プレイバックおんな太閤記・(15)秀長の恋
天正4(1576)年 秋、秀吉の嫡男・秀勝の突然の死は、長浜城を、ねねの胸を秋の風のように吹き抜けた。千種と秀勝を迎えて一年半、今は幸薄かった秀勝も、その母の千種も、ねねには哀れでならなかった。
羽柴秀吉に暇(いとま)を出された千種に、ねねは長浜城で暮らす道を勧めます。秀勝を介抱するねねの姿に気持ちを入れ替えた千種は、これまでのねねに対するわがままを詫び、黙ってここを去ると言い出します。「人の憐れみや情けを受けるよりも、自分の力で生きる道を選びとうございます」 秀勝の位牌を手に、涙を流す千種です。
千種が城から出て行ったことで、ねねへの心配はなくなったと、なかが中村へ帰ると言い出します。きいに聞いたねねはなかを説得しますが、なかなか曲げてくれません。そこに播磨からみつが戻って来ました。秀吉たちは間もなく長浜に戻るそうで、その時に羽柴秀長は綺麗なひとを連れてくるとの言伝(ことづ)てで、将来の秀長の嫁には会っておきたいと、なかは仕方なく長浜に残ることにします。
播磨ではしのが畑仕事をしていました。しのは山道で迷って難渋する秀長を助け、面倒を見てくれた恩人です。秀長はしのの温かい心遣いに触れ、生涯の伴侶にしたいとしのに思いを伝えます。幸い小寺官兵衛との折衝もうまく進み、近々長浜に帰る機会を得て、秀吉とねねに紹介するつもりです。身分の差を心配するしのですが、秀吉も秀長も元は百姓だし、ねねも理解ある人だからとしのを安心させます。
その年の暮れ、ねねの妹・ややに初めて子が生まれた。男の子であった。ややの幸せそうな顔を見て、ねねは子に恵まれない自分がまた辛かった。翌 天正5(1577)年1月、京から秀吉が、播磨から秀長が、いよいよ中国出陣に備え相次いで長浜に帰って来た。久しぶりの家族の再会に、長浜城は華やいでいた。
こほが止めるのも聞かず、ねねは腕を振るって秀吉たちの食事を用意します。これぐらいしかやることがなくなったとねねは笑いますが、秀吉は「皮肉か?」とムッとします。とはいえ千種の件をねねに任せて秀吉はとっとと京に向かっていたわけで、その後始末がどれだけ大変だったかとなかはねねをかばい立てします。
続けてなかは、秀長に早く嫁が見たいとせがむのですが、秀吉は「何の話よ?」と秀長をギロリと睨みつけます。播磨の武将・別所長治の足軽の娘と聞いた秀吉は、秀長の妻は自分が決めるとしのを追い返せと命じます。ねねは秀吉を止め、なかは秀吉に反発しますが、秀吉の怒りは秀長に同行した嘉助にまで飛び火してしまい、きいも秀長も嘉助をかばって秀吉に言い返します。
側女なら目をつぶるが正室としては許さないと言う秀吉に、秀長は「わしは兄者とは違う! 側女など置くつもりはない」と反抗し、取っ組み合いのけんかになります。なかは大声で秀吉の非を叫び振り返った秀吉は、その場の者たちの自分への目が怒りや憐れみがこもっていると感じて出て行ってしまいます。ねねは秀長に自分が良しなに図らうと言い、秀吉の後を追っていきます。
ねねは、秀吉が足軽の娘である自分を迎えてくれたのに、なぜ秀長には反対するのかと落ち着いた口調で尋ねます。秀吉は、秀長の妻にはそれ相応の人であってほしいと願うし、もしかしたら信長の縁者もあり得ると考えています。足軽大将でも分不相応だと感じていたねねは、秀吉はまだ出世したいのかと呆れます。
秀吉の本音は、自分が信長の勘気に触れて首が飛べば家族や家臣、家臣の家族たち数千も路頭に迷うわけで、何としても羽柴家を残さなければならないのです。信長の下で生きる術は、信長と親類縁者になることなのです。「秀長に勝手な真似はさせぬ。いやできぬようになってしもうたのよ。12万石になればなったで背負うておる荷も重くなる」
翌日、秀長は城下に預けているしのを呼び出します。しのは秀吉やねねに気に入ってもらえるのかと心配している様子ですが、急がなくてもいいと秀長は微笑みます。とはいえもうすぐ秀長は播磨へ向かうわけで、それまでにはきっと会わせると約束する秀長に、しのは「やはり」と話がうまくいっていないことを悟ります。しかし今は秀長が言うように、待っているしかありません。
長浜城内では、秀長がしのに会うことを反対し出したともに、なかはしのが播磨から覚悟を決めて来たのだから会ってやらねばと諭します。秀長の立場となれば女はしのだけではないのにと呆れているきいに、今度はねねが夫婦は生涯連れ添うものだと周囲の裁量で決められるものではないとつぶやきます。
待てと秀長に諭されたしのでしたが、播磨へ戻ることを決断します。ねねが軍議中の秀長に急いで知らせ、一度は追おうと座を立つ秀長でしたが、秀吉に叱責され思いとどまります。しのが覚悟を決めたのなら追っても無駄だと諦め、秀長はいろいろ尽くしてくれたねねに詫びます。なかは秀長が心配で中村に戻れませんが、ねねは中村の家も建て替え畑も作り、なかがいつ中村に戻ってもいいようにしています。
間もなく秀吉と秀長は播磨へ入った。以前から信長に内応していた御着城(ごちゃくじょう)城主・小寺政職(まさもと)の家臣、小寺官兵衛孝高(よしたか)と対面。官兵衛は信長に二心のないことの証として、7歳になる息子・松壽丸を人質に差し出した。後に黒田と改めた官兵衛孝高は、その生涯を秀吉に捧げることになる。
秀吉はその後立て続けに播磨の諸大名を巧みに口説き落として、最大の勢力であった三木城城主・別所長治をも傘下に収めてしまった。西国計略の基礎固めはできたが、秀吉はなかなか中国攻めにかかれなかった。長浜へも帰れぬ秀吉に代わって、ある日秀長が帰って来た。
秀長は松壽丸を連れていました。信長の命で長浜城で預かることになったわけですが、とんでもないものを引き受けたと杉原家次は困り顔です。母親が恋しかろうとなかは涙を流し、ねねは松壽丸のお世話を買って出ます。ついでにねねは秀長に、しのとの進展を尋ねますが、しのは三木城に奉公に上がったとの噂もあり、接触はできていません。いずれまた播磨で会うこともあろうと秀長は寂しそうに笑います。
ねねは小姓たちに松壽丸を預け、男の子らしく遊ばせることにします。「ねねさもえらい子持ちじゃの」となかは笑います。そこに浅野長政が駆け込んできて、越前加賀に出陣する秀吉に合流するため、長浜に待機中の兵を率いて下ることになったと告げます。今は毛利に手を打たなければならない時ですが、上杉謙信が能登に向かい柴田勝家だけでは太刀打ちできないと、信長の命なのです。
秀吉は京から、秀長と長政は長浜から、合わせて8,000の手勢で加賀へ向かいます。毛利攻めが天下統一への近道と信じていた秀吉には、この命は不服でした。一方的に攻撃を仕掛けようとする勝家に対し、攻めるだけが戦ではないと主張する秀吉が真っ向から衝突し、この戦で役に立たないものがうろついても無駄だと羽柴軍は引き上げることにします。前田利家が必死に引き止めますが、秀吉は聞きません。
突然手勢を率いて帰って来た秀吉に、ねねは驚いた。理由を聞いて心臓が止まりそうになった。あれほど信長を恐れていた秀吉が、信長に背いたのである。ねねはわけが分からぬままただおろおろしていた。空威張りをなされて、こんなときおかかはどうすればよいのだろう。ねねは身を斬られるように辛かった。秀吉41歳、ねね30歳の秋のことであった。
天正5(1577)年10月、小寺(黒田)孝高の長男・松寿丸(後の黒田長政)が人質として信長の元へ送られる。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと25年3ヶ月──。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
朝芽 陽子 (やや)
尾藤 イサオ (浅野長政)
せんだ みつお (嘉助)
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滝田 栄 (前田利家)
田中 好子 (しの)
沢田 雅美 (千種)
長山 藍子 (とも)
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赤木 春恵 (なか)
泉 ピン子 (きい)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:宮沢 俊樹
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第16回「秀吉蟄居(ちっきょ)」
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