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2023年10月 1日 (日)

大河ドラマどうする家康・(37)さらば三河家臣団 ~小田原合戦! 江戸へ~

振り返った女性を見て徳川家康は「お市……さま!?」とビックリしますが、豊臣秀吉は女性が新しい側室の茶々であると紹介します。茶々は意地悪そうな顔で持っていた鉄砲を家康に向け、ダーン! と撃つ真似をします。そんなイタズラに驚きもせず、茶々がお市とうり二つであることの方が家康には驚きです。

天正17(1589)年5月、茶々が秀吉の子を出産します。赤ん坊の声が屋敷内に響き渡ると、秀吉はいても立ってもいられずすぐさま産屋へ駆けつけます。秀吉の喜びようはひとしおで、寧々も茶々を労わります。生涯初の我が子を得て、喜びの絶頂にある秀吉は、勢いそのままに関東北条攻めを決定したのでありました。

北条氏政といえば定番の、湯漬けをかきこむシーンですが、そこに北条氏直が来て、秀吉のところへ行こうと説得します。妻のおふうも、北条を救うべく父・家康も秀吉と談合を続けていると言うのですが、氏政はおふうを一瞥すると、関係ないという表情のまま、湯漬けをかきこみ続けます。

現に家康は、今しばらくの猶予を秀吉に求めますが、ここまで手こずっているのは家康のせいだと織田信雄に呆れられ、外交顧問の西笑承兌(さいしょうじょうたい)は、奥羽には伊達政宗もおり、このままいけば再び天下が乱れることを示唆します。秀吉は家康に、軍勢を整えて小田原へ出陣するように命じます。

「北条を滅ぼせば、その領地全て丸ごとおめぇさんにくれてやる。北条を成敗し、そのまま治めよ」 よかったのう! と呑気な信雄の発言には触れず、家康は慌ててその褒美を断り、北条には所領安堵を約束して速やかに戦を終わらせると訴えます。4か月でという申し出に、秀吉は「三つきじゃ」と言い放ちます。秀吉の天下統一が刻一刻と迫っておりました。

病を得、家康が煎じた薬湯を呑む旭は、戦になってしまうことを嘆きます。寧々も、秀吉に鶴松が誕生して以来ずっと淀城に入り浸っていて、言うことに耳を貸してくれないそうです。豊臣秀長も病床に伏していて、今や秀吉の手綱を引けるのは家康と旭だけと、寧々は頼りにしています。

関白の命で北条攻めを行うと、家康は家臣たちに伝えます。仔細は本多忠勝、榊原康政、井伊直政に一任します。家康に一礼する家臣団ですが、ただ一人、「うーん」と考え込む本多正信は軍議の席を立つ家康についていき、居室を訪れます。そこには阿茶の姿がありました。甲斐武田家の流れをくみ、才覚に秀で政も手助けするこのお方は、君のご側室のおひとり・阿茶局でございます。

正信は、秀吉の命令である“三月で戦を終わらせる”のは難しいとつぶやきます。北条を倒した暁にはその所領を与えるという秀吉の話ですが、徳川領5か国に北条領6か国を与えられるとは考えにくく、北条領と引き換えに徳川領を全て取り上げられると考えた方がよさそうです。戦が終わればそのまま小田原に残るように命じられそうで、自分たちの国に戻ってこれないかもしれません。

家臣たちがそのことを知れば大いに動揺が広がりかねず、それを考えると家康は家臣たちに打ち明けられません。故郷を守るためにみんなは多くの犠牲を払って戦い続けてきたわけです。ここは徳川の力だけで戦を速やかに終わらせ、北条領を安堵させるしか、徳川の国替えを防ぐ方法はなさそうです。

 

天正18(1590)年2月10日、駿府より徳川勢出陣。続く3月1日、都より関白秀吉勢出陣。総勢20万ともいわれる大軍勢が小田原へ向け進軍。家臣一同、大いに奮戦。服部正成もまた兵を率い、数多くの首級をあげ……。小田原城を完全に包囲するも、北条はかたくなに籠城を続け、はや三月が経とうとしておりました。

小田原城内では、“父祖伝来の地・小田原を守り抜く!” “秀吉にひざまずくなど断じてならぬ!”という決意の中、いずれ兵糧も尽きるし籠城では勝てないという声も上がり、氏直が何ごとか氏政に進言しようとしたその時、見張りの兵が駆け込んできます。「城が……!! 笠懸山に城が現れましてございます!」

そのころ秀吉は、してやったりの表情です。小田原からは見えないように作らせ、周辺の木々を切って出来上がった姿を見せたわけです。これで北条勢は恐れをなし、天下一統に近づいたと喜びますが、家康は「北条に武蔵・相模・伊豆3か国の安堵を条件に降伏を」と進言します。そこに茶々が現れ、秀吉は家康の進言そっちのけで茶々に駆け寄ります。

北条をお助けくだされ、と家康は食い下がりますが、戦を始めてすでに四月が経っており、北条領は徳川のものという態度は崩しません。徳川領の5か国はしかるべき者に治めさせるため心配いらぬと、奥羽方面の心配のために家康には関東で専念してもらうと言われてしまいます。正信は、小田原が不服なわけではないと弁明しますが、秀吉は振り返り言い放ちます。「小田原はいかん。江戸にせえ」

さらに家臣団を独り立ちさせて城持ち大名にしてやれと、徳川家中のことにまで口を挟み出します。街道が交わるところで東国の要にふさわしいとはいえ、当時は小都市にしか過ぎない江戸に町を作らせ、財を使わせ、徳川の強みである家中をバラバラにしてつながりを断つ。「とことんまで我らの力を削ぎに来たとも言えますな」と正信はもはや他人事です。家康は愕然とします。

そのわずか9日後、ついに北条家当主・氏直が降伏。7月5日、小田原城から氏直がおふうとともに家康本陣に現れます。7月10日、家康が小田原城へ入ると、氏政が鎧を身に着けて待っていました。氏直は助命されるが……と言いにくそうな家康に、氏政は自らは切腹すると言って出ていこうとします。

どうしてもっと早くに決断しなかったのか──。それは今川氏真と糸を通じて“小さな国々が争わず、助け合ってひとつになる”という企てに誘われたと打ち明けます。それは紛れもなく瀬名の企てであり、家康は黙り込んでしまいます。氏政としては、民と穏やかに暮らしたかっただけですが、時代は変わってしまいました。「この関東の地、そなたが治めてくれるのであろ? 我が民を、よろしく頼みまするぞ」

家康本陣に石田三成が訪れ、国替えについて慶びを表明しますが、家康はまた秀吉と話し合いをするつもりでいます。三成は、同様に国替えを命じられた織田信雄が不服を申し立てて改易させられた話をし、家康に辛抱を勧めます。家康は今の秀吉のやり方についていけませんが、三成は“戦のない世”という同じ星を見ている家康と、ともに力を合わせていきたいと訴えます。

夜、家臣団が集められます。「関白殿下の命により国替えと相成った。北条領を賜る代わりに我らの領国を関白殿下に差し出す」 神妙な表情で黙って聞いている家臣たちです。異論は認めないと予防線を張る家康ですが、関東もよいところに違いないという忠勝の意外な発言に驚きます。家臣たちはすでに覚悟を決めていてくれたのです。

駿府にいた時点で正信が、国替えは避けられまいと大久保忠世に掛け合い、忠世が家臣みんなに伝えておいたのです。聞いたはじめはいきり立ち、文句が出ていた家臣たちも、避けられない話と諦めざるを得なかったわけです。戦に出陣する前に故郷に別れを告げてきたと、晴れ晴れとした表情です。みな、殿のおかげと家康に頭を下げて礼を言います。

家臣たちの新しい所領ですが、直政には上野箕輪城、康政は上野舘林城、忠勝は上総万喜城、鳥居元忠は下総矢作城、平岩親吉は上野厩橋(まやばし)城。小田原城は忠世に任せることにします。正信が三河を追放されている間も妻子を世話し、家康の知らないところで陰ひなたなく家臣たちをつないでいた働きを認められたわけです。「隠居間近の老体にはいささか大仕事が過ぎまするが」と、忠世は涙を流します。

ととととと……と割って入ってきたのは服部半蔵です。半蔵はいまだに名前が呼ばれていないわけですが、どうしてこの場に呼ばれたたのかと困惑しています。家康はニッコリと微笑み、ともに江戸へ行こうと誘います。そして服部党にも何度助けられたかしれないと、正式な武士として取り立てることを約束します。

 

病で臥せっている秀長の元に、天下一統が成ったと福島正則が報告に上がります。秀長はよろめきながら立ち上がり、とうとうやりなさったなとつぶやきます。「これ以上の欲は張りなさんなよ……」 しかし。

天正19(1591)年8月5日、祈祷の声が響く中で鶴松が病没。寧々は涙を流して悲しみ、茶々は唖然とした表情ですが、秀吉は目の前の事象が理解できないのか、でんでん太鼓を鳴らして笑い続けています。秀吉は三成に向かって手を伸ばし、つぶやきます。「次は……何を手に入れようかのう?」

天正20(1592)年正月。町づくりが進められる江戸で、家康は秀吉からの朱印状を受け取ります。家康の表情がみるみる曇ります。朝鮮を従え明国を取る──。


天正18(1590)年7月5日、北条氏直が己の切腹と引き換えに城兵を助けるよう申し出、豊臣秀吉に降伏が伝えられる。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと12年7ヶ月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

有村 架純 (瀬名(回想))
大森 南朋 (酒井忠次(回想))
山田 裕貴 (本多忠勝)
杉野 遥亮 (榊原康政)

板垣 李光人 (井伊直政)
音尾 琢真 (鳥居元忠)
小出 伸也 (大久保忠世)
岡部 大 (平岩親吉)
松本 若菜 (阿茶)
山田 真歩 (旭)
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中村 七之助 (石田三成)
浜野 謙太 (織田信雄)
でんでん (西笑承兌)
駿河 太郎 (北条氏政)
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岡田 准一 (織田信長(回想))
松重 豊 (石川数正(回想))
野村 萬斎 (今川義元(回想))
阿部 寛 (武田信玄(回想))

北川 景子 (茶々)
ムロ ツヨシ (豊臣秀吉)
山田 孝之 (服部半蔵)
佐藤 隆太 (豊臣秀長)
松山 ケンイチ (本多正信)
和久井 映見 (寧々)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・大橋 守
演出:川上 剛

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第38回「唐入り」

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