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2024年5月24日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(42)天慶改元(てんぎょうかいげん)

田原藤太から知らせを受けた小次郎は、京に向かう太郎貞盛を東山道に追った。碓氷峠を越えて信濃国で夜を迎えた小次郎は、夜明けとともに貞盛を捕捉(ほそく)しようとしたのである。平 将門は文屋好立(ふんやのよしたつ)に、火雷天神(からいてんじん)の旗を掲げて貞盛軍を追い立てるよう命じます。そして先回りした将門たちが千曲川(ちくまがわ)のほとりで貞盛たちを待ち受けるのです。

軍勢の音は貞盛たちの耳に届き、地元の者たちの戦いに巻き込まれまいと気を配りながら抜けることにします。しかし佗田真樹は万が一を考え、その場に居残ります。深い霧の中から浮かび上がってきたのは、火雷天神の旗でした。貞盛は勝ち目はないと逃げようとしますが、必死に戦えば活路は見いだせると真樹は説得します。

貞盛軍と好立軍は対峙します。予想外に相手がやる気を見せ、好立は一瞬たじろぎますが、伊和員経が命じて弓矢の応戦となります。員経が放った矢が真樹を射抜き、真樹によるかかれの合図に両軍は入り乱れての戦いへ。勝敗は明らかであった。貞盛勢は崩れたって逃げ去ったのである。そして貞盛の行く手には小次郎が待ち受けている。

逃げてきた貞盛と真樹は、草むらに兵たちの影を見ます。様子をうかがううち他方から弓が飛んできて、貞盛を守った真樹が射られてしまいます。貞盛は真樹の勧めでそのまま逃げ、真樹は全身に矢を浴びます。将門が駆けつけますが、将門の姿を見た真樹はホッとした表情を浮かべ、命を落とします。坂東武者の誰しも矢止めせざるをえない、あまりにも見事な佗田真樹の死にざまであった。

将門は貞盛を追って奥へ向かいます。貞盛は背後を気にしつつ川を渡り草むらを進みます。貞盛の名を叫ぶ将門の声に振り返ると、追ってきた将門がいました。将門は視界にようやく貞盛を捉え、弓を引き絞ります。しかし将門は、貞盛の顔を見ると矢を放つのをやめてしまいます。貞盛はその隙に逃げ、将門はその後姿を見つめるのみでした。

「そうか……貞盛を討てなかったか」 藤太は田原へ帰ると言い出しますが、郎党の爺は、将門が人気と実力を兼ね備えた人物であり、義理堅い将門が佐野のこの館へ立ち寄るかもしれないと、対面して懇親を求めることを進言します。「だから帰るのだ。そなたはわしに将門の下につけと言うのか」

そしてその日の夕刻、藤太の館に小次郎将門の姿があった。急な用事で田原へ帰ったと応対する爺に、将門は残念そうな表情を浮かべます。将門がまだ子どものころに会った藤太は、将門にとってはまぶしいほどの存在で、思い出してはフッと笑っています。またの折を楽しみに、と将門は館を辞します。

 

承平8(938)年5月はじめ、太郎貞盛は京にいた。都の人々の目は、彼に対して温かいとは言えなかった。しかし藤原忠平に代表される都の中央政府に寄りすがるより他に、いま貞盛の生きる道はなかったのである。藤原子高(たねたか)に伴われて小一条院の庭に現れた貞盛は、合戦にもいろいろなやり方があると開き直って平伏しています。

忠平は、海賊が静かになったわりに西国からの貢物が増えないと不満です。子高は伊予守の紀 淑人が貢物の半分以上を海賊に分け、残りを京まで運ばせているとし、坂東から兵を集め威を西に向けると従来の主張を繰り返します。貞盛は、民人が土地を離れて他国にいくのは無理であり、子高の策はなし得ないと発言します。

子高は、国府の役人が弱すぎる現状に、豪族の命には従うのだからと、役人の力を強める案を忠平に進言します。坂東において強い豪族と言えば将門か藤太ですが、公にも逆らうような反逆謀反人の2人ではありません。子高は坂東から兵を集めて西に送ることで、東も西も抑えることが出来るわけです。

純友は、なお伊予の大津にいる。彼と武蔵にとって、ほとんど初めての平穏な日々である。これはやはり幸せというひとつの形なのかもしれぬと純友は思い、そして武蔵もこういう日々が永遠に続いてくれたらと思っていた。その様子を木の陰から覗いているくらげ丸と鮫ですが、彼らにはこんな毎日に不満を抱いています。くらげ丸はため息交じりでその場を離れ、鮫もついていきます。

剣術の稽古に励む重太丸を見ていて、純友にも自分にも幼いころがあったと感慨深い武蔵です。大きな屋敷で父母と幼子の弟と過ごした日々、母の奏でる笛の音が響いていました。それが弟を抱いた母と旅に出たような記憶で止まっています。それは、幼子の武蔵にとってあまりにも強烈な、思い出すことが耐えられないような何かだったのではないか。

 

承平8年、938年5月22日、都の中央政府は年号を承平から天慶へと改めた。それは富士山の噴火や打ち続く地震、東国、南海の擾乱(じょうらん)による不安を払い、人心を一新するためであった。忠平は貞盛に、坂東に戻って将門を討てと命じます。そして貞盛の伯母の婿・藤原維幾(これちか)を常陸介に任命し、公の権威がどこまで東夷(あずまえびす)を従わせられるか試すつもりなのです。

これはかつて子高が主張した説ではないかと貞盛は考えます。忠平はまず、手始めに維幾に命じて武蔵国から兵2,000を集めさせることにします。さらに武蔵には権守として興世王と、介として源 経基を派遣します。貞盛は武蔵国の役人を皇族で固めることに驚きますが、忠平曰く、皇族は掃いて捨てるほどたくさんいて、そこまでのものではないようです。

貞盛は慄然(りつぜん)とする思いであった。朝廷の武蔵国に処する強い態度は、やがて他の坂東諸国に及ぶものとみなければならない。それはいずれ必ず小次郎将門と衝突を引き起こすのではないか。その時、自分が当の将門の追討使として──。危ないな、と貞盛は察知します。

 

その年の6月、上総の平 良兼が危篤となった。枕元には詮子と平 良正、3人の息子たちが取り囲んでいます。良兼はうわ言で良子の名を呼んでいます。良兼が危篤で上総館に続々と親族が駆け付けている話は鹿島玄明から将門と良子に伝えられ、将門は上総行きを良子に勧めますが、継母の詮子が何をするか分からないし、将門の妻として父には会ってはならないと首を横に振ります。

そっと目を開いた良兼は、天井を見つめたまま息を引き取ります。子どもたちが声を上げて泣き、良正は良兼の手を組ませて涙に暮れます。詮子は悲しみの声を上げるでもなく、そのまま寝所を後にしますが、その頬には一すじの涙が流れていました。小次郎との戦いに駆り立てて止まなかった妻・詮子の眼(まなこ)からは、依然として燃えるような輝きが失せていない。

詮子はそのまま常陸府中の源 護の館に戻りますが、良兼の妻として上総にいなくてもいいのかと心配です。葬儀は貞盛が京から戻ってきて執り行うことになっているし、詮子にはこの源家を栄させたいということだけが念頭にあって、土地の配分に関しても上総のことはどうでもいいと考えているのです。「もし誰もがいなくなろうとも、生きてこの世にある限りは、きっと」

小次郎将門の追討使となった貞盛は、常陸介として赴任する藤原維幾とその子為憲の一行とともに、再び東山道を坂東へと進んでいた。下野田原の藤太の館に貞盛が現れます。貞盛は藤太とは一面識もない。その彼が旅の途中で立ち寄ったのである。貞盛は将門追討使の任を受けていると、家人は面会を断るよう藤太に勧めます。「いや会う。将門を討つことなど貞盛ひとりの力でできるはずがない」

小次郎将門は、良子とともに結城寺に赴いていた。亡き良兼のための二人だけの弔いであった。死者となった良兼に対して、いまは何の憎しみも持たない小次郎であった。だが彼を巡る坂東の情勢は今やかつてないほどに大きく、かつ決定的に回転しようとしていたのである。


原作:海音寺 潮五郎「平 将門」「海と風と虹と」より
脚本:福田 善之
音楽:山本 直純
語り:加瀬 次男 アナウンサー
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[出演]
加藤 剛 (平 小次郎将門)
山口 崇 (平 太郎貞盛)
草刈 正雄 (鹿島玄明)
真野 響子 (良子)
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長門 勇 (平 良兼)
太地 喜和子 (武蔵)
米倉 斉加年 (興世王)
仲谷 昇 (藤原忠平)
藤巻 潤 (佗田真樹)
丹阿弥 谷津子 (秀子)
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露口 茂 (田原藤太)
星 由里子 (詮子)
西村 晃 (源 護)
緒形 拳 (藤原純友)
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制作:閑谷 雅行
演出:松尾 武

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』
第43回「武蔵の風雲」

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