プレイバックおんな太閤記・(43)母、ともの嘆き
文禄4(1595)年7月8日、秀吉の甥・秀次は謀反の廉(かど)により高野山に追放された。お茶々の子・拾をめぐる凄惨な豊臣家世継ぎ争いの結末であった。が、秀次の非運はそれだけでは済まなかった。やがて残酷な知らせがもたらされることになる。7月15日のことであった。
三好吉房・とも夫婦が大坂城のねねの元を尋ねます。吉房は謀反人の親となってしまいねねに面会に訪れるなど憚られる身だと遠慮がちに言いますが、豊臣秀吉の身内だとねねは憚る必要はないという立場です。豊臣秀次のことについて伏見の秀吉に動きがあれば、すぐにねねの元に知らせが入るように手配していますが、ねねとはいえ目通りは許されず、秀吉と対面することはできていません。
秀次が追放された高野山は霊場であり、血で穢すことは許されておらず、いくぶんかは安心です。ただともは、聚楽第の秀次の家臣や側室たちが次々に捕らえられ、処刑されていると聞いていて不安でいっぱいです。食事ものどを通らない夫妻のためにねねは雑炊をこしらえ、吉房は戦帰りに雑炊を楽しみに帰ってきたことを思い出します。そこに孝蔵主が控えめにねねを呼びます。
対面所ではみつが控えていました。吉房やともが聞いては困る内容かとねねは身構えます。福島正則や浅野長政が高野山に派遣され、秀次が切腹を命じられたと躊躇しながら伝えます。正則がこっそり教えてくれたようで、高野山とはいえ歯止めにはなりませんでした。なんということを! とねねは言葉を失います。ともは、侍女たちが止めるのも聞かずに対面所に駆け込み、秀次が殺されるのかと覚悟をします。
「ととさまにはの……そなただけじゃ」 秀吉は拾の寝顔を見ながらつぶやきます。
高野山では秀次に切腹の命が下され、秀次は受け入れることにします。これまで何度となく助命嘆願し続け聞き入れられなかった正則も長政も、力づくでも秀次の命を助けるつもりで動いてくれるようですが、これ以上の助命は天下を騒がすだけと秀次は耳を貸しません。「ここで潔う果てるのが豊臣家のため、天下のためと心得ております。秀次は心やすらかに死を選んだと」
ねねはみつ、進之助、森 弥五六の三人を派遣して秀次を救い出そうとしていましたが、万端用意が整っていたのに秀次は耳を貸さず、見事に腹を召されたと言って三人は戻って来ました。ねねはあまりの衝撃に言葉を失い、文をしたためながらも涙を流します。
ねねの努力はむなしかった。殺生関白、謀反人の汚名を着たまま秀次は27年の短い生涯を閉じた。また丹波亀山に預けられていた秀次の子女妻妾たちも、8月2日 京都三条河原においてことごとく惨殺された。だが秀次事件の波紋はこれでは終わらなかった。
秀次の死に飽き足らず女子どもまで処刑した秀吉に、ともは愕然とします。天下人に対する見せしめのためと吉房は諭しますが、身内だからこそ厳しくせねばならないと、自分たちにもどのような沙汰があるかもしれないと告げます。それは「いくら何でも私が許しませぬ」とねねはかばい立てしますが、今の秀吉なら何を命じてくるか分かったものではありません。
ともは秀吉の手にはかからないと怒りをにじませ、自ら死のうと刀に手をかけます。ともと吉房、ねねがもみ合いになります。吉房はともの手から刀を奪い取り、ねねは秀吉の手にかかって死んでいった者たちの菩提を誰が弔うのかと説得します。ともは頷きつつ、声を上げて泣きわめきます。
浅野長政がねねを訪ねてきました。ねねは、秀吉の考えややり方に対する疑問を長政にぶつけます。「拾君の先々のことを案ぜられて」と長政も涙ながらに返すのがやっとです。そして本日付で吉房は尾張犬山11万石を召し上げられて讃岐へ流罪となったことを伝えます。さらには秀次と親交のあった細川忠興も死罪を命じられます。
それだけにとどまらず、長政の子・幸長も秀次と幼なじみで、謀反の合力を誓った咎により、いずれは長政の身にも何らかの処分が下される可能性は十分にあります。ねねはたまらず、伏見に行くことを決意しますが、長政は秀吉が承知の上でしていることだから行っても無駄と引き止めます。「これからは拾君と淀殿の時代でございます。ただこのようなことで幸長を失うとは……」
秀次の位牌を見つめる吉房とともですが、ねねが戻った時には吉房は処分についてすでに聞き入れていました。吉房は出家しみんなの菩提を弔うとねねに告げ、ともも髪を下ろして尼になる決意を固めます。ともはねねに、秀吉を見放したら豊臣がどうなるかも分からないと、秀吉のことを頼んで頭を下げます。
秀吉は幸長の処分について迷っていました。幼いころから知っているし、朝鮮出兵では手柄も立てています。石田三成はねねの身内だから迷っているのかと迫り、そのような人物が敵に回せば豊臣にとって恐ろしい男になると主張します。「秀次どのに与したというのはまさしく拾君に弓を引く所業、合力を約した誓書がある限り謀反に同心したというのは動かぬ証拠」と、三成は死罪が相当と強気です。
淀殿の居室では、大野治長が拾の敵となる人たちが一掃されたと報告して、淀殿は微笑みます。秀吉は拾の相手はしても、淀殿とはろくに口も聞いてくれないようですが、三成も治長も、拾に災いをもたらすものはどんな人物であれ容赦はしないという覚悟で臨んでいます。「淀殿、もはや政所には何のお力もございませぬ」
ねねはややとともに前田利家邸を訪問します。利家は即座に幸長のことだと察知し、今回のことは解せないとつぶやきます。幸長は誓書を書いた覚えがないと主張していて、利家は三成がやりそうなことだと表情を曇らせます。秀吉と出会ったころから嫌いなややは、秀吉に連れ添ったばかりにいい迷惑だと言ってまつにたしなめられます。ねねは自分たちの気持ちを汲んでほしいと利家に頭を下げます。
ともが吉房と過ごす最後の夜です。ともは嫌がる吉房を秀吉に奉公させたがために招いたことだと、手をついて詫びます。三人の子ども(秀次、小吉秀勝、秀保)も今は亡く、侍の子に生まれなかったら、今ごろ中村で百姓をしていたらと後悔することばかりです。吉房は、この世で会えなくてもあの世で必ず、とともを見つめます。
秀吉の元を訪れた利家は、秀吉がねねと結婚したころのことを思い出させます。ねねがおかかになってくれたらねねを不幸にはしないと利家に誓いました。その秀吉が、今はねねの気持ちを蔑ろにしていることを利家は咎めます。秀吉が今あるのは、秀吉の力ひとつでなったと思ったら大間違いで、ねねの陰の力があればこそだと秀吉に気づかせます。
秀吉が拾をかわいいと思うのは理解できますが、拾を担いで秀吉に取り入ろうとする輩(ともがら)の言いなりになって勝手な真似を許すのは天下人の資格はないと利家は断言します。「ただの親バカじゃ! 淀殿におぼれ、お拾君のために血迷い、三成ごときの意のままになっているお主を見たら、豊臣家が案じられてならぬわ!」 ねねも見放し、諸将も見限れば天下はどうなるのか、利家の必死の訴えは続きます。
利家は幸長が秀次に書いたという誓書は偽物であると言い、それでも両名を処罰するなら自分も秀吉を見限ると、立ち上がり去ろうとします。「気に入らずばわしの首を討て、豊臣家の凋落を見るぐらいなら死んだ方がマシじゃ!」と利家の怒りは収まりません。秀吉はあわてて利家に駆け寄り、自分を諫めてくれたことへの礼を言います。
吉房が讃岐へ去り、ともは大坂城を出る決意を固めます。ねねは、ともが去ることで自分もひとりになったと伏し目がちになります。そこに秀吉が戻ってきたと孝蔵主が伝えに来ました。ともはねねに一礼すると、ねねの居室を去ろうとしますが、秀吉と鉢合わせします。「ねねどのを大事にしてくだされや。さらばじゃ」とともは出ていきます。秀吉は寂しそうにその後姿を目で追います。
忙しさにかまけて話ができていなかったと、秀吉はねねに近づきます。しかしねねは今さら何も言うことはないと体を横に向けたまま、秀吉を見ようともしません。利家の諫言を聞き入れて幸長も死罪から能登へ流罪に変更したことを伝えると、秀吉にまだその分別が残っていたのかとねねは冷めた表情です。秀吉は拾が豊臣家の跡継ぎであると、拾のことを頼むと手をつき頭を下げます。
拾のことが大事と考えるのはねねも同じです。そこでねねはこれを機に拾に傅役をつけることを提案します。ねねは利家に白羽の矢を立てます。拾のために豊臣家の中で争うようなことがあっては、せっかくの世継ぎがかえってあだになるわけです。秀吉はねねが愛想を尽かしたのではないかと心配していました。「これからの豊臣家は重うなりましょうな」とねねは表情を硬くします。
利家もそうであるように、徳川家康も身内になることになりました。すなわち小督と家康三男の秀忠が結婚することになったのです。これで家康が拾に対してひどいことはするまいと、秀吉にとっては妙案のつもりですが、ねねは小督のほうが6歳も年上の女房になることを気にします。ただ家康も秀忠もよく賛同したと感心するねねに、徳川にとっても豊臣と宴席関係になるのは悪い話ではないと笑います。
「とうとう三度目の花嫁衣裳を着ることになりました」と、小督は伏し目がちにねねに報告します。秀忠に嫁いでいく小督に、これまで何も力になれなかったと詫びるねねですが、辛いことがあったら遠慮なく言うように送り出します。小督はねねに、姉(淀殿)のことを頼むと頭を下げます。「お幸せにの」
ねねは小督が哀れであった。が、このとき後にお茶々と小督が豊臣と徳川とのし烈な争いで、敵と味方に分かれることになろうとは、ねねにも思い及ばなかった。秀次事件がようやく一段落し、秀吉とねねの間も和解したかに見えたが、ねねの胸の中では次第に秀吉は遠い人になっていた。秀吉が病がちになり、老いのしるしを見せ始めたのもこのころであった。
文禄4(1595)年7月15日、高野山に追放された豊臣秀次に賜死の命令が下り、切腹する。享年28。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと7年7か月──。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
──────────
[出演]
佐久間 良子 (ねね)
長山 藍子 (とも)
宗近 晴見 (三好吉房)
尾藤 イサオ (浅野長政)
──────────
広岡 瞬 (豊臣秀次)
浅芽 陽子 (やや)
音無 美紀子 (まつ)
五十嵐 淳子 (小督)
──────────
池上 季実子 (淀殿)
滝田 栄 (前田利家)
西田 敏行 (豊臣秀吉)
──────────
制作:澁谷 康生
演出:上田 信
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第44回「最期の別れ」
| 固定リンク
「NHK大河1981・おんな太閤記」カテゴリの記事
- プレイバックおんな太閤記・(50)平和への道 [終](2023.12.12)
- プレイバックおんな太閤記・(49)天下の行方(2023.11.07)
- プレイバックおんな太閤記・(48)豊臣家の岐路(2023.10.27)
- プレイバックおんな太閤記・(47)関ヶ原前夜(2023.10.20)
- プレイバックおんな太閤記・(46)おかか悲願(2023.10.13)
コメント