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2023年10月22日 (日)

大河ドラマどうする家康・(40)天下人家康 ~三成の誤算! 関ケ原迫る!~

豊臣秀吉逝去──。名もなき民の出でありながら、天下人へ上り詰めた太閤秀吉は、その波乱の人生をついに閉じたのであります。泥沼と化した朝鮮出兵をほっぽり出して。今後の備えのため集まったのは、豊臣政権の実務を担う5人の奉行と、大きな力を持つ5人の大名でございます。

慶長3(1598)年・秋、伏見城。長束正家、増田長盛、石田三成、浅野長政、徳善院玄以の「五奉行」と、加賀83万石の前田利家、安芸112万石の毛利輝元、会津120万石の上杉景勝、備前57万石の宇喜多秀家、そして武蔵250万石の徳川家康の「五大老」が一堂に会します。秀吉亡き後、新たな政が始まろうとしておりました。

会合は玄以の司会で進み、まずは全員に対し誓書に書判(サイン)を求めます。三成は、太閤秀吉の遺言である“豊臣秀頼が成長するまで5人の奉行が政を行い、5人の大老たちがそれを支える”のが我々の使命であると念を押します。これについて五大老は特に異論はありません。目下の難題は朝鮮出兵の件であり、秀吉薨去はしばらく伏せた方がいいと長政が提案します。

会合が終わり、家康は三成に声をかけ、難儀だがきっとやれると励まします。しかし輝元と景勝は三成に警告します。すべてを話し合いで政を進めていけるのは5人が対等な力関係の場合であり、誰か1人が強大な力を有する場合、いずれその1人がおのずと決めていくことになるというのです。三成はそれが家康のことを言っているのだと察知します。

輝元の三成評は「極めて頭が切れるが、人心を読むことには長けていない」です。人の心には裏と表があると輝元はつぶやき、徳川はたぬきと心得ておけと景勝は耳打ちします。

阿茶局と将棋を楽しむ家康ですが、本多忠勝は五奉行などに任せず家康が天下人になればいいと進言します。家康はまだその時ではないと軽くかわし、本多正信もそれに同調します。「このめちゃくちゃな戦の後始末、買って出ていいことは一つもない。今は息をひそめることでござる」 忠勝は卑劣な考えだと非難しますが、家康にしてみれば三成のお手並み拝見といったところです。

 

7年もの長きにわたり、多くの死傷者をもたらした朝鮮出兵。11月、豊臣軍の撤退が開始されました。肥前名護屋城に到着した加藤清正、黒田長政らを三成は出迎えます。秀吉が亡くなったらしいという話にも三成は返答せず、朝鮮の役での“しくじり”は不問にすると発言し、武将たちは殺気立ちます。盛大な茶会の席を設けるという話もそっちのけに、三成への反発心からもみあいに発展します。

朝鮮での戦況悪化を豊臣軍のせいとして、三成ら奉行衆から秀吉へ“曲げられて”伝えられ、名誉を傷つけられたと清正、蜂須賀家政、藤堂高虎、福島正則が家康と利家に訴えます。この責任を三成に負わせてくれなければ考えがある と一歩も引かない彼らを、利家はグイッと睨みつけます。「考えとは? 治部に任せたのは殿下のご遺志。軽挙妄動することあらば、この前田利家が許さぬ!」

彼らを帰し、家康は寧々と三成のもとへ向かいます。寧々は彼らとうまくやるよう、詫びを入れて酒でも酌み交わせと勧めますが、三成は自分が間違ったことはしていないと、謝罪することを拒否し出ていきます。ねねは、三成がまっすぐすぎるとため息をつきます。「治部がうまくできなければ、その時は力ある者にやってもらうほかないと、私は思うておる」

家康は香道を楽しみながら、諸国の様子を正信に尋ねます。秀吉が亡くなって伊達政宗や輝元、景勝ら“最後まで秀吉に抵抗した者”たちは、軒並み秀吉の死を喜んでいるようです。つまり再び世が乱れるのを待ち望んでいるわけです。忠勝は膝を進め、家康が表舞台に立ってすべてを引き受けるべきだと再度主張しますが、正信はあくまでも、危なっかしいことはやめておけという態度です。

伊達政宗、福島正則、加藤清正、蜂須賀家政、黒田長政ら危ない者たちの首根っこを押さえておく程度にするべきですが、五大老五奉行に諮ったとすれば、必ず誰かが異を唱えると思われます。正信は、その時は謝ればいいのだとあっけらかんです。「それが嫌なら、黙って天下が乱れるのを見物しているしかござらぬ。どのみち豊臣の天下はボロボロと崩れてゆくでしょうな」

 

年が明けた慶長4(1599)年、秀吉の遺言により豊臣秀頼は大坂城へ居を移しました。茶々に頼りにされる三成は胸を張ります。しかし「三成では豊臣家中も大名たちもまとめられない」「朝廷も言いなりとなる家康でなければ」という周囲の声に、茶々は不安を漏らします。三成は、家康とは五奉行を支えるという誓書を交わしており、自身はさほど心配してはいません。

「あのお方は平気でうそをつくぞ」 茶々は三成の側に近寄り、耳打ちします。そこに家臣の嶋 左近が来て、伊達・福島・蜂須賀が徳川との縁組が進んでいると報告します。三成の表情から笑みが消え、そのことについてよく調べるように命じます。茶々の忠告が、こうして形となって現れ、三成も信じられないという心境です。

調べたところ、三家に加えて加藤・黒田とも縁組が進んでいました。家康のいない会合の場で五奉行は、勝手に婚姻を結ぶのは禁止だと糾弾します。輝元は「あからさまに動き始めたな……天下簒奪(さんだつ)の野心ありと見るしかないぞ」とつぶやき、利家は軽々に判断はできないと慎重の態度です。太閤の置目(規則)に背くことは誰であっても許されぬと、三成は家康に謹慎してもらうことを提案します。

神の君の元に、直ちに糾問使が差し向けられました。家康はうっかりだったとあっさり非を認めます。糾問使はそれだけでは済まされないと厳しい口調で詰問しますが、徳川家中には忠勝や榊原康政、井伊直政ら血の気の多い者が多く、何かあると面倒だと正信がそれとなく脅します。手を焼いておるんじゃ、とわざとらしく頭を抱える家康の表情は、たぬき顔そのままです。

家康のその発言を受け三成は目を剥き、戦も辞さぬということかと輝元は糾問使を見据えます。景勝は、家康は和を乱していて他への示しがつかないと声を荒げます。家康の言い分も分かる利家は景勝をなだめ、家康に会って詫びを入れると間に立とうとします。しかし置目を破ったのは家康であり道理に合わないと、三成は身体をわなわな震わせます。道理だけで政はできないと利家は反発し、場は紛糾します。

家康の求めに応じて、三成が単身会いに来ます。家康はまず婚姻の件を詫び、政に対して三成の奮闘ぶりを評価します。ただ今の形で政を進めるのは難儀だと、いっとき家康が政務を預かりたいと申し出ます。三成は“家康はたぬき”だということが腑に落ち、裏切られた心境です。「天下簒奪の野心あり、と見てようございますな。私は殿下に任じられました。その務めを全うするのみ!」

体調が思わしくなく休んでいる利家のもとを、家康が訪問します。家康としては、自分にはよこしまな野心はないと三成に分かってほしいわけですが、それを聞いた利家は無理だと笑います。三成側に立ってみれば、桶狭間合戦で大高城への兵糧運び入れなどの家康の活躍も、その合戦の年に生まれた三成にとってはいにしえの物語なのです。

三成だけではありません。今やみんなにとって、今川義元や織田信長、武田信玄、豊臣秀吉と渡り合うてきた家康のことが、神代の昔のオロチに見えて恐ろしいわけです。利家は家康を見据えます。「貴公は強くなりすぎた……貴公は腹をくくるしかないかもしれぬ」このひと月ののち、前田利家がこの世を去ると、世が騒がしくなってゆくのでございます。

 

清正や正則、家政、長政、高虎らが大挙して、三成の政務所に怒鳴り込んできます。しかしその時には左近の勧めで三成は脱出して逃亡していました。夜、伏見の徳川屋敷にいた家康は、伏見城を軍勢が取り囲んでいると報告を受け、城の方を見上げています。取り囲むのは清正 たちの大軍、そして伏見城内には石田三成──。

家康は彼らを屋敷に呼び、話を聞きます。彼らには三成を襲撃する気など毛頭なく、奉行の座から身を引くよう説得するつもりだったと弁明します。しかし三成は話し合おうとせず、致し方なく押し入ったということのようです。何も言わず天を仰ぎ見る家康に、「ここらが潮時」「表舞台に立つべき時かと」と正信や忠勝は家康の背中を押します。

翌朝、家康は三成と対面します。すべては自身の至らなさと悟った三成は、処分を受ける覚悟です。全ての政務から身を引き、近江佐和山へ隠居すると宣言します。ただ、三成自身 間違ったことはしていないと考えていて、こういう結末に納得していません。「殿下のご遺命に、誰よりも忠実であったと自負しております」

家康の次男であり、秀吉の養子を経て結城家へ養子に入った秀康が、三成を佐和山まで送ることになりました。そんな厚遇に感謝しつつ、家康が佐和山を訪問して夜空を眺めたいという希望には、ご遠慮願いたいと拒絶します。「私と家康どのは、違う星を見ていたようでございますゆえ……もうお会いすることもございますまい」

「(義元) 戦乱の世は終わらせなければならぬ」「(信長) 俺は覚悟はできてる。お前はどうじゃ?」「(信玄) 弱き主君は害悪なり。滅ぶが民のためなり」「(秀吉) 天下はどうせお前に取られるんだろう?」「(酒井忠次) 天下を取りなされ!」 薬研を用い、薬づくりに勤しむ家康。出来上がった薬を服用しながら、これまで出会ってきた人物たちの言葉が、家康の脳裏をかすめます。

 

豊臣家と秀頼のために力の限り励まねばならぬと、奉行や大老、諸大名たちを前に家康は宣言します。「天下の太平乱す者あらば、この徳川家康が放っておかぬ。よろしいな」 家康は諸大名たちを見据えます。その威圧で諸大名たちは頭を下げ、輝元や景勝も戸惑いながら手をつきます。

そしてその話は大坂の秀頼に報告されます。「よきに計らうがよい」と秀頼は返答しますが、茶々は厳しい表情で前を向いています。


慶長4年(1599)年 閏3月3日、前田利家が大坂の自邸で病没。享年62、諡(おくりな)は高徳院殿。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと4年──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

大森 南朋 (酒井忠次(回想))
山田 裕貴 (本多忠勝)
杉野 遥亮 (榊原康政(回想))
板垣 李光人 (井伊直政(回想))

音尾 琢真 (鳥居元忠(回想))
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中村 七之助 (石田三成)
吹越 満 (毛利輝元)
津田 寛治 (上杉景勝)
忍成 修吾 (大谷吉継)
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岡田 准一 (織田信長(回想))
ムロ ツヨシ (豊臣秀吉(回想))
山田 孝之 (服部半蔵(回想))
野村 萬斎 (今川義元(回想))
阿部 寛 (武田信玄(回想))

北川 景子 (茶々)

宅麻 伸 (前田利家)
松山 ケンイチ (本多正信)
和久井 映見 (寧々)
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・大橋 守
演出:野口 雄大

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第41回「逆襲の三成」

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