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2023年10月29日 (日)

大河ドラマどうする家康・(41)逆襲の三成 ~家康を成敗せよ! 上杉決起! 大戦の始まり~

五大老五奉行の10人衆が団結して政を進めていくことが肝要──。そう主張する石田三成に徳川家康も「異論はない」と頷き賛同します。ところが、茶々は家康が平気でうそをつくと三成に耳打ちし、家康の本性を垣間見た三成は、思わず「たぬき……」とため息をつきます。

一方で、武装した福島正則らが、これまでためにため込んだ恨みを一気に晴らすかのように、三成襲撃に動きます。秀吉の遺言のもと、五奉行五大老による政を推し進めた石田三成は、混乱を抑えられず失脚。「もう……お会いすることもございますまい」

慶長4(1599)年。大坂城西の丸に入られた我らが神の君は、内府(だいふ=内大臣)として天下の政を行っておられました。しかし、快く思わぬ者たちによる恐るべき謀(はかりごと)が明るみに出たのでございます。

家康の前に現れた、寧々の妹婿・浅野長政、土方雄久、茶々の乳兄妹・大野治長の3人は、重陽の節句(9月9日)の時に家康を暗殺せんと企てた人物です。治長は三成の仕置きに納得がいかず暗殺を企てたわけですが、その旗振り役が五大老のひとり・前田利長であると分かると、家康は長政を五奉行のお役御免とし武蔵府中に蟄居を、雄久と治長にはそれぞれ流罪を命じます。

前田利家が没した後にこれでは、毛利輝元や上杉景勝、宇喜多秀家という五大老の面々も油断はできません。厳しく取り締まるしかないとどこか他人事のように進言する本多正信は、家康の背後に回り肩を揉みます。「たぬきはつらいのう」とうんざり顔の家康に、正信は ぽーんぽーこぽーん とおどけてみせ、フッと笑みをこぼす家康です。

失脚した石田三成は、琵琶湖近くの佐和山城に隠居しておりました。慶長5(1600)年。読書をして過ごす三成を、大谷吉継(刑部)が訪ねます。家康は寧々に代わり大坂城西の丸に入り、思うままに政を行っていますが、慕うものはかわいがって豊臣家中を掌握。にぎやかな西の丸に比べ、茶々と秀頼のいる本丸は閑散としていて、茶々は悔しい思いでいっぱいです。

ほとぼりが冷めたらいずれまた、と吉継は三成を励ましますが、三成には今の暮らしが性に合っているようです。三成は逆に、処分された長政の代わりに吉継を奉行職に推挙しますが、伝染する皮膚病が良くなっているとはいえ、病を恐れてみんなが近づかないだろうと寂しそうに笑うだけです。

三成の様子を、吉継は家康に報告していました。家康が考えているより穏やかに暮らしているようで、家康は「よかった……まことによかった」とつぶやきます。

家康の元に茶屋四郎次郎がやって来ました。側室阿茶の局も、伊賀越えなど何度も家康の危機を救ったとのうわさの人物に出会えて感慨深げですが、今回訪問したのはその子、二代目茶屋四郎次郎の清忠です。初代清延がすっきりとした顔立ちだったのに比べ、二代目清忠はびっくりするほどの太まゆで、「父より色男でございます」と自己紹介して正信に冷笑されます。

異国から流れ着いた海賊を見てみたいと阿茶が言い出し、家康が清忠を呼んだのでした。その男はエングランド出身で、ウィリアム・アダムスと名乗ります。イギリス人、ウィリアム・アダムス。オランダ船「リーフデ号」に乗り込み、2年の年月をかけて豊後臼杵に漂着。110名いた船員のうち、生き延びたのはわずか24名だったと申します。

商いをすることに命を懸ける清忠は、“日本にないものを売り、南蛮にないものを買う。そして互いに豊かになる”と力説し、多くの異国との商いで国と民を富ませると家康に訴えます。清忠のひとり舞台に呆れる正信ですが、家康は納得します。日本の中のもめ事を早く片付けないと、世界から置いていかれるだけだと感じているのです。

 

このころ、神の君を悩ませる出来事が。大老上杉景勝──越後の雄・上杉謙信の後を継ぎ、秀吉に屈した後は陸奥国会津へと国替えされておりましたが。堀 秀治から景勝に不穏な動きがありという報告が家康にもたらされます。橋・道・河川を整え、城を築き、浪人たちや武具を集めている……。戦の支度をしていると疑うには十分ですが、家康は事を荒立てないようにたしなめます。

事情を聞こうと景勝に対し再三にわたり上洛を求めますが、一切を拒否されます。茶々に報告する家康に、茶々は小田原攻めのことが思い出されると、秀吉が大軍勢を送って日本を一つにしたように、家康も会津へ兵を送った方がいいのではないかと提案します。西笑承兌は茶々の心配を取り除くためにも、自分が景勝へ書状を送ると言って落ち着かせます。

その書状を受け取った景勝は無礼だと怒ります。秀吉にはひざまずいたものの家康には屈していないと、そもそも家康を天下人と認めていないわけです。家老直江兼続は、前田家をも服従させいつ戦が起こるか分からない現状、その家康に対して備えをしておくのは当然のことだと主張します。景勝は家康にそう言い返してやれとあおります。

そして届けられた長文の直江状、家康に対しての罵(ののし)り嘲(あざけ)りのオンパレードで、正信と阿茶とともに読んだ家康は怒りを露わにします。おそらく上杉は、戦を起こしても後に続く者がいると踏んでのことだと思われ、阿茶は速やかな成敗を進言しますが、大戦を避けるには家康自身が大軍を率いて上杉を包囲し、戦をせずに降伏させるよりほかにありません。「あとは上方を誰に託すか、じゃな」

6月15日、家康は上杉征伐に向かうことを秀頼と茶々に報告、黄金2万両と兵糧2万石を授かります。17日、伏見城に入った家康は次男結城秀康と対面し、働きを期待していると励まします。そして末席に控える吉継に身体の具合を尋ね、戦が終わった時には三成には政務に復帰してもらうと伝えます。吉継は喜び、三成三男を大谷軍に加える許可を家康に求めます。

家康は鳥居元忠と二人きりになり、酒を酌み交わしながら「伏見をお主に任せたい」と打ち明けます。家康が上方を留守にすればそれに乗じて挙兵する者が出てくる可能性があるわけです。元忠はそれが三成のことだと察知しますが、だとしても無謀すぎる挙兵です。家康が言うには三成は損得では動かず、己の信念にのみ動く男で、負けと分かっていても立ち上がる可能性は十分にあります。

三成が立ち上がれば、家康を憎む者たちが後に続くかもしれず、その際に要となる伏見城を家康が最も信用できる男に任せたいわけです。家康の思いを受け取った元忠は、留守を預かると返答します。兵の数も3,000しか必要ないと笑い、一人でも多く上杉討伐の兵として連れて行くように勧めます。「殿を困らせるやつはこのわしがみんなねじ伏せてやります。宿願を遂げるときでございますぞ。戦なき世を」

 

慶長5年6月18日 伏見を発した我らが神の君率いる会津遠征軍は、7月2日に江戸城に入り 徳川秀忠、平岩親吉らの軍勢と合流。21日には会津へ向け進軍を開始したのでございます。その間に恐るべき事態が進行しているとは知らず。自軍に加えるために三成三男を迎えに来た吉継の前に現れたのは、甲冑に身を包んだ三成でした。

「やめておけ!」と必死に止める吉継ですが、家康を信用できない三成は、家康を野放しにしていればいずれ豊臣家は滅ぼされると吉継に訴えます。家康を除けば秀吉の遺言通りの政ができるわけで、正しい道に戻そうと吉継を説得します。床下には大量の黄金があり、それが大坂の茶々から授けられたものだと察知した吉継は言葉を失いますが、三成は吉継の伝染病を自分にうつせと、吉継のお椀を飲み干します。

7月17日、大坂城には毛利軍と宇喜多勢・小西勢が向かっていることを聞き、阿茶は女房衆を逃がすように命じます。しかしその直後、多くの兵士たちに取り囲まれてしまいます。その情報はすぐさま伏見城にも伝えられ、何が起こっているのか分からない元忠は、仔細を集めてくるように命じます。

大坂城には輝元や三成が堂々の入城です。三成は家康の不行状の数々を挙げて、秀頼と茶々に挙兵の説明をします。総大将は毛利輝元、そして諸国の大名たちも次々と参陣してくるものと思われます。茶々に盃を授けられた三成は一気に飲み干し、床にたたきつけて戦勝祈願とします。

下野小山の徳川本陣には早馬が到着、上方の状況が伝わります。「わしは逆臣に仕立てられたか」と家康は厳しい表情です。本多忠勝は、三成が景勝らと謀っていたとすれば、我らは罠にはまったのではないのかと動揺します。そこに茶々から書状が届きます。三成が勝手なことをして怖いから何とかしてほしい──。家康は笑いが止まりません。


慶長5年(1600)年6月16日、徳川家康は大坂城京橋口から軍勢を率いて上杉景勝征伐に出陣する。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと2年7か月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

大森 南朋 (酒井忠次(回想))
山田 裕貴 (本多忠勝)
杉野 遥亮 (榊原康政)
板垣 李光人 (井伊直政)

音尾 琢真 (鳥居元忠)
岡部 大 (平岩親吉)
古川 琴音 (千代)
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中村 七之助 (石田三成)
吹越 満 (毛利輝元)
津田 寛治 (上杉景勝)
でんでん (西笑承兌)
忍成 修吾 (大谷吉継)
池内 万作 (小西行長)
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北川 景子 (茶々)

中村 勘九郎 (茶屋四郎次郎清忠)
玉山 鉄二 (大野治長(修理))
松山 ケンイチ (本多正信)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・中村 周祐
演出:田中 諭

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第42回「天下分け目」

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