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2023年5月 9日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(17)乙御前(おとごぜ)の茶釜

天正5(1577)年10月、松永久秀を大和信貴山城に滅ぼして一応畿内の情勢が安定すると、秀吉は信長の命令で息つく暇もなく播磨へ入った。いよいよ中国攻めである。その資金調達の任務を負って、秀長は堺へ向かった。千 宗易に借金してこいというのである。

ねねは千 宗易という人物に興味を持ちます。杉原家次によると、宗易は堺の納屋衆で南蛮などと商いをしていて、茶の湯にも造詣が深く信長の信頼厚い人物とのことです。宗易と羽柴秀吉がどのような関係かは分かりませんが、借金して来いという任務を秀長が無事に果たしてくるか、ねねはそればかり心配しています。

堺の千 宗易の屋敷には秀長の姿がありました。秀長は、蟄居謹慎を命じられた秀吉が、信長に二心ないことを証明するために散財したことを正直に打ち明けます。いま出陣している播磨を切り取り次第(自分の領地にしていい)という約束を信長とかわしていて、借金も十分に返せると説明する秀長ですが、もし毛利などに阻まれて返済ができなかった時は、と懐から誓文を取り出します。

秀長は、もし借金が返せなければその形(かた)として、自分の命を差し出すというのです。秀長を見据える宗易は、よろしゅうございます、と話を受けることにします。金は惜しくないが秀長の命は惜しいと、ただただ勝ち戦を祈るばかりです。「筑前どのにあなたさまがおいでになる限り、ご武運の尽きることはございますまい」

宗易から借金できたと知りねねは安心しますが、借金してまで戦とは、となかは呆れています。ねねもなかと同じ考えを持っていたわけですが、信長の意向に背くものを裏から助けているのが毛利であり、その毛利の動きを封じ込め平和な世を作るためにも必要なことだと力説します。きいはふと、秀長は長浜を去ったしのと会ったかとつぶやきます。

 

秀吉はできるだけ武力に訴えず外交手腕で播磨を勢力下に置こうと努力していました。調略が実り服従を誓った諸将のうち、三木城主の別所長治と対面した秀吉は堅固な三木城を見渡して、もし長治に背かれたら容易に攻め落とせないと笑います。長治は侍女たちに祝いの膳を用意させるのですが、その中にしのがいました。顔を見てアッと驚く秀長としのです。

酒に酔った秀長は、廊下に出て風に当たっていました。そっと近づく小寺官兵衛は、臣従したとはいえここは敵中だと油断しないように忠告します。官兵衛から見て秀吉の懐に飛び込む作戦はとても心配ですが、それが秀吉の策だと秀長は胸を張ります。確かに人の心をとらえるための秀吉らしい策に、官兵衛は呆れつつも笑みをこぼします。

官兵衛が去ると、膳を下げるしのが現れます。しのは長浜から帰国後、長治の内室に侍女として奉公していたことは秀長も知っていたわけです。もう会うこともないと心に決めていたしのの背中に、秀長は言葉をかけます。「必ず迎えに来る……わしは諦めぬ」 実はねねとなかがしのを迎えに行ったことを伝えると、何ごとか言おうとするしのでしたが、秀吉が近づいてくるのを見て慌てて下がっていきます。

播磨を手中に入れると、秀吉は但馬にも兵を進めて岩州城を攻め、さらに竹田城をも攻略して秀長を竹田城の城代として守らせた。一城を預かった秀長は、またしのと会う機会を失ってしまった。それはまるでしのとのことを察した秀吉の企みのように秀長には思えた。

 

その年の暮れ、信長の右大臣就任の祝い言上で安土城に向かうため、秀吉が突然帰って来ました。播磨を手に入れたと知ってなかは戦が終わると喜びますが、戦はまだまだ続きます。祝い言上にはねねとややも同伴させます。ねねの同伴は信長の希望で、そしてややの夫・浅野長政が安土にいて会わせるつもりなのです。ちなみに嘉助は秀長ともに竹田城の守備、弥助は蜂須賀小六と姫路城にいます。

きいは嘉助も務めに励んでいるのに秀吉の側に置けないのかと不満顔ですが、多くの家来たちを残す中で身内だけを帰すわけにはいかないと、なかは珍しく秀吉の肩を持ちます。「藤吉郎はの、ねねさのお身内が大事なだけじゃ。藤吉郎の側近はみなねねさのお身内ばかり」とともが口を尖らせ、秀吉はムッとします。ややと顔を見合わせたねねは、秀吉に風呂を勧めて間を取り持ちます。

ともの一言にさすがの秀吉も堪(こた)えたようで、がっかりする秀吉ですが、「何もおっしゃいますな」とねねは優しく接します。秀吉がねねたちをかばってくれているのもわかっているし、ともの気持ちも十分理解できるのです。そんなことを気にしていては秀吉のおかかは務まらぬと笑い、秀吉もおかかの肝っ玉に笑みを浮かべます。

厨(くりや=台所)で食事の用意をしながら、ねねはややに安土ゆきを辞退してほしいと説得しますが、ややは聞きません。ねねは、ともやきいが面白くないのも分かるし、奥で波風を立てたくないというおかかとしての立場もあって、ややに頭を下げます。ややは、12万石のお方さまとなれば好き気ままに暮らせると思っていたのに、ねねは気の毒だとフッと笑います。

なかや孫七郎(ともの子)、豪姫たちに見送られて、秀吉とねねは安土に向かいます。この時の献上品の行列は、先頭が安土城玄関に着いても殿(しんがりは)城外の遥か彼方と伝えられるほど希有壮大なもので、信長の勘気が解けたことがよほど嬉しかったようです。電光石火の早業で播磨を平定したのも、信長の信用を回復したい努力が実を結んだものです。安土城参内は、秀吉の人生にとって大きな節目となります。

 

信長は酒宴を催しますが、秀吉の働きを認めてではなく、ねねを労わるためです。陰で支えるねねがいればこそ秀吉が活躍できると信長に言われ、ねねは今までの苦労が吹っ飛ぶ思いです。信長はねねに盃を取らせるため、四男於次丸に命じて運ばせます。そして秀吉には名器『乙御前』の茶釜を授けて、茶の湯を許すことにします。「筑前の忠勤、織田の武将多しと言えども右に出る者はおらぬ」

酒宴が終わり、茶釜を手に取って見つめる秀吉は、ねねが授かったようなものだと手をつき礼を言います。ねねは恥ずかしさのあまり、こんな茶釜がどうして……と触れようとしますが、触るなと秀吉に叱責されて ヒッ! と短い悲鳴を上げます。茶の湯が許されたということは、柴田勝家や丹羽長秀、明智光秀と肩を並べる武将になったわけですが、秀吉も茶の湯のことはあまりよく分かっていません。

難しい話は終わりと、秀吉はねねに酒を勧めます。秀吉がねねと結婚して16年、子に恵まれなかったねねですが、豪姫や孫七郎もいるし、官兵衛の子・松寿丸、市松と虎之助と佐吉ら小姓部屋の子を我が子と思って慈しんでいます。秀吉の跡継ぎについては、秀吉に子ができればいいが……と秀吉の指を反らせて睨みを利かせます。盃を運んだ於次丸のような利発な子が欲しいとねねはつぶやきます。

翌朝、秀吉はねねに、於次丸をいただけるように信長に願い出ることを提案します。信長は次男信雄を北畠に、三男信孝を神戸(かんべ)家に猶子に出しています。北畠も神戸も正当な大名で、足軽出身の秀吉とは違うわけで、これでまた信長の機嫌を損ねたらとねねは必死になだめますが、昨日の酒宴のお礼として上がった際に願い出てみようと、秀吉はねねをけしかけます。結局、ねねは再び安土城に参上します。

於次丸にも礼がしたいと、自ら選んだ品を持って現れたねねに信長は感心します。秀勝を昨年亡くし、於次丸を見ると秀勝が思い出されていたねねは、於次が気に入ったのか という信長の言葉に触発されます。「上様……於次丸さまを私に!」 信長は大笑いし、母の愛を知らずに育った於次丸の母親代わりになってほしいと、ねねに於次丸を遣わせることにします。

宿舎に戻ったねねの様子に、ダメかと秀吉はガッカリします。秀吉に背中を向けていたねねは振り返ってニヤリ。於次丸をいただけることになったと報告します。「これで羽柴筑前守秀吉の首は安泰じゃ! 信長さまのお子の父御(ててご)となれば、もよやワシをつぶすようなことはなさるまい」と秀吉は本音を吐露してしまいます。秀吉の思惑にねねは困惑した表情を浮かべます。

秀吉にとって於次丸は、信長から人質を取ったようなものであった。また信長にとっても似たような意図があってのことである。秀吉の力量を買っていた信長は、それだけに秀吉を恐れてもいた。が、於次丸を養子にやることで、完全に秀吉を支配できるわけで、それが乱世というものなのかとねねはおぞましかった。於次丸が哀れに思えてならなかった。ねねは、これから手元で育てることになる於次丸が、ただただ愛しかった。と同時に、信長の子を預かる責任の重さを思うと、身の縮まるような不安に襲われるねねでもあった。


天正5(1577)年11月20日、正親町天皇は織田信長を従二位・右大臣に昇進させる。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと25年2ヶ月──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
朝芽 陽子 (やや)
長山 藍子 (とも)
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藤岡 弘 (織田信長)
田中 好子 (しの)
内藤 武敏 (千 宗易)
津島 恵子 (こほ)
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赤木 春恵 (なか)
尾藤 イサオ (浅野長政)
泉 ピン子 (きい)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:北嶋 隆

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第18回「人質松寿丸(しょうじゅまる)」

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