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2023年5月 5日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(16)秀吉蟄居(ちっきょ)

上杉謙信に対する柴田勝家軍の救援として加賀に派遣した羽柴秀吉が、勝手に戦線離脱したことに織田信長が大激怒。命に背いたのは謀反と同じと右筆の武井夕庵に秀吉の打ち首を命じます。夕庵は、秀吉にも言い分があるとかばい立てし、北国や畿内、中国にも敵を多く構えている今、秀吉に関わっている暇はないと信長を説得しますが、信長は自ら行って処分すると聞く耳を持ちません。

天正5(1577)年、秋。秀吉の能登の戦線からの離脱は大きな波紋を呼んだ。信長の激しい気性は骨身にしみている。どんな処罰が下るか、長浜城内は重苦しい不安に押しつぶされた。帰城してからの秀吉はひたすら眠っているようで、羽柴秀長は広がった動揺を鎮めようとしますが、蜂須賀小六は理不尽な沙汰が下された時には信長と戦をする覚悟があると言い出します。

秀吉の寝室を覗き見るねねとなかですが、秀吉が寝たふりをしていることに二人とも感づきます。恐らくああだこうだととやかく言われたくなく、ただひたすらに寝たふりをしてやり過ごしているのでしょう。なかは、今こそみんなで中村に帰ろうとねねに勧めますが、ねねは困ったような表情を浮かべます。「そのような暮らしに戻れることが出来たら……」

その直後、秀吉はねねに旅の支度を命じます。信長への報告がまだであり、今から安土に向かうというのです。小六は、安土行きは信長に斬られに行くようなものだし、秀吉が長浜にいれば信長への挙兵もできるのに、秀吉が安土に行ってしまったら手も足も出ないと反発します。秀吉は、信長の家来なのだから信長に盾突くことはしないと小六を睨みつけ、沙汰があるまで長浜でゆっくり過ごすように伝えます。

廊下で控えるねねは、安土に向かおうとする秀吉の顔をジッと見つめて、懐からお守りを秀吉に渡します。秀吉はそれを受け取ると、何も言わずに行ってしまいます。その背中をずっと見つめているねねです。重臣たちや小姓たちに見送られて、秀吉は長浜を立ちます。いたたまれず、小六は秀吉の後を追いかけていきます。

ねねはお豪と鞠で遊んでいます。ややは生まれたばかりの娘を抱いてあやし、庭では小姓たちが武将ごっこで戯れています。ともは秀吉の身に何かあったら、この子たちはどうなるのかと不安でしかありません。もともと武士になりたくなかった弥助は、いっそ中村に帰って百姓にやればいいと主張し、情けないことを! とともが呆れますが、なかも弥助に同調します。

案ずることはないと気休めを言うねねにややは反発します。秀吉を頼りにする家臣や親類縁者がたくさんいることに気づいていれば、意地や面目を貫いて無謀なことはできないわけで、秀吉は12万石の城主の器ではなかったと吐き捨てます。「思い上がったばっかりに、我らも飛んだ憂き目を見ることになったわ!」との一言にねねは思わずややを平手打ちし、ややは赤子を抱いたまま出て行ってしまいます。

静まり返った場で、浅野長政はややの暴言を丁重に詫び、秀長は兄も罪な人だと引きつった笑いを見せます。その場の空気を換えようと嘉助は酒だ酒だと騒ぎ立て、ねねは酒の用意を依頼するために出て行きます。きいは嘉助の首根っこを掴んで無理やり座らせ、ギロリと睨みつけています。

離れたところでややは赤子をあやしていました。通りかかったねねはややに寄り添い、そっと肩に手を乗せます。ねねの妹だからこそ、誰も言えない不満をみんなの前で代弁したややでしたが、本当はややも不安で仕方がないのです。ねねの穏やかな表情を見て、ややはねねの胸に顔をうずめて泣きじゃくります。

 

夜遅く、安土城入りを果たした秀吉は、薄暗い一室に閉じ込められます。中央に座す秀吉の周囲には、数人の武士たちが刀を片手にジッと秀吉を睨みつけています。そしてそのころ、夕庵に秀吉来訪を聞いた信長は「ようも図々しゅう……目通りは無用、斬るのじゃ!」と目をギラリと光らせます。その声が聞こえたか、武士たちは秀吉を囲んだまま立ち上がりニヤリとし、秀吉の顔が真っ青になります。

そこに信長に取り次いだ夕庵が入ってきます。夕庵は秀吉に「蟄居(ちっきょ)じゃ、追って沙汰する。それまでは長浜で謹慎せよ、と仰せじゃ」と告げます。秀吉は畳に手をつき、主張の機会を与えられなかったと爪を立てて悔しがります。そして信長は、秀吉に対する怒りを抑えきれず、刀を振り上げて提げてあった燈籠(とうろう)を切り落とします。

翌朝早く、秀吉が戻って来ました。無傷の秀吉に秀長たちは歓喜しますが、蟄居の命が下ったと言われて唖然とします。その後居室に向かった秀吉の姿にねねは驚きます。まさか生きては戻れまいと覚悟をしていたのですが、秀吉はねねがくれたお守りを出し、おかかを置いては死ねぬわと笑います。秀吉はふと12万石の不自由さを嘆き、2人きりで過ごしたころを懐かしがります。

安土築城の際に信長と対面し、以降も信長から暖かい心遣いをもらっているねねは、自分が安土に赴いて許しを得ることを提案しますが、秀吉は信長に許しを請うようなことはしていないと言い出します。天下統一に向けての秀吉なりの考えを信長に主張するために安土に向かったわけです。「女子の身で差し出がましいことを……どんなことがあってももう、ねねは黙ってお前さまについてまいります」

秀吉はお豪を抱きかかえ、お豪もご機嫌です。呑ん気ものの秀吉の身を案じているともときいですが、せっかく蟄居謹慎しているのだから、秀吉は今のうちに亭主の面倒を見てやれと笑います。このところ城下の町人たちが秀吉を見舞っていたらしく、ねねは町人たちを呼んで宴を開く支度をしていました。気晴らしになりましょうと背中を押され、秀吉はその宴に向かいます。

お囃子(はやし)が鳴る中、秀吉は町人たちと楽しそうに舞っています。秀長は町人たちに酒を振る舞い、みるみる酒がなくなっていきます。険しい表情の杉原家次は宴会をやめさせようと秀長をたしなめますが、秀長に気にする様子もなく、楽し気な舞に触発されたかその輪の中に入ってしまいます。いよいよ場の収拾がつかなくなり、家次はほとほと困り果てています。

ところが、大宴会はこの一夜だけでは済まなかった。来る日も来る日も秀吉は何かと名目をつけて、いろんな客を招待した。飲めや歌えの大騒ぎが続けられたのである。さすがのねねもびっくりした。もっと驚いたのは、羽柴家の財政を預かる家次である。

大宴会続きで火の車、家次が秀吉に諫言しても聞き入れてもらえず、ねねに助けを求めてきました。秀長も、蟄居中とはいえ度が過ぎると考えているようです。ねねは帳簿を見て愕然とします。そこへ酒に酔った秀吉が現れ、蟄居中で戦がないのだから貯える必要がないと、銭はばらまけと笑います。ねねは説教こそしないものの、秀吉の身体を気遣っています。

みつが現れ、松永久秀親子が反旗を翻し信貴山(しぎさん)城に入ったと知らせてきますが、秀吉は自分には関わりないと吐き捨てます。今、織田の主だった武将は出陣中で不在であり、もしも久秀討伐の命が秀吉に下ったらと考える小六は、戦うためには銭が必要だと説得しますが、秀吉は高みの見物をするつもりです。秀吉は家次に、信長の側近を中心に見舞いと称してありったけの銭をばらまくように命じます。

ねねは家次や小六のことも考えてやれと諭しますが、逆に秀吉が銭を貯め込んでいると分かると、猜疑(さいぎ)心の強い信長に謀反を疑われてしまいかねません。謀反の気持ちがないことを信長に分かってもらうためには、遊び惚(ほう)けて銭を湯水のように使うのが安全なのです。家次と小六には口止めする秀吉ですが、ねねは秀吉の肩をバシッとたたき、好きなだけ銭を使うようにあおります。

家中の心配をよそに夜ごと宴会は続けられ、信長の側近たちには付け届けが送られますが、信長からの出陣命令はありません。このようなありさまに、秀吉を心配する長政・やや夫婦が陳情に訪れますが、「女子には差し出がましいことは申し上げられぬ。せっかくじゃが、私にはできませぬ」と断ります。ややはあきれ果て、長政を連れて帰っていきます。

 

再びみつが現れ、8月14日に能登七尾城が上杉謙信の手に落ちたと知らせます。その際に謙信が詠んだという七言絶句『十三夜の詩』を秀吉に手渡します。
霜満軍営秋気清(霜は軍営に満ちて秋気清し) 霜はわが陣営に満ち満ちて、秋の気は清く澄みわたり、いかにもすがすがしい。
数行過雁月三更(数行の過雁月三更) 空を仰ぐと、幾列かの雁が鳴き渡っており、夜半の月は皎々と冴えわたっている。
越山併得能州景(越山併せ得たり能州の景) さて今夜は、越後越中の山々にさらに能登も併せて、まことに雄大な景色が眺められることだ。
遮莫家郷憶遠征(さもあらばあれ家郷遠征を憶う) 故郷の家族たちが遠征のわが身を案じていようが、今夜はこの明月を心行くまで眺めよう

謙信という男に触れ、勝家ごときが太刀打ちできる相手ではないと改めて感じます。しかも反旗を翻した久秀にいまだに苦戦しており、秀吉がせっかく懐柔した別所長治も不穏な動きを見せ始めていました。相変わらず自分には関わりないと笑う秀吉ですが、戦局がはかばかしくないのをイライラしながら見守っているだけの秀吉の気持ちが、ねねには痛いほど理解できます。

信長からの火急の使者が長浜城に入ります。いよいよ沙汰が下るか──。秀吉もねねも、そして秀長も緊張の面持ちです。じっと待つねねのところに、秀吉がすぐに戻って来ました。信貴山城の久秀を討てとの命令で、勘気も解け蟄居機関も終わります。もし秀吉があのまま能登に出ていたら、久秀を抑える者が誰もいないところでした。秀吉は急いで出陣の支度にかからせます。

秀吉の出陣により、松永久秀親子は信貴山城において自害して果て、その波乱の一生を閉じた。無事責務を果たした秀吉には、息つく暇もなく大仕事が待っていた。

秀吉軍はそのまま播磨へ向かうことになりました。秀吉が望むように中国攻めに集中できますが、蟄居の間の散財でとても戦が出来そうにありません。散財したからこそ信長の勘気も解けたと笑う秀吉は、書状をさらさらとしたため、秀長に書状を持って堺の千 宗易に会い金を工面するように命じます。秀長は一抹の不安を感じつつ、堺に急行します。

千 宗易とはどんな人なのだろうか。果たしてそれだけのものを融通してくれるのだろうか。千 宗易、後の利休である。12万石の秀吉は5,000~の軍団を持っていたと言われる。が、今それを動かす軍資金もなく、秀吉は中国攻めに向かった。


天正5(1577)年10月23日、信長に中国方面の攻略を命ぜられ、羽柴秀吉が播磨国に出陣する。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと25年3ヶ月──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
朝芽 陽子 (やや)
尾藤 イサオ (浅野長政)
津島 恵子 (こほ)
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藤岡 弘 (織田信長)
長山 藍子 (とも)
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赤木 春恵 (なか)
泉 ピン子 (きい)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:佐藤 幹夫

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第17回「乙御前(おとごぜ)の茶釜」

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