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2023年7月23日 (日)

大河ドラマどうする家康・(28)本能寺の変

尾張・那古野城で、12歳の信長少年は必死に書物を暗記しています。父・織田信秀からのプレッシャーもあり、迫られる思いで励んでいますが、ある時発狂して指南役の坊主を押し倒し、力の限り蹴り続けます。駆け付けた信秀が見たものは、暴れて家臣を殴打する手の付けられない信長でした。振り返った信長は信秀にも襲い掛かりますが、信秀には力及ばず。信長は信秀の前から逃げ出します。

そして49歳の信長はいま本能寺で就寝中、わずかな物音に飛び起き刀を抜きます。天正10(1582)年6月2日のことです。気配を感じて振り返った信長は、顔を隠した武者が迫って来ているのに気づきます。刀と刀がぶつかり合い、決闘の始まりです。

京の町にできた人だかりをかきわけ、茶屋四郎次郎が目にしたものは、炎上する本能寺でした。「やられはった! 織田様が討たれはった!」 そして信長を討ったのが家康といううわさが飛び交い、家康の首を取ったら褒美が出るなどと口々に広がっていきます。

 

さかのぼって本能寺の変の3日前、5月29日。備中で合戦中の羽柴秀吉に加勢するため出陣する明智光秀は、縁起物を口にしている最中です。そこに信長が京に出立したことが知らされます。信長と嫡子織田信忠と、徳川家康が一同で京に集まる……ろくな守りもせぬのに、と光秀はつぶやきます。「ときは今、あめが下知る、五月かな」

そして信長が安土を出立して京に向かっていることは、服部半蔵や大鼠によって家康にも伝えられていました。軍勢は100ほどの手勢しかおらず、やれます と半蔵は家康を見据えます。“弱き兎が狼を食らう──ならやればいい”という信長とのやり取りを、家康は思い出していました。その上で家康は決断します。「信長を討つ。わしが天下を取る」

酒井忠次や石川数正は、信長を討っても天下が転がり込んでくるわけではなく、信長の息子たちや朝廷を味方につけなければと心配顔ですが、そんなことは家康も承知しています。今から堺へ向かうと立ち上がった家康は半蔵に、京に潜伏させている伊賀者たちには指図があるまで動かさないように命じます。

天正10年5月29日、織田信長公は京・本能寺へ。お供の数は、天下人としては異例の少なさでございました。小姓の森 乱は雨の降る中、運ばれてきた調度品などを分けてどこに配置するかをテキパキと案内しています。京の民衆は、入京したのが大行列ではなかったため、信長本人とは思わず織田家中の誰かが来たのだろうと勘違いするほどです。

 

されど、それと入れ違うように我らが君は京を離れました。南蛮船が行き来する我が国最大の貿易都市・堺。確かなのは、この地で君は実に多くの有力者たちと親交を深めたということでございます。6月1日。和泉・堺ではいつものように南蛮人が行き来し活気にあふれています。

家康は、堺の会合衆・津田宗及が点てた茶を堪能しています。堺の代官・松井友閑も家康の来訪を歓迎します。堺の会合衆たちと懇意になれば、堺に集まって来る人や金、物、鉄砲を手に入れると同じことです。家康の本気度はとても高く、数正は力づくでも止めるべきと主張しますが、臆すれば成せるものも成せなくなると、本多忠勝は刀を手入れしながらつぶやきます。

榊原康政は、瀬名から遺言として“殿とともに安寧な世を作りなさい”と託されたはずと諭します。ただ忠勝は瀬名に従ったことをずっと悔いていて、信長を討てばよかったと考えているのです。だからこそ、信長を討つのは今だと主張します。康政は、信長を討つことが瀬名や松平信康の望みと思うのかと食い下がりますが、忠勝には康政の訴えは耳には入りません。

家康は次に今井宗久と対面し、鉄砲の買い付けの算段をする予定です。その後の予定も詰まっていて、家康と家臣たちはぞろぞろと堺の町を移動していきますが、槍を手に行動する忠勝は一人の女性の目線に気が付きます。えっ!? と驚いた忠次は家康を呼び止め、面倒そうに戻って来た家康は、その女性──お市が堺にいることに仰天します。

岐阜にいたお市は、娘たちにいろいろなことを見聞させようと(でも本当はお市自身が堺で遊びたくて)堺に来ていました。家康が堺にいると聞いて、お市は町中をそぞろ歩いていたわけです。浅井長政という夫を失ってからというもの、一人で過ごしているお市ですが、逆に言えば家康も瀬名を失って、側室たちがいるとはいえずっと一人です。正室を取る気はないとキッパリ。

「兄を……恨んでおいででしょう」とお市は家康の気持ちを慮(おもんばか)ります。とんでもないと家康は涼しい顔ですが、お市は長政を討たれて恨んでいるとハッキリ告げます。この世で信長ほど恨みを買っている人間もいないと妹から見れば思いますが、信長は家康には手を出しません。信長にとって家康はたったひとりの友なのです。

家康にはそれが信じられないわけですが、みんなから恐れられ誰からも愛されず、心を許すたったひとりの友には憎まれ、お市には兄が哀れでなりません。信長が楽しかった時期は、家康たちと相撲を取って遊んでいたあのころだけ……。お市は、弱くて優しくみんなから好かれる家康がうらやましいと信長が思っているのだろうと感じています。すべては信長とは真逆の家康です。

「兄は、遠い昔に捨てさせられたものをずっと持ち続けておられるから」 出過ぎたことを申しました と言うお市は、岐阜に帰ると立ち上がります。去り際、振り返って家康の表情を見てみますが、家康は真一文字に口を閉じ、一点を見つめたままです。お市はその表情に何かを感じ取りながら、足早に去っていきます。

 

成長した信長が赴いたのは、かつて少年だったころに勉学を叩きこまれて追い詰められていたあの部屋でした。信秀には「懐かしい? 忌まわしい?」と笑われますが、うつけ者として遊び惚(ほう)けていた信長に、戻って来いと木刀を投げ渡します。信長に構える信秀の木刀を信長は瞬時に叩き落とし、逆に信秀ののど元につきつけます。信秀は目をつぶって微笑んでいます。

わしはもうすぐ死ぬ……と、信秀は信長に家督を継ぐように命じます。それは信長に、己ただ一人の道をゆけと言っているようなものです。「その道が耐え難ければ、心を許すのは一人だけにしておけ。こいつになら殺されても悔いはないと思う友を」
本能寺での信長は、あの時のことを思い出していました。

同じころ、家康は今日お市に言われた一言ひとこと、兎は狼よりも強いと諭す瀬名の遺言、やってみろという信長のけしかけが頭の中をめぐります。木彫りのウサギを見つめ、大きくため息をつきます。そして家康の大きな心の叫びは、家臣たちが待機する部屋にも届いていました。みなただ黙っていますが、家康の迷う気持ちは分かっているつもりです。

 

そして運命の6月2日を迎えるわけですが、信長はわずかな物音に飛び起き刀を抜きます。気配を感じて振り返った信長は、顔を隠した武者が迫って来ているのに気づきます。刀と刀がぶつかり合うも互角で、信長は武者を斬り倒しますが、別の武者の刀に身を貫かれます。吐血しながら信長が覆面をはぎ取り、息も絶え絶えにつぶやきます。「俺の代わりをやる覚悟ができたか……だが、簡単には代わらんぞ」

信長は力を振り絞り、首を絞めて倒しますが、その武者は家康ではありませんでした。そこに乱が敵が襲来したことを伝えに駆け込んできますが、目の前の主君信長の惨劇に固まります。信長は家康の名を呼びながら、乱の横を通り過ぎてフラフラになりながらその場を後にします。

本能寺周辺で待機している半蔵や大鼠らの前を、無数の兵士たちが進んでいきます。どういうことなんだい? と大鼠はつぶやきますが、半蔵もどういう状況なのか正確なところが掴めず、答えを導き出せていません。
そのころ本能寺では、長槍を手にした信長が最後の力を出して無数の敵と戦っていました。「家康……家康は……」

そしてその家康はまだ堺にいて、座したままです。情けないが、と断ったうえで、集まった家臣たちに決断できないと打ち明けます。ここまで精いっぱいの努力をしてきたものの、今の自分には成し遂げられないと悟ったのです。目の前には木彫りの兎が置かれていました。「すべては我が未熟さ。すまぬ」

忠次は膝をつき、家臣たちの方こそ家康の力になれなかったことを詫びます。あれだけ家康にはっぱをかけていた忠勝も、家康の思い悩む姿に「いずれ必ずその時は来る……いずれ必ず天下を取りましょうぞ」と家康を見据えます。その時まで瀬名の遺志を大切に育もうという忠次の言葉に、コクリと頷く家康です。

堺から京へ戻る家康に、国へ帰る穴山梅雪が挨拶に出向きます。家康は梅雪をかまってあげられなかったことを詫びますが、梅雪はそれほど気にしてはいません。「ただ、主君を裏切って得た平穏は……空しいものでございますな」と寂しそうに笑います。家康も、信長を討てばあやうくその心境に陥っていたかもしれません。

そこに四郎次郎が駆け込んできます。あまりの慌てぶりに家康も動揺しますが、駆け込み方が『いだてん』の金栗四三そのままですww それはともかく、早暁に光秀の軍勢が押し入って信長が討たれたことを報告します。衝撃的な報告に家康は絶句しますが、情報が錯綜する中でただひとつ分かったのは、光秀の命により家康は狙われているため、早く逃げたほうがいいということです。

信長横死の知らせは備中の秀吉の元にも届けられ、ひょうきんな秀吉にしては珍しく、声を上げて泣き叫びます。しかし次の瞬間、秀吉は表情を一変させ、羽柴秀長に毛利と和議を結べと命じます。「直ちに引き返す。このサルが仇を討ったるがや! このサルが徳川家康の首を取ったろまい!」 秀長は、信長を討ったのは光秀であると慌てて訂正します。

香を楽しむ光秀のもとに信忠を討ったとの報告があり、残るは家康だけと光秀はニンマリします。「断じて逃すな! できれば生け捕りにせい! あのくそたわけの口に……腐った魚を詰めて殺してやる……!!」

 

山中を逃げ惑う家康主従ですが、敵に急に襲撃を受けて必死に抵抗します。しかし敵は家康の首を目当てで一行を取り囲んでおり、褒美が目の前にあると俄然やる気に満ちあふれている民たちです。家康は敵を斬り倒しながら、信長の名前を何度も何度も連呼します。

そして数時間前、燃え盛る本能寺の中でよろめきながら進む信長も、家康の名を繰り返し呼びます。障子を開けると、目の前に大軍勢が居並んでいました。大軍勢の奥には、光秀が床几に座って見つめています。無表情の信長に、乱世を鎮めるまでの役目でありそろそろお役御免といろいろ口上を述べます。ギロリと睨む信長は「このキンカン頭! お前にオレの代わりが!」と叫び、光秀はあっけにとられます。

家康は必死に敵と戦いながら、若いころに信長に鍛えられた時のことを思い出していました。あの時のように、今の家康は敵に食らいつき、倒し続けます。
──あなたがいたからじゃ……あなたに地獄を見せられ、あなたに食らいつき、あなたを乗り越えねばと……。弱く臆病なわしがここまで生き延びてこられたのは、あなたがいたからじゃ──

本能寺の信長は踵を返し、燃え盛る奥へ進んでいきます。

敵を倒し、井伊直政らに助けられた家康は、誰も死ぬなと厳命します。「生き延びるぞ! さらば、狼……ありがとう、わが友」


天正10(1582)年6月2日、明智光秀が本能寺で織田信長を、二条御所で織田信忠を討つ。本能寺の変。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと20年8ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名(回想))

北川 景子 (お市の方)

岡田 准一 (織田信長)

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))
板垣 李光人 (井伊直政)
イッセー 尾形 (鳥居忠吉(回想))
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田辺 誠一 (穴山梅雪)
酒向 芳 (明智光秀)
佐藤 隆太 (羽柴秀長)
松本 まりか (大鼠)
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ムロ ツヨシ (羽柴秀吉)
山田 孝之 (服部半蔵)
中村 勘九郎 (茶屋四郎次郎)
藤岡 弘、(織田信秀)

松重 豊 (石川数正)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・釜谷 正一郎
演出:村橋 直樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第29回「伊賀を越えろ!」

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