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2024年6月28日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(52)久遠(くおん)の虹 [終]

天慶3(940)年2月、小次郎将門は下総石井(いわい)へ軍を引いた。しかし。平 将門は、田原藤太勢が逆井(さかい)に陣を敷いたと聞き、地図で逆井の北部に弧を描きます。逆井は今日の茨城県猿島町逆井(さしままち さかさい)と推定するなら、石井の北8kmの至近距離にある。

藤太は、平 貞盛や藤原為憲に軍勢を任せ、将門たちを周囲の村から隔離しようとくまなく配置しているようです。村里に入れば民人を無駄に刺激し抵抗に遭うため、民人たちが中から外に出ないように道を固めて見張りを置く周到さです。これ以上兵を集めることはできず、将門は打って出て戦うことを諮ります。「ひとたび勝てば、敵の囲みに破れが生ずる。あとは地の利、人の和。決戦は──明日だ」

民人たちが作り上げた砦の周囲には、藤太勢と思われる兵たちが何人も行きかっています。眠っている豊太丸の手を握る将門に、良子は藤太が戦巧者だと不安を打ち明けますが、将門はそれを認めつつ、負けはせぬと笑みを浮かべます。良子も将門が坂東いち強い武者であると信じています。将門は豊太丸に語り掛けます。「いいか? お前も、立派な坂東武者になれよ」

小次郎が決戦の場として選んだ北山は、現在では地名が失われ確証はないが、今の岩井市の北3kmばかりにある駒跿(こまはね)のあたりと推定されている。草むらに隠れて敵を待つ将門や伊和員経は、筑波山のふもとで婚礼に向かう良子の行列を待ち伏せ、掠奪した時のことを思い出していました。

北風が吹き始めた。小次郎たちには追い風、藤太勢にとっては向かい風であった。行くぞ! と将門が下知し、将門軍は草むらから平野に出ていきます。敵勢は中央に総大将の田原藤太、右翼には太郎貞盛、そして左翼に為憲を配して、総勢実に4,000。これに対して小次郎勢はわずか400。しかし全ては選(え)りすぐった鋭兵であった。時に天慶3年2月14日──。

 

将門は、中央の藤太勢に突き進むと見せかけて、自分の合図で右翼の貞盛勢を攻めるよう下知します。

一方の藤太は、正面から戦う姿勢を見せる将門を“あの男らしい”と評し、受けて立とうと、近づく軍勢を睨みつけます。向かい風で、矢を射てもとても太刀打ちできないと郎党が告げても、ひるむなと一喝します。「敵は小勢だ。引きつけて討って取るのだ」

ゆっくり前進した将門軍は、それっ! という将門の合図とともに右翼の貞盛勢に攻めかかります。小次郎勢は突如方向を転じ、右翼の貞盛勢へ向かった。

しまった、と思った藤太は、軍勢を貞盛勢に加えさせ助けるよう下知します。

貞盛勢と将門軍が衝突します。両軍とも必死に刀を振り、敵を斬り倒していきます。将門や平 将頼は笑顔で、圧倒的に数に勝る藤太勢に“楽しんで”挑んでいるようです。三宅清忠も馬上から戦っています。敵に囲まれた員経は、背中を見せたすきに槍で刺されてしまいます。そして必死に防戦しているうちに藤太の前まで来てしまった清忠は、数多の敵兵に矢を射られ、倒れます。

小次郎軍の激しい戦意に、さしもの田原藤太も逃げた。将門は倒れている清忠を抱き起します。長い付き合いだったとつぶやく清忠は、そのまま息を引き取ります。盟友の死に、将門は口を真一文字に結んだままです。

藤太勢は引いたとはいえ、林の陰に再び集まり出しています。将門は傷が深い兵はこの場に残るように命じ、受けた傷の手当てをした員経にその指揮を任せます。

藤太は敗北の思いをかみしめていた。4,000の兵が今やわずか300。死傷者も多かったが、それ以上に戦線を逃亡した者が多い。『将門記』は、藤太・貞盛・為憲の軍勢から、この時実に2,900が逃げ去ったと記している。為憲は、一刻も早く逃げなければ将門軍の追手がくると進言しますが、藤太は静かにつぶやきます。「……風が止んだな」

藤太は戦う姿勢を崩しません。このまま逃げてしまえば、将門と離した民人たちが一斉に襲い掛かってくるでしょう。為憲は4,000いた兵が300になったのにと口を滑らせてしまい、守備する兵たちの間に動揺が走ります。臆病者は残れと告げると、藤太は近づきつつある将門軍に向かって駆けだします。

果たして、囲みを解かれた民人たちは、一斉に戦場へと向かった。藤太は襲い掛かる敵を斬り倒し、将門は馬上から藤太の名を連呼します。貞盛は敵軍に向けて矢を射続け、藤太も弓を取りますが、突然吹いてきた向かい風で、兵たちは枯草が目に入って思うように射られません。

風も我らに味方している! と将門軍は藤太勢に矢を射かけます。次々と倒れる藤太勢に将門軍は追い打ちをかけます。藤太は、目の前の事実に愕然とします。「小次郎将門……あれが神か」

風向きが変わって一陣の烈風が吹いた。小次郎には逆風であった。藤太はその好機を見逃さず、将門軍に矢を射かけさせます。髪がなびいて将門が側面を向いた瞬間──。

 

藤原純友は思わず立ち上がります。鹿島玄明も何だか胸騒ぎがしています。それは純友も同じで、顔を見合わせます。玄明は坂東へ向かうことにします。

 

藤太の放った矢が将門の右こめかみにぐさりと刺さります。大量に流れだす血、将門は震える手で矢を抜き取ろうとしますが、そのまま力尽きて落馬します。

その日、石井の館は炎上した。長い間、将門を支えてきた爺(老郎党)や老乳母も館で自決します。良子と豊太丸は館を落ち延びていますが、深手を負った者たちはみな自害して果てていました。そんな中で、無傷で藤太の前に引き出されたのは興世王でした。「夢は消えた。はかない夢だった……しかし私は賭けていた」

藤太はたとえ捕らわれ人であっても粗略には扱わないと告げますが、興世王は空笑いをします。武者ではないが恥は知っている、と舌を噛み切って自害します。興世王の遺体を見下ろす藤太や貞盛たちです。

良子は女たちと夜道を逃亡します。豊太丸は員経が抱っこして守っています。上総の平 公雅(きんまさ)を頼ろうとの声も上がりますが、いずれ公による探索の手を伸ばしてくるに違いありません。かやは自分の親戚がいる陸奥へ行くことを提案します。近づいてくる騎馬集団のひづめの音に、桔梗は良子たちを早く落ちさせ、囮(おとり)の役を買って出ます。

 

民人たちと将門軍に加わろうとしていた螻蛄婆(けらばあ)は、目の前で起きた将門の死を傀儡(くぐつ)たちのリレーで純友に知らせます。純友の中で、音を立てて崩れ去ってゆくものがあった。そんな悲しみとは裏腹に、海辺で行われている海賊衆たちの会議はにぎやかなようです。報告を受けた純友はその会議の和に加わりますが、顔色が悪く海賊たちはいち早く異変に気付きます。

撤退を決断した純友に、くらげ丸と鮫は猛反発します。「裏切り者は必ず斬る。たとえ純友の殿であろうともな!」と刀を振り上げるくらげ丸と鮫を、純友は突き飛ばします。大浦秀成は、将門亡き今、自分たちだけで都を抑えて何ができると一喝します。純友は仲間たちの顔を見渡します。「俺たちは必ずまた帰って来よう。必ずまた」

純友についての史料は乏しく、その生涯は将門以上に定かでない。一度伊予へ帰った彼は、この翌年再び兵を起こしたが、藤原恒利らの裏切りもあって敗れ、今日の宇和島で殺されたとも、また捕らえられて病死したとも、さらにこれらは国府側の作文に過ぎず、真実は海賊の大船団を率いて南海のかなたに消息を絶ったのだ──とも伝説は言う。

 

朝廷の派遣した征東軍は坂東に入った。その先鋒には、かの六孫王経基もいた。未だに良子と豊太丸が見つからないことに経基はいら立ちを見せますが、妻子に罪はないと藤太は探索するつもりはありません。公が支配する国に戻ったのだと経基は反発しますが、雷鳴がとどろき、貞盛はつぶやきます。「小次郎には火雷(からい)天神がついておる。小次郎が天上で怒っておるかもしれませぬな」

そこに源 護(まもる)と詮子が雷に打たれたと報告が入ります。彼の語るところによれば、詮子と源 護は、良子たちが上総に立ち寄り公雅の助けを受けた後、陸奥へ向かったとの情報を掴み、それを知らせるためここへ急ぐ途中だったという。雨宿りする2人の近くの木に雷が落ち、土砂降りの中を護が刀を振り上げた途端、その刀に落雷したのです。護と詮子は折り重なって落命します。

田原藤太秀郷は、のち下野守、武蔵守、また鎮守府将軍となり、その子孫は長く坂東に栄えた。太郎貞盛の五代の子孫は平 清盛である。また六孫王 源 経基八世の子孫が源 頼朝である。

良子と豊太丸たちは陸奥へ落ちた。付き従うは伊和員経ひとり。あの乱戦の中で、多治経明も文屋好立も、そして三郎将頼も全て戦いながら死んだ。小次郎将門ともに。この親子の消息は、その後誰も知ることがない。良子らをかばって追っ手の眼をくらました桔梗たちも、ついに役人たちの見出すところとなった。伝説は言う。彼女が若い命を終えたこの原では、この後秋が来ても桔梗は花を咲かせることが絶えてなくなった、と。

 

坂東では今までのように民人たちが大地を耕し働いています。木陰で笛を奏でる玄明は、終わったな、とつぶやきます。そばに寄りそう螻蛄婆は、何千回も何万回も生まれ変わると諭します。歩き出す玄明ですが、ふと振り返ると虹がかかっていました。フッと微笑んだ玄明は、螻蛄婆とともに去っていきます。

夜、臼を引き縄を結う民人たちですが、駆ける馬の蹄の音が聞こえてきます。「将門さまじゃ」「小次郎の殿の駒音じゃ」と民人たちは口々に言い出します。やっぱり生きておられた! と一様に笑顔を見せます。小次郎将門は死なない。空に、海に、大地に。将門は今もなお生き続けている──。

──完──


原作:海音寺 潮五郎
   「平 将門」
   「海と風と虹と」より

脚本:福田 善之

音楽:山本 直純

テーマ演奏:NHK交響楽団
      東京混声合唱団
演奏:新室内楽協会

時代考証:稲垣 史生
風俗考証:磯目 篤郎

語り:加瀬 次男 アナウンサー
殺陣:菊地 竜志

 

[出演]

加藤 剛 (平 小次郎将門)

山口 崇 (平 太郎貞盛)

草刈 正雄 (鹿島玄明)

真野 響子 (良子)

高岡 健二 (平 三郎将頼)
岡村 清太郎 (平 四郎将平)

福田 豊土 (伊和員経)
近藤 洋介 (三宅清忠)

横森 久 (藤原惟幾)
中島 久之 (藤原為憲)

日野 道夫 (老郎党)
関 京子 (老乳母)
神田 正夫 (栗麻)

 

西村 晃 (源 護)

米倉 斉加年 (興世王)

森 昌子 (桔梗)

吉行 和子 (けら婆)
中丸 忠雄 (大浦秀成)

菅野 忠彦 (源 経基)
清水 綋治 (くらげ丸)
小島 三児 (くぐつの男)

金内 吉男 (多治経明)
大宮 悌二 (文屋好立)
松村 彦次郎 (佐野八郎)

丹古母 鬼馬二 (鮫)
大橋 一元 (小野氏彦)
大塚 吾郎 (鯒麻呂)

林 邦史朗 (藤太の郎党)
飯田 テル子 (老婆)
中山 廣通 (将門の郎党)
磯永 明彦 (豊太丸)

遠藤 真理子 (かや)
近藤 雅子 (いね)
山内 千鶴子 (よし)
平野 元 (征東軍武将)

前沢 迪雄 (民人)
西沢 武夫 (民人)
三月 雄三 (民人)
森 康子 (民人)
大月 優子 (民人)

若駒
菊地剣友会
劇団いろは
鳳プロ
 ─────
協力:茨城県石下町

 

露口 茂 (田原藤太)

星 由里子 (詮子)

緒形 拳 (藤原純友)

 

制作:閑谷 雅行

美術:小川 和夫
技術:小池 哲男
効果:松崎 茂

演出:岸田 利彦

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