プレイバック春日局・(18)二代目決まる
【アヴァン・タイトル】
ここは東京の銀座です。このビルの向こうは皇居、つまり江戸城があったところです。徳川家康がその江戸城に入ったのは今から400年前、天正18年のことでした。そのころこのあたり一帯はどんな様子だったんでしょうか。コンピュータ・グラフィックスで見てみましょう。
なんとこのあたりは遠浅の海。当時の海岸線は江戸城の近くまで深く入り込んで、日比谷入江と呼ばれる入江を作っていました。私のいた銀座はこの入江の入口あたりです。徳川家康は全国の大名に命じて、この入江を埋め立てました。彼はここに物資流通の港を築き、一大商業地域を作り上げました。この埋立地が、現在の銀座・新橋・日比谷・築地・丸の内などへと発展していったのです。
江戸、そして東京。400年にわたるこの歴史の町は、天下人家康の大事業に支えられているのです──。
おふくは生まれたばかりの竹千代を沐浴させます。おふくは侍女に命じ、産着に針などがついていないかを再度確かめさせます。小姓とはいえ まだ5~9歳の子どもで、控えている間は4人でじゃれあって遊んでいます。竹千代誕生まで千熊が遊び相手をしていた五郎太丸と長福丸が剣の相手をとやって来ますが、おふくは竹千代の小姓として自分磨きに忙しいとやんわり断ります。
竹千代は徳川秀忠の嫡男ではありますが、秀忠が徳川家康から征夷大将軍を継ぐとは決まっておらず、竹千代もお世継ぎと決まったわけではありません。五郎太丸生母・お亀と、長福丸生母・お万は、おふくが大きな顔をしているのは僭越(せんえつ)だと不満を漏らします。五郎太丸も長福丸も、秀忠と同じ家康の子であることを再認識してもらう必要があると言い出します。
剣術の鍛錬も、おふく自らが相手をし、千熊はこてんぱんにやられています。倒れては起き上がり、おふくに立ち向かっていきますが、おふくは片手に持った木刀で払い、千熊は転がされます。稽古のあと、満身創痍で屋敷に戻る千熊ですが、母上さまが!? と驚く侍女に「母上ではない! 乳母さまじゃ!」と強がります。しかしわずか8歳の子、居室に入れば自然に涙があふれてきます。
お江与の産後の肥立ちがあまりよくありません。秀忠は、竹千代を産んだのだからとゆっくり養生を勧めます。お江与は自分の乳を竹千代に飲ませてやりたいと叶わぬ願いを口にします。秀忠はお江与の気晴らしに、明日竹千代に会いに来させようと提案しますが、お江与は寂しそうに笑みを浮かべるだけです。「乳のやれぬ母など……竹千代にはもはや他人でございましょう」
深夜、千熊は松平長四郎と詰めていますが、長四郎は睡魔で眠っています。おふくは千熊にしばらく休むように言いますが、乳母さまこそ、と千熊は気張ります。おふくは自分が乳母としての役割を全うできるよう覚悟していると伝え、千熊に母らしい言葉をかけます。表では乳母と小姓でも、せめて2人きりの時ぐらいは母と子でありたいわけです。
竹千代を胸に抱いてお江与の居室に向かったおふくは、竹千代を抱いてもらおうとお江与の前に差し出します。しばらく躊躇していたお江与ですが、竹千代を抱いて母親の情を確かめます。「お江与の方さま、竹千代ぎみに乳をお上げなされてくださいませ。竹千代ぎみはお江与の方さまのお子にございます」 おふくの計らいをありがたく思いながら、お江与は乳を飲ませます。
秀忠も竹千代の顔を見に来ました。竹千代を胸に抱くお江与に秀忠は驚きますが、おふくは自らがお願いしたことと弁明します。秀忠はおふくに、家康の耳には入れないよう厳命します。その家康は伏見城を発ち、閏八月末に江戸城に入る予定です。秀忠はお江与に、くれぐれも逆らうことのないよう助言します。態度を軟化させたお江与は、小姓たちに褒美を与えます。
江戸城に到着した家康は竹千代と対面します。お江与は家康の幼名をもらったことで、将軍職を継げるような立派な男に育ててくれると、おふくに全般の信頼を置いています。家康は、おふくをあれだけ嫌っていたお江与が、おふくが育てたおかげだと褒めたたえ、おふくとお江与の顔を見比べます。
その後、個別におふくを呼び出した家康は、おふくを労わります。心配していたお江与との確執も感じられず、何があった? と詮索しますが、「同じ子を持つ母、思いは通じるもの」とうまく返します。実は竹千代の誕生をよく思っていない女たちが他にもいて、子がたくさんいれば家は栄えると喜んでいた家康ですが、子が多ければ災いになる場合もあるとけじめをつけることも視野に入れます。
「わしは将軍職を秀忠に譲る!」 家康の突然の宣言に、本多正信や土井利勝は慌てます。秀忠に将軍を務めさせるにはいささか心配で、力ある老獪な諸大名に対する力などないと言うのです。家康に隠居する気はなく、駿府付近に城を建て、そこから天下の仕置きを秀忠に指図していけばいいだけです。今は家康に力があるうちに律義な秀忠に譲り、将軍は徳川の世襲であると示しておかなければなりません。
正信と利勝を納得させた家康は、“秘密裏に”秀忠が将軍に任じられるよう、正信に京都所司代の板倉勝重へ朝廷に奏上させます。それに合わせ、内大臣豊臣秀頼には正二位右大臣に叙せられるように付け加えます。秀忠より秀頼の方が官位が上になりますが、豊臣を立てておかなければ豊臣を怒らせることにもなり、嫁いだ千姫の立場もないわけです。
慶長10(1605)年2月24日、秀忠は10万余の軍勢を率いて江戸を発ち、伏見へ向かいます。大坂城では何ごとかと驚き、茶々は豊臣を潰す気かと少ない兵で城を固めさせます。家康が秀忠に将軍職を譲るウワサについても、家康は死ぬまで将軍職にしがみつくはずと茶々は一蹴し、大坂が攻め込まれた場合を考え、千姫を監禁するように命じます。
秀忠は3月29日に朝廷へ参内、銀などを献上して将軍宣下を待ちます。4月12日、朝廷から先に秀頼へ正二位右大臣に任ずるとお達しがあり、茶々は上機嫌です。家康の力添えがあったのだろうと千姫の監禁を解きますが、その喜びもつかの間、16日には秀忠に将軍職を譲ることを認め、秀頼が天下を握る望みを絶たれます。「なんということを……!!」 茶々は愕然とします。
京・三本木の寧々(高台院)の屋敷では、家康の名代として利勝が訪問していました。将軍が徳川世襲であることを示せたうえで、秀頼に伏見城へ祝いに来るよう、寧々から茶々へ口添えしてほしいというのです。両家助け合う身であっても、徳川が将軍であるからには豊臣には臣下の礼をとってもらわなければなりません。ここは豊臣に折れてもらい、天下の和平を保てればと願うばかりです。
将軍職は徳川の世襲と決めてから、家康は豊臣家への圧力を強め始め、徳川と豊臣の間に不穏な緊張が生まれます。徳川家唯一の世継ぎである竹千代への家康の期待は大きく、それに伴っておふくの責任も重くなっていきます。
慶長10(1605)年4月16日、徳川秀忠が第二代将軍に任じられ、徳川家当主となる。
寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで
あと24年5か月──。
原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
中村 雅俊 (徳川秀忠)
中条 きよし (土井利勝)
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大空 眞弓 (茶々)
馬渕 晴子 (大蔵卿の局)
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香川 京子 (寧々)
丹波 哲郎 (徳川家康)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『春日局』
第19回「女の言い分」
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