プレイバックおんな太閤記・(48)豊臣家の岐路
慶長4(1599)年9月27日、徳川家康はまだ7歳の秀頼を補佐するという名目で、大坂城西の丸に入った。そして諸大名を領国の経営に専念するようそれぞれの国元に帰国させ、秀吉の没後わずか1年余にして中央政権をその手中に収めた。
一方ねねは大坂城西の丸を家康に明け渡し、京都三本木の屋敷に移っていた。
心穏やかに書物を読んでいるねねですが、やはり高齢となり、ねねは目頭を押さえています。ふみはねねの警護のついでに庭掃除をしていますが、そこにみつが加わり、大坂城の金銀財宝を独り占めする茶々への愚痴大会です。ねねはそっと障子を開け、またつまらぬことをとたしなめます。ねねは隠居の身なので、贅沢は言っていられないのです。ねねはふたりを部屋に入れて茶を入れます。
みつは、前田利長と細川忠興が国元で謀反の疑いがあり、家康が討伐の兵を送るという情報をねねに伝えます。会津への国替えを果たした上杉景勝も上洛する暇もないのですが、それを城修築と武器調達を理由に釈明の上洛を促しているそうで、家康が無体な言いがかりをつけ、有力大名をつぶそうという腹が見え隠れしています。石田三成はそんな諸大名たちと結託し、家康に兵を挙げようと画策しているそうです。
利家を亡くし落飾したまつ(芳春院)が、江戸へ下るにあたりねねを訪ねてきました。利長が疑いをかけられたことで、弁明の使者を江戸に遣わせたところ、まつが人質として江戸へ下ることで許しを得ることが出来たわけです。戦を避け利家が作り上げた加賀を守るためには、家康に従うしかないとまつは悔しそうです。景勝は釈明の上洛をせず、家康に盾突くつもりかと、ねねはため息をつきます。
新たな国づくりに忙しいと言うのは、本多正信に言わせれば上洛できない理由にはなりません。武器を調達するのは茶道具を集めるのに同じとか、戦をするなら道や橋を作ったりはしないと、家康を愚弄するような返書を送りつけてきました。これは家康には絶好の機会です。上義討伐に出かけて留守にした隙に、三成に挙兵をさせるのです。「徳川の命運をかけての、戦じゃ」
ねねは秀吉の位牌に手を合わせながら、戦は避けられぬ情勢に、豊臣はどうなるのか不安に駆られています。力のある者が出て来ぬ限り戦は避けられないと秀吉の幻は諭します。誰が力のある者かねね自身が見極めるように秀吉に言われ、三成では無理だという考えに至ります。
慶長5(1600)年6月16日、家康は大坂城を出、会津遠征の途についた。一方石田三成は、毛利輝元・宇喜多秀家らの連名で諸大名に、家康討伐への参戦を呼び掛けた。家康不在の中、挙兵した三成は大坂城に入り、伏見城を包囲しています。家康は小山の陣で諸将を集め、現状の報告をします。
諸将の妻子は三成によって人質に取られてしまっていて、その生命の保証はないわけですが、もし妻子の無事を願う諸将は即刻の立ち退きを認めるつもりです。福島正則や加藤清正らは、秀吉の遺命に従い秀頼を盛り立てるなら、妻子の命を引き換えてでも三成討伐に賛成すると宣言します。「家康、百万の見方を得た思いにござる。かくなる上は、この命に代えても秀頼君をお守りする所存」
みつから報告を受けているねねの屋敷を、伏見城に向かったと思っていた木下勝俊がやって来ました。三成が何をしでかすか分からず、ねねの方が心配だと駆けつけたそうです。すでに屋敷の周りを守りの兵に囲ませています。しかも伏見城を攻めているのは小早川秀秋で、兄と弟が戦って何の意味があると笑います。ねねは、秀秋が三成方に走ったことに愕然とします。
勝俊から、三成が諸将の妻子を人質に取っていると知り、忠興の妻・たま(ガラシャ)のことが心配になったみつは、救出のために軟禁されている屋敷に忍び込みます。しかしたまはすでに果てる覚悟ができており、みつと清原マリアに別れを告げます。必死に引き止めるみつですが、その決意は固く、隣の座敷に忍ばせておいた武士に刺されて落命。その後、たまがいた屋敷は炎上します。
「女子の哀れよの」とねねはたまの死を悼みます。ねねの屋敷に来た秀秋は、毛利輝元が三成に同心した以上は三成方だとつぶやきます。勝俊は秀秋に、秀頼に何の恩があると説得します。ねねは人心を収攬できる者が天下を取り、乱世に戻すようなことはしてはならないと考えを述べると、秀秋はそれが家康に味方しろというメッセージと受け取り、じっと思案しています。
慶長5年9月15日、徳川家康と石田三成は関ヶ原で対決することとなった。この日早朝、東西両軍は関ヶ原盆地を見下ろす山々にそれぞれ陣を構えた。東軍の大将家康は、盆地の東・桃配山に腰を据えた。一方三成は、盆地の西北・笹尾山に陣を置いた。そして西の山地・松尾山には北政所(ねね)の甥・小早川秀秋がいた。
写経をするねねの横で、勝俊はねねの屋敷から関ヶ原方向の空を眺めます。いよいよ始まると声をかけると、ねねは写経の手を止めます。「この戦、三成に利があるやも……毛利がついていれば、家康どのとて」 しかし毛利には天下を取る意欲はなく、三成には欲はあっても力がなく、天下を掌握できるのは欲と力があって初めて成るものかもしれません。兼ね備える家康でなければ泰平の道は開けそうもありません。
ほら貝を吹く音が響き渡り、壮絶な戦が始まります。歩兵が突進し、無数に注がれる鉄砲玉に次々と倒れていきます。霧が晴れていっても微動だにしない秀秋の脳裏には、勝俊やねねの言葉がこだまします。主家に従って三成か、ねねが推挙する家康か。ジッと考えた末に出した結論は──。「小早川秀秋、家康どのにお味方申す! 敵は石田三成じゃ。突っ込め!」
松尾山の坂道を小早川勢が怒涛の如く駆け下りていきます。それを見た西軍は驚愕し、家康は本陣から万感の思いで見つめています。それまで容易に勝敗が決しそうになかった戦況も、秀秋の突然の裏切りによって急転した。西軍は混乱し、それを期に東軍がかけた一斉攻撃で、石田三成ら西軍は壊滅し、敗走した。
戦のあと関ヶ原に立つ秀秋は、お手柄! という声を無視して、無数に転がる死体の中をとぼとぼと彷徨い歩きます。
天下分け目の戦いは、ねねが願っていた通りの結果になりました。しかしこれで良かったのかという自問自答が続きます。信長、秀吉と続いてきた天下を受け継げるのは、家康しかいないと考えたわけですが、そんなねねに秀吉は「それでよかったのよ。おかかの目に狂いはないわ」と頷きます。誰かと会話していると気にしながら、居室の外から勝俊は声をかけます。秀秋が戻ってきたのです。
よもや自分の裏切りてあそこまで戦の戦況が変わるとは思わず、無我夢中だったとはいえ、今の秀秋には後悔が勝っています。戦に勝敗はつきものと勝俊は励ましますが、打ち首となった小西行長らは自分が殺したも同然と狼狽えます。「わしはえらいことをしてしもうた……」 ねねは秀秋がしたことは間違っていないと諭し、涙を流す秀秋の方に手を置きます。
そこに豪姫が備前から駆けつけてきました。必ず勝つといって西軍に加担した夫・秀家でしたが、裏切り者があっての負け戦に動揺を隠しきれません。「裏切った者が憎うございます!」という豪姫を、秀秋に憚(はばか)って別の場所に連れ出すねねですが、豪姫の言葉を部屋内で聞いている秀秋は、グッと唇を噛みしめます。
ねねの屋敷を訪れた家康は、戦勝報告をします。正則や浅野幸長ら秀吉恩顧の大名たちが、自らの妻子の安否も顧みず家康に従って、目覚ましい働きをしたのは、日ごろのねねの気持ちに背かないようにした行動の結果なわけです。突然の裏切りで東軍に味方した秀秋の働きも同様で、家康はねねに感謝の気持ちを表します。
ねねは、家康に味方した自分の本心を理解しているのかと、厳しい口調で詰問します。家康は秀頼の後見役として、無事に天下を治めるつもりだと知り、ねねは少しだけ安堵の表情を浮かべます。ともかく、今後とも力を貸してほしいと家康はねねに頭を下げます。
家康の言葉は神妙そのものであった。が、家康が行った関ヶ原の戦後処理は、豊臣家にとっては厳しいものであった。西軍の首謀者・石田三成、小西行長らは、京都の六条河原で処刑され、三条橋にさらされた。次いで西軍に与した大名87家の領地414万6,200石を没収し、それに伴い豊臣家200万石と言われた所領も65万石に減っていた。「政所は豊臣家をつぶされるおつもりか!」と、淀殿はすべてにおいて家康と腹を合わせたねねのせいだと、恨みがましく睨みつけます。
慶長5年(1600)年9月15日、関ヶ原にて東西主力の戦闘が行われ、東軍が勝利する。
慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、
あと2年4か月──。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り:山田 誠浩 アナウンサー
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[出演]
佐久間 良子 (ねね)
西田 敏行 (豊臣秀吉)
音無 美紀子 (まつ)
南風 洋子 (孝蔵主)
東 てる美 (みつ)
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池上 季実子 (淀殿)
大和田 獏 (小早川秀秋)
大和田 伸也 (木下勝俊)
岩崎 良美 (豪姫)
斎藤 美和 (大蔵卿)
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神山 繁 (本多正信)
岡 まゆみ (たま)
フランキー 堺 (徳川家康)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』
第49回「天下の行方」
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