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2023年8月20日 (日)

大河ドラマどうする家康・(32)小牧長久手の激闘 ~頂上決戦! 家康VS秀吉 躍動! 徳川四天王~

──天正12(1584)年3月、徳川家康と羽柴秀吉との天下を巡る決戦の火ぶたがついに切られた。家康が陣を構えた小牧山城は、織田信長が築いた城である。家康は榊原康政に命じ、小牧山城を堅ろうな要塞へと作り変えた──。

「このひと掘りが~ドッコイドッコイ 土を固めて足固め~ドッコイドッコイ」と、人夫たちが鍬(くわ)を手にして作業を続けています。我らが神の君に対すること、その正面わずか1里半(=約6km)。秀吉が陣を構えたるは楽田(がくでん)城。実に8万とも10万ともいう未曽有の大軍勢が、その一帯を埋め尽くしておりました。にらみ合いを続けること数日、決戦の時が迫っております。

織田徳川本陣の小牧山城では、軍議の場に織田信雄を迎え入れる際に目礼する徳川家臣たちです。石川数正は羽柴軍と軍勢の差が歴然であり、にらみ合いを続けて時間を稼ぎ、羽柴軍が音を上げれば、こちらに有利に和議を結ぶこともできると信雄に説明しますが、康政はこちらに寝返る者が出れば勝ち目は十分にあると反論します。本多忠勝もムッとして「和議など二度と口に出さんでもらいたい」と睨みます。

本多正信が立ち上がり、たきつけてみますか、と提案します。罵詈雑言を流布……秀吉の悪口を立て札に書いてたくさん立てるのです。忠勝は話にならぬとそっぽを向きますが、秀吉が逆上してしくじるかもしれないと、康政は意外にも正信に賛成します。字がうまいのは小平太と正信は康政に筆を持たせ、秀吉の悪口を次々と言わせますが、康政も悪口を言いたい放題で、小牧山城は大いに盛り上がります。

その立て札はさっそく池田勝入によって秀吉に報告されます。読み上げよという秀吉の命に羽柴秀長は躊躇しますが、立ち尽くす秀長の手から立て札を奪い取った勝入は、代わりに読み聞かせます。「それ羽柴筑前守秀吉は野人の子なり。もともと馬前の走卒に過ぎず、信長公の寵愛を受け将帥(しょうすい)にあげられるとその御恩を忘れ、その子らをないがしろにし、国家を奪わんとする八逆罪の者なり」

たまらず勝入から立て札を取り上げる秀長ですが、秀吉は織田家に仕えてからこれらよりもっとひどいことを言われ続けてきたのだと、こんな文で怒らせようとする康政を大笑いします。所詮人の悪口を書いて面白がる者は己の品性こそ下劣であると、秀吉は笑って聞き流します。それでよい、と勝入も大笑いし去っていきますが、秀吉は勝入を冷ややかに見ています。「腹ん中じゃまんだ自分が上だと思っとる」

 

夜になっても羽柴軍に何の変化もありません。家康は正信に、もし羽柴方ならどう攻めるか尋ねてみます。正信は地図の上に並べられた軍勢に見立てた石をいくつか取ると、地図からはるか離れたところでゴロゴロと落としてみせます。忠勝は正信に腹を立てますが、その真意にハッと気づかされます。康政も数正も、そして家康も気づきうなります。それを受けて康政は普請の追加を人夫たちに命じます。

勝入は森 長可と話し合い、自分たちが三河岡崎に攻め込むことで家康をおびき出し、秀吉と挟み撃ちにするという“中入り”を提案しますが、秀吉はよい策ではないと突っぱねます。織田勢が秀吉に従っているのは自分がいるからだということを忘れるなと、ここは従っておくように見据えますが、「そういう言い方はせん方がよいぞ」と秀吉はたしなめます。

小牧山城の要塞づくりは日夜を問わず続けられています。井伊直政は正信に、家康の命を狙ったのに追放で済んだ理由をたずねます。「さあな。軽蔑するか」と正信はそっけない態度ですが、直政も幼いころに家康に襲い掛かっているのです。家康はなぜ自分たちのような者を許し信じてくれるのかが直政にははなはだ疑問ですが、ただ戦のない世を作るのはそういう人物だということだけは分かっています。

秀吉に気づかれないように中入り勢を叩くには、小牧山城の堀からそっと出ていくしかない。家康の考えを受けて康政はさらに手を加えた普請でやり直しているのです。忠勝は図面を書いて普請の先頭に立つ康政を評価します。康政は、忠勝に追いつきたい一心で武芸に励んできましたが、叶わぬと悟って頭を鍛える方向へ転換したのでした。その康政も忠勝を認めていて、お互いの活躍を見守っています。

 

秀吉の陣では正式に「三河中入り」が下知されます。3万の中入り勢は勝入、長可、堀 秀政の各隊で、羽柴秀次が総大将を務めます。秀長は加藤清正(虎之助)に物見を命じ、出てきた徳川軍に追い打ちをかけるために待機します。秀吉は金の日の丸鉄扇をかざし、不気味な雰囲気を放ちます。「さあ……岡崎を灰にしてまうか? 出るか? どうする? 家康」

小牧山城では、秀吉の中入り勢3万が出陣したとの報告を受けます。悠々たる出陣のさまは、出てこい! と言わんばかりです。中入りを想定していた家康は動じません。その間にも堀の普請は続けられ、ドッコイドッコイと掛け声が聞こえてきます。迎える岡崎城では、登与や鍋を中心にその準備に余念がありません。敵の軍勢が岡崎目指して進軍中と知らせが入り、於愛の方は味方利勝利を信じようと鼓舞します。

夜になると、普請が終わったと泥まみれの康政たちが戻って来て、家康は康政たちを労います。家康は、臆病だった自分がなぜここまで来れたかは、今川義元に学び織田信長に鍛えられ、武田信玄に兵法を学び取ったからですが、何よりもよい家臣たちに恵まれたと礼を言います。「我らの最後の大戦となるやもしれぬ、いやせねばならぬ。我らの手で天下を掴むときぞ」

徳川軍は掘り下げられた空堀から出陣していきますが、それは秀吉の陣からは確認できず、秀吉はまだ動かない様子の徳川軍を気にし出します。福島正則は、秀吉軍の数の多さに恐れをなしているのだと大笑いしますが、秀吉の陣中にそう高を括る者が少なくなかったのかもしれません。そうしている間にも徳川軍は身をひそめたまま堀を駆け上がり、一気に中入り勢に向かっていきます。

勝入の陣では、家康が岡崎を見捨てる可能性も考えていますが、そこに羽柴勢と堀勢が徳川の奇襲を受けていると伝令が伝えます。いつ城を出たというのだと勝入は苛立ちます。この小牧長久手の戦いにおいて一番槍を務め、多大なる功を上げたるは、いわば徳川四天王とでも称すべきおひとり、榊原康政でございます。

母ひよから「井伊家の再興はそなたにかかっておる」と諭され、家康を天下一の殿さまにと言われた幼い直政は、今回の出陣に際して「やってみせますぞ」と母に誓います。長久手に現れた徳川本隊に勝入たちは挑んでいきますが、目の前に現れたのが赤備え隊で、武田勢か!? としり込みします。神の君をお守りし、旧武田勢を率いて敵を撃滅したのが、徳川四天王・井伊の赤鬼こと井伊直政。

長久手で徳川軍と衝突していることが秀吉本陣に伝えられると、秀長は物見は何をしていたかと怒りますが、そこでようやく家康が掘らせていたのは堀ではなく、ひそかに出陣するための抜け道であったと気づきます。秀吉は出陣するため、兜を手にスタスタと歩き出して行ってしまいます。秀吉本軍を小勢にて迎え撃ったのが、徳川四天王・天下無双の本多忠勝。

本陣を移した秀吉でしたが、そこでもたらされたのは中入り勢が総崩れとなり、勝入と長可が討ち死にした知らせでした。秀吉は撤退を命じざるを得ませんでした。ただ、自分の言うことを聞かない者がいなくなったと笑う秀吉に、先ほどまで明るく笑い飛ばしていた家臣たちは沈んだ表情です。家康はみんなのおかげで得た勝利だと、勝どきを上げます。

秀吉は三河中入りは自分の策ではなく、自分の言うことを聞かずに勝入が強引に進めた策だと触れまわさせます。強くなった家康ですが、これからどうやって勝つのかと秀長は秀吉に尋ねます。秀吉はニヤリとします。「家康には勝たんでも、この戦にゃあ勝てる。敵の総大将は……家康ではねえ」

 

勝利に沸き立つ兵たちに信雄は酒をふるまい、家康に握手を求めて「これで秀吉に勝てる! われらの天下じゃ!」と大笑いします。正信は、実質的に勝利に導いたのは敵の策を見破った自分だと酒をグイッとあおります。徳川四天王、残るおひとりがこのイカサマ師……ではなく、頼れる大黒柱・酒井忠次でございます。

盛り上がる家臣たちから離れて、数正は浮かない表情です。家康は横にどっかと座り、素直にみんなと喜べと笑います。数正は「まさに会心の勝利、されど秀吉には勝てぬと存じまする」と言って家康を戸惑わせます。たかが一戦に勝利を収めただけであり、秀吉は自分たちの弱みに付け込んでくると、勝利に浮かれる信雄をじっと見つめています。


天正12(1584)年4月9日、羽柴軍と織田徳川両軍が激突。森 長可と池田恒興が討死にする。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと18年10ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))

板垣 李光人 (井伊直政)
猫背 椿 (登与)
中島 亜梨沙 (ひよ)
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広瀬 アリス (於愛の方)
徳重 聡 (池田勝入)
浜野 謙太 (織田信雄)
城田 優 (森 長可)
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ムロ ツヨシ (羽柴秀吉)
佐藤 隆太 (羽柴秀長)
木村 多江 (鍋)
松山 ケンイチ (本多正信)
松重 豊 (石川数正)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・釜谷 正一郎
演出:加藤 拓

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第33回「裏切り者」

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