« 大河ドラマ光る君へ・(25)決意 ~宣孝から恋文 迷うまひろは答えを~ | トップページ | プレイバック風と雲と虹と・(52)久遠(くおん)の虹 [終] »

2024年6月25日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(51)激闘(げきとう)

この物語も終わりに近づいている。

天慶3年、西暦940年の1月。太政大臣藤原忠平を首班とする朝廷の最高会議は、明日にも京の都を制圧する気構えと実力とを持つ藤原純友とその海賊団に対して、純友に従五位下という位を授けることによってこれを懐柔し得ると信じ、同時に坂東から外へ出る意図を持たない平 将門に対しては、征東大将軍の率いる大軍を持ってこれを制圧しようとした。これは驚くべき錯誤であった。だがこの錯誤が、今やその命脈風前の灯火とも言うべき朝廷を、結果として救うひとつの原因となったのである。

そして坂東では、小次郎将門が石井(いわい)に主だった武将や郎党を集め、兵たちとともに慰労の宴を張っていた。その席上、小次郎は重大な決定をした。軍の体制を解き、兵をそれぞれの里に帰すというのである。坂東から公が消えた今、残った我々は大地に取り組むことが仕事だと諭します。「第一歩から始めてみようではないか、我らの手で」 小次郎の夢だったかもしれない。しかし小次郎はこの夢に賭けていた。あまりにも美しすぎる夢なのに。

将門が兵たちを里に帰したと聞き、田原藤太は驚きます。将門の決断は、後に必ず将門を殺すことになる……。そんな時、平 貞盛が藤太を訪ねてきました。貞盛はつい先日、藤太の手によって危うく小次郎に売られかけたのである。だがこの男はそんなことなどまるでなかったような顔で、いま自分の前にいる。藤太は貞盛という男を改めて見直す思いであった。

貞盛は、叔母婿で前常陸守・藤原維幾(これちか)と子の為憲を藤太に紹介したいと言ってきました。将門に敗戦を喫した維幾は命からがら京に逃げ帰りますが、常陸守という役目を奪われたことで京で過ごしにくくなり、坂東に戻って来ざるを得なかったようです。貞盛は公の征東大将軍・藤原忠文が坂東に攻め寄せてくると告げ、維幾に会うよう勧めます。

維幾は、忠文が通る国々で兵を集めながら坂東へ来るとし、目標数は2万だそうです。しかしその報は必ず将門の元に届き、坂東に兵が到着する前に戦えるだけの準備を行えそうです。そうなってからでは遅いと、為憲は藤太に自分たちに力を貸すよう訴えます。公に対する叛逆だと言う為憲を藤太はギロリと睨みつけ、維幾は慌てて為憲をたしなめます。

征東大将軍と将門が正面から衝突すれば長い戦になるだろう、と貞盛はつぶやきます。隆盛の様子を見て来た貞盛ですが、民人たちの心は、実はより強い権威にすがりたいという気持ちが大きいのではないかと考えています。より強い権威とはすなわち公であり、公に対する信仰心は実はまだ消えてはいないと藤太を説得します。

「私は、あの男が好きなのです」と藤太は貞盛を見据えます。貞盛も、従兄弟であり幼なじみで友だちでもある将門のことが好きで、藤太の気持ちもよく分かります。それだけに、将門はこの世に早く生まれすぎたのだと冷静な分析をします。「いや、もっと大昔に生まれておればよかったのかも」

ひとりになった藤太はじっと考え続けます。そしてついに決断します。爺(老郎党)を呼び、今すぐ集められる兵3,000を4,000にして、出陣の支度にかかれと命じます。まだ夜明け前だと難色を示す爺に急げと号令します。「小次郎将門……わしの若いころ、そのままのような……」 藤太は拳を強く握ります。

 

藤原純友は南海道や山陽道の国府を落とし、不動倉を開きながら都に近づきつつあり。公もその対策に大わらわで、坂東に兵を割く余裕はなさそうです。しかし平 将頼が田原あたりの様子がおかしいと知らせに来ました。天慶3年の正月が終わりに近づいた日のことであった。そのころ田原藤太は、密かに集めた兵たちに対して、厳しい訓練を課しながら鍛えぬいていた。

ここは京の都、洛北のある寺院。検非違使の別当を務める人が密かにこの寺に来ている。恒利は純友の心に不安を感じて、朝廷との間に二股をかけていたのである。藤原恒利は別当に、純友の一存で都に一気に攻めのぼると情報を提供します。別当は恒利を忠平の屋敷へ連れていき、御簾越しに忠平は恒利に対し、公への思いを過分に思うと言葉をかけます。忠平がいなくなると、恒利はうまくいったと大笑いします。

夜、恒利は純友の用と称して武蔵と季重を呼び出します。いきなり愛娘・千載の話を持ち出す恒利を不審に思った季重は、武蔵を守って構えますが、実は恒利が武蔵らをおびき出して検非違使の兵に捕らえさせようとしたのです。裏切ったね、と武蔵は恒利を睨みつけますが、恒利の中ではまだ純友を裏切ったという気持ちはありません。

武蔵と季重の2人で検非違使に応戦しますが、多数の敵には敵わず、季重が胸を射られて絶命します。背中を切られた武蔵は必死に逃げますが、やはり検非違使に囲まれてしまいます。そこに飛び込んだのは鹿島玄明でした。あっという間に検非違使を蹴散らし、意識を失った武蔵を抱えて上空へひらりと飛んでいきます。

 

そのころ純友配下の大海賊船団は、淀川の河口・大物浦(だいもつのうら)へ近づきつつあった。玄明はやがて純友のところに戻れると武蔵を励まし続けます。武蔵がふと目を開けると、目の前には純友がいました。純友は、公が倒れてシロアリどもを斬ってやったとウソをつき、武蔵は純友の大望が果たせたと喜びます。

「だから武蔵、生きるのだ。俺の妻として。お前はもう幸せに生きられるのだ。いつもそう願ってきたように」 しかし武蔵は笑顔を見せると息絶えます。何度も武蔵の名を叫ぶ純友と、号泣する玄明です。なぜ武蔵が検非違使庁の兵にやられたのか、純友には謎ですが、その理由は分からないと答えつつ、玄明は武蔵が鴨川のほとりで恒利と会う約束があったと打ち明けます。

まだ公は倒れていません。純友の頭の中では、坂東に入った征東大将軍と戦い、攻略した将門が都に上ってくる間に、じわじわと都を攻め続けて民人たちから公への気持ちを離してしまわなければなりません。純友は今は亡き武蔵に語りかけます。もうすぐだ……もうすぐだぞ!

 

天慶3年2月、すでに田原藤太の動きは明確なものとなっていた。下総・石井の館では、軍勢がすでに700から1,000集まったと将門に報告が上がります。藤太軍は4,000との知らせですが、あと2~3日待てばこちらにも大勢集まるでしょう。興世王は大軍を見せつけて敵の勢いをくじくのが良策と進言しますが、将門は首を横に振ります。「待っていては藤太勢が押し寄せてくる」

とはいえ、藤太はつい先日この石井館を訪問し、将門と親しげに会話していただけに、興世王はじめ諸将は“藤太裏切り”だという見方をしています。なぜか今の自分には藤太の裏切りを恨み怒る心がない。小次郎は我が心をほとんど訝(いぶか)しむ思いであった。今はただ、有名とどろく田原藤太と堂々と対決しよう。そういう心があるばかりであった。

小次郎は石井を発った。先陣に小次郎の率いる兵300、中軍に三郎将頼を将として200、そして後詰めには多治経明と文屋好立(よしたつ)が将となって500。将門勢は遮るものもなく下野の奥深くへと進んだ。だが行けども行けども、小次郎たちは敵勢と遭遇することがなかったのである。

やがて将門は“おかしい”と気づき始めます。大軍の藤太勢が音もなく消えるわけもなく、将門軍の物見に気づかせることなく潜ませることも不可能に思えますが、もしかしたら藤太はそれができる男なのかもしれません。「命令に反すれば斬る。もしその命令が何時も声を立てずにじっと潜んで待つことであったとしても、それを完全に行わせることのできる男かもしれぬ」

そのころ多治経明・文屋好立を将とする後詰めの軍は、いつの間にか先軍中軍よりかなり遅れていた。経明は、山で人影が動いたと気づき進軍を止めます。じっと観察してみると、敵兵が山に隠れています。『将門記』には、ただ高き山とのみ記されているその山は、研究者によって今日の栃木県下都賀郡岩舟町の西方1km、三毳山(みかもやま)であろうと推測されている。

三毳山は標高225m、ただし平野の中に屹立(きつりつ)しており、極めて眺望が良い。『将門記』は言う。「実否を見んがために高き山の頂に登りて、はるかに北方を見れば実に依りて敵有り。ほぼ気色は四千人ばかりなり」と。経明と好立は、まずは将門に知らせるべきだが、敵もいきなり攻撃されるとは思うまいと、将門の下知なく藤太勢に襲い掛かります。

藤太は冷静に矢を射かけるよう命じます。「ここに経明らすでに一人当千の名を得て件(くだん)の敵を見過(みのが)すべからず」 すなわち彼らは小次郎の指揮を待たず、圧倒的多数の藤太勢に向かって突進した。自分たちの力をいつか経明たちは過信するようになっていたのである。藤太は戦う兵を引かせ、弓隊に矢を射させます。次々と標的にされる将門勢です。

経明らの合戦の知らせが先陣に届いたときはすでに遅く、後詰めの兵500は無残な敗戦を喫し、基地を脱して小次郎たちに合流することが出来たのは、多治経明・文屋好立のほか、わずかな兵のみであった。将門は撤退を決断します。「藤太が数を頼みに勝ちに奢って攻めかけてくるなら、この小次郎将門の手並みを存分に味わわせてくれよう!」

為憲は半数近くの兵を失った将門軍に一気に攻めかけよと藤太に命じますが、口をふさげ小童! とたしなめられます。「小次郎将門がどれほど恐ろしい敵か……さすが、付け入る隙がない」 このままでは石井に戻ってしまうと為憲はじれったい思いです。藤太が最も恐れているのは、下総の民人たちの動きです。藤太は、将門を民人たちから孤立させよと、貞盛に2,000の兵で向かわせることにします。

将門は、敵が仕掛けて来ないことにニヤリとします。いつ襲ってきてもいいように準備万端の上での撤退なので、彼らは腕が鳴っているわけですが、藤太はそれを見抜いているのでしょう。小次郎は思った。自分はついに生涯で最も恐ろしい敵に出会った、と。しかし小次郎の胸には勝利の自信が満ち満ちていたのである。


原作:海音寺 潮五郎「平 将門」「海と風と虹と」より
脚本:福田 善之
音楽:山本 直純
語り:加瀬 次男 アナウンサー
──────────
[出演]
加藤 剛 (平 小次郎将門)
山口 崇 (平 太郎貞盛)
真野 響子 (良子)
──────────
草刈 正雄 (鹿島玄明)
米倉 斉加年 (興世王)
仲谷 昇 (藤原忠平)
今福 正雄 (藤原恒利)
──────────
露口 茂 (田原藤太)
太地 喜和子 (武蔵)
緒形 拳 (藤原純友)
──────────
制作:閑谷 雅行
演出:大原 誠

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』
第52回「久遠の虹」(最終回)

|

« 大河ドラマ光る君へ・(25)決意 ~宣孝から恋文 迷うまひろは答えを~ | トップページ | プレイバック風と雲と虹と・(52)久遠(くおん)の虹 [終] »

NHK大河1976・風と雲と虹と」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大河ドラマ光る君へ・(25)決意 ~宣孝から恋文 迷うまひろは答えを~ | トップページ | プレイバック風と雲と虹と・(52)久遠(くおん)の虹 [終] »