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2023年5月 7日 (日)

大河ドラマどうする家康・(17)三方ヶ原合戦 ~家康 対 信玄! 運命の一戦~

「これより浜松を目指し、徳川家康を討つ! いざ風のごとく進め!」 武田信玄の叱咤に、武田勝頼や穴山信君ら武田軍は雄叫びを上げて気持ちを奮い立たせます。元亀3(1572)年10月3日のことです。そのころ遠江の浜松城では、家康が目を閉じていろいろ思案しているようです。そっと目を開ける家康ですが、目の前の文机には、木彫りの摩利支天が置いてあります。

上ノ郷城でも、久松長家が鎧を着けて出陣の支度を調えますが、本心はあまり戦に出たくありません。三河・吉田城では、酒井忠次の妻・登与が握り飯をこしらえ夫を見送りますが、忠次は髪に何かついていると言って登与を抱き寄せます。武田軍に戦いを挑むのは死ににいくようなもので、それぞれが最期の別れを惜しんでいるにも思えます。本多忠勝は伯父の本多忠真に養生を勧めますが、酒をあおって元気100倍です。

岡崎城では松平信康が、家康が戦の決意を固めたと聞いて「父上ならお勝ちになるだろう」とつぶやきます。岡崎からも後詰として出陣する可能性も残されていて、妹の亀姫は兄の信康の出陣が気がかりでなりませんが、五徳はさほど心配していません。武田を打ちのめしてやれと言われ、信康もそれに応えます。家康は浜松城に集結した家臣たちを叱咤します。「今こそ……我らが桶狭間をなす時ぞ!」

 

10月10日、信玄が甲府を出陣してはや1週間、浜松城にも続々と情報が集まっています。3日に1つ城を落とす勢いで、いろいろな方向から攻め込まれて、信玄本隊がどこなのか分からないありさまです。駿河から高天神城に向かう一軍ありとの知らせも入り、まだいるのか!? とあきれ果てるぐらいに最強で最速な進軍です。

武田勢の進攻開始からおよそ20日、難攻不落と言われた高天神が武田の手に。10月21日、高天神城落城の知らせは、あそこは簡単には落ちないだろうと踏んでいた家康もさすがに焦りの色を隠せません。高天神の次に目指すは見附と考えれば、武田勢はすぐそこまで近づきつつあります。石川数正は、物見として本多忠勝隊を走らせています。

この期に及んでも忠勝は忠真に療養を勧めますが、忠真がじっと睨みつけて弓を構えます。視線の先には、山県昌景率いる赤備え隊がいました。これにより本多勢は、武田の先鋒隊と一言坂で戦が始まり、忠勝も忠真もけっこうな痛手を負って戻って来ました。ここまでわずかひと月、神の君の浜松城は今にも包囲されようとしておりました。

11月7日、見附も匂坂(さぎさか)も落ち、武田軍は二俣城に向かっています。頼みの織田信長軍ですが、織田方国衆で於大の兄・水野信元が到着しました。信元は信長からの伝言として、浜松で武田を食い止めよと伝えますが、信長はいま浅井・朝倉との戦にかかりきりで、援軍は出せないという態度に、石川数正らは大激怒です。「信長どのにお伝えくだされ。久しぶりに鷹狩りをしようと」

その“鷹狩り”に信長が呼び出されるのは珍しいことで、呼べばおいでになるのですね と家康も驚いています。家康は「自分を餌に桶狭間をやる」策を提示し5,000の兵を求めますが、信長には3,000と値切られてしまいます。納得のいかない表情の家康ですが、信長は家康とは一心同体だとつぶやきます。「信玄を必ず止めろ。俺は必ず行く」

家康はふらりと岡崎城の築山御殿に帰ってきます。夫の姿に唖然とする瀬名ですが、一目会っておきたかったようです。家臣たちが妻子を家に残して浜松城に出てきているというのに、大将たる家康は 駆歩の馬で(1回の乗り換え含む)3時間、並歩の馬でも10時間以上かかる岡崎城に妻恋しさに戻れるというのは、家臣たちからの不満の的になるのではないかと要らぬ心配をしてしまいます。

家康がしばらく見ない間に信康もたくましく成長しています。瀬名は母として成長の嬉しさも感じつつ、本当は心根の優しい信康が戦をする武人になっていく姿を見ると寂しさも感じます。どうして戦はなくならないのかと瀬名はつぶやきます。家康は己の弱い心を投影して彫ったうさぎの人形を瀬名に預け、何があっても強く生きよと言葉をかけます。

浜松城付近に、織田方からの援軍として佐久間信盛と水野信元の総勢3,000が到着します。戦法としては籠城あるのみですが、織田の柴田勝家や木下藤吉郎が1ヶ月の間に浅井朝倉の戦に片を付け、すぐに浜松に駆け付けて武田の背後を突く。そして岡崎の信康にも出兵してもらい武田の退路を断つというものです。「天と地を……ひっくり返す」

 

12月22日・天竜川付近。武田軍は列も崩さずしずしずと行軍しています。浜松では武田軍が襲来するという情報が錯綜し、半鐘の音が鳴り響く中、民が逃げ惑います。そんな非常事態の中、だんごを売っている老婆のところに現れたのは井伊虎松です。早く逃げい! と言う老婆に、戦見物をするんだと虎松はニヤリとします。

浜松城から武田軍が見え、さあ来い! と家康は気合十分です。一方、武田信玄は勝頼を呼び、兵法として浜松城に我が身を置いて考えてみろと教えます。ひ弱で臆病ながら、己の弱さを知る賢い若造……。信玄は采配を振るい前進を命じます。武田軍が動き始めたのを確認し、忠勝は持ち場に着くように家臣たちに命じます。

しかし浜松城を取り囲むかと思った武田軍は、浜松城を横目に通り過ぎていきます。城の中から「わしはここにおるぞ!」とアピールしたところで、信玄に聞こえるはずもなく、家康は地団駄踏んで悔しがります。武田軍では家康の狼狽(ろうばい)ぶりが目に浮かぶようです。「幼いわっぱが構ってくれと泣いております」と、信君は家康を鼻で笑っています。

浜松を通過する武田軍の動きに、家臣たちはどういうことかと戸惑っています。信玄の目的はあくまで信長であり、それまで無駄な力は使わずに信長との直接決戦に力を注ぐつもりなのかもしれません。家康は地図を睨みつけていろいろ考えます。「落ち着いてよく考えることじゃ……遠江の民は見ておるぞ」と、信玄は家康を試しているのです。

大混乱に陥っている遠江では、慌てて逃げる必要はないよ! と千代が民に声をかけて回ります。訝(いぶか)る老婆たちですが、家康は信玄が怖くて素通りさせたらしいと吹き込むのです。“家康はお手上げ” “城の中で震えてる” “遠江は武田にやることにした”と嘲笑し、「情けねえ殿さまだな!」という感想に誘導していくのです。

落ち着いて考えようと忠次が諭します。しかし勝家や信元は、信長からは籠城の指図しか受けていないと主張します。敵が来ないのに籠城しても意味がないし、無傷のままで武田軍を岐阜までやってしまったら、それこそ切腹ものかもしれません。数正は、浜松を通過したら岡崎城をたやすく落としてしまうと警鐘を鳴らします。

徳川軍と言っても烏合の衆、岡崎を攻め落とされる前に武田軍を追いかけようと訴える榊原康政、すでに山県隊と戦ったことで野戦では必ず負けると悟った忠勝は勝てる策を考えようと主張し、信元はここを一歩も動くなと牽制します。腕を組んで考え続ける家康は、「我らが武田に勝る点があるとすれば1つ、この地についてじゃ」とつぶやきます。

何かひらめいたか、夏目広次は地図を引っ張り出し、坂道を登りきった先は三方ヶ原があり、その先には祝田(ほうだ)の崖道があると説明します。崖道は狭すぎて身動きが取れませんが、そこに差し掛かった時に背後から軍勢をつつけば武田方でも大きな損害を与えることができそうで、ようやく勝機が見えてくるわけです。「直ちに武田を追い、後ろから追い落とす! 出陣!」

通り過ぎてゆく武田軍を追って、家康を先頭に徳川軍が全力で追っていきます。あれだけ乗り気でなかった長家も、馬上の人となれば血が騒ぐのか大笑いして早駆けしています。忠勝に酒断ちを強要され、それでもひょうたんに酒を入れて参陣した忠真も、駆けながら酒をあおって自分を奮い立たせています。

しかしある地点に到達すると、徳川軍が全員足を止め、目の前の景色に絶句します。武田の大軍1万が徳川軍を待ち構えていたのです。本陣で床几に腰かける信玄は「勝者はまず勝ちてしかる後に戦を求め、敗者はまず戦いてその後に勝ちを求む」とほくそ笑みます。息をのむ家康ですが、戸惑う家康を思い浮かべながら、信玄は「かかれ!」と下知します。

 

虎松は浜松から三方ヶ原に向かうため山道を駆け抜けていきます。そしてそのころ岡崎城では信康が顔色を失い、五徳や親吉が立ち尽くす中、急報を聞いた瀬名が築山御殿から慌てて入ってきます。その情報に、瀬名にしては珍しく言葉を荒げます。「まことなのか!?」

虎松が三方ヶ原にたどり着くと、武田方のエイエイオーの掛け声が聞こえてきました。徳川軍は壊滅的敗北でした。虎松は死体に隠れながら、落ち武者狩りを行う兵の武田菱の旗指物を恨めしそうに見上げます。大八車に乗せられて運ばれる死体は、あの金陀美(きんだみ)具足を着けていて、家康のことだと分かると虎松はひどい脱力感に襲われています。

「お前なんぞ武田信玄に滅ぼされるに決まっとる! ざまあみろ!」と暴言を吐いた虎松は、それが現実となってしまったことに衝撃です。


元亀3年(1572)年12月に、遠江国三方ヶ原で武田信玄と徳川家康・織田信長の戦いが行われる。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと30年3ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名)

松嶋 菜々子 (於大の方)

岡田 准一 (織田信長)

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))
音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))
甲本 雅裕 (夏目広次)
板垣 李光人 (井伊虎松)
小出 伸也 (大久保忠世)
波岡 一喜 (本多忠真)
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眞栄田 郷敦 (武田四郎勝頼)
酒向 芳 (明智光秀)
橋本 さとし (山県昌景)
吉原 光夫 (柴田勝家)
柴田 理恵 (老婆)
立川 談春 (佐久間信盛)
古川 琴音 (千代)
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ムロ ツヨシ (木下藤吉郎)
田辺 誠一 (穴山信君)
寺島 進 (水野信元)
リリー・フランキー (久松長家)
松重 豊 (石川数正)

阿部 寛 (武田信玄)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・国友 茜
演出:小野 見知

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第18回「真・三方ヶ原合戦」

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