プレイバック春日局・(14)夫の危機
【アヴァン・タイトル】
世の乱れに伴い、おふくの住まいも転々としました。「山崎の合戦」の後、丹波亀山から比叡山麓、京都へと落ち延び、さらに美濃清水城に移りました。そして正成とともに再び亀山へと行きますが、それもつかの間、遠く筑前名島へと移動します。さらに京都、大坂へと移り、「関ヶ原の合戦」が終わるや否や、今度は小早川秀秋の領地替えにより岡山へと行くのです。
当時、旅行や引っ越しは大変でした。たとえば、おふく一家が大坂から岡山へ移動した際にかかった費用を見てみましょう。
『頼慶駿河下向日記』。慶長の時代に、高野山から駿河までの旅行費用を書き記したものが残っています。この記録を元に、おふくたちの費用を大雑把に算出すると、なんと、現在の420万円となります。車や鉄道もない当時は、費用も、そして心構えも現在とは比べ物にならないほど大変だったのです──。
備前・稲葉正成邸では、おふくは母・お安の居室に向かい、位牌に手を合わせているお安に、すぐにここを立ち退かなければならなくなったことを早口で伝えます。戦か? と冷静に尋ねるお安ですが、おふくも、状況が未だに飲み込めていません。ただ、ここにいては夫・稲葉正成の命も危ないらしく、今夜のうちに小早川の領内を出る必要があるのです。お安は、小早川の重臣でありながらも、その領内を出なければならないのはよっぽどのことだとし、こんな時こそしっかりしなければ、とおふくを叱咤します。
正成は、彼の家臣たちに事情を説明します。小早川が宇喜多秀家の領地にやって来てから、宇喜多の浪人たちを支配するために力づくの村山越中らと、誠意を見せて納得させる杉原紀伊らの二派があり、ことあるごとに対立してきました。宇喜多の浪人たちは秀秋の命を狙い、反旗を翻したことで、秀秋は武力で浪人たちを制圧することにしたのです。それを諌めた杉原紀伊を、秀秋は村山越中に命じて殺害に及んだわけです。
正成は、このままでは自分も杉原と同様に上意討ちは免れず、犬死にとなってしまいます。それよりは、一旦小早川を離れて、別の家に仕官が叶ったとき家臣たちを再び呼び戻すつもりなのです。わしの勝手を許してくれ、と正成は家臣たちに頭を下げます。正成は、昵懇にしている備中庭瀬城の大名・戸川肥後守達安を頼ろうと考えています。備中であれば、備前の小早川も容易にに手は出せまい、と考えたのです。
ついに落ち延び開始です。ふらついているおふじを心配するお安ですが、「私は大丈夫でございます」と言った直後に転んでしまいます。お安が馬を勧めると「めっそうもない、これしきのこと」と強がって歩き出し、再び倒れてしまいます。その様子を見ていた正成の重臣・堀田正吉は、おふじをひょいとかかえ、自分の馬に乗せます。
「なんじゃと!? 正成がわしに背いたというのか!!」 このまま野放しにして他国に逃げ込まれては小早川の恥、と秀秋は村山に正成を捕らえるよう命じます。しかし、正成出奔を伝えに来た平岡頼勝は、家中で信頼の厚かった杉原が上意討ちされてからというもの、正成と同じように小早川を見捨てて去った家臣は数知れず。それでも正成が秀秋に豊臣を裏切らせ、結果的に宇喜多の浪人たちに苦労することになった事実は変わらないわけで、秀秋は正成を許すつもりはありません。
平岡は、去ったものに心を残すよりも、杉原・稲葉が去った後の岡山領内をどう治めていくか考えなければなりません。まずご行状を改め……と、秀秋を諌める平岡ですが、頭に血が上っている秀秋は、平岡を睨みつけます。
備中庭瀬に入った正成は、家臣たち一人ひとりのために紹介状をしたためています。家臣たちにはいつまでも従ってもらうわけにもいきません。早く新しい主君を見つけてやらねば、と正成は焦ります。
関ヶ原の戦いで小早川を西軍から東軍に寝返らせたのは正成のおかげだ、という徳川家康の感状ももらっていますので、自分の仕官も早く決まるでしょう。正成自身は今回の出奔について家康に弁明の使者を送っているため、家康もきっと理解してもらえるはずです。あるいは、秀秋の行状が改まれば再び小早川に仕える道だってあります。とにかく、今はここで嵐が過ぎ去るのを待つしかないわけです。
稲葉家に養子に入った正成には、美濃清水城に戻るのが筋かもしれませんが、養父・稲葉重通が昨年亡くなり、今の稲葉本家とは縁が薄くなってしまいました。しかし、美濃には開田孫六という正成の実家・林家の縁者である男がいまして、武士を捨てて生きている、力ある豪族がいます。孫六の元に身を寄せて、士官先を探すということもできましょう。とにかく、おふくに辛い思いばかりをさせると、正成は頭を下げます。
太閤秀吉に見込まれた正成は、豊臣家から小早川家へ出る時に、秀秋にくだされた重臣であります。秀吉のところを離れ、戦国という荒波の中を二人で助け合ってここまで生きてきました。秀秋にとって正成は、とても大事な兄貴でした。兄貴と思って我がままを言い、無理難題を言い、それでも頼りにしてきたわけです。秀秋は、盃を放り投げて涙を流します。「何ゆえじゃ……何ゆえ正成は秀秋を見捨てた……」
小早川家から追っ手が来ないことを確かめた正成一家は、備前児島の下津井から船で大坂へ向かい、京・三本木の寧々の屋敷に入ります。正成は、秀秋の元を出奔したことを詫びます。小早川から徳川へ弁明の使者が向かったらしく、家康から事のあらましを聞かされていて、寧々は状況を知っていました。寧々は、関ヶ原で徳川への合力を頼んだのは自分だし、秀秋に強く勧めてくれたおかげで秀秋は道を誤らずに済んだと、正成の実績を認めています。
ただそれが、主従の仲を裂くことまでは予見できませんでした。それでも寧々に詫び続ける正成に、今度こそ立派な主君に巡り会えるように家康に頼んでおくと約束します。江戸城ではお江与が男子を出産したそうです。徳川秀忠の子ということで、お世継ぎ誕生というわけですが、これが元で、徳川と豊臣の関係も今までとは変わってくるかもしれません。徳川は世継ぎが出来たことで豊臣に対してますます強気に出ると思われます。
美濃谷口の孫六の屋敷に、正成一家がたどり着きます。屋敷の周囲にはたくさんの村人が出迎え、正成たちは圧倒されます。正成は現在浪人とはいえ、開田家にとって5万石の大名を迎え入れられるのは名誉なことなのです。孫六は屋敷に手を入れて正成たちがすぐに住めるような状態にしてくれていました。正成とおふくは孫六の気遣いに感謝します。そしてここまで付き従った正吉ら家臣は、正成の元を離れてそれぞれ仕官の道を探ります。「そなたたちにはよう尽くしてもろうた。いつか必ずまた会おう」
開田家での暮らしが始まりました。浪人の身ですが屋敷内には畑もあり、食べるものも用意していただけに、暮らし自体は平和な毎日でした。しかし正成の仕官先はなかなか見つかりません。小早川家で5万石を得ていた正成には、禄高を落としてまで仕官する気にはなれなかったわけです。そうしているうちに慶長7(1602)年も秋になり、正成にもいよいよ焦りの色が見え始めていました。
5,000石での召し抱えに、正成は書状を破り捨てて腹を立てます。おふくは少しでも禄があるならそれでもいいし、いっそ開田家で暮らすのもいいと提案しますが、苛立つ正成に何を言っても逆効果です。そこに秀秋の使者が来たと孫六が伝えに来ました。備前から美濃まで来たのは平岡でした。正成を説得するために名乗りを上げたのです。正成は明日備前に向かうとおふくに伝えます。「殿が、正成に戻って来てくれと仰せじゃ。帰参のお許しをいただいた!」
京・三本木の寧々の屋敷を正成が訪ね、秀秋の許しを得て備前に戻ることになった報告をします。帰参が叶った上は二度と秀秋のもとを離れないと心に誓う正成ですが、振り向いた寧々は困惑しながらつぶやきます。「まだご存じないのか? 秀秋は亡くなりました。昨日知らせが」 宇喜多の浪人に襲われ、不慮の死を遂げたそうです。衝撃のあまり言葉を失う正成は、寧々に並んで手を合わせ、秀秋の冥福を祈ります。
秀秋はわずか21年の短い生涯でした。秀秋には子がなく、備前岡山52万石は徳川に召し上げられ、小早川家は断絶しました。そしてその年の9月25日、お江与が産んだ秀忠の嫡男・長丸はわずか10か月で病死します。お江与はひどく落胆し、食べ物ものどを通らぬほどで、秀忠は心配して様子を見に来ます。お江与は秀忠の正室である素質はないと自分を責め続け、床に突っ伏して涙を流します。
大坂城の茶々の居室では、大蔵卿の局や饗庭の局、正栄尼が集まって、お江与の話でもちきりです。秀忠とお江与の間には姫ばかりで、世継ぎの男子を産むのは無理かもしれないと余裕の笑顔です。実姉の茶々も、豊臣秀頼がいずれ関白になり政権を担えば、お江与に男子を産まれては迷惑なのです。大蔵卿は、世継ぎがないことを理由に大名家が改易されるのは初めてと、徳川の専横ぶりが気がかりでなりません。
せっかく叶った仕官の道が秀秋の死によって閉ざされ、思うような仕官もなく、正成のやるせない心中はおふくにも痛いほど分かっていました。妻として正成をどうなぐさめればいいのか迷いながら時は流れ、辛い日が続いていきます。
慶長7(1602)年10月18日、
小早川秀秋が死去、享年22。秀秋の死去後、小早川家は無嗣断絶により改易された。
寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで
あと26年11か月──。
原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
中村 雅俊 (徳川秀忠)
山下 真司 (稲葉正成)
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香川 照之 (小早川秀秋)
馬渕 晴子 (大蔵卿の局)
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香川 京子 (寧々)
大空 眞弓 (茶々)
佐久間 良子 (お安)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『春日局』
第15回「秀頼・千姫 婚儀」
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