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2023年9月15日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(41)秀頼誕生

天正20(1592)年7月、九州唐津の名護屋城で大政所危篤の知らせを受けた秀吉は、急きょ大坂へ向かった。大坂城へ駆けつけた豊臣秀吉は、出迎えるねねになかの容態を問い詰めます。伏し目がちのねねが涙を流して首を横に振るのを見て、秀吉はすべてを悟ります。「間に合わなんだのか……!!」 秀吉は絶叫するとその場に倒れます。

居室で寝かされていた秀吉は、意識を取り戻しゆっくりと目を開きます。むくりと起き上がり、傍らに控える豊臣秀次を見てなぜ早く知らせなかったのかと尋ね、大陸出兵の大事に心を煩わせてはならないと配慮したと弁明する豊臣秀次を激しく叱責します。秀吉にとっては唐入りよりもなかの命の方が大事なのに、それが分からないで自分の代わりが務まるかと責め立て、顔も見たくないと追い出してしまいます。

秀吉が名護屋を発った時にはなかが亡くなっていたと知った秀吉は愕然とします。なかの遺言も「たわけ」で、最期の時まで秀吉を案じていたと聞かされて、秀吉は自分の行為がなかの寿命を縮めたと責め続けます。ねねは、なかは天寿を全うしたと慰め、唐入りなど無益な戦を止めることこそ、なかの何よりの供養と涙ながらに訴えます。

夜になり、いくぶんか落ち着きを取り戻した秀吉は、これまでなかに尽くしてくれたねねを労わります。ねねは、尾張中村に秀吉(藤吉郎)と一緒に挨拶に出向き、なかと初めて顔を合わせた時のことを思い出しています。そしてその時にあさひ(きい)と秀長(小一郎)にも出会ったのでした。その三人は今は亡く、秀吉は中村で百姓をさせていた方が幸せだったかもしれないと涙を流します。

 

8月2日、秀吉は母・大政所の葬儀を京都紫野の大徳寺で盛大に行った。また4日には高野山に1万石を寄進し、大政所追善のために青厳寺建立を命じている。

義理の母を亡くしたねねの見舞いに、まつが訪ねてきました。まつは大陸出兵について「思わしくない戦況」とねねに伝えます。日本の水軍が朝鮮水軍に敗れ、兵糧を送るのでさえままならぬ状況で、それを伝えてきた前田利家も憂いているそうです。ねねは秀吉が自分の力を過信していると批判し、それを教えてくれたまつに礼を言います。

そこに飛び込んできたのは、羽柴秀勝が9月9日に朝鮮で病死したという知らせでした。ともと三好吉房、小督を前に、秀吉はとんでもないことになったと言葉少なげです。吉房は武門の誉れと神妙ですが、ともは秀吉を殴りつけて泣き崩れます。「何が武門の誉れじゃ? 藤吉郎がつまらぬ戦をするからじゃ! 今度のおっ母さまの命を縮めた。それでも足りずに小吉まで……!!」

吉房は、自分が武士になったからこういう運命をたどったとつぶやくと、百姓をしていれば小吉は殺されずにすんだのかとともは吉房に迫ります。ねねは、秀勝だけではなくあさひも副田甚兵衛も幸せに暮らせていたものをと言って、秀吉の怒りを招きます。秀吉は、秀勝の仇を取ると朝鮮へ渡ることを決意し、秀次にその支度を命じます。

なりませぬ! とねねは大反対です。味方の軍勢は敵地で難渋して不利になる一方だし、なかのためにも無益な戦はやめてほしいのです。ともは静かに、勝っても負けても秀勝はもう戻って来ないのだから戦は止めてほしいと主張し、ねねも秀吉が思い上がっていると諫言しますが、止め立てするねねを秀吉は平手打ちし、怒って出ていきます。「秀吉どのは変わってしまわれた」と吉房はつぶやきます。

淀殿は夫を亡くしたばかりの小督をなぐさめています。そこに秀吉が来るのですが、同席も構わないという淀殿に、「秀吉どのが嫌いじゃ」と小督はそそくさと去っていきます。秀吉は小督を呼び止めますが、小督が止まらず去っていくのを見送り、秀吉は頭の中が「???」になっています。

秀吉は、離縁させてまで小督を秀勝に添わせてしまったと後悔しますが、淀殿は小督の持って生まれた運命と秀吉を励まします。ねねは自分の胸中を分かってくれず、慰めてくれるのは茶々だけと涙目の秀吉は、その淀殿にも朝鮮へ渡る決意を伝えますが、どこまでも一緒にいたいと淀殿は懇願します。今度は朝鮮だからと難色を示す秀吉ですが、あまりの淀殿のいじらしさに秀吉は淀殿を抱き寄せます。

周りの忠告もねねの願いも無視して、秀吉は再び名護屋へ出陣してしまった。が、朝鮮の戦況の悪化で、さすがにお茶々は連れて行かなかった。残されたねねは孤独であった。大政所を失い、秀吉とも心の通い合わぬ夫婦になってしまったと、みじめであった。

 

明けて文禄2(1593)年、朝鮮の事態はますます容易ではなかった。秀吉は渡海を諦め、やがて和議が持ち上がったが、それもなかなか進まず5月を迎えていた。そのころねねの元へ秀吉から思いがけない手紙が届いた。菩薩を一身に彫り続けるねねは、孝蔵主から手紙を受け取り読み進めると、顔色が変わります。「淀殿が……身ごもられたそうな」

ねねでさえ知らないことを秀吉が知っているのはおかしいと指摘する孝蔵主は、淀殿がねねを蔑ろにしていて決して許されることではないと腹を立てますが、ねねはそのようなことは小さいことだと気にする様子はなく、豊臣家にとってはめでたいこととフッと微笑みます。これで秀吉がかつての姿に戻り、朝鮮のことなど忘れてくれるのではないかと淡い期待をのぞかせます。

ねねの方から祝いを伝えに行くより、淀殿から挨拶に出向くのが順序と孝蔵主は諭しますが、秀吉の子を産むというのは強いことであり、これからも蔑ろにされることはあるだろうと予測するねねは、順序が違うなどということには目をつぶって、豊臣家のために動こうと考えています。そこまで言われれば孝蔵主も反論できなくなってしまいます。

ともは、本当に秀吉の子かと疑念を抱きます。淀殿の産み月が8月で、秀吉が名護屋へ出発したのが10月1日なので、計算は合います。それでもともは、秀吉は淀殿にだまされていると聞きません。秀吉の後継である秀次のことが念頭にあるのかもしれません。淀殿が男子を産めば、秀次は関白を追われるかもしれない……。もしものときはねねだけでも秀次の味方になってほしいと、ともは懇願します。

 

文禄2年8月3日、茶々は大坂城で男の子を産んだ。後の秀頼である。秀吉は朝鮮のことはほったらかして、大坂へ飛んで帰って来た。生まれたばかりの赤子にニコニコ顔の秀吉は淀殿を労わり、しっかり食べるように諭します。ただ、大坂へ戻ってねねには対面しておらず、秀吉は淀殿に断りを入れてねねの元へ出向きます。

秀吉は、朝鮮との和議を堺衆のせがれ・小西行長に任せてきたと笑顔を見せます。出が商人なので交渉ごとには強いだろうと秀吉は期待していますが、ねねは休戦になったことをとても喜びます。淀殿出産にもいろいろ世話をしたねねは、吉例に倣って一度棄て、「拾」と名付けたと秀吉に報告しますが、顔色を変えた秀吉は、名前に決して“お”を付けてはならぬと命じます。

惜しむらくは、なかがいないことです。もし生きていれば喜んでくれただろうにと秀吉はため息をつきます。もしかしたらなかが秀吉とねね夫婦に授けてくれたのかもしれません。豊臣家の先々のためになるようないい子に育てねばとねねが決意表明すると、秀吉も大きく頷きます。「拾はの、豊臣家の世継ぎじゃ。諸大名にもそのことはよう知っておいてもらわねばの」

秀吉は、このようになるのであれば慌てて関白の座を秀次に譲るのではなかったと大笑いします。ねねが気がかりなのはそこで、秀次との間に跡継ぎ争いが起きれば、拾の誕生があだになると心配しているのです。秀吉は、秀次に落ち度がないのに関白の座を取り上げられるわけがないと、そのあたりは承知しているようです。ねねは拾が成長するまで秀次に任せるよう提案します。

ただ、拾が大きくなるまで生きていられるかと秀吉はつぶやきます。秀次も一度握った権力はそう簡単には手放さず、拾に譲らないのではないかと別の心配をし出します。ねねは前のめり気味に、秀次はそんな人物ではないと否定しますが、骨肉の争いをいくつも見てきた秀吉は、先々のことを考えて、自分の目が黒いうちに拾の身の立つようにしてやらねば……。

日本を大きく5つに分け、そのうち4つを秀次に、残りの1つを拾に与える。この案であれば秀次もイヤとは言えず、世間も納得するだろうと秀吉は考えています。ねねは動揺して器を倒し中身をこぼしてしまいますが、そんなことには気にも留めず、秀吉は、大坂城は拾に譲り、新たに建てる伏見城で自分とねねは隠居だと呑気に笑います。ねねは複雑そうな表情で秀吉を見つめています。

伏見に呼びつけられた秀次は、日本五分案を提示されて困惑します。そうしなくても、拾が成長すれば関白職を譲るつもりでいるのに、その気持ちを逆なでする提案に秀吉の心を測りかねています。秀吉は関白職を自分に譲ったことを後悔していると吐き捨てる秀次に、吉房は秀次が豊臣家を守る覚悟で務めれば秀吉も分かってくれると諭します。「そなたが疑心暗鬼になっていては、うまくいくものもいかぬ」

 

秀吉の気持ちが揺らぎ始めます。秀次にとって拾は邪魔者で、何を画策するか分からないからと、秀吉は秀次の3歳になる娘を拾に妻(めあわ)せると言い出します。ねねは秀次を信じるように諭しますが、のちに禍根を残すようなことになっては拾のためにならないのです。自分の娘の婿となれば、秀次も拾を蔑ろにすることはないだろうという“転ばぬ先の杖”です。妙案だろうと秀吉は胸を張ります。

文禄2年10月1日、まだ2か月の拾丸と3歳になる秀次の娘との婚約が決まった。ねねはバカバカしいと思いながら、そのバカバカしさをまじめにやってのける秀吉の心が恐ろしかった。

これで将来は安泰と、拾を抱き上げてあやす秀吉ですが、淀殿は浮かぬ顔です。自分の母(お市)は織田信長のために浅井長政に嫁ぐも、信長は妹婿を平気で討ったと言うのです。秀次の娘をもらったとしても秀次を信じることが出来ないとの淀殿の訴えに、秀吉は黙り込みます。「せめて拾君がご成人なされるまでどうぞお達者でいてくださいませ。でなければ拾君を守ってくだされる方はどなたもおりませぬ」

藤吉郎が怖い──。ともはねねに訴えます。今回の縁組にしても、遅くに生まれた子だから不憫でもあり先々が心配なのは理解できるとして、秀次を信じていない証拠だというのです。天下人の秀吉と言ってもただの親ばかであり、ねねだけでも秀次に二心ないことを信じてやってほしいと念押しします。「はい、私にできる限りのことは」

そう答えながら、ねねも自分にはどうしようもない恐ろしいことが起きるのではないかという不安で、胸がふさがれていた。


文禄2(1593)年8月3日、茶々が豊臣秀吉の三男を出産する。後の豊臣秀頼。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと9年6か月──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
長山 藍子 (とも)
宗近 晴見 (三好吉房)
南風 洋子 (孝蔵主)
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池上 季実子 (淀殿)
五十嵐 淳子 (小督)
斎藤 美和 (大蔵卿)
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音無 美紀子 (まつ)
広岡 瞬 (豊臣秀次)
西田 敏行 (豊臣秀吉)
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制作:澁谷 康生
演出:北嶋 隆

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第42回「秀次追放」

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