大河ドラマ光る君へ・(29)母として ~悲報届くまひろに予期せぬ客~
長保3(1001)年。正月、宮中では天皇に屠蘇などの薬を献じて、一年の無病息災を祈る儀式が行われていた。宣孝は天皇が飲み切れなかった薬を飲み干す、名誉な役割を担っていた。一条天皇の顔色はとても悪く覇気がないという噂です。帰宅した宣孝は、帝には拝せなかったものの、左大臣藤原道長は息災だったとまひろに報告します。賢子をあやすのに宣孝が変顔をし、大喜びするのはまひろです。
正月の除目の前に、各国の国司の働きを評定する受領功過定(ずりょう こうかさだめ)が行われた。まひろの父・藤原為時については、納税や帳簿記載など一切の不審さは見られませんが、宋の言葉に長じているのを買ったのに、赴任して4年経過しても宋人を帰国させるという役割を果たせていないと、厳しい評価が下されます。
まひろの元にききょうが訪ねてきました。ききょうは定子亡き後、娘の脩子(ながこ)や媄子(よしこ)の養育をしながら、聡明で輝かしかった定子と華やかな後宮の様子が、後世まで語り継がれるように願って『枕草子』を書き上げていました。書き始めるきっかけを作ったまひろに、最初に読んでもらいたくて持参したわけです。
生き生きと弾むような書きぶりとまひろは評価しますが、人には光と影があり、それが複雑であればあるほど人間的に魅力さが増すとまひろは言いますが、皇后さまに影などはございませんッ! とききょうにしては珍しくまひろを睨みつけ、声を荒げてしまいます。「あったとしても書く気はございません。華やかなお姿だけを人々の心に残したいのです」
ききょうの意図としては、定子の命を奪った道長への当てつけもあるようです。定子の兄弟を遠ざけ、出家したのを口実に帝から引き離し、己の幼い娘を中宮の座に据えるなど、その強引なやり口と嫌がらせが定子の身体を弱らせたと、ききょうは涙を浮かべます。「まひろさまも騙されてはなりませんよ。左大臣は恐ろしき人にございます」
宣孝が帰宅します。宣孝は今回の除目で、為時が求めていた越前守の再任官が叶わなかったとまひろに伝えます。宣孝は再任官がなされなかった理由はよく分からないと言いますが、まひろが言う通り宋人を帰国させられなかったことが大きく影響していそうです。ともかく為時がどこかの国司に再び任官するまでは、“父”である為時を預かり、越前守の役目の疲れを癒してもらおうと笑います。
翌朝、国司を務める山城国府に出かけた宣孝は、それきり戻ってこなかった。宣孝の北の方(正妻)の使者がまひろの屋敷を訪れ、にわかに病を得て4月25日に身罷ったと伝えます。すでに葬儀は執り行われたそうで、豪放で快闊だった宣孝の姿だけを心に残すようにと北の方の言葉です。まひろはあまりの突然のことに衝撃を受けます。
為時が役職を解かれ、夫が亡くなり、この屋敷がどうなるかと思えば、海女をやっていたきぬは越前に帰って海に潜ろうかなと言い出し、乙丸は驚きます。あんたも来る? と誘われて二度驚きます。道長のところにも宣孝の死が伝えられます。賢子は無邪気に「父上は?」とまひろに尋ね、まひろは涙を流しながら賢子を抱きしめます。
為時が越前から戻り、百舌彦が屋敷を訪ねます。為時に労わりの言葉をかけ、宣孝卒去のことにも触れます。まひろは生前にとてもお世話になったと頭を下げます。道長は為時の再任官が叶えられなかったことを詫び、その代わり嫡男田鶴に漢籍指南の話をお願いしたいと言ってきました。しかし為時は、かつて藤原兼家に仕えていた時に最後までやり遂げられなかったことがあるからと、この話を辞退します。
意外な為時の返答に百舌彦は何とも言えない顔で帰っていき、まひろは為時に詰め寄ります。まひろの気持ちを思えば道長と源 倫子の子に漢籍指南などは考えられない為時ですが、父は官職なく、夫はすでに亡く、どうやって暮らしていけばいいのとまひろは問い詰めます。賢子にひもじい思いをさせないためにも、と食い下がるまひろに、そうであるなと思い直す為時です。
土御門殿では、倫子が彰子の在所(藤壺)に納める品を選んでいました。道長は藤壺を毎日訪ねる倫子に、あまり立ち入っては帝がお渡りになりにくいと、気をつけるように軽くたしなめますが、倫子は彰子に帝のお渡りがないのは自分のせいだとひがみ、帝のお渡りがあるよう知恵を絞っているのも自分だと主張します。あまりの剣幕に道長は「すまなんだ」としか言えません。
苦しむ女院詮子の背中をさする道長ですが、詮子は道長に、帝の皇子・敦康親王(あつやすしんのう)を彰子に養育させるよう提案します。かつて兼家は懐仁親王(やすひと=一条天皇)を東三条殿に人質にとると言い出したことがあり、それに倣うのです。父と同じことはしたくないと道長は拒絶しますが、「お前は父上を超えているのよ……」と詮子は苦しそうに告げます。
道長は帝に提案しますが、定子はどう思うかと考えた末、帝は道長の言う通り中宮彰子に託すことにします。間もなく敦康親王が道長の後見を受け、中宮彰子と藤壺で暮らし始めた。敦康親王は無邪気に彰子の膝の上に座り、彰子は戸惑いながら敦康親王を抱きしめます。その様子をホッとした表情で見つめる倫子です。
土御門殿では来たる『四十の賀(しじゅうのが)』で童舞(わらわまい)の役を務める田鶴が、藤原伊周に指導されて稽古の真っ最中です。伊周の指導はとても厳しく、あれだけやんちゃな田鶴が縮こまるほどです。そんな伊周の気持ちは理解しながら、左大臣家の権勢はもはや揺るがないと藤原隆家は冷静な分析をします。しかし伊周は、それを揺るがせて見せると聞きません。
伊周や隆家が官職を得られないそもそものきっかけは、隆家が花山院に矢を放ったことから始まっているのです。それだけに伊周は隆家の苦言など聞き入れたくないのが本心です。そこに清少納言は伊周を訪ね、書き上げた『枕草子』を宮中に広く知らせてほしいと伊周に託します。
そして10月9日、女院詮子の40歳を祝う四十の賀が、道長の主催により華やかに行われた。帝も臨席し、祝いの言葉を述べます。そしてその間、伊周は道長を呪詛していました。名前の入った木の板のど真ん中に、刀で傷を入れていきます。
今回の宴で倫子の子・田鶴と明子の子・巖君の2人が童舞の舞を務めます。2人とも立派に舞いますが、それが終わると帝は、巖君にのみ従五位下を授けます。あまりの栄誉に明子は信じられない心持ちで頭を下げ、巖君の舞の師匠も感涙します。悔し涙を流す田鶴に、道長は父として厳しく言い放ちます。「女院さまのめでたき場であるぞ! 泣くのをやめよ」
せっかくの興に水を差したことを詫び、道長の宣言でこれから酒宴に移るという時に、詮子は顔をしかめ胸を押さえて苦しみだします。帝や道長が慌てて駆け寄ります。私に触れてはならないと厳命する詮子は、苦しそうに声を絞り出します。「病に倒れた者に触れ、穢(けが)れともなれば政は滞りましょう……あなたさまは帝でございますぞ……うっ!」
そのまま病の床につく詮子ですが、薬師が勧める薬湯もいらぬと断ります。実はその間も伊周による呪詛は続いていて、道長を呪っているように見えながらそれは詮子に効いているようでした。詮子は帝と敦康親王のために伊周の位を元に戻して怨念を収めるよう道長に求めます。道長は詮子のほほに手を当て、涙を流して「分かりました」と返事します。
詮子の望み通り、伊周の位は元に戻された。伊周はさっそく帝にお礼言上に伺い、大いに働いてくれと言葉をもらいます。そして伊周は、少納言から預かって製本した『枕草子』を帝に献上します。後世に『枕草子』と呼ばれるこの書物の評判は、道長を脅かすことになる。
まひろは賢子に『竹取物語』を読み聞かせています。賢子には珍しく、おとなしく物語を聞いていて、いとは微笑ましく思っています。「母上、続きは?」と求められて、クスクス笑うまひろです。触発されたまひろは物語を書き始めます。「できるかどうか分からないけど」
作:大石 静
音楽:冬野 ユミ
語り:伊東 敏恵 アナウンサー
題字:根本 知
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[出演]
吉高 由里子 (まひろ)
柄本 佑 (藤原道長)
黒木 華 (源 倫子)
吉田 羊 (藤原詮子)
三浦 翔平 (藤原伊周)
町田 啓太 (藤原公任)
渡辺 大知 (藤原行成)
竜星 涼 (藤原隆家)
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塩野 瑛久 (一条天皇)
見上 愛 (藤原彰子)
上地 雄輔 (藤原道綱)
ファーストサマーウイカ (ききょう/清少納言)
秋山 竜次 (藤原実資)
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佐々木 蔵之介 (藤原宣孝)
岸谷 五朗 (藤原為時)
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制作統括:内田 ゆき・松園 武大
プロデューサー:大越 大士・高橋 優香子
演出:佐原 裕貴
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『光る君へ』
第30回「つながる言の葉」
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