大河ドラマどうする家康・(20)岡崎クーデター ~武田勝頼の調略! 崩れる徳川の絆~
天正元(1573)年・美濃 岐阜城──。甲斐の武田信玄が亡くなり、織田信長の好敵手がいなくなりました。明智光秀は、徳川家康が武田に奪われた所領も取り返してくれるだろうと笑いますが、信長は疑いの心を向けます。信玄の後を継いだ四郎勝頼のことを、恐るべき才覚を持つ人物だと信長は見ているのです。
武田信玄亡き後、領土奪還に出た我らが神の君でございましたが……。翌 天正2(1574)年、家康は勇んで進軍するも、罠にかかって敵に囲まれてしまったようで、大久保忠世の勧めで撤退を余儀なくされます。武田が再び攻めに転じると敗北を重ね、さらに領土を失っていったのでございます。
いったんは遠江・浜松城に戻った家康ですが、敵である武田方が諏訪原まで出てきている“らしい”という程度に 情報が少なすぎて決め手に欠き、織田の援軍はまだ到着しないし、高天神城は落ちて敵の手に渡ってしまいます。高天神城は浜松城から40kmほど東に進んだところで、家康は陣卓子(じんたくし)を叩きつけて悔しさを表します。
さらに翌 天正3(1575)年、亡き信玄の鎧兜の前で座禅を組む勝頼は、「我が死を三年間は秘めよ」と遺言されたのを忠実に守り、信玄の三回忌も終えたことで「ここからは自分の思う存分にやらせてもらう」と山県昌景や穴山信君の前で宣言します。勝頼の狙うのは三河の岡崎城、松平信康と母の瀬名です。
その岡崎では、“岡崎東方之衆”と書かれた周囲に名前と押印を記した血判状が作られ、結束を固めようとしていましたが、武田の間の手は迫って来ていました。
書状をしたためている家康のところに、武田軍が動き出した模様と忠世と鳥居元忠が報告に上がります。武田が向かうのは足助(あすけ)城で、武田軍の狙いは岡崎のようです。岡崎がやられてしまっては元も子もないと、自ら出陣しようとする家康ですが、岡崎へは石川数正が向かっていると忠世と元忠に押しとどめられているうちにその場に倒れ込みます。すごい発熱です。
岡崎城では武田軍が迫ってくると戦の支度に大わらわです。瀬名と亀姫も岡崎城内に移りますが、亀姫はここ岡崎が戦場になるのかと怯えます。五徳は家康が病床に伏して頼りにならないと小ばかにすると、信康もあれこれ命じるばかりで援軍をよこさない信長も頼りにならないと返して夫婦げんかが始まります。「やめなされ! 我らが心をひとつにする時ぞ」と瀬名は夫婦をたしなめます。
信康軍は足助城を奪い返し、武田軍を岡崎へ近づけない作戦に出ます。山田八蔵には先陣を命じ、町奉行の大岡弥四郎には岡崎城を守るように伝えます。信康の掛け声で城を発つ軍勢と、それを見送る弥四郎。弥四郎の表情はどことなく不安げです。そして歩き巫女が鈴を鳴らしながら岡崎の祠に近づき、紙と餅を置いて去っていきます。
戦が始まり、岡崎城にはけが人が続々と戻って来ます。瀬名と亀姫はけが人の看護を担うのですが、目の前で兵士が命を落とし亀姫は泣き出します。瀬名はまだ息のあるものを助けるように諭します。瀬名は八蔵にも率先して傷の手当てをし、八蔵は奥方の手が汚れると拒むのですが、瀬名は聞き入れずに塗り薬を塗っています。「そなたらの血や汗ならば本望じゃ」
ポツンと立ち尽くしている五徳を見て、自ら進んで手伝うように促す瀬名ですが、汚らしい者たちに触れたくないと五徳がつぶやきます。「汚いとは何ごとか! 三河のために戦っている者たちぞ! そなたも三河の女子であろうが!」 普段は温厚の瀬名が怒鳴り、その場の者たちがビックリして時が止まったようです。それでも五徳は信長の娘というプライドがあるのか、無礼者! と言って去っていきます。
足助城を奪い返すという戦法は武田方に読まれていたようで、手痛くやられてしまったようです。ここ岡崎で籠城することになりそうですが、弥四郎は古今の城を学びつくした自分が造営を繰り返したもので、勝頼でも岡崎城に取り憑くことさえできないと胸を張ります。瀬名は心強いと弥四郎に言葉をかけます。
病床に伏している家康ですが、武田軍が足助に入り、明日には岡崎城を攻めるだろうと酒井忠次が報告すると、動けない我が身を悔しがります。忠次は本多忠勝と榊原康政、そして家康に悪態をついた井伊虎松をつけて岡崎へ送り込んでいます。数正と親吉、力自慢の八蔵に斬れ者の弥四郎が揃えば、岡崎が落ちることはないと忠次は家康を安心させます。
とはいえ、家康は勝頼という人物を恐れています。信玄の軍略知略の全てを受け継いで、武田軍の先頭に立っています。「武田信玄は……生きておるんじゃ」 家康のつぶやきに苦虫を噛み潰したような表情の忠次は、ただの一言も返すことが出来ません。
岡崎の祠に近づく弥四郎は、置いてあった紙を手にします。中身を確認した弥四郎は、一緒に置いてあった餅を食べて立ち去ります。
岡崎城では、瀬名が兵士の下帯や傷をぬぐった布を洗って干しています。侍女のお梅とお杉は、このようなことをしないでと訴えますが、瀬名は気にするそぶりを見せません。暗闇の中から八蔵がジッと瀬名を見つめ、何でもないと去っていきますが、お杉は瀬名に膏薬を塗ってもらったから変な気を持ったのだと言いたい放題です。瀬名はお梅たちが勧めるまま、休ませてもらおうと奥に下がります。
瀬名は寝所に向かいます。先に休んでいた亀姫は、明日には戦がという恐怖と、普段とは違う環境で横になっているせいか、なかなか寝付けない……といいつつ、瀬名が横にいるとスッと眠ってしまいます。瀬名は愛娘の寝顔に微笑みます。
血判状を前に、岡崎の家来たちが集まっています。弥四郎は武田軍が明日攻めてくるため、今夜の寅の刻(午前4時)に決行すると伝えます。「ご一同恐れるな。これは岡崎を救うためになすことじゃ」 弥四郎が決行しようとしているのは、信康と瀬名の命を奪って岡崎城を乗っ取り、勝頼を迎えるというクーデターでした。
弥四郎は目をつぶり、心を静めてジッとその時を待っています。瀬名に手当てをしてもらった八蔵は、瀬名にもらった膏薬を見て「すまぬ……」とつぶやきます。瀬名と亀姫は眠っています。そして雲に隠れていた満月が、その美しい姿を現し始めました。ついに、決行の時が来ました。
男たちが岡崎城の中に無言のまま進んでいき、弥四郎たちは信康の寝所を、そして八蔵たちは瀬名と亀姫の寝所を襲撃します。弥四郎と信康が刀を激しく打ち鳴らすと、そこに武装した数正や忠勝たちが現れました。弥四郎はもう引けないと、信康たちに向かって刀を振り上げます。そして八蔵たちが眠っている瀬名に刀を突き刺そうとすると、起き上がったのは虎松でした。
瀬名と亀姫は寝所で寝ていましたが、八蔵たちが襲撃したのは虎松がいた別の部屋だったのです。瀬名は、遠くで斬り合う男たちの声を聞きながら、うつむいています。弥四郎は最後には数正や忠勝たちに囲まれ、それでも激しく抵抗しますが、ついには捕らえられてしまいます。一方の八蔵は虎松と激しく斬り合いをしますが、八蔵は“こちら側の人間”だと知り、虎松は八蔵への攻撃をやめます。
瀬名が「休ませてもらおう」と下がるときすすり泣く声が聞こえてきて、様子を見に行ってみると、声の主は八蔵でした。瀬名の勧めで信康と数正に今夜のクーデターのことを打ち明けていたのです。信康は弥四郎の裏切りに驚愕し、弥四郎が武田に内通していたとすれば岡崎勢の戦法が武田方に漏れていたのも不思議ではありません。
親吉は、クーデターに加担した人の名を吐き出させようと八蔵に迫りますが、八蔵はこれ以上は口を開きません。クーデターに加担しつつ、八蔵のように迷っている人間もいると瀬名が言うと、数正はやらせてみて実行犯をあぶりだすしかないと言い出します。信康は数正を見据えます。
信康たちの前に引き出された弥四郎は、武田に脅されて口車に乗せられてしまったと弁明しかけますが、フッと笑って態度を一変させます。「沈む船に居続けるは愚かでござる」 信長に尻尾を振り、戦で死んで来いと言われ続けてきた結果、徳川よりも最強の武田の方がましだという結論に至ったわけです。クーデターに加担した者たちもみな、大きく頷いています。
彼らには忠義の心というものはなく、死にに行かせるためのまやかしと受け取っています。いずれ死ぬのであればほんのひと時でも夢を見たほうがまだマシなのです。その場にいた五徳は、仔細をすべて信長に報告すると告げ、冷ややかに弥四郎を一瞥すると、薙刀を手に去っていきます。「この者たちをしかと処罰なさいませ。この上なくむごいやり方でな」
岡崎からの狼煙(のろし)は上がらず、しくじったようだと勝頼に伝わります。昌景はかまわず力攻めを勝頼に勧めますが、そう焦ることもないと返します。「岡崎攻めはまだ始まったばかりよ。あの城はいずれ、必ず内側から崩れる」 勝頼は、浜松城に籠っている(と勝頼が見下げている)家康を引っ張り出しに出立します。
忠勝と康政は、武田軍が南に向かっているのを見て、大急ぎで浜松城に戻って来ました。家康の病が感知したわけではありませんが、おちおち寝てもいられないので、無理して出ていくしかなさそうです。それともう一つ家康が気になっていたのは、岡崎へ連れて行った虎松のことです。使えそうか? と聞かれて「まあ……まあ……」と忠勝は言葉を濁します。
初めて対面した虎松は家康を憎んでいましたが、虎松が徳川家に仕官を願い出たようです。それは滅びかけの井伊家と井伊谷という郷里を守るためですが、民は家康をバカにして笑っているとは言っても、民を笑わせる主君はいないと虎松は考えなおしたわけです。「殿にこの国を守っていただきたい!」 家康は虎松に、これから勝頼と戦うと伝えて刀を授けます。
忠次が守る三河の吉田城付近では、激しい戦闘が繰り広げられます。勝頼が目配せすると、昌景は引けの下知を出します。引けの半鐘と太鼓の音が聞こえ、武田軍は一目散に引いていきます。そして徳川軍は追い打ちをかけようと撤退する武田軍を追いかけていきます。家康は、勝頼が引いたのではなく長篠へ誘い出すつもりなのだと理解します。
薪を割っていた八蔵に、瀬名は梅の花を祠へ届けるように頼みます。その花には文が結ばれていて、それを読んだ千代は瀬名の前に現れます。瀬名が千代に会うのは2回目、三河一向一揆の直前、お寺で楽しい踊りを踊った時以来です。千代は、自分を取り込もうとしているのかと挑む目で見つめると、瀬名も受けて立ちます。「家臣に手出しされるぐらいなら、私がお相手しようと思って。お友だちになりましょ」
天正3年(1575)年、大岡弥四郎が武田勝頼に内通して武田軍を岡崎へ引き入れようとするも、事前に計画が露見したため不発に終わる。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと28年──。
作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)
有村 架純 (瀬名)
岡田 准一 (織田信長)
大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))
音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))
板垣 李光人 (井伊虎松)
小出 伸也 (大久保忠世)
岡部 大 (平岩親吉(七之助))
細田 佳央太 (松平信康)
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眞栄田 郷敦 (武田四郎勝頼)
酒向 芳 (明智光秀)
橋本 さとし (山県昌景)
毎熊 克哉 (大岡弥四郎)
柴田 理恵 (老婆(回想))
古川 琴音 (千代)
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田辺 誠一 (穴山信君)
松重 豊 (石川数正)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:大橋 守・釜谷 正一郎
演出:野口 雄大
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『どうする家康』
第21回「長篠を救え!」
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