プレイバック春日局・(19)女の言い分
【アヴァン・タイトル】
「金を制する者は天下を制す」
関ケ原の合戦ののち天下人となった徳川家康は、全国の金山を次々に直轄地にしました。中でもその開発に最も力を入れたのが佐渡の相川金山です。今年3月採掘を打ち切り、400年の歴史を閉じた相川金山は、慶長8年、佐渡奉行大久保長安がその経営にあたってから、飛躍的な金の産出を見せ始めました。湧き水に強い横穴掘りや、精錬法としてのアマルガム法の導入など、新しい高段技術が活況をもたらしたのです。
その結果、幕府の財政は強化され、家康の権力は揺るぎないものになりました。しかしその彼にも侮れない存在があったのです。ひと時代前に巨万の富を築いた豊臣家です。非常時の軍用金と言われる太閤分銅金をはじめ、大坂城にはおびただしい金銀が蓄えられていました。その財力こそ家康の脅威だったのです──。
寧々は大坂城に出向き、豊臣が生き残るためには時の流れに逆らってはならないと、徳川秀忠が将軍を継いだ祝いに豊臣秀頼が伏見城へ出向くよう勧めます。正栄尼や饗庭の局は真っ向から反発しますが、秀忠には多数の大名らが従ったのに、秀頼にはご機嫌伺いに来た大名は皆無で、徳川はそれだけ力をつけたわけです。茶々は寧々を見据えます。「お断りいたします。豊臣は関白家、ほかの大名とは違います」
寧々は説得が不首尾に終わったことを伏見城に伝えに行きます。豊臣家にとって何の役にも立たない女になってしまったと寧々は力を落としますが、家康は気にしないようにと笑います。今の大坂城を束ねる茶々の心のうちが分かっただけでも十分です。寧々は豊臣が無事に残るように仕置きを猶予してほしいと頭を下げます。
高台院さまを見損ないました! と大野治長は激高します。豊臣を見限り徳川に味方していると寧々を糾弾する治長を、実母の大蔵卿の局がたしなめますが、茶々も治長に同調します。豊臣秀吉の子を産んだ茶々を恨み、秀頼を憎んでいる(と感じた)寧々を縁切りするとまで言い切って、大蔵卿たちを慌てさせます。
家康としては豊臣の腹を探ったまでで、豊臣を潰すと即決できるわけもありませんが、今のところ“いつかは取り潰さなければ”という状態になりました。そのためには大きな寺を方々に建立させて戦に使う大坂城の銭を減らす準備が必要です。駿府と江戸が結束することが肝要と、家康は駿府から本多正信を介して秀忠に指示を出すことにし、大久保忠隣には正信に従うよう肝に銘じておけと忠告しておきます。
将軍宣下の儀式が終わり、2か月足らずを伏見城で過ごした家康と秀忠は、6月頭に家康は駿府へ、秀忠は江戸へ帰ります。秀忠に将軍職を譲りはしたものの、政治の実権は家康が担い、駿府と江戸との二元政治が始まります。そして家康はこの時から“大御所”と呼ばれるようになります。
江戸に戻って来た秀忠は竹千代を抱きかかえ、重くなったと顔をほころばせます。竹千代がうまれて間もなく1年になりますが、病らしい病はひとつせず、乳のほかにも粥なども食べるようになりました。乳離れすると思うとおふくは寂しい思いですが、乳離れするように食事を作るのも乳母の務めと、お江与はおふくを激励します。
美濃の開田家に居候中の稲葉正成のところに、おふくから便りが届きます。開田孫六は、未だに正成に仕官の音沙汰がないのは理不尽だと言っていますが、正成はそううわさしてはおふくが浮かばれないと笑います。稲葉家は千熊が小姓に取り立てられたことで将来が約束されているし、田舎暮らしにも慣れた正成は帰って来たおふくと畑を耕そうかと穏やかです。「武を持って仕える時代は、もはや終わったのよ」
家康が江戸へ来るという話で、おふくの小姓たちへの鍛錬もいっそう力が入ります。そうしている時、目覚めの遅い竹千代を抱いたおふくは、発熱していることに気づきます。はしかかもしれない──おふくは侍女に命じて薬師を呼びます。知らせを受けたお江与は竹千代の居室に駆けつけ、自分が看病すると言い出します。おふくは、竹千代の世話は自分の役目だと主張してお江与を部屋に入れようとしません。
長子の長丸もはしかで亡くしているお江与は、その時に乳母の役目だと言われて、母として何もしてやれず悔しい思いをしていたのです。それでもおふくは無礼を承知で抵抗します。「はしかの手当ては難しゅうございます。私には子が5人おります。そのうち3人のはしかを看取り、無事快癒させましてございます。ふくを信じてお任せくださいませ」
少しの風にも当てないように縁に和紙を張って封じ、おふくも小姓たちも徹夜で番に入ります。おふくは薬湯を口移しで竹千代に飲ませます。侍女のきくは、食事もとらずに看病を続けるおふくの身を案じ、葛湯を作って持ってきますが、おふくからの返答はありません。千熊も母の身を心配しています。
そしてお江与は竹千代の病気平癒を必死に祈ります。秀忠は竹千代のところへ行ったお江与を咎めますが、我が子の命が危ないときにとお江与は反発します。家康が決めたことは守らなければと秀忠は諭しますが、将軍になっても大御所に頭が上がらないとは、とお江与に言われて秀忠はムッとします。「子が親に逆らい、親を越えては家は立ち行かぬ。それが子としての運命(さだめ)じゃ」
気を張っているおふくも、さすがにウトウトしかけますが、よろめきかけて気が付きます。額に手を当て、ホッとした表情を浮かべます。「熱が下がった……お熱が下がられましたぞ! もう峠は越えられた。ようご辛抱なされましたな!」 きくにお江与にすぐ知らせるよう命じますが、大御所さまもご安堵なされましょう、ときくに聞いて、おふくは家康が江戸城に来ていたことを初めて知ります。
長丸のこともあり、家康はひどく心配していました。おふくでなかったら助からなかったと褒める家康ですが、看病すると言って聞かないお江与をはねつけたと正信から聞いていて、それでええのよ、と愉快そうに笑います。お勝も、お江与の気性の激しさは理解していて、その分おふくが大変だったろうと同情します。家康は、これからも誰にはばかることなく竹千代を育ててほしいとおふくに任せます。
いつものようにお江与の居室に竹千代と小姓たちを連れて訪れたおふく。「おふくどの……礼を言います。ただ、礼を言うだけじゃ」とお江与は頭を下げます。おふくに促されて、お江与は竹千代を抱き、涙を流して平癒を喜びます。この時、おふくとお江与の間に改めて深い信頼が生まれます。おふくにとって乳母としていちばん幸せな時でした。
家康はこのまま江戸城で過ごし、慶長11(1606)年の正月を迎えます。鷹狩りを楽しむ家康ですが、禁猟の地で鳥の捕獲のための道具が発見され、家康は誰が仕掛けたのかと正信に問いただします。禁猟で野鳥が繁殖し、付近の麦の芽を食い荒らして土地の者が困っているらしく、関東総奉行青山忠成、内藤清成が野鳥を捕獲したとのことで、無許可でしたことに家康は激怒します。
それを聞いた秀忠は両名に切腹を命じます。利勝と忠隣は、両名が領民を思ってしたことと反発します。家康の鷹狩りはただの遊楽、領民は暮らしがかかっているのです。道理を曲げてまで家康を憚(はばか)ると、家臣たちが疑心を抱くと忠隣は主張します。「道理より大御所さまのご上意に従うことのほうが先じゃ。両名を厳罰に処分して初めてわしの分が立つ」
それを知った家康はばつが悪そうに苦笑いし、両名の切腹を免じます。罪を免じるという家康の命令が江戸で蔑(ないがし)ろにされては問題ですが、秀忠はその分をわきまえて家康を立てたわけです。両名に切腹を命じるとは、激怒した家康に秀忠はよほど慌てたのでしょう。ともかく家康は二元政治に自信を持ち、3月には江戸を発して駿府へ向かうことになりました。
しばらく江戸に戻って来ない家康に、おふくは目通りを求めます。竹千代は誕生後丸2年を迎え、乳を与えなくてもよくなる時期がやって来ます。お勤めは2年と考えていたおふくは、それを機に暇乞いをしたいと言い出します。驚く家康とお勝ですが、おふくの決意は固そうです。
慶長10(1605)年4月16日、徳川秀忠が第二代将軍に任じられ、徳川家当主となる。
寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで
あと24年5か月──。
原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
中村 雅俊 (徳川秀忠)
山下 真司 (稲葉正成)
東 てる美 (お勝)
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前田 吟 (本多正純)
中条 きよし (土井利勝)
大和田 獏 (大野治長)
馬渕 晴子 (大蔵卿の局)
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香川 京子 (寧々)
大空 眞弓 (茶々)
丹波 哲郎 (徳川家康)
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制作:澁谷 康生
演出:兼歳 正英
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『春日局』
第20回「ゆらぐ夫婦」
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