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2023年6月23日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(24)北の庄落城

天正11(1583)年が明けた元日、秀吉が姫路へ帰って来た。が、秀吉を迎えるねねの心は暗かった。ねねとおまつの平和への願いもむなしく、秀吉が、信孝が擁している三法師を力づくで安土に移したという知らせが、ねねの元に届いていたからである。正月ということもあり、家臣たちに休みを取らせた秀吉は、年賀挨拶に来るであろう家臣たちを迎える用意をねねにさせます。

秀吉は、三法師が「織田秀信」と改名し無事に安土城へ入ったことを伝えます。これで名実ともに信長の後継者となったわけです。ねねは、秀吉は戦はしないと約束したと反論しますが、秀信を安土へ移すために岐阜城を包囲して信孝を脅したと秀吉は主張します。結局は兵をひとりも損ねず、あれは戦ではないと言いたいわけです。信雄も安土城に入り、めでたいと秀吉はねねに盃を突き出します。

秀吉が力で秀信を差し出させたと聞いて、ねねは勝家と対決するつもりなのだと悟りますが、ねねにはもう止めることはできずあきらめに似た胸中です。秀吉は47歳、ねね36歳、夫婦になって22年、ここまで精いっぱいやってきた秀吉は、これから自分がどうなろうとそれが運命なのだとつぶやきます。ねねはもはや、命を懸けている秀吉が自分の願いを裏切ろうとしていることを攻めることはできません。

 

その年の閏 正月、滝川一益が伊勢で挙兵します。これを機に、二代勢力である勝家と秀吉の決戦の火蓋は切られます。未だ雪深い越前北ノ庄城で勝家は動けませんが、それをいいことに秀信を担ぎ上げ、信雄も味方する一益を秀吉が攻めている現状、一刻の猶予もならないと勝家は危惧しています。近江で挙兵した時には信孝も岐阜で兵を挙げる手はずで、秀吉を挟み撃ちにするつもりです。

越前の府中城では、出兵しようとする前田利家をまつが引き止めます。利家は勝家の与力なので、勝家が出陣すると言えば主命には背くわけにはいかないのですが、まつは利家が秀吉と敵対することだけは避けたいわけです。秀吉を攻めるのは人の道に外れると説得するまつですが、主命に背くのもまた人の道に外れると、利家は息子利長を連れて出陣していってしまいます。

3月、勝家は近江に出兵して柳ヶ瀬に陣を敷き、呼応して信孝も岐阜で挙兵します。伊勢から大垣へ急ぐ秀吉の虚を突き、勝家の甥・佐久間盛政は大岩山の砦を襲い、砦を守る中川清秀は討ち死にしてしまいます。その知らせはその日のうちに秀吉の元に伝わりますが、大雨による洪水がもとで進路を絶たれた秀吉は岐阜城を攻撃できず、大垣城で足止めを食っていました。

秀吉軍は近江木之本に引くことに決め、木之本への街道筋に松明を灯させ通行を容易にし、沿線の村々に米の炊き出しを命じます。秀吉軍は岐阜城を攻めると思われているところ、隙を突いて近江に早く着陣することが目的なのです。秀吉軍は午後4時に大垣を発ち、松明で道を照らされながら沿線での炊き出しの握り飯をほおばり、怒涛のように50km離れた木之本への道をひた走りに走ります。

秀吉軍は5時間後の午後9時に到着。電光石火の早業でした。秀吉はすかさず盛政の陣を襲いますが、この時一番槍として勝利のきっかけを作って活躍したのが、後に“賤ヶ岳の七本槍”といわれた福島正則(イチ)、加藤清正(トラ)、片桐且元ら秀吉子飼いの新進気鋭の若武者たちでした。秀吉軍の思いがけない早い着陣に不意を突かれた盛政は狼狽して、慌てて勝家の陣へ退却を始めます。

勝家の甥・柴田勝政が賤ヶ岳切通しで敗退し、盛政の陣ともども崩れてしまったことで、秀吉軍を迎え撃つのが不利の様相になってきました。毛受(めんじゅ)勝介はいったん北ノ庄へ兵を引き、軍勢を立て直してから出陣することを勝家に進言します。「それがしが殿の馬印をお受け申し、殿の身代わりとなって秀吉軍を足止め仕ります。どのようなことがあろうと、お命を全うなされてくださいませ」

一方、利家の本陣では、勝家に勝機なしと利長が利家を説得していました。しかし利家は、勝家が陣を離れるまではと動きません。そこに撤退途中の勝家がやって来ます。天は我らを見放されたと寂しげな勝家は、北ノ庄に引いて籠城し秀吉と戦うと利家を見据えます。与力は不要と、自分に義理立てせず秀吉軍に加わるように勧めて再び馬上の人となります。

利家も即座に陣を引いて府中城に戻り、秀吉との雌雄は火を見るより明らかと勝家軍はそのほとんどが逃亡してしまいました。天下を二分する両雄が相まみえる賤ヶ岳の合戦は、秀吉軍の大勝利に終わります。しかし秀吉はそのまま勝家を追って越前へ軍を進め、利家が立てこもる府中城を包囲します。

秀吉が到着すると、何の抵抗もなく城門が開きます。利家は秀吉に府中城を明け渡し、離反した責めを負う覚悟です。北ノ庄城を包囲する予定の秀吉は、利家らに先鋒をお願いしたいと伝えます。秀吉を見つめていた利家は目をつぶり、黙ってその言葉を受け入れます。まあが未だに北ノ庄城に人質としていると知った秀吉は、命に代えてのまつの合力に感謝します。「おまあ様はこの秀吉が必ずお助け申します」

勝家への恩義も忘れて、とお市は利家を非難しますが、そもそも利家ら与力は、勝家の謀反の目付役として信長が送り込んだ者たちで、見限るのも無理もないと勝家は悟ります。家臣たちにも去りたい者には去らせ、誰も味方する者がいない状態で、いずれ秀吉の大軍が北ノ庄城を包囲するであろうと勝家は覚悟をしています。

勝家はまあを呼び、人質はもう不要だから府中城へ帰るように告げます。そして勝家がまあの婿と決めた佐久間十蔵にも、まあとともに府中に行くように命じます。まあも十蔵も抵抗するのですが、秀吉軍に包囲される前に早くと促されます。「まあ、そなたは身体が弱い。無理をしてはならぬぞ。大きゅうなって十蔵とええ夫婦になるのじゃ」

勝家とお市の前を辞した後、十蔵はまあを呼び止めます。勝家の側を離れてまで生き延びようとは思わないと、十蔵は城に残ると言い出します。驚くまあですが、十蔵の決意は変わりません。短い間のまあとの思い出を胸に、十蔵は来た道を勝家の居室のほうへ戻っていきます。そして府中城で手を合わせるまつのところに、まあが戻って来ました。「ははさま!」とまつの胸に飛び込み、まあは泣きじゃくります。

4月23日、秀吉は利家を先鋒として北ノ庄城を包囲します。蜂須賀小六は剛の者を選出して天守へ攻め入らせようと鼻息荒いですが、秀吉は天守攻撃はまだ早いと待ったをかけます。お市と3人の娘たちが未だに城内に残っていて、秀吉は彼女たちが城外へ出るまでは攻めてはならないと命じます。

そのころ勝家も、お市らを落ち延びさせるために説得を続けていました。信長の血筋を引く身内を傷つけたくないという勝家の意向は、お市らを必ず守るという秀吉の約束もあって、説得の言葉もより強くなりますが、お市は勝家の言葉を遮ります。本来なら小谷落城に際して長政と運命を共にすべきでしたが、茶々たちがまだ幼く母として生き延びるしかありませんでした。

娘たちが成人した今、思い残すことはありません。1年足らずの短い月日、勝家と寄り添って幸せだったとお市はつぶやきます。長浜を嫌ったのを許してくれたし、戦に不利と承知で雪深い北ノ庄にこもってくれたし、勝家の気持ちが嬉しく安らかに過ごすことが出来たと感謝します。お市には頼るべき身内もおらず、万福丸を手にかけた秀吉の庇護を受けず勝家に添い遂げたいと伝えます。

勝家も、お市と過ごせた日日は人間らしく生きられたものだったと感謝します。果報者だとつぶやく勝家を、お市はまっすぐ見つめます。「まことに市を愛おしんでくださるのなら、私をお連れくださいまし。市はあの世でも、勝家どのの妻でいとうございます」 そこまで言われてしまえば、勝家ももはや何も言えなくなってしまいます。

さらぬだに
 打ちぬる程も 夏の夜の
  夢路をさそふ 郭公(ほととぎす)かな

お市は娘たちを呼び寄せ、母は勝家と運命を共にすると伝えます。嘆き悲しむ娘たちですが、お市は秀吉を頼って落ち延びるように説得します。勝家も、生きて信長の遺志を継ぐように諭します。私は生きたいと答える茶々は、妹の初と小督のことは必ず守るとお市に約束します。「生きることは死ぬことよりも辛いこともあろう。心を強うもって……母はいつもそなたたちを見守っておりましょう」

小六はしびれを切らしていますが、秀吉は珍しく優しく「せめて今宵一夜……のう?」と諭します。そこに城内から茶々たちが出てきたと報告が入ります。秀吉は姫たちを丁重に扱うように命じ、急いで敷物を用意させます。お市の姿がないことを秀吉は問いただしますが、初と小督が泣き崩れる横で、茶々はお市と勝家が別れの宴を催しているとだけ答えます。

秀吉の陣まで宴の音が聞こえ、勝家はバカにしていると小六は吐き捨てますが、秀吉はたしなめます。その夜、勝家は盛大な酒宴を催し、最後まで城内に立てこもった200人の兵に最期の別れを告げた。翌24日、勝家は天守に高く旗指物を掲げて城を飾り、秀吉軍の総攻撃を迎え討った。が、ついに防ぎきれず、自ら天守に上り最期の時を迎えた。

目を閉じて手を合わせるお市、その背後に刀を振り上げて構える勝家の姿があります。お市は勝家に頭を下げると、燃え盛る炎でふたりの姿が見えなくなります。ここに秀吉と天下を二分した一方の雄・勝家は滅び、戦国いちの美貌を謳われた歌人・お市の方は、勝家とともにその非運な一生を閉じたのである。

その後まもなく、姫路のねねの元に秀吉からの文が届いた。それにはすぐに山崎へ来てくれとだけしたためられていた。「何かあったのであろうか」 ねねは心配そうにつぶやきます。


天正11(1583)年4月24日、羽柴秀吉や前田利家に北ノ庄城を包囲され、柴田勝家はお市を道連れに自害して果てる。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと19年9ヶ月──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
尾藤 イサオ (浅野長政)
せんだ みつお (副田甚兵衛)
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夏目 雅子 (お市)
近藤 洋介 (柴田勝家)
滝田 栄 (前田利家)
音無 美紀子 (まつ)
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池上 季実子 (茶々)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:宮沢 俊樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第25回「三姉妹」

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