力を注ぎます。10月、秀吉は初めて茶の湯を主宰します。器や掛け軸の講釈を垂れる秀吉を見て小六は大笑いし、茶の湯は面倒だと言って弟の又十郎に止められますが、秀吉はいたって真面目です。途中で甚助が荒木村重謀反を知らせに来て声を荒げる小六ですが、秀吉は小六をたしなめます。

村重謀反は中国攻めに苦しむ秀吉を窮地に立たせます。村重と昵懇である黒田官兵衛は、自分が有岡城へ行って村重に思いとどまるように説得してくるとつぶやきます。今さら翻意しないのではないかと秀長は半信半疑ですが、結局官兵衛は単身で有岡城に乗り込みます。しかし意に反して村重は官兵衛を城内の石牢に幽閉してしまいました。

秀吉の元に戻らない官兵衛について、村重の手にかかったのではないかとの声が上がる中、信長は官兵衛がもともと毛利方の人間であることから、村重と同じように寝返ったと決めつけます。他への見せしめのため、信長は官兵衛の人質である幼い松寿丸を斬るように秀吉に命じます。

ねねのもとに播磨から嘉助と弥五六が到着しました。秀吉からの文に目を通したねねは、その内容に顔から血の気が引いていく思いです。信長の命となれば秀吉も逆らうことが出来ないと家次はつぶやきますが、納得できないねねは安土城に行って信長に直々に訴えると言い出します。女の出る幕ではないと家次に止められます。「分かりました……松寿丸どのは私がお守りするまでじゃ。誰の手にも渡しませぬ」

ねねの意向を聞いた弥五六は、秀吉軍師・竹中半兵衛が松寿丸を殺してはならないと言い、蜂須賀小六らも同意したと打ち明けます。嘉助は弥五六の発言に「おぬし……」と絶句します。もし松寿丸を生かしたことが露見すればそれは半兵衛が一存でやったと責任を取ると知り、いざとなれば自分も責めを負うつもりのねねに家次は反発しますが、松寿丸を手にかけるなら自分を斬ってからと一蹴します。

弥五六の見張りの中、松寿丸と向き合ったねねは、松寿丸にはいずれ事情は話す時がくると諭し、松寿丸をしばらく寺に預けることにします。なかが中村まで松寿丸を連れて行き、気心の知れた住職に頼み込むことにします。女性の姿に戻った進之介となかが並んで歩けば、誰も母と娘の長旅と信じ込ませることはできそうです。進之介は松寿丸を隠したかごを背負い、なかとともに長浜を出発します。

ともときいはなかが黙って中村へ発った文句をねねにぶつけます。そして松寿丸がいなくなったと於次丸や孫七郎が騒ぎ出します。ねねは松寿丸は遠い所へ行ったとつぶやきますが、それが人質である松寿丸を殺したことだと即座に理解します。ともは言葉を失い、孫七郎は松寿丸を返せとねねに掴みかかります。見損なった! ときいはねねを睨みつけ、於次丸もねねの前からいなくなってしまいました。

いつか城中では松寿丸は密かに殺されたものと信じられていた。ねねは信長が怖かった。いつ見破られるか。薄氷を踏む思いの毎日であった。 寺で奉公する松寿丸の様子を見守るなかは、優しい言葉をかけてあげながら松寿丸の懐にもちを差し入れます。
そのころ長浜城では、木枯らしを見て松寿丸を案ずるねねの姿がありました。


天正6(1578)年7月、羽柴秀吉の軍に属し三木城攻撃に加わっていた荒木村重が有岡城に帰城し、織田信長に対して謀反を起こす。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと24年7ヶ月──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
尾藤 イサオ (浅野長政)
せんだ みつお (嘉助)
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藤岡 弘 (織田信長)
長山 藍子 (とも)
津島 恵子 (こほ)
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赤木 春恵 (なか)
泉 ピン子 (きい)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:宮沢 俊樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第19回「三木城攻略」

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