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2023年11月12日 (日)

大河ドラマどうする家康・(43)関ヶ原の戦い ~家康誤算! なぜ来ない秀忠 三成、悲願の勝利へ~

武をもって治めるは覇道、徳をもって治めるのが王道──永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで今川義元にこう答えた松平元康(徳川家康)は、家臣たちとともに必死に戦い抜きます。弱き主君は害悪なり、滅ぶが民のためなり──元亀3(1572)年の三方ヶ原の戦いでは、武田信玄にこう諭された徳川家康は、果敢にも武田軍に勝負を挑みます。

天正3(1575)年の長篠設楽原の戦いでは、武田の最強騎馬軍団に対して、織田信長に大量の鉄砲を用いたこれからの戦い方を見せつけられた家康は、あっという間の勝敗に絶句します。天正12(1584)年の小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉との直接対決で、秀吉に負けはしませんでしたが戦全体として敗北を喫してしまいます。

そして──。家康と石田三成のどちらがより多くを味方に付けるかで決まると臨んだ家康と、より大きな蜘蛛の巣を張ったと胸を張る三成との戦いが近づいていました。慶長5(1600)年9月14日、1里の間を置いてにらみ合う石田三成と我らが神の君。天下分け目の大戦、ついに決戦の時でございます。

大坂城では、毛利輝元を前に豊臣秀頼は自分が出陣しなくてもいいのかと尋ねます。輝元は時が至ればと返答しますが、現に三成からは秀頼出馬の矢の催促であり、今こそ! と淀は焦りをにじませます。秀頼が出陣する覚悟を持っていることを誇らしく思う淀ですが、輝元は戦況を見定めてからとあくまで一任するように頭を下げます。「そなたが総大将の器であるか否かが問われておる。機を見誤るなよ」

京・新城では、大坂城にいた阿茶局が寧々に匿われて移ってきています。本を糺(ただ)せば豊臣家中のけんかなのです。家康と三成、どちらに味方しているわけでもない寧々は、本音でいえば、豊臣と徳川が手を取り合って政を進めていくのが最もいいと考えています。そんな寧々に阿茶局は「お願いがございます」と勇気を振り絞って打ち明けます。

 

赤坂・徳川の陣では、福島正則がさっさと攻めてしまおうと提案しますが、大垣は堅牢で城を崩すには兵が足らないと藤堂高虎が分析します。井伊直政は、徳川秀忠の本軍が到着するのを待つよう進言します。しかしそのころ、秀忠軍は関ヶ原に向けて大急ぎで進軍中でした。徳川本軍3万の兵を預かった秀忠公、しかし三成の策略にはまり、信濃上田で足止めを食らわされたのでございます。

本軍が到着しないのは徳川方も三成方も同じですが、毛利勢が秀頼を先頭に三成側に味方すれば、この戦は危ないものとなります。家康は調略の進捗状況を黒田長政に尋ねます。内応を約束した吉川広家を通じて、小早川秀秋と毛利輝元に調略を繰り返しているところです。家康は直政に秀秋への調略の書状を何枚も書かせ、周辺の陣に“小早川はすでに家康に内応している”と情報を流させます。

三成側では、秀秋が家康に内応したとのうわさが飛び交いますが、本人は三成方に味方すると言っているし、疑いが晴れず混乱します。三成は毛利が秀頼とともに味方すればだれも寝返らぬだろうし、それでなくともこちらには10万の大軍がついていると自信たっぷりです。「どうする……家康?」

しびれを切らした家康は秀忠軍3万を諦め、大垣城を放って西に向かうことにします。関ヶ原には大谷刑部(吉継)がいるだけであり、自分たちが西に進んで吉継を攻めれば、三成も城を出て追ってくるしかありません。三成と輝元に挟まれれば袋のネズミとなってしまう危険をはらんでいますが、大軍勢を率いるとは思い通りにはいかぬものとは、家康の長年の経験です。「決戦の地、関ヶ原へ──」

家康が大垣城を置いて西に向かい、吉継を攻めて自分たちをおびき寄せるつもりだと気づいた三成は、えさに食いついた! と喜びます。そこに秀秋が松尾山に着陣したとの知らせが舞い込みます。松尾山に陣を敷けば、戦況をよく見ることが出来、しかもどちらに転ぶこともできると嶋 左近が説明します。三成は吉継に秀秋から目を離すなと伝えさせ、徳川軍より先回りして関ヶ原へ向かうことにします。

 

9月15日。かくして両陣営合わせて15万の兵が対峙した関ヶ原の地。一夜明けると雨は上がり、深い霧に包まれておりました。我らが神の君が布陣されたのは、小さな丘・桃配山。それを守るのは徳川軍最強をうたわれる本多忠勝、前線の平野にはこれまた徳川の赤鬼・井伊直政、さらには猛将福島正則、藤堂高虎、黒田長政などなど歴戦の猛者たち。

それを迎え撃つは、笹尾山に石田三成、その脇に鬼の島津義弘、天満山には小西行長と五大老の宇喜多秀家、その南 中山道筋に大谷刑部、松尾山には小早川秀秋、そして南宮山に吉川広家率いる毛利勢に長宗我部。まさに徳川勢をぐるりと取り囲む形で布陣することに成功したのでございます。

三成は、形の上では自分たちが勝ちだと胸を張りたいところですが、やはり秀秋の動向が気になって仕方ありません。総大将輝元と秀頼が着陣すれば、秀秋はこちらに味方するのにと残念そうな表情です。一方家康本陣では、敵に囲まれてしまってこの地が終焉の地となる可能性が出て来ましたが、不思議とすがすがしい気持ちです。家康はこれまで先に逝った者たちのことを思い出します。

やがて霧が晴れてきました。戦闘の用意に入る忠勝と直政ですが、忠勝から正則が先陣を切ると息巻いていることを聞いた直政は、先陣は徳川の者でなければならぬとムッとします。家康は直政に先陣を任せることにします。「おいらを家臣にしてよかったでしょう? 取り立ててくださってありがとうございました!」

陣に戻った直政は、鉄砲隊に射撃を命じます。直後、歩兵が飛び出していき、直政たちも騎馬で敵陣に突っ込みます。それを見ていた正則は、先陣の抜け駆けをされたことに腹を立て、遅れじと出撃を命じます。戦いは地の利を生かした三成勢が優位のうちに進め、三成の思惑通りに進んでおりました。

戦が始まっても動こうとしない秀秋に、三成はイライラを募らせます。左近は、南宮山の広家に家康の背後を攻めさせれば、秀秋も動くだろうと進言します。三成は広家に攻撃を命じますが、腹ごしらえをしている最中で動く様子がありません。広家の背後に陣取る長宗我部元親は、広家が動かぬために自身も動けず、三成は家康に対して腹立たしい思いです。

広家に背後を攻められた時のことを家康も考えていましたが、毛利は吉川だけでなく小早川もまとめきれていないわけで、ここは調略の成果を祈るのみです。

広家が家康に内通し、秀秋も徳川方につくといううわさがあると聞き、うーんと輝元は考え込んでしまいます。一向に動く気配のない毛利に業を煮やした淀は、秀頼を出陣させるために輝元を呼びつけようとしますが、そこに寧々の使いとして阿茶局がやって来ました。重臣片桐且元が淀のところまで案内してくれます。

阿茶局は、“豊臣内部のけんかに過ぎない”という寧々も同意見と断ったうえで、淀に対して秀頼はこの戦に関わらない方がいいと忠告します。その上で徳川の調略が進んでいる現況に、秀頼の身を徳川に預けられたいと進言します。腹立たしい物言いと淀は怒り狂いますが、スッと冷静になり阿茶局を帰します。「まことに不愉快なおなごよ……二度とお見えにならぬがよろしい」

 

いまだに秀秋が動かないのを見、家康は陣を前に進めます。一気に勝負に出たのです。ここが勝負どころと見た神の君は、2万の主力を三成の目と鼻の先に押し出したのでございます。左近は家康の全身に絶句しますが、三成は「おもしろい」と総がかりをかけて家康の首を召し取るように命じます。

その動きにうなった秀秋は、ついに動きます。一気に山を駆け下り、大谷軍に攻めかかりを命じます。大谷軍では小早川勢が攻めかかって来ると報告があり必死に防戦しますが、小早川勢の勢いに押されつつあります。吉継の叫びが三成に届きますが、もはや三成にはどうすることもできません。三成方の兵たちが一斉に逃げ出していきます。

おめでとうございまする! と平伏する中、家康はみなを労わります。しかしそこに舞い込んできたのは、島津勢が徳川本陣に向かってきているという知らせでした。放っておけという家康ですが、直政が島津を討ち取ろうとしているらしく、「相変わらず向こう見ずな!」と忠勝は慌てて馬に乗り、加勢に向かいます。

「逃すな! 目の前を素通りさせれば徳川の名折れぞ!」と直政が叱咤し、井伊隊は必死に戦います。深追いするな! 戻れ! と叫びながら忠勝が駆けてきますが、島津勢を追うことしかない直政の耳には届きません。馬で追う途中に銃撃され、落馬してしまいます。
そのころ、新城に戻ってきた阿茶局は、淀を“おっかないおなごだわ……”と精魂尽き果てていますが、そこに寧々が駆け込んできます。「……終わったみたいだわ」

予想以上に早く決着がついたことに輝元は驚き、すべてを三成の失態にしますが、ニヤリとした淀は輝元に近づき、思いきりその頬を打ちます。「そなたを頼った私の過ちよ……去れ!」 徳川方との交渉の上、毛利輝元──大坂退去、減封。宇喜多秀家──改易、配流。上杉景勝──減封の上 移封。真田昌幸──紀伊九度山に蟄居。小西行長──京・六条河原にて斬首。大谷刑部──自害。嶋 左近──行方知れず。石田三成──敗走。

落馬したところを運ばれてきた直政は、腕の傷を家康自ら手当てしてもらっています。ほんのかすり傷……と直政は立ち上がろうとしますが、けっこう深手でよろめいてしまいます。ただ、島津勢に本陣前を行かせてしまったら家康の名に傷がつくと、うちのめしてやったと笑います。家康は直政をいたわります。「ついに……ついにやりましたな! 天下を取りましたな!」

 

9月22日、近江大津城に入った家康は、捕縛された三成と対面します。戦のない世に出会っていれば無二の友になれたはず、との家康のつぶやきも、三成にはただむなしく響くだけです。豊臣家大事の気持ちは今もまったく揺らいでいない三成ですが、どこで行き違ったのか、なぜこんな無益な戦を引き起こしたのかと家康は詰め寄ります。

「思い上がりもはなはだしい!」と三成は笑います。まったくぶれていない三成ですが、その体内に一度火がつけば止められない戦乱を望む気持ちがあっただけのことです。「ご自分にないとお思いか? うぬぼれぬな! この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり……あなただ」 この乱世を生きる家康こそ戦乱を求める者であると糾弾します。まやかしの夢など語るな! と吐き捨てる三成は、後に京・六条河原にて斬首となります。


慶長5年(1600)年9月15日、関ヶ原にて東西主力の戦闘が行われ、東軍が勝利する。

慶長8(1603)年2月12日、徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命されるまで、

あと2年4か月──。

 

作:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ
題字:GOO CHOKI PAR
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松本 潤 (徳川家康)

山田 裕貴 (本多忠勝)
杉野 遥亮 (榊原康政)
板垣 李光人 (井伊直政)

松本 若菜 (阿茶局)
木村 昴 (渡辺半蔵守綱)
森崎 ウィン (徳川秀忠)
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中村 七之助 (石田三成)
忍成 修吾 (大谷吉継)
池内 万作 (小西行長)
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北川 景子 (茶々)

吹越 満 (毛利輝元)
和久井 映見 (寧々)
佐藤 浩市 (真田昌幸(回想))
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制作統括:磯 智明・村山 峻平
プロデューサー:堀内 裕介・大橋 守
演出:梶原 登城

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『どうする家康』
第44回「徳川幕府誕生」

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