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2023年6月16日 (金)

プレイバック徳川家康・(26)次に吹く風

天正10(1582)年6月下旬、決死の伊賀越えで堺から浜松城へ戻った家康は、側近の者にも分かりかねる凡庸さでお愛やその子らと過ごしていた。が、実は信長の死に対して甲斐・信濃の動きを鋭く見守り、一方羽柴・柴田ら織田家跡目相続の新しい争いに注目していた。

そして信長の後継者と遺領分配を決めるため清洲城に入った秀吉は、片や織田信雄に親しげに話しかけられる家臣の姿、片や織田信孝に頭を下げる家臣の姿を見て舌打ちします。何ごとかひらめいたかと思うと、急に腹を押さえて「うーむ、どうもわしは腹が痛い。今までの無理がたたって……痛い痛い」と自室に戻ります。

清洲城主で信長の次男信雄は、三男信孝とは母を違えて歳は同じである。したがって、織田の後継者は信雄か、柴田勝家の推す信孝かと必ず紛糾することは分かりすぎるほど分かっていた。

待たされていた勝家は茶坊主に秀吉を呼んで来いと命じますが、その時秀吉が機嫌よさそうに入ってきました。秀吉は、備中高松城を抗戦中に変事を知るや急いで取って返し明智光秀を討ったという無理がたたったのだとクギを刺します。勝家は、秀吉とともに仇を討った信孝が相続するべきと主張しますが、信長が決めた後継者について宿老が勝手に変えていいものかと疑問を呈します。

生前の信長が信忠を後継者として決めていたなら、信忠の後継者ももちろん嫡子である三法師であるべきと秀吉は言い出します。誰が家督を相続するかではなく、三法師を擁してどう助けていくのかを話し合う会議でなければならない との秀吉の言葉に、うーんとうなる勝家は何も言えなくなってしまいます。

三法師を補佐していく流れが家中にあるのかと勝家は疑問ですが、他に誰もいなければ秀吉自身が補佐してみせようと言って、同席の池田恒興に話を振ります。勝家は立腹しますが、それと同時にまた腹が痛み出した秀吉は、中座して出て行ってしまいます。恒興も丹羽長秀も三法師擁立に賛成に回り、宿老No.1の勝家は弔い合戦に出遅れたことで、秀吉に出し抜かれていることを思い知らされます。

後継者として三法師が入ってきますが、秀吉が抱っこしています。家臣一同は三法師に頭を下げているつもりでも、秀吉に頭を下げるような印象です。信孝は勝手に話を進めていく秀吉を睨みつけています。秀吉と勝家の対立に、ひとつの不安を残しながら織田家後継者決定の清洲会議は終わった。時代はもはや完全に信長から秀吉の時代に移っていた。

その間家康はたゆみなく東への道をたどって、目指す甲府に入っていた。武田の残党が甲府を家康に明け渡し、甲斐一国は完全に家康の勢力下に置かれたのである。そして7月、その領内を視察の途中、家康は農家で昼食を摂っていた。家康、石川数正、本多作左衛門は飯をかきこみながら、清洲会議の結果について話しています。

次男信雄と三男信孝が力を合わせて甥の三法師を盛り立てていけば、織田家は割れなかったと家康はつぶやきます。作左衛門は織田家の内紛に巻き込まれないようにと忠告しますが、家康が目指すのは小田原の北条氏との和睦です。いま北条と争えば、待っていたとばかりに秀吉が動く可能性が高いのです。「さて、この後秀吉がどう出るかが問題じゃ」

 

秀吉は、織田領内で京に近い山崎に新しく城を築きます。秀吉は黒田官兵衛から家康に味方する甲州武士の名前を聞くと、懐柔の成功の秘訣について尋ねます。「“堪忍”の二字でございますな。殿は“知略”の二字」 勝家と家康、滝川一益、信孝、北条親子までもが連合を結べば、大きくなりすぎる危険があり、勝家、家康らへの対策を急いで打たなければなりません。

秀吉は、誰にも真似できない信長の葬儀をやると決意します。そこに勝家の使者として堀 秀政が面会に来ました。勝家からの5箇条の覚書は、実質的には秀吉が政治を我が物にした詰問状です。秀吉は、筆頭家老にありながら織田家の内紛をまとめられない勝家を責め立て、葬儀を実行する決意表明まで果たします。「勝家にもお市の方さまにもご葬儀に加われとの旨、しっかりあのくそジジイに伝えいっ!」

秀吉の宣言通り、京都洛北にある龍寶山(りゅうほうざん)大徳寺の境内に、菩提寺・総見院を建立し、信長よりもらい受けた継嗣秀勝とともに信長の葬儀を執り行います。しかし、勝家もお市もついにこの葬儀に加わりませんでした。

泉州・堺では、納屋蕉庵と茶屋四郎次郎が会っていました。警備に10万の兵を揃えたため、その兵糧を乗せた船で淀川が埋め尽くされたとか、秀吉が香木で信長の木造を掘らせそのまま荼毘に付したとの話です。蕉庵は半ば呆れているようですが、四郎次郎は秀吉とは恐ろしい人だとつぶやきます。

葬儀を済ませた秀吉は、25箇条の手紙を信孝に送りつけ、信孝と勝家に対し抗戦の態度を明らかにします。仲裁として、親友・前田利家がやって来ました。秀吉は勝家の思惑は分かっています。信長四男で秀吉の養子の秀勝に織田家を相続させないと誓書を取りたいわけです。「図星じゃ」と利家は驚き、秀吉は、“羽柴姓を名乗らせた秀勝には断じて織田家を継がさぬ”という誓書は何枚でも書くとつぶやきます。

しかし羽柴の名で天下を獲らせるかもしれないと、利家にだけは本心を明かします。北条も毛利も四国も九州も天下を狙っており、それが勝家に理解できないのなら天下のために一戦交えるしかないのです。「わしは必ず亡き御大将の志を継ぐ。分かってくれ利家」 前田利家に決意を伝えた秀吉は、5万の大軍で勝家と通じる岐阜城の織田信孝を取り囲みます。

秀吉の動きは、四郎次郎によって鷹狩り中の家康にも伝えられます。信孝は戦わずに秀吉に降(くだ)り、囲みを解く秀吉ですが、正月末までにはまた引き返してくると家康は読んでいます。勝家への威圧、信雄へのけん制、そして家康自身への威圧が目的です。家康は茶を出した未亡人のお浅を引き取り、茶の引き合わせから「茶阿」と名乗らせることにします。女狩りをしていると秀吉に思わせるためです。

秀吉が家康に難癖をつける材料となり得る、浜松城に身を寄せる近衛前久とは、光秀謀反の時に加担したとして秀吉に追放された前の関白です。家康は都や内裏の知識を得るべく保護していたのです。前久は、鶴狩りよりも大事な布石として、本願寺と手を結ぶよう勧めます。秀吉に先手を打たれては徳川にとっては大きな痛手になり得るのです。家康は合点し、その知恵に感謝します。

「越前も雪じゃな」と作左衛門はつぶやきます。秀吉と勝家の戦が終わるのは来年4月か5月ごろになりそうです。秀吉の勢いに対して勝家の意地だけでは勝てまいとの予測です。そうなると家康は秀吉に戦勝の使者を立てる必要が出て来ますが、作左衛門は数正を見据えます。「お主……覚悟は今からしておくことじゃな」

 

翌天正11(1583)年4月、秀吉に対抗した柴田勝家の主力部隊は賤ケ岳に敗れ、越前北ノ庄城に退いて最期の時を迎えようとしていた。織田家のためにと勝家と再婚したお市は、二度目の夫も討たれると分かった今、3人の娘に夢を託し、柴田勝家の妻として越前北ノ庄の天守とともに散っていった。

作左衛門は数正のいる岡崎城へ向かいます。勝家が消え、信孝も後継レースから外れ、これで大坂に築城すれば秀吉の天下は間違いありません。戦勝祝いに赴く使者は、家康が秀吉にひれ伏すよう要求されると思われ、話を受ければ徳川家中の者たちは承服できないことは必定です。それだけに使者は並の者では務まりません。遠回しに言う作左衛門に、数正は初めから祝いに行かなければいいと吐き捨てます。

秀吉はいつからか天下平定のために生まれて来た“太陽の子”だと確信し、意のままにならなければ敵として見なされてしまいます。秀吉は徳川から内応者が出たと言いふらし、内から崩していく作戦で家康を窮地に陥れるでしょう。数正は岡崎城城代の身だと固辞しますが、数正が出奔し悪者に仕立て上げることで徳川家中の結束はより固まるという筋書きです。「頼んだぞ、数正」と作左衛門は手をつきます。

家康は秀吉の戦勝を心から祝っていて、何を贈ろうかと思案中です。岡崎城から戻った作左衛門は、戦勝の祝いの使者には数正を置いて他にはいないと断言します。秀吉の言いがかりで数正が腹を斬れば、作左衛門も後追いする覚悟です。数正を手放すのは作左衛門にとっては断腸の思いですが、家康もその思いは同じです。作左衛門は涙を浮かべます。「では早急に数正に浜松に来るように取り計らいまする」

思えば、竹千代と呼ばれた人質時代からの大事な家臣・石川数正。その数正ただひとりを秀吉の正面に立ち向かわせなければならない家康。その胸中は、まさに身を割く思いである。幾多の危難を越えて来た家康にまたひとつ、秀吉という大きな難関が立ちはだかろうとしていた。


天正11(1583)年4月24日、羽柴秀吉や前田利家に北ノ庄城を包囲され、柴田勝家はお市を道連れに自害して果てる。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと19年9ヶ月──。

 

原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
竹下 景子 (お愛)
大山 勝巳 (柴田勝家)
瑳川 哲朗 (前田利家)
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武田 鉄矢 (羽柴秀吉)
江原 真二郎 (石川数正)
入川 保則 (黒田官兵衛)
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小林 桂樹 (雪斎禅師)
長門 裕之 (本多作左衛門)
中山 仁 (茶屋四郎次郎)
石坂 浩二 (納屋蕉庵)
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制作:澁谷 康生
演出:加藤 郁雄

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『徳川家康』
第27回「小牧 長久手の戦」

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