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2023年12月 1日 (金)

プレイバック徳川家康・(47)大坂冬の陣

慶長19(1614)年11月26日、大坂冬の陣の火ぶたは切って落とされた。家康の命令にも関わらず、伊予松山の加藤や、岡山姫路の池田兄弟による先陣争いにより、他の諸大名も遅れてはならじと戦闘に突入。ここに関ヶ原以来14年間にわたって保たれてきた泰平は、皮肉に炎になって吹き上げたのである。

東軍諸将はその旺盛な士気を家康親子に印象付けようとして激しい合戦ぶりを示した。その結果、大坂に出ていた秀頼の軍勢のほとんどは、ことごとく城内に追いやられてしまった。大坂方は、好むと好まざるとに関わらず、籠城と決していったのである。更に天守閣に向けられた大筒の存在が、城内の空気を微妙に変化させ始めていた。

茶臼山に敷く本陣では、徳川家康が本多正純を叱責します。対峙したまま説得すれば敵味方ともに損害なく解決の道は探れたのに、家康が思い描くより勝ちすぎたわけです。抜け駆けは功名次第で軍律違反にはならない不文律もあると弁明しますが、家康は正純が自分の腹が分からないようだと怒りが収まりません。「仮に一人でも少ない損害で済む戦に、無理な采配を強いては天意にもとる!」

家康は徳川秀忠に今後の意見を求めます。敵は籠城の構えなので、甲州から金掘り人足を呼ぶことを提案します。堀の下から城の下に掘り進めて穴に硝煙を積み込み、城ごと地下から吹き飛ばすという噂を流せば、敵も恐れて思案を変えるだろうという考えです。家康はその考えを評価しますが、「その大筒も撃たずに済めば済ませたい……将軍家、くれぐれも無理な采配は慎しまれよ。和議じゃぞ、あくまでも和議でな」

家康は、そばに控える阿茶局に茶を求めます。阿茶局──今川義元の家臣・神尾孫兵衛の後家で、甲州攻めの折、家康が側室に見出した才女である。しかしこの戦陣になぜ家康がこの局を伴ってきたのか、誰も理解できなかった。
一方、金掘り人足が呼び寄せられたという噂が伝わるや、大坂城内では急速に戦意喪失の空気が広がっていった。

 

大坂城内の幸村の出城「真田丸」では、幸村が包囲軍を見つめています。家康や秀忠に一泡吹かせようにも彼らは陣営の表に姿を見せず、そうしているうちに敵方の長対陣の準備だけは出来上がっていくことに、業を煮やす思いなのです。ついに幸村がたまりかねて、大野修理の本陣を訪ねていったのは、12月1日の暮れ方である。

「上様は籠城を歯がゆく思し召され、今夜半、敵の砦に総攻撃をせよ、と仰せられた」と修理は答えます。それを受けたのかと幸村は修理に迫りますが、そもそも今年中に和議を結ぶ方向で調整が進んでおり、それを知らない秀頼は若さに任せて決戦を命じているのです。和議を結べと命じたのは淀で、皆それに賛成しているわけです。

戦の総大将は淀かと、幸村でなくとも皮肉を言いたくなります。和議を進めるには内々に敵方の意を探る必要があり、いちいち諮るわけにはいかないのですが、だとしても和議が整えば諸国から集まった浪人衆は無用となってしまいます。修理は浪人衆については大坂城を出るのも残るのもお構いなしで、江戸方はこれに一切関与しないというのが和議の条件となっているのです。

立身出世を夢見て集まった浪人衆が、それで収まるとは到底思えません。幸村は涙を浮かべて反発しますが、できる限りの分け前を与えて納得させるつもりの修理に愕然とします。修理は秀頼を説得してほしいと依頼しますが、幸村は修理を睨みつけて断ります。「残念ながら幸村、生来うその言えぬ生まれにつき……もはや和議の時期は過ぎました」

そこに修理の弟・大野治房が飛び込んできます。ふたりの弟の道犬(治胤)が堺の民家に火を放ったのです。堺衆の反感があれば兵糧調達が断たれてしまいます。修理はすぐに消すように命じますが、火は海からの風にあおられてすでに燃え広がり、手の付けられない状態です。あきれ果てる幸村は、大砲の音を耳にします。

堺の放火を和議の決裂と見て、徳川方では有無を言わさぬ大筒による攻撃を開始したのである。幸村は秀頼の元に駆けつけますが、秀頼は大砲に怯えて座り込んでいます。しかし道犬を見殺しにするなと言う秀頼は淀の反対を押し切って、一斉に城門を開いて打って出よと命じます。「これは総大将秀頼の命令じゃ! 全滅が恐ろしゅうて戦がなろうや!」

秀頼は初めから、この城を墓場にする気で戦っているのです。それに異を唱えるなら母とて容赦はしないとこぶしを振り上げます。淀は「上様は逆上なされてこの母を折檻するそうな。さあお打ちなされ!」と秀頼に迫ります。しかし突っ伏して泣き崩れる淀を見て、秀頼は振り上げたこぶしを下ろします。千姫は気を失って倒れてしまいます。奥原信十郎や幸村は厳しい表情で親子を見つめています。

家康のところに戻った正純は、先ほどの大筒がかなり効果てきめんだったと勇んで報告しますが、家康は正純を睨みつけてそれには答えず、阿茶局に大坂城の常高院とともに淀と対面するように依頼します。柳生宗矩も手抜かりはないと言って、阿茶局とともに出ていきます。戸惑う正純を前に、家康は目をつぶって祈るような表情です。

その夜遅く大坂城内の一室で、淀君・常高院・阿茶局の三者会談が密かに持たれていた。女は女同士、じっくり話し合ってという家康の配慮である。

 

果たして翌朝──大坂城大広間に、大坂方の諸将たちが招集された。秀頼は泣きじゃくって何も話せず、代わりに一旦和議を結ぶことに決まったと伝えられます。諸将にたちまち動揺が広がります。秀頼は、家康は老年なのでいったん陣を解き、後のことを図りたいと言葉を振り絞ります。「無念じゃ……母上、これが母上の望む講和というもの。この口惜しさ……この屈辱……!!」

皆と死にたかったと泣き叫ぶ秀頼の言葉を受け、淀は立ち上がります。皆が秀頼を秀吉の子として認め、大坂城に入って戦ったということは、秀頼が皆のために死ぬことは皆を裏切ることになる。だからこそ結んだ和議──。人質にもとらず所領も削らず、家臣はお構いなしという条件に、異議は言うなと諭します。「万が一わらわの目に誤りがあって、この和議が損と決まった折には、まずわらわを斬るがよい」

和議の条件、それは大坂城の堀を埋め、城構えを縮小するというものであった。幸村は、この和議の交渉は常高院と阿茶局が担ったと知り、これだけ男たちが揃っていながらさっぱり役に立たなかったと睨みつけます。さらに和議の通達漏れがあって城内に乱入する者がいないとも限らないため、今日明日は城内の警戒を厳重にと指示します。諸将たちに無視され、置いてけぼりを食う修理です。

伊達政宗、関東勢に与(くみ)しながら家康や秀忠の陣備えに乱れを見たら、彼はいつでも豹変していく計算である。それだけに和議となった今、家康に疑いを持たれぬため一層忠節ぶりを示しておかなければならない。政宗は家康の前に進み出て、次の総攻めはいつごろになるかと尋ねます。

政宗は、家康が諸大名へ出した陣払いの命は、敵を油断させる策と見ています。和議の条件は、総堀から外構えを破却する“機会を掴んだ”わけで、これを壊して浪人衆が騒ぎ出すのを家康が待っているのではないかというのです。そもそも浪人問題は何ひとつ解決していないと指摘する政宗は、自分と奥州勢でこの地にとどまり、浪人衆が騒ぎ出すのを待って一挙に討ち取る許可を求めます。

「貴殿の言われることは非である! 不義を行う者は必ず天罰を受ける!」 政宗の言上に家康は激怒します。豊臣家を滅ぼすのはとても簡単ですが、家康は秀吉との友情から和議を結び、秀頼に反省の機会を恵んだわけです。もし秀頼がこれに気づかず不義を行えば、自ら滅んでいくだけのことです。政宗は平伏し、家康本陣を後にします。わざと叱られながら、忠誠心を植え付けることに成功したかの政宗であったが。

外で待っていたのは宗矩です。宗矩は前年9月に政宗がイスパニアに送った大船の話を持ち出すと、政宗は大明国の征服しか考えなかった秀吉とは違い、自分はヨーロッパ大陸をそっくりもらう夢を見ていると笑います。未だイスパニアの大援軍の力を借り、忠輝擁立の夢を捨てていない政宗は、我が身辺に徳川の目が光っていることを知らされたのである。

そして東西和議の誓書交換が完了したのは、その日の夕暮れであった。幸村の呼び出しに応じて信十郎が現れます。幸村は今夜が豊臣家の運命を決するギリギリの日だとつぶやきます。今夜はどの陣中でも祝いの酒が出ると見越して、1万の兵を二手に分けて家康と秀忠の本陣を襲うという奇襲作戦を打ち明けます。「これ以外に起死回生の道はござらぬ。今日の和議にいったい何の意味がござろうぞ」

旧領安堵とはいえ、豊臣家の禄高65万石は旧臣に食いつぶされてきています。その上に浪人衆を新規に召し抱えているわけで、戦わずに和議となれば禄を分ける余裕がないのです。幸村は、この和議は浪人衆の暴発を計算していると推測しています。今は味方の浪人衆と旧臣が禄を争い、不満をくすぶらせて血で血を洗う争いが起こり、それに秀頼や淀、千姫が巻き込まれて命を落とすことを見通しています。

秀忠を生け捕ればそれと引き換えに新領も増え、和議条件は有利となって浪人衆の解散も容易にいくと見た幸村は、秀頼から奇襲作戦の認可を得るように信十郎に依頼します。「上様のお許しなくば、これは暴動だ。暴動であっては大御所と将軍家を捕虜としても、規律ある交渉にはなりますまい」 うーんと考え込んでいた信十郎は承諾します。幸村は涙を流して見つめます。

幸村と信十郎は秀頼の元に駆けつけますが、秀頼と淀、千姫たちは琵琶法師の『平家物語』をじっくりと聞いています。中央の秀頼は酒をあおり、正常な状態とは言えません。果たして、秀頼は胸に渦巻くやり場のない無念の思いを、酒の中に溺れさせていたのである。その姿を見た幸村は、がっくりと肩を落として引き返していきます。

幸村は、奇襲作戦を断念せざるを得ませんでした。「負けたのじゃ……敵に負けたのではない。女子衆に負けたのよ」 この戦いは実は女と男の永遠の戦いだったのかもしれません。男の意地をかけた幸村でしたが、泰平を願う女たちの母の心に負けたのです。そして母の情愛を風に事を運んだ家康の慧眼に、幸村は後れを取ったわけです。

 

ともあれ和議は成立し、何ごとかの手当金が支給されると、浪人たちの多くは酒と女を目指していく。その間隙を見事に突いて、徳川方の総堀埋め立て工事は急務に進められていった。そして浪人たちの財布の底も尽き酔いも覚めたころ、大坂城はすっかり裸に抜かれていたのである。

修理は京都所司代屋敷の勝重を訪ねます。今回の堀の埋め立て工事は早急すぎるのみならず、外堀のみという約束だったのに内堀まで埋め立ててしまったと文句を言ったのです。浪人たちによる暴動も起きかねないとへそを曲げてしまった修理に、また城を囲めというのかと勝重はグッと睨みつけ、いつまで待てば浪人衆を放出するのか見込みが立っているのかと勝重は問い詰めます。

浪人放出については何も異議を言わないとあったはずと修理は主張します。勝重は、豊臣家臣の浪人衆を豊臣側が予定を立てて放出するべきという姿勢を見せます。「将軍家や旗本衆を抑え、大御所が無理やり戦を冬まで伸ばしてくださらなんだら、657,400石、一粒の米も上がらぬことと相なった! そのくらいのことが分からぬようでは、交渉もうまく運ばぬと心得るが」

 

慶長20(1615)年、家康は74歳の正月を久しぶりに陣羽織を脱いで二条城で迎えた。第十子長福丸、十一子鶴千代が陪食を許されていた。うさぎのお吸い物を前に、家康は子どもたちに貧しさを忘れず恩を忘れずと教訓を与えます。そこに秀頼からの年賀の使者が到着しました。家康が、都を去るに臨んで一番気にかかっていた、秀頼からの使者が来たのである。家康は大喜びして立ち上がり、諸侯を大広間に集めるように命じます。

使者を務めたのは木村重成でした。秀頼から家康への言上として「今まで我ら未熟にして大御所のご自愛に心付かなんだ。ふつつかであった」と伝えてきました。上総はおろか地の果てまでも移りましょうとの言葉に家康は感動し、生きているうちに世継ぎが生まれたとの知らせを待っていますと丁寧に返します。重成は秀頼が見立て千姫が縫い上げた綿入れの小袖を進呈し、家康は涙を流して小袖を抱きしめます。

その夜、京都所司代・板倉勝重が呼ばれた。有能な人間を集め大和郡山城の調査を命じます。天下のために大坂城の堀を埋め立てたと理解したとあって、公家としての豊臣関白家にふさわしい城にせねばならぬということで、その建設予定を大和郡山城にしたのです。勝重も喜んでその任に当たりますが、浪人衆の警備を怠らないように忠告しておくことを忘れません。

そして正月3日、家康一行は二条城を出発した。恐らくこれが最後の旅になるであろう──家康は贈られた小袖を大事に胸に抱きながら、駿府へ向かった。だが、伏見城に残った将軍秀忠とその側近は、和議成立の後で秀頼の心境が大きく変化していることまでは知らず、家康の処置に手ぬるさと歯がゆさを感じていた。

家康の温情が通じるのなら、関ヶ原の戦いの折に助けられた恩を忘れて今回のような反乱を起こすわけがないと、謀反を起こさせないためにも徹底的に堀を破却すべきと土井利勝は主張します。家康の生ぬるい処置の根本は、千姫への溺愛から来ているのではないかという言葉に、心情で左右されるような処置であってはならないと秀忠は断言します。

そこに勝重が現れ、大坂方に不穏な空気があると報告します。浪人衆は一向に退出せず、正純らが堀を埋め立てる一方で、堀を掘る者や新たに櫓(やぐら)を建てる者が続出していて、いずれ両者は衝突するかもしれず、和議を結んだ淀や千姫が浪人衆によって人質に取られてしまう可能性に言及します。「お千のために、お父上の最後のご生涯に汚点を残させては相ならぬ。お千に死んでもらわねばならぬ」

大坂城内の千姫は、父秀忠から自害の密命を密かに受け取っていた。千姫が懐刀に手を伸ばした時に老女に気づかれて、もみ合い刀を取り上げられてしまいました。このことは侍女から修理を通じて淀に報告が上がります。

現在の秀頼と千姫は人もうらやむほどの仲睦まじさで、自害する理由がどこにもなく淀は驚きます。修理は、江戸の差し金だと推測しますが、淀は修理の推測を聞き入れたくはありません。修理が自分たちに隠れて何かと企てるところが気に入らないのです。修理は江戸から再び大軍が押し寄せてくるうわさを紹介します。関東の思惑は豊臣を取り潰すことにあり、修理は駿府に聞いてみるようにけしかけます。

一方、家康の元にも千姫事件のことはすぐに届いた。家康は怒りのあまり脇息を床にたたきつけます。せっかく秀頼が家康の心遣いに気づいてくれたというのに、最後の最後に将軍によるこんな試練が待っていようとはと家康は残念で仕方ありません。家康は駿府まで報告に上がった正純を、秀忠を説得するためにそのまま伏見に帰します。

だが、その家康に新たな決意を迫る次の使者が到着した。京都所司代・板倉勝重の一子・重昌である。重昌によると、大坂方では二条城や伏見城を焼き払おうとしているだけではなく、禁裏を味方にするために取り囲んで落とそうという計画があるというのです。諸侯が大坂を離れ、浪人衆が秀頼の意向とはかかわりなく一挙に暴動化していく気配があります。

「恐らくこれは神仏がこの家康に、今生の名残の試練をお加えなさるお気なのであろう」 この時家康は、再度説得のための出陣を覚悟したのである。


原作:山岡 荘八
脚本:小山内 美江子
音楽:冨田 勲
語り:館野 直光 アナウンサー
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[出演]
滝田 栄 (徳川家康)
夏目 雅子 (淀君)
勝野 洋 (徳川秀忠)
本田 博太郎 (本多正純)
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若林 豪 (真田幸村)
谷 隼人 (大野修理)
利重 剛 (豊臣秀頼)
石原 真理子 (千姫)
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夏木 陽介 (柳生宗矩)
井川 比佐志 (奥原信十郎)
尾上 辰之助 (伊達政宗)
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制作:澁谷 康生
演出:大原 誠

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『徳川家康』
第48回「大坂夏の陣」

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