プレイバック風と雲と虹と・(47)国府占領(こくふせんりょう)
常陸国の不動倉襲撃で重傷を負った玄道は、小次郎の元に匿われた。これに対して常陸国司 藤原維幾(これちか)・為憲親子は兵4,000を集め、その威を背景に玄道・玄明を差し出せと将門に執拗に迫って来ていた。将門は、常陸国では多くの民人たちが飢えているというのに、国府や公は何をしているのかという怒りもあるわけです。
常陸国府の所在地、すなわち常陸府中は、今日の茨城県石岡市である。常陸府中に姿を現したのは、将門の命を受けてやって来た三宅清忠です。将門の使者と聞いて維幾は震えあがりますが、為憲は使者であれば維幾が会う必要はないと助言し、維幾は郎党に用向きを聞いておけと命じます。
かねてより書面で、玄道・玄明の不動倉襲撃の罪を許してほしいと嘆願してきたが、常陸国府からの返答が未だになく、やむなく将門が自ら国府に嘆願のために参上する──。為憲は「田舎者め! 向こうからやってくるとは!」と想定外のことにイライラしますが、貞盛はこちらが兵を整えているのに、攻め込まれるまで待てというほうが無理があると笑います。
ともかく為憲は、将門の紛(まご)うことなき叛逆に何の遠慮がいるかと、公の権威を示す絶好の機会といきり立ちます。半ば馬鹿にしている貞盛は、兵を送らねばと為憲をけしかけますが、為憲は胸を張って諳(そら)んじます。「孫子軍事編に曰く『佚(いつ)を以て労を待つ』(我が主導権を握り敵を振り回すようにして敵の兵員の疲弊と物資の浪費を誘う)」
貞盛は、将門に急ぐ必要がなく時間をかけてゆっくり来るだろうと反論しますが、どんなことにも兵法で回答する為憲に、戦が書物通りにいくかどうかと貞盛は懐疑的な見方です。それでも為憲は、将門が孫子を知らなければ必ず負けると相当の自信を持っています。貞盛はあまりの主張にあきれ果てますが、当方の勝利間違いなしと言う息子を、維幾は頼もしく見つめています。
小次郎は石井(いわい)を発った。ことさら兵を募ることはしなかったが、折から農閑期のことで、たちまち数百の人数がこぞった。日ごろは農地に勤しんでいる民人たちの中から、ことがあれば即座に集まって小次郎と功を共にする人々の群れが形成されていたのである。これは小次郎の領民ではなく、彼と固定的な主従の関係にある人々ではない。いわば小次郎将門を名士として成立する同盟軍であった。
貞盛の見立て通りゆっくり進軍している将門軍に、しびれを切らした為憲は明朝出陣を決定します。為憲を総大将に、太郎貞盛を副将とする常陸国府軍も出発した。その数、実に4,000。しかしその大部分は公の威をもって強制的に駆り出された、不作凶作に苦しむ常陸の民人たちであった。為憲は、まず常陸府中を西南に出、恋瀬川を渡ってわずかのところで兵をとどめた。
為憲は軍勢を3つに分け、第一陣が戦ったら左から第三陣の後方に回り休息する。第二陣は第一陣がいたところまで前進し敵と戦う。そして第二陣は左から第一陣の後方に回り休息する……の繰り返しを指示します。訓練の行き届いた精兵ならその戦法も可能かもしれぬ。だが……とそう考えたことを、貞盛は口に出さなかった。
常陸国府勢4,000、その待ち受ける広野(ひろの)に将門勢が姿を見せたのは、その日の昼を一時も回った時刻であった。兵500で軍勢の右手の林に潜んでいる貞盛は、迫って来た将門軍が幟旗を立てていないことに気づきます。自ら合戦を仕掛けてくる意思がないことを示しているのだな、と貞盛は感じます。
文屋好立(ふんやのよしたつ)が将門との打ち合わせ通り、白旗を掲げてゆっくりと為憲勢に近づいてきます。好立は維幾に会いたいと叫びますが、対応したのは為憲です。反逆者を差し出せという命令に従わないだけでなく、軍勢で常陸に侵入した将門の叛意は明白だと好立に返答します。「将門に申せ。そなたの首が胴についているのももうしばらくの間だけだ、とな」
いざ合戦ぞ! と為憲は笑みを浮かべます。しかしその為憲の様子を見た貞盛は「どうしてもやる気か青二才め! 本気で小次郎に勝てると思っているのか」と批判します。さて、どう動くべきかと郎党が考えますが、貞盛は少し考えて、自分の下知どおりに動けばいいと伝えます。
将門は敵軍が着陣したあたりを眺め、横にある林のあたりが怪しいと鹿島玄明につぶやきます。伏兵がいる可能性を疑っているのです。戻って来た好立に、貞盛の姿は見なかったと言われて、玄明に100ほどの兵を預け、抑えに回します。「抑えるだけでいい。ことの原因を成した男が戦うのもおかしかろう?」
将門軍が「神兵降臨 火雷天神」の旗を掲げると、一瞬たじろぐ為憲軍ですが、自分の戦法通りに戦えば必ず勝つと鼓舞します。やがて将門軍は敵陣に向かって突進し、為憲軍も迫りくる将門軍に大量の矢を射かけ応戦しますが、矢を除けて突進の速度を緩めません。為憲軍はたちまち怯えだし、我先にと逃亡し始めます。
兵書から学んだ為憲の戦法は、まったく通じなかった。崩れ立った第一陣は左に開くどころか、四分五裂となって味方の第二陣になだれかかったのである。林の中から総崩れの様子を見ていた貞盛は、付き合い戦もたくさんだと撤退をすることにします。小次郎勢はたちまち第三陣をも蹴散らした。実戦の経験がない為憲は、ただ呆然し、完全に展開する石田のように肝を失っていた。
為憲を脅して貞盛の居場所を聞き出した将門は、右の林を目指します。そのころ玄明率いる100の軍勢が林に忍び込んでいますが、玄明は、誰もおりません! という報告を数名から聞きます。「逃げ足の速いところを見ると、ここはやはり……」太郎貞盛はすでに遠く逃げ去っていた。貞盛は兵たちに鎧や武具を捨て、何ごともなかったかのように家に戻るよう伝えます。
味方総崩れの報を聞き、維幾は郎党に支えられて国府を脱出しようとしますが、将門軍がすでに取り囲んでいました。将門は捕らえた為憲を維幾に帰し、維幾は大喜びですが、為憲は憮然とした表情で国府の館に入っていきます。維幾は思った。小次郎がこれほど丁重なのは、やはり自分の身分を恐れ憚(はばか)ってのことに違いない、と。やはり維幾は、なお公の権威を妄信している司人のひとりであった。
維幾は、将門が兵を起こして他国に乱入したことを指摘しようとしますが、将門はそれを止め、これまで何度となく平和の対面を願い出たと主張します。維幾は、ことの善悪は公が裁くため将門の主張を聞いても意味がないが、前非を悔い軍勢を引き取るなら、都への下文によしなに書き添えると提案します。「前非を悔いよと? 私には悔いるべきなにごともない!」
今さらにして維幾は、正六位下常陸守だぞと声を震わせますが、守の務めは、まず国の民人の幸せを図ることと言い放ちます。国々の事情に疎い都暮らしの公人(おおやけびと)が、天候不順で不作に苦しむ民人をずいぶんと苦しめてきた……。「私に後悔があるとすれば、なぜもっと早くここへ来なかったかということだ。そしてあなた方のような冷酷な司人を放逐し、常陸の民人を救うべきだったのだ」
将門の威圧で維幾は土下座して降伏しますが、その瞬間雷鳴がとどろきます。ざわざわする兵たちですが、猛烈な雨が降ってきました。小次郎将門は、ついに常陸国府を占領した。時に天慶2(939)年11月21日、今日の暦では正月8日にあたる。この季節に時ならぬ雷鳴が常陸の野にとどろき、車軸を流すような豪雨が降り注いだ。
下総・石井(いわい)の館でも豪雨です。うなされていた鹿島玄道が目を見開くと、早馬で合戦に至ったことを良子から聞くと、まだ癒えぬ身体を奮い立たせ、刀を振り上げて雨の中を飛び出して行きますが、良子たちに引き戻されます。「俺が行かんでも大丈夫だろ……あいつは強いからな……良子どの……あなたにはお世話になった」 激励する良子や老郎党(爺)ですが、玄道はついに息を引き取ります。
清忠が将門と初めて会った年、将門と藤原純友が荒れ屋敷で出会ってすぐにも都に激しい嵐が吹きました。その時清忠は、この嵐がすべて吹き飛ばしてくれればいいと願っていました。ただ実際に吹き飛ばされたのは民人たちの粗末な家ばかり、貴族の豪邸はびくともしていません。将門は、民人たちばかりに苦しみを負わせておくわけにはいかないと改めて思います。「小次郎どの、おことが嵐になるか」
時が来た、風が吹き始めた──と螻蛄婆(けらばあ)がつぶやきます。武蔵が伊予へ旅立つのです。坂東では将門が、そして西海ではこの俺が、と純友はいつも言っていました。婆は武蔵に、これからは身内に気を配るよう純友に伝えさせます。「苦楽を共にし、互いに信じあっていた仲間たちが、それぞれの心に何をはぐくんでいるか。どんなさまざまなものを……純友の殿はそれをせねばならぬ」
せっかく再会した姉と弟も、しばらくのお別れです。玄明は、約束していた武蔵武芝の館に姉の武蔵と「行けませんでしたよ」と微笑みますが、またすぐに会えるからその時には、と武蔵は弟を見つめます。互いに姉弟として相会ったばかりのふたりにとって、これがさいごの別れになろうとは。
常陸国府のほど近くに館を構えていた源 護一家は、将門勢の来襲を聞くや着の身着のままで逃げ出した。そして豪雨が彼らの逃走を助けた。途中、護が転倒し、同行する詮子と小督とともに近くの大樹の下に雨宿りをします。ひとまず上総の良兼邸に向かうことを提案する詮子ですが、そこに小督は連れていけないと言い出します。
小督には水守(みもり)の良正邸に向かわせ、貞盛の帰還を待つように詮子に言われます。今は貞盛を頼るしか将門を倒し、昔のような源家の繁栄に戻す手立てがないわけです。「いつまで小次郎に運がつくものではありません。最後に勝ちを占めるのは太郎どの。そして我ら源家です」 護は詮子と小督の手を握り、少しでも長く生きていよと諭します。
嵐の中、興世王は常陸国府に現れます。坂東の戦ぶりを見てみたかったと残念がります。そしてこれからどうする? と興世王に問われます。国司を攻め国府を乗っ取った反逆の罪は、もはや免れようもないのです。将門は微笑み、興世王は驚きます。「分かっております。止むに止まれずしたことです。それを公が何と呼ぼうと」
公にとっては誅殺にあたる大罪だ、と興世王は忠告します。引き返すこともできず、立ち止まっていることすら許されない。「一刻を取るも誅せられ、数刻を取るも誅せらる!」 常陸のことはやがて下総のこととなると将門は言いました。常陸のことは坂東八か国のことであり、公にはこの公然な叛逆を見捨てることはできるはずがない、と興世王は将門を見据えます。
日の本の軍勢がやがて将門を討ちに寄せてくるとき、それを防ぐ手立ては足柄と臼井の峠をふさぎ、坂東八か国を固めるしか道はない──。将門は立ち上がります。もはや引き返すことも立ち止まっていることも自分にはできない。興世王の言葉を待つまでもなく、それを痛いほど知り尽くしている小次郎であった。ただまっしぐらに前へ進む、それだけが小次郎将門に残された唯一の道であった。
原作:海音寺 潮五郎「平 将門」「海と風と虹と」より
脚本:福田 善之
音楽:山本 直純
語り:加瀬 次男 アナウンサー
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[出演]
加藤 剛 (平 小次郎将門)
山口 崇 (平 太郎貞盛)
真野 響子 (良子)
多岐川 裕美 (小督)
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草刈 正雄 (鹿島玄明)
宍戸 錠 (鹿島玄道)
太地 喜和子 (武蔵)
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米倉 斉加年 (興世王)
星 由里子 (詮子)
西村 晃 (源 護)
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制作:閑谷 雅行
演出:大原 誠
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』
第48回「坂東独立」
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