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2023年6月11日 (日)

大河ドラマどうする家康・(22)設楽原の戦い ~武田軍と相対するも動かない不気味な信長 家康の奇襲で、事態は急転直下…~

築山御殿で仲良く兄妹の時間を過ごす松平信康と亀姫。いいものをやると亀姫に手を出させ、のせたのはてんとう虫。気味が悪いとのけぞる亀姫に「これもひとつのいのち」と信康は笑っています。あどけない信康を見つめる瀬名です。

あれから数年後の天正3(1575)年、瀬名の前には「武田の大将首を取って来てやる!」といきり立つ信康の姿があります。徳川家康は、信康は今回の戦では前に出ず、織田信長がどう戦をするか見て学べと諭します。小姓の井伊万千代も前線で戦いたいと主張しますが、家康にたしなめられます。家康と信康は、五徳、亀姫、そして瀬名に見送られ、出発します。

天正3年5月、三河防衛の要・長篠城は武田軍に包囲され、落城寸前でございました。ガックリと肩を落とす城主・奥平信昌に、織田軍と徳川軍3万が来たと報告があります。城内の兵たちはザワザワと動揺し、信昌の「もう少しの辛抱」という言葉に、残された力を振り絞っています。

そしてついに長篠設楽原にて、我らが神の君と織田信長の連合軍は、武田勝頼との世紀の大決戦を迎えようとしておりました。織田・徳川連合軍3万、武田軍1万5千──。山県昌景は、織田徳川軍がずっと馬防柵を作ってばかりで動く気配がないことにいら立ちを隠せません。「何を考えておる? 信長! 家康!」

信長が何を考えているのか! とイライラするのは家康も同じで、しびれを切らして織田本陣に駆けつけますが、信長は羽柴秀吉と呑気に囲碁をやっています。こちらからは攻めかからない。武田を追い払いに来たわけでも、長篠城を救いに来たわけではないのです。もし攻めたければ徳川だけでどうぞという態度で、家康は激しく反発します。

秀吉は仲裁に入りますが、その手を柴田勝家が叩くと、秀吉が手にしていた碁石を地図の上に落としてしまいます。家康についてきた酒井忠次は、碁石とそこにある鳶ヶ巣山(とびがすやま)という地名を見て、夜のうちに手勢3,000~4,000で長篠の背後に回り、鳶ヶ巣山の砦を落とす策を思いつきます。秀吉はその策を聞くと「なるほど! きつつきでごぜぇますな」と食い気味に言ってきました。

勝家が、佐久間信盛が、そして秀吉が名乗りを上げますが、我ら徳川勢に、と家康は半ば言わされる形となってしまいました。信長は大事な家臣にこの危険すぎることはさせられないと白々しく言ってのけます。「オレの家臣ではないやつがやる分にはやぶさかではない。自分から言い出したんじゃ……やり遂げる自信もあるんだろうしな」

あんなやつの家臣には死んでもならん! と家康はたいそうご立腹です。信康や本多忠勝、大久保忠世がこの策に志願しますが、この地を詳しく知った者でなければと、忠次本人がやることになりました。みな「死ぬなよ!」と声をかけますが、もっと景気よく送り出そうと、石川数正が久々に海老すくいの音頭を取り、みんなで踊っています。万千代は初めて見る海老すくいに衝撃を受けます。

しかし残念なことに、忠次隊の動きは武田方に察知されてしまいます。長篠城救援の部隊であると同時に、武田軍を引きずり出すものであるわけです。おまけに武田軍が出ていけば迎え撃つ織田軍の鉄砲隊は1,000を超え、勝頼もさすがと言わざるを得ません。穴山信君は後ろを断たれる前に撤退を進言します。

 

雨も上がり、長篠城内ではみな体力の限界を迎えて横になって静まっています。そこに銃声が響き渡ります。よろよろと音のする方を見ると、鳶ヶ巣山砦から黒煙が上がっています。武田方の砦が落ちたのです。

信君は退路を断たれる前に再度の撤退を進言しますが、勝頼は信玄が好きだった朝焼けの空を眺めていて、まるで聞いていません。信玄は勝ち目のない戦はしなかったと昌景が勝頼を諭すのですが、それでも勝頼の心には響かないようです。「その通り。だから武田信玄は天下を獲れなかった。手堅い勝利を百重ねようが、一の神業には及ばぬ」

全軍を前に勝頼は、目の前に信長と家康の首が並んでいると、このような機会は二度とないと味方を鼓舞します。勝頼が指さす方には虹がかかり、いかにも吉兆です。勝頼の演説に雄たけびを上げる武田軍ですが、信君も昌景も戸惑っています。「わが父も申しておる。武田信玄を超えてみせよと!」

武田軍が大軍で出て来て、正気か!? と家康は言葉を失います。その徳川本陣に信長や秀吉たちがぞろぞろとやってきました。戦況が織田本陣よりもよく見えるからですが、見ものだと喜ぶ秀吉に家康は文句を言いたくもなります。そして砦を落としたことで長篠城に入れた忠次は、大喜びの信昌らに迎えられます。

信長は信康に、オレは武田を追い払いに来たわけでも長篠城を救いに来たわけでもなく、武田を滅ぼしに来たとニヤリとします。信長の意を受けた秀吉がほら貝を吹かせると、馬防柵の前の鉄砲隊が迫りくる武田軍目がけて一斉射撃を始めます。弾が当たり次々と兵が倒れていきますが、被弾した昌景も「蹴散らせー!!」と連合軍に突っ込んでいきます。

鉄砲を放った鉄砲隊は後ろに下がり、後ろに控えていた新たな鉄砲隊と交代します。そして間髪入れず再びの射撃……。最強武田騎馬軍団も、次々と鉄砲を放つ連合軍に驚く間もなく倒れていきます。ようやく馬防柵にたどり着いた歩兵も長槍で刺されたり、なんとか柵を乗り越えた者もあえなく最期を迎えます。目の前の惨状に、信康も家康も言葉を失います。

家康は「いったい……何丁の鉄砲を?」と言葉を絞り出すことしかできません。3,000丁と聞いて家康は仰天します。秀吉は、兵が強いだけでは戦に勝てず、銭を持っている者が勝つとドヤ顔です。秀吉をたしなめた信長は、最強の兵(つわもの)たちの最期を慎んで見届けよ、と敬意を表します。「武田勝頼……見事なり」

信長は次々と倒れていく武田軍を睨みつけ、そのまま帰っていきます。去り際に秀吉は、本当に信長の臣下にならなくていいのかと家康につぶやきますが、あまりのすごさに家康は返答できません。信康はこれが戦なのかと衝撃を受けます。「これは……なぶり殺しじゃ」 家康も従う万千代も、返す言葉もありません。

被弾して馬を下りた昌景でしたが、大量に転がる武田軍の死骸の中をさまよい、ついに力尽きて斃(たお)れます。目の前で繰り広げられたあっという間の決着でしたが、勝頼は連合軍のほうを睨みつけたまま采配を振ります。しかしそれに反応する者はおらず、信君も目が泳いでいます。これで設楽原の戦いは終結しました。

 

浜松城で戦勝の宴を催し、信長と秀吉は碁を打っています。今後武田は弱体化していき、今後は北条や上杉らが織田の恐るべき相手と信盛は述べますが、ついてこれない者は置いていくと言われて愕然とします。信長は脇に控える五徳に同じ質問を投げかけ、五徳が答えあぐねていると、信長は五徳の肩を掴んでグイッと引き寄せます。

同じころ、家康の家臣たちは集まって今後について話し合いをしていました。新時代の織田の戦を目の前で見せつけられ、信長にひれふすのも仕方ないという意見が大半です。平岩親吉は、もし家康が信長に従ったら五徳の態度は今以上に尊大になると危惧しますが、数正は五徳の怒りはすべて親吉が受けるように命じます。叩かれるなり蹴られるなり、と言われて親吉は意外にも嬉しそうに笑みを浮かべます。

熟考した家康は瀬名に、信長の臣下になることを告げます。今川義元の姪としてそのことは耐えがたいことかもしれないが、と家康は慮りますが、お家のためならと瀬名は飲み込みます。そして家康は信康にも確認を取るのですが、心ここにあらずといった様子で家康の決定を聞いておらず、家康も瀬名も怪訝そうに信康を見つめます。

 

家康も信康も信長から家臣の仲間入りを認めてもらいました。まずは武田を完全に叩きのめすように秀吉に言われますが、東に北条・上杉・伊達、西に目を向ければ無数の敵が多くあり、家康たちにはその先頭に立って戦ってもらうという無言の圧力が感じられます。信長は、勝頼が信玄を超える器と侮らないように忠告します。

続く二俣城攻めでは強気で攻撃を仕掛け、敵の侍大将を3~4人と倒して蹴散らした! と戻って来た信康は瀬名や亀姫に自慢げに報告します。それを聞いていた瀬名は顔をゆがめて、その場から下がっていきます。様子を見に来た家康に、虫も殺せぬ子だったのにと残念そうです。家康は信康には戦の才があるし瀬名に似て賢いと褒めちぎり、瀬名を安心させようとします。

敵の兵をさんざん斬り倒した信康は、ふと気が付くと武田兵の死体の中に孤立していました。そしてその兵たちがヨロヨロと立ち上がり、信康目がけて迫ってくるのですが、鉄砲で倒されていきます。そんな夢を見て飛び起きた信康は、生きた心地のしないまま立ち上がって廊下に出ていきます。横で寝たふりをしていた五徳の脳裏には、宴での信長との会話が強烈に残っていました。

「今後、我らにとって最も恐るべき相手は徳川……この家の連中をよく見張れ」 信長は五徳の顔を掴んで徳川の家臣たちの方に力づくで向けます。信長の狂気さすら感じられる表情に恐れおののく五徳でした。その時のことを思い出した五徳も、思わず起き上がって血の気が引きます。

信康の様子を見に来た瀬名は、信康に声をかけても反応がないことに心配を募らせます。何度か呼びかけると振り返った信康ですが、その頬には涙が流れていました。


天正3年(1575)年5月21日、三河国の長篠城をめぐり3万8,000人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5,000人の武田勝頼の軍勢が戦う。「長篠・設楽原の戦い」

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと27年8ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名)

岡田 准一 (織田信長)

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))
音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))
板垣 李光人 (井伊万千代)
小出 伸也 (大久保忠世)
岡部 大 (平岩親吉(七之助))
細田 佳央太 (松平信康)
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眞栄田 郷敦 (武田四郎勝頼)
橋本 さとし (山県昌景)
吉原 光夫 (柴田勝家)
立川 談春 (佐久間信盛)
白洲 迅 (奥平信昌)
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ムロ ツヨシ (羽柴秀吉)
田辺 誠一 (穴山信君)

松重 豊 (石川数正)

阿部 寛 (武田信玄(回想))
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:大橋 守・釜谷 正一郎
演出:田中 諭

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第23回「瀬名、覚醒」

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