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2023年8月13日 (日)

大河ドラマどうする家康・(31)史上最大の決戦 ~家康VS秀吉軍 10万激突 逆転の秘策~

北ノ庄城が落ち、城主柴田勝家と妻お市が自害して果てました。これで兄さまの天下と羽柴秀長は喜びますが、「まだめんどくせえのが残っとるがや」と、羽柴秀吉の顔に笑みはありません。めんどくさい相手──徳川家康のことです。秀吉は、酒井忠次が踊る“えびすくい”のメロディに乗せて、「し~ろ~うさぎ、しろうさぎ~」と眼光鋭いです。
その家康は、秀吉を倒すと鼻息荒く睨みつけています。

織田家次男・信雄を擁し、信長の後継者争いに勝利した羽柴秀吉は、天下人への階段をさらに大きく、大きく駆けあがっておりました。天正11(1583)年・大坂──。戦勝祝いに駆けつけた石川数正は、城内に伸びる行列が武士や公卿、坊主など秀吉への挨拶の順番待ちと知り、最後尾に並ぼうとしますが、案内役の秀長は構わず行列を抜いて数正を連れていきます。

遠江・浜松城では、秀吉へ祝いのあいさつに出向いたと知り、家臣たちは反発します。しかし秀吉は、織田家跡継ぎに三法師、当主名代が信雄と筋を通していて、自分たちも合わせる必要があると酒井忠次はなだめます。そして祝いの品は「初花肩衝(はつはなかたつき)」という、織田信長の形見で国の一つや二つ買えるほどの値打ちある茶器を持たせたと家康は言ってのけ、大久保忠世は驚愕します。

下手に出れば秀吉は家康に臣従を求めてくると榊原康政は危惧し、井伊直政も秀吉にひざまづくつもりかと家康を見据えますが、秀吉の機嫌を取るのは来たるべき戦いに備えて油断させるため、そして秀吉の腹の内を探るためだと、本多忠勝は珍しく家康の考えに同調します。「数正が、しかと見定めてくることじゃろう」

そのころ数正は、秀吉と対面していました。形式ばったあいさつを交わすふたりですが、秀吉は次の瞬間にはいつもの茶目っ気あふれる態度で数正に接します。数正のような家臣がほしいと秀吉はつぶやきますが、数正は姿勢を崩さないまま「初花」を差し出します。秀吉はひどく感激し、家康だけが頼りだと数正に伝えさせます。「わしの新たな城が出来上がったらお招きするで、また遊びに来てちょうでぇ」

浜松に戻った数正は、ありのままを家康に報告します。忠次は秀吉の猿芝居に舌を巻きますが、得体のしれない秀吉に前にも増して不気味だとつぶやきます。現に秀吉は「初花」を手にしながら、当人が来ないとは……と吐き捨てているのです。岡崎城下の数正屋敷では、妻の鍋が数正を労わりますが、数正はそれには答えず思案にふけっています。鍋は困惑しながら傍らに座ります。

 

桐紋の入った黄色い幟旗(のぼりばた)がはためく中、軍勢が整列しています。織田信雄は、安土城を追い出されたことが不服です。秀長は尾張・伊勢・伊賀の三国のみを治めるように諭しますが、秀吉とともに天下を治めるつもりでいる信雄は、上座に上がりたしなめられます。「己の器を知るっちゅうことが、大事なことでごぜぇます」と睨む秀吉は、信雄を追い出してしまいます。

このままでは父に顔向けできないと信雄が泣きついたのは家康でした。自分とともに秀吉を倒して天下を取り返してほしいと手を握られ、家康も困り果てています。ここ清須城は、亡き信長と“どんな時でも助け合う”という同盟を結んだ地でもあります。家康はそれを思い出しながら、今の秀吉と戦うのは並の苦労ではできないと、刺し違える覚悟があるかと信雄に迫ります。

一心に薬研(やげん)を挽く家康は、瀬名のことを思い出していました。自分たちが目指した戦のない世を家康に託す──。「きっと……戦のない世を築いてくださいませ。あなたならできます、必ず」 そういって死んでいった瀬名を思い出した家康は、決意を固めます。傍らには、瀬名に手渡された木彫りのうさぎの像が置いてありました。

直政は腕に包帯を巻いています。武田旧臣を預かる直政は、力を示そうと悪戦苦闘しているのです。ただふと、最強の兵を率いるのが自分でいいのかと不安にもなりますが、最強の兵を手懐けられるのは、負けず嫌いで人たらしな直政しかいないと家康は考えて任せているのです。近いうちに大きな戦になった時、武田旧臣を手懐けて動かせるようにすると直政は家康に約束します。

家臣たちに講義をする康政に、秀吉と戦って勝算があるかと問いかけます。敵は寄せ集めの大軍であり、徳川軍は小さいながらもいくつも戦をくぐり抜けた軍勢で、どうして負けるのかと胸を張ります。そう高くない家柄の次男坊でここまで重用してもらった恩が康政にはあり、その戦で命を落としたとしても何の悔いもないと家康を見つめます。頼りにしている、と家康は清須城周辺の地図を康政に渡します。

槍の稽古に余念がない忠勝ですが、家康が何も言葉を発しないうちから、オレに聞くまでもないこと と言って家康を見据えます。大高城を逃げ出した家康を引きずり戻した時を思えば、このような日が来るとはと忠勝は感慨深げです。主君とは認めないとわめいていたなと家康も懐かしがりますが、まだ認めてはいないと言われて、家康は「えっ」と絶句します。「天下をお取りになったら、考えてもようござる」

徳川5か国、信雄2か国、秀吉は20か国もあり太刀打ちできませんが、その実情は秀吉に従いながら腹の中では反抗している者が多いわけで、その筆頭である美濃の池田恒興や加賀の前田利家、越中の佐々成政、土佐の長宗我部元親、紀州の根来衆・雑賀衆を調略すれば、秀吉を取り囲むことが出来る……とは、本多正信の案です。感嘆の声を上げる重臣たちは、今しかないとの結論に至ります。

家康は数正と忠次に意見を求めます。忠次はすでに家康自身の中では決まっていると心の内を見透かします。家康は、何も持たない農民からいろいろなものを手に入れてきた秀吉にひざまづけば、領国を秀吉に奪われてしまうのではないかと考えています。力がなければ何も守れず、強くなければ奪われるだけで、安寧の世をもたらすのは自分の役目だと宣言します。「秀吉に勝負を挑みたい」

 

天正12(1584)年2月。家康は信雄は擁して挙兵することになり、機嫌のいい信雄は家康に握手を求めます。家康はそれを遮り、恒興への調略ができるかを尋ねます。秀吉に知られぬように調略する必要がありますが、信雄家臣の中にも秀吉に通じている者がいるのです。信雄は、秀吉方に通じていた3人の家老を誅殺。ついに戦いの火ぶたが切られたのでございます。

ついに信雄が立ち上がり、調略を受けた恒興も徳川方に味方すると返事したと、秀長から報告が上がります。「ほうか……それでええ」と秀吉にとっては想定内です。まんまと仕掛けて来て、信雄も家康も愚かだとニンマリします。秀吉にとっては両者をまとめて滅ぼせる機会と言えそうです。

長丸と福丸が筆の手習いの途中に寝てしまったようです。一緒に横になっていた於愛は家康の姿を見て飛び起きますが、家康は家をまとめている於愛を労わろうと肩をもんでやります。女たちは、男たちが懲りずに戦ばかりしていると呆れているだろうと家康はつぶやきますが、於愛は亡き瀬名が目指した世界を目指して、それを成すために戦をするのだと理解しています。

数正は鍋に、城代の妻として岡崎城へ入るよう命じます。そしてその三河・岡崎城では、数正が家臣たちに号令をかけます。忠次は、忠世・鳥居元忠・平岩親吉には甲斐と信濃(特に真田)を任せ、他の者は清須城に向かうと下知します。家康は、今こそ我らが天下を取るときと家臣たちに叱咤します。みな家康を見つめ、気合を十分に高まらせます。

秀吉は、家康の首を取れば尾張と三河も与えると言ってきたようで、恒興は「悪くないのう」と握り飯をほおばります。森 長可は秀吉と家康のどちらに味方するのかを尋ねますが、恒興は秀吉のことが嫌いなので言うまでもないというところです。ただ、信雄と家康よりは秀吉の方が気前がよいとニンマリします。

織田を裏切り秀吉についた池田軍は進軍を開始。尾張北部の防御線・犬山城を瞬く間に落城せしめたのでございます。徳川本陣では、池田の裏切りに信雄が動揺しています。家康は、総大将はうろたえるなと信雄を見据えます。ともかく、秀吉本軍が来る前に池田勢を足止めして時を稼ぐしかなさそうです。

酒井勢が夜陰に紛れて打って出て、羽黒あたりで敵を叩くと忠次が宣言します。忠勝や直政らは自分が自分がと手を上げますが、若者の出番は先だと忠次は却下します。そもそも忠次は秀吉には勝てないと考えていたのですが、家康はすっかり頼もしくなり、若者も育ってきています。ここが死に場所だと決めている忠次に、家康は「生きて帰ってこい」と送り出します。

羽黒の森 長可の陣では、突然の敵の襲来に兵たちが動揺し逃げ惑います。長可は「逃げるな、戦え」と叫びますが、自軍の混乱は収まりません。鉄砲玉も飛んできますが、敵がどこにいるのかもつかめず、長可はキョロキョロして探しています。忠次は、鬼武蔵と恐れられた長可に対して、年季の違いを見せつけてやれ! と叱咤し、敵陣にかかります。

酒井軍が森軍を蹴散らしたと報告があり、正信は 羽柴軍との兵力差を考えて岡崎辺りまで引いて籠城するよう進言します。清須城を見捨てるのかと信雄が文句を言いますが、地の利を生かさねばやり合えないと突っぱねます。待っていては勝てないと、家康は前に出ると命じます。康政は、兵を引かずに秀吉を迎え撃つには、小牧山城がふさわしいと策を献じます。

秀吉ののど元に刃を突き刺すか! おもしろい! と忠勝は大賛成です。一方で小牧山城は古くて使い物にならないと数正は険しい顔です。康政は堀を二重の土塁と空堀を張りめぐらし、難攻不落の要害にするというのです。10日もあればという康政に、家康は「遅い、5日じゃ」と命じます。

迫りくる羽柴秀吉の本軍10万。犬山城に着陣すると、勢いそのままに楽田(がくでん)城をも一気に制圧したのでございます。我らが君が本陣としたるは、その南方わずか1里半。榊原康政が5日のうちに強じんな城に造り替えたる小牧山城。ここに両雄、ついに相まみえることとなったのでございます。


天正12(1584)年3月17日、酒井忠次軍が羽黒の森 長可勢を奇襲。森軍は300人の死者を出して敗走。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと18年10ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名(回想))
大森 南朋 (酒井忠次(左衛門尉))
山田 裕貴 (本多忠勝(平八郎))
杉野 遥亮 (榊原康政(小平太))

板垣 李光人 (井伊直政)
音尾 琢真 (鳥居元忠(彦右衛門))
小出 伸也 (大久保忠世)
岡部 大 (平岩親吉(七之助))
猫背 椿 (登与)
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広瀬 アリス (於愛の方)
徳重 聡 (池田恒興(回想))
浜野 謙太 (織田信雄)
城田 優 (森 長可)
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岡田 准一 (織田信長(回想))

ムロ ツヨシ (羽柴秀吉)
佐藤 隆太 (羽柴秀長)
木村 多江 (鍋)
松山 ケンイチ (本多正信)
松重 豊 (石川数正)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・海辺 潔
演出:田中 諭

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第32回「小牧長久手の激闘」

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