プレイバックおんな太閤記・(26)両雄対決
柴田勝家を討ち、天下統一への実権を手中にした秀吉は、天下を掌握するには最も地の利を得た大坂に白羽の矢を立て、天正11(1583)年6月2日、大坂城へ入った。羽柴一族の根城として大坂へ呼び寄せ、養子の於次秀勝は丹波亀山城から、そして宇喜多秀家もこれを機に大坂へ移ってもらいます。今は仮の城ですが、今に安土城を凌ぐ城になると秀吉は胸を張ります。
茶々・初・小督の三姉妹も、豪同様に秀吉の姫として大坂へ呼びました。秀吉は三姉妹に一族を紹介しますが、丁寧に頭を下げる初と小督に対して茶々は頑として頭を下げません。ただ、いとこにあたる秀勝の視線に気づいた茶々はジッと見返します。秀吉は祝いの席を設けますが、茶々は気分がすぐれないと言って、三姉妹は辞退してそそくさと戻っていきます。
対面が終わり、居室に戻って来たなかたちですが、鼻にかけたような茶々の振る舞いにあさひは不満たらたらです。なかも同じことを思ってはいますが、会わずに済む自分たちよりも世話役のねねに同情します。身内よりねねの親族を大切に扱う秀吉に不満のともですが、秀吉から三好の姓を与えられた秀次は、今に立派に右腕として活躍してくれるだろうと、それを楽しみにしています。
ねねは福島正則(イチ=市松)と加藤清正(トラ=虎之助)を連れてきます。誰かと思ったら! となかは、立派に成人したふたりの姿に目を細めます。今回賤ヶ岳の合戦の手柄として、正則には5,000石、清正には3,000石を与えられ、その挨拶にと出向いたのです。母親に口利きを頼まれたなかの家で出会い、岐阜城に戻るねねについてきたふたりは、ねねにご恩返しをせねばとつぶやき、ねねは涙を浮かべて喜びます。
ひとりの老武士が大坂へ召し出されます。何か不都合があったのかと本人はオロオロしますが、秀吉はなかを連れて部屋へ駆け込んできました。今は徳川家康からわずかな禄を食む松下嘉兵衛之綱(ゆきつな)は、秀吉がまだ藤吉郎と名乗って針売りをしていた15歳から暇をもらう18歳までの主君だったのです。藤吉郎という名に覚えがあったのか、嘉兵衛はゆっくりと顔を上げます。「そなた藤吉郎ではないか!」
働き者だった藤吉郎が妬みを買うのも尤(もっと)もで、300文をもらって松下家を出ていく藤吉郎はその後信長に仕えることになり、秀吉は運を開いてくれた嘉兵衛に感謝しているのです。話を聞いたなかも、嘉兵衛に巡り合って秀吉の今があると頭を下げます。秀吉は家康から嘉兵衛を譲ってもらい、4,000石を与えることにしました。30年も昔のことを忘れずにいてくれたと、嘉兵衛は秀吉の気持ちに涙します。
ねねは湯殿で秀吉の背中を流し、優しくされると何やら恐ろしいと秀吉は冗談を言って笑います。秀吉が果たした嘉兵衛へのご恩返しにねねは満面の笑みです。なかも喜び秀吉を褒めていたらしく、褒められるのは初めてだと秀吉は照れ笑いします。ねねは、天下取りのことしか頭にないのかと思っていた秀吉が、心根はやはり出会ったころの時のままの優しい男だったと嬉しいのです。
明智光秀の娘・たまは、本能寺の変後に細川忠興に幽閉されて丹後国の味土野(みどの)で、清原マリアとひっそりと暮らしていました。みつがたまのところにいて、いつか秀吉に取りなしを約束するのですが、天が苦しみを与えて試しているとその申し出を断ります。たまの部屋には、キリストが磔にされている十字架と、聖書が置いてありました。
秀吉が掌握した天下ではあったが、思いがけないところから反乱の兆しが見え始めていた。それは浜松城主・徳川家康の離反であった。
織田信雄は、秀吉の専横を危惧し家康に挙兵を働きかけます。秀吉は信長の孫・秀信を後継に、信雄を補佐役にして織田家へ臣従をしていますが、それはあくまで形ばかりであり、天下の実権を握りほしいままにしていると信雄は鼻息荒いです。しかも信雄の家老3名も秀吉に内応し、裏切ろうとしています。
「家康どのはわが父信長とは盟友としてともに戦国を戦われたお方。父上の遺志を全うするためにもお力を」 信雄の覚悟を聞いても何も答えない家康の顔色を見た本多正信は、早急に話し合いをすると答えます。それでも必死に家康に食い下がる信雄ですが、家康は何も言葉を発せず、まっすぐに視線を前に向けているままです。
信長とは盟約を結びながら、本能寺の変の混乱に後れを取り、秀吉に先を越されました。秀吉の鼻をへし折りその遅れを取り戻す絶好の機会です。柴田勝家や織田信孝の遺臣を多く召し抱えた家康が、信雄を助け義をもって挙兵するとなると、弔い合戦にみな喜んで働くと酒井忠次がささやきます。「……やってみるかの。三河に家康ありと筑前めに知らせてやるだけでも無駄ではないじゃろ」
信雄が家康に泣きつき寝返った、と秀吉は激怒します。秀吉が三家老を討つように信雄に迫ったのは、三家老を引き離して信雄を孤立させるためでしたが、結果的にこういう裏切りを生んだのは青天の霹靂です。家康とも、北ノ庄の戦勝祝いに初花の茶入れを進呈し、秀吉も不動国行の名刀を遣わせた間柄ですが、よしみを通じておいてのまさかの裏切りに愕然とします。
家康は四国の長曾我部を誘い、長曾我部は淡路まで兵を進めています。紀伊では根来の僧徒、雑賀の一向一揆で和泉河内を味方にし、北国の佐々成政に加賀越前を攻めさせて秀吉包囲網ができつつあります。戦は避けられない状況に、秀吉は出陣を決意します。
姫路の蜂須賀正勝(小六)と黒田官兵衛を大坂へ戻し根来と雑賀に当たらせます。毛利への備えには宇喜多秀家を遣わし、成政には前田利家と丹羽長秀を充て、そして上杉景勝には家康の背後を突かせよと、秀吉は次々と羽柴秀長に命じます。「急ぎ手配せい。相手は家康ぞ。秀次も連れてゆかせよう」
秀次が鎧を身に着けると、ともはなかなかの武者ぶりに目を細めます。なかは弱冠17歳の若武者が何も活躍できまいにと否定的ですが、秀次が旗頭として秀吉に呼ばれ、花を持たせてくれたのだからと、若気にはやり功を急いでの軽挙妄動だけは慎まなければならないと弥助は諭します。
秀吉と家康の戦は茶々たちも知るところとなり、秀吉が負けたら今度は自分たちはどうなるのかと初は恐々とします。茶々は秀勝と対面して無事を祈っていると伝えたときのことを思い出します。家康に小谷と北ノ庄の恨みを晴らしてほしいと願っている茶々の気持ちを秀勝に見透かされ、慌てて否定する茶々でした。
秀吉と家康の対決の時──。戦場においてよりも、両雄が策の限りを尽くして攻防した外交戦争として名高いものでした。初戦は秀吉軍が尾張犬山城を攻略し、家康は尾張を一望できる小牧山に陣を敷きます。秀吉は小牧原の楽田(がくでん)に砦を築き徳川軍と対峙。秀吉軍と家康軍はにらみ合ったまま仕掛けることもなく、膠着状態になったまま天正12(1584)年4月を迎えます。
秀吉軍が小牧山を囲み家康を封じ込める間、三河を攻めると池田恒興は提案します。秀吉はしばらく考え、各地で反乱の手が上がるため戦を無駄に大きくしてはならぬと聞き入れません。しかし官兵衛は、三河を攻めれば家康が戻らざるを得なくなり戦を終わらせられる進言。秀吉は、深追いしないことを条件に恒興の策を採用することにします。秀次は三河攻めに名乗りを上げ、秀吉は采配を秀次に与えます。
飯をかきこむ家康のところに、正信が情報をもたらします。秀吉軍の一部が6日夜半に三河へ向かったとのことです。「サルめ本気で戦を仕掛けるつもりか……たわけが」と家康はあきれ果てますが、正信は小牧山を包囲される前に家康に三河行きを勧めます。今三河に向かえば、途上にある岩崎城を抗戦中の軍勢の背後を突くことが出来るのです。家康は忠次と本多忠勝を残して小牧山を抜けて三河へ向かいます。
小牧をこっそり抜け出した家康は、長久手で秀次軍に追い付きます。思いがけない家康軍の追い打ちに秀次軍はたちまち総崩れとなり、秀次は敗走、恒興や森 長可ら名だたる武将が戦死してしまいます。
秀吉は秀次の無様な戦いぶりに激怒し、ともは小さくなっています。17歳の小童に総大将を任せるほうがどうかしてるわ! となかは秀吉を批判し、戦の1つ2つ敗れたぐらいで天下の形勢が変わるわけでもないと庇いますが、秀吉にとっては大大名家康との大事な一戦であり、それに敗れれば家康に頭が上がらなくなります。見せしめに斬って捨てるのが常道ですが、秀次が不憫でそれもできません。
その後も両軍ともにらみ合ったまま対峙し、やがて和議が持ち上がります。そもそも信雄への義理は二の次で、秀吉に家康の存在を分からせるための戦であり、それができただけいいと、正信は手打ちを家康に進言します。ただ家康の次男・於義丸を人質に差し出せというのは承服できかねます。「急ぐことはございません。焦っておるのは筑前でございます」 正信の言葉にニヤリとする家康です。
結局、和議は決裂し、秀吉家康の軍は依然小牧山に対峙したままとなった。家康のこのしたたかさは、終生秀吉を悩ますことになる。
天正12(1584)年4月9日、長久手の戦いで羽柴軍と徳川軍が激突する。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと18年10ヶ月──。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
中村 雅俊 (羽柴秀長)
長山 藍子 (とも)
泉 ピン子 (あさひ)
せんだ みつお (副田甚兵衛)
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フランキー 堺 (徳川家康)
池上 季実子 (茶々)
岡 まゆみ (おたま)
広岡 瞬 (三好秀次)
神山 繁 (本多正信)
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赤木 春恵 (なか)
前田 吟 (蜂須賀小六)
西田 敏行 (羽柴秀吉)
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制作:伊神 幹
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第27回「東西和睦」
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