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2023年10月13日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(46)おかか悲願

天文6(1537)年2月6日、尾張国愛知郡中村の百姓の子として生まれ、織田信長の足軽から身を起こし、その類いまれなる才覚と努力と強運とによってついに天下人となり、関白太政大臣・従一位まで上り詰めた秀吉。老いと病には勝てず、最期は一子秀頼に思いを残しながら、62歳の華麗な人生を閉じた。慶長3(1598)年8月18日、ねねと清洲で祝言を挙げてから37年目のことであった。

ひたすら秀吉のおかかとして生きてきたねねは、葬儀を済ませたら一族の菩提を弔うため出家し、ひっそりと余生を送るつもりであった。が、事態はねねの思うままにはならなかった。徳川家康と前田利家は、ねねに秀吉の葬儀は今はできないとはっきり通告します。朝鮮在留中の10万の将兵を混乱なく撤兵させるため、秀吉の死を伏せることにしたのです。

まずは密葬にて遺体を荼毘に付し、兵が帰国してから改めて大規模で葬儀を執り行うと提案します。10万の将兵を船に乗せ、敵の水軍に押さえられている海を渡さなければならないため、いつになれば葬儀が行えるかとはっきり断言できないのが家康には心苦しいのですが、最高位に上り詰めながら葬儀すら行わせてもらえないとは、秀吉も因果な人だとねねは涙を浮かべます。「自業自得かもしれませぬ」

秀吉が没して7日後の8月25日、家康と利家はその死を隠したまま、秀吉の命令として使者を朝鮮へ派遣。諸将に対して速やかに和を講じ、軍を返すよう命じた。小督はねねの居室を訪れ、秀吉の死を悼みます。そもそもは江戸に下るための暇乞いですが、姉の淀殿のことを頼むとねねに頭を下げます。

秀頼には指一本触れさせはしないと言う大蔵卿は、家康が五大老筆頭として豊臣家を守る立場にありながら、喪中にもかかわらずしばしば朝廷に伺候(しこう)し、有力大名を味方につけようと奔走していると訴えます。家康は、秀吉が病床にある間に滞っていた政務を代行しているにすぎず、淀殿がそういう目で見ればうまくいくものもうまくいかないとたしなめます。「心を一つにして秀頼君をお守りせねば」

 

その年の9月、秀吉の密葬を無事終えてねねはまた大坂へ戻ってきた。ねねは焚火を眺めながら、秀吉に語り掛けていますが、振り向けばそこに秀吉の幻影を見ます。ねねは秀吉が一人で去ったと愚痴を言いますが、やはり次の瞬間には影も形もなくなって、へなへなと座り込んでしまいます。「夢を見ていたのじゃ……あれは私のここを見ていたのじゃ」

秀吉の側室たちが集まり、秀吉の死がねねの口から発表されます。せめて臨終に立ち会いたかったと松の丸(龍子)は不満顔ですが、側室たちは一様に涙を流して悲しみます。ねねは側室たちにこれまで秀吉に仕えてくれたことを労わりますが、大坂城に淀殿と秀頼が入ることを伝え、それぞれ新しい道を進むように諭します。

淀殿が秀吉の世話になって15年。父浅井長政、母お市を殺した秀吉のことを恨めしく感じていたこともありましたが、力がないことがどれほど惨めなことかイヤというほど思い知った淀殿は、強くなりたいと願い秀吉を頼りにしました。秀吉亡き後、秀頼とふたり誰を頼りに生きていけばいいのか……と途方に暮れています。

側室たちはねねの計らいで大坂城を離れていきますが、利家とまつの娘・まあも同様に前田家へ戻ります。せめて幸せになってほしいというねねのたっての願いで、万里小路充房(みつふさ)という公家衆の内室に推挙します。ともかく男の勝手で女の不幸せをたくさん目にしてきたねねは、乱世はつくづく嫌だとつぶやきます。

ねねが十数人からの側室の身の振り方に心を砕いていたその年の暮れ、加藤清正がねねを訪れた。清正は、秀吉の志に応えられず責任を感じていますが、秀吉に讒言した石田三成を憎く思っていて、成敗するつもりです。「いい加減になされ!」とねねは清正を叱り、内輪で争うのは論外と清正を止めます。

 

その年の12月10日、朝鮮よりの撤退は無事完了。明けて慶長4(1599)年の元旦、秀頼は利家に付き添われて伏見城で諸大名の年賀を受け、秀吉の遺言によっていよいよ大坂城へ移る準備を整えた。孝蔵主がねねの居室に赴くと、引っ越しの準備が進められていました。淀殿と秀頼が伏見から大坂に移るのに合わせ、大坂城西の丸に引っ越しをするというのです。

大坂城は秀吉とねねが築いた城だと孝蔵主は説得しますが、秀頼の城なら自分が本丸にいるのは筋違いだし、淀殿もきっと面白くないというねねの気遣いです。秀吉から秀頼の養育を申し付けられた手前、二の丸にいても十分に果たせると判断しました。孝蔵主は本丸には秀吉との思い出もあるのにと口惜しく感じますが、「殿下との思い出なら、ここに」とねねは秀吉からの心温まる文を取り出します。

1月10日、秀頼は淀殿とともについに大坂城に入り、ねねは住み慣れた本丸から西の丸へと移っていった。あいさつに出向くねねですが、淀殿も秀頼も疲れが出て対面叶わず、大蔵卿が挨拶を受けます。大蔵卿は淀殿が心苦しく感じるので秀頼のことにはあまり気遣わないよう申し入れ、孝蔵主もさすがに文句を言いかけますが、ねねはそっと孝蔵主を手で制し黙って引き下がります。

淀殿の居室には、三成と大野治長が集まっていました。諸事うるさく口を挟まれると迷惑だと、三成は苦々しい表情です。早く隠居すればいいのにと治長は笑いますが、秀吉の時代は終わったというのがまだ分かっていないのだと、三成は完全にねねを排除する方向で動いています。そして家康のことですが、今のうちに増長した鼻をへし折っておかなければ後悔すると、淀殿は三成に任せます。

 

秀吉の死後、前田利家とともに豊臣政権を支えていた徳川家康は、五大老筆頭の地位を利用し次第にその権勢を強めていた。かつて秀吉が禁じていた婚姻政策を密かに復活させ、家康縁故の女たちを養女として、福島正則、蜂須賀家政の子らに嫁がせたり、六男の忠輝に伊達政宗の娘を娶ろうとするなど、有力な大名を次々と味方につけようとする動きが目立ち始めていた。

一方、家康の動きを察知した五奉行のひとり石田三成も、利家の力を背景に一歩も譲らぬ構えを見せていた。豊臣家の子飼い縁者の大名たちは、まさに二分されようとしていた。

ねねは妹婿の浅野長政を呼び出し、三成が家康を討つだの何だのという話が持ち上がっていることに対して、秀吉が何のために五奉行の一人に加えたのか考えるように叱責します。三成は秀頼のためと大義名分をかざしながら、目の上のこぶである家康を退けて三成が実権を握ろうとする考えです。利家に尽くす清正と家康に味方する正則は、お互いをののしりあって大げんかを始めます。

何という情けないさま、とねねは呆れます。ねねはかつて清正に諭したはずですが、内輪で争う時ではないともう一度諭します。珍しくねねに叱責を受け、ふたりともしゅんと下を向いています。そして長政には、三成の軽挙妄動を諫め利家に意見して丸く収めるのが、豊臣家を預かる者の務めと見据えます。「いま戦にしてはまた乱世に逆戻り。それでは太閤殿下のなされたことは水の泡じゃ。頼みましたぞ」

家康と利家の対立で豊臣家の分裂を危惧したねねは、折しも病で臥せっていた前田利家を大坂屋敷へ訪ねた。長政から事の仔細は聞いており、ねねの訪問の意味は理解している利家です。ねねにはかなわぬと、近いうちに家康を訪ね頭を下げる意向を示す利家ですが、三成に反感を抱く者が豊臣家の中にいるようでは、後々それがあだになると考えています。

「いつか家康どのとは雌雄を決せねばならぬ時が参りましょう。豊臣家を取るか、天下の和平を望まれるか」 利家はねねの辛い立場を察しますが、自分が代わって何とかしたいと思っても、如何せん身体の具合が思わしくなく、せき込んでまつが背中をさすります。ねねは、利家の身体を労わるように言葉をかけます。

あわやと思われたふたりの対立も、利家が自ら伏見に家康を訪問、一応の和解が成立した。秀吉の死は初めて公にされ、秀頼の名で盛大な葬儀が行われるとともに、京に豊国神社を建立、秀吉は神として祀られた。が、これは単なる小康状態で、やがてもっと大きな破局がイヤでもねねを巻き込もうとしていた。


慶長4年(1599)年2月2日、前田利家を含む四大老・五奉行の9人と徳川家康が誓紙を交換、さらに利家が家康のもとを訪問し和解する。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと4年──。

 

作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
西田 敏行 (豊臣秀吉)

滝田 栄 (前田利家)
音無 美紀子 (まつ)
尾藤 イサオ (浅野長政)
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池上 季実子 (淀殿)
南風 洋子 (孝蔵主)
斎藤 美和 (大蔵卿)
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松原 智恵子 (龍子)
五十嵐 淳子 (小督)
フランキー 堺 (徳川家康)
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制作:澁谷 康生
演出:宮沢 俊樹

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第47回「関ヶ原前夜」

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